19 神様に愛されたお嬢様
「……あ」
神様の元から生けるものの世界に逆戻りしたわたしは、目を開けた。
この背中の固い感触はよく知っている。メンダル師匠の訓練で、毎回このように地面に倒れるからだ。
仰向けなので、青空が見えた。
雲の流れが早いから、まだ風が強いようだ。
と、お天気に思いを馳せている場合ではない。
「お姉様!」
「お嬢様!」
よかった、全然身体に痛みはない。丸焦げのまま息を吹き返したら、火傷の痛みで転げ回ってしまう。あれは本当に痛いのだ。前世で経験しているからわかる。
闇聖女ルミナスターキラシャンドラは、焼かれたり斬られたり突かれたり殴られたり、それはもう酷い目にあったのだ。
まあ、結果的に全人類を皆殺しにしちゃったんだから、仕方がないかしらね……。
ありがたいことに、リリアンが発揮した聖女の癒しと呼ばれる光魔法は、わたしの身体を完全回復させたようだ……ん?
風が頭皮に当たる?
「ああ、よかっ」
「髪! わたしの自慢のストレートヘア! 金糸のように輝く美しい髪が!」
横たわったまめ両手で頭に触れると、なんと、そこには産毛しか生えていない悲惨な状態の頭皮があった。
「いやあああああああーッ! 髪がない! わたしの毛根が! 炎に焼かれて毛根が死んでしまったーッ!」
お母様譲りの長い金髪は、わたしの自慢だったのに!
乙女の宝だったのに!
なんという由々しき事態でしょう!
わたしは腹筋の力で一気に起き上がると、お姉様が生き返ったというのになぜか顔を引き攣らせているリリアンの肩をつかんだ。
「いいい、痛いです、怖いです、でもお姉様、生き返って本当によかっ」
「よくないわ! リリアン、今すぐ神様に祈りを捧げるのです! さあ、早く!」
「え?」
「わたしの毛根を癒やして、元通りの髪に戻すように全力で祈れと言っているのがわからないの?」
「ひいっ」
こんな頭で貴族の令嬢として生きていけないわ。
神殿に行って、現役の聖女から毛髪への癒しと回復の魔法をかけてもらえれば生えるかもしれないけれど、生えないかもしれない!
一刻も早く魔法を使って頭皮を回復させなければ!
「今すぐ、元通りによ。長い金髪に戻すように神様におねがいするの! わかるわね? わかるわね、リリアン?」
「はひっ」
小さく悲鳴をあげたリリアンは両手の指を組み合わせると、空に向かって「神様、どうかお願いいたします、お姉様の髪を今すぐ元通りに伸ばしてください、でないととても恐ろしいことが起きる予感がするのです、どうぞよろしくお願い申し上げます! お願い! 神様、お願い! 長く長く伸ばしてーッ!」
と、最後は悲鳴のような祈りを捧げた。
天から温かな光が降り注ぎ、わたしの頭を優しく包んだ。
そして、みるみるうちに毛が生えた!
元通りのストレートロングに!
「神様、ありがとうございます! 本当にありがとうございます!」
わたしは金髪を握りしめ涙目になりながら、天にいらっしゃる神様にお礼を申し上げて……周囲の微妙な雰囲気に気づいた。
「……」
とりあえず、髪の毛から手を離し、なにも言わずそろそろと元のように横たわって目を閉じる。
「……お姉様? お姉様?」
リリアンがわたしの身体を揺さぶったので、わたしは再度目を開けて、何事もなかったように言った。
「あら、リリアン? わたしは火に巻かれて気を失って……あれからどうなったのかしら? あら、どこも怪我をしていないわ」
わたしはゆっくりと起き上がって、幼女らしさ全開で愛らしく首を傾げた。
「どうなっているのかしら?」
「シャンドラお嬢様は大火傷をして、一度は息が止まってしまわれたのです。けれど、リリアンが祈りを捧げたら、お嬢様は元通り……元、通りの、美しい姿に戻ったんですよ! か、髪の毛も! よかったです!」
頬をひくひくさせて笑いそうになったルークが、最後の方はすごく早口で言ってのけた。偉かったわ、ルーク。
そして「いきなりなんの三文芝居ですか? 心配して損した気分……」と呟いて、じとっとした視線でわたしを見ていたエマが言った。
「あれはもしや、癒しの魔法だったのでしょうか? リリアン様はシャンドラお嬢様と同じく、リーベルトの血を引くお方。ということは、光魔法の才能があるのかもしれませんね」
エマが冷静に分析する。
でも、しっかりと握り合ったその手が震えている。
心配かけてごめんなさいね、エマ。
「魔法洗礼を受ける前に魔法を使えるようになったのは、大変な驚きですが……それでお嬢様が助かって……本当によかったです」
声が震えて、よく見るとエマの目が潤んでいる。
「そうかもしれないわね、リリアン、わたしを救ってくれてありがとう。いつも教会でお祈りを捧げているから、リリアンの優しい気持ちに神様がお応えくださったのね。そしてみんなに心配をかけてしまって、ごめんなさいね」
「本当だよ! 俺、本気で、心配したんだからな! シャンドラお嬢様が、死、死んじゃうんじゃないかって、ううう、うわああああああん!」
ルークがびっくりするほど大きな声で泣き出した。
「お、お姉様! ほん、本当に、あうううう、うわああああああん!」
リリアンが飛びついてきて、泣きじゃくった。
エマは両手で顔を覆って静かに泣いている。
「ごめんね、みんな、本当にごめんなさい。村の皆さんも、お騒がせしてしまってごめんなさいね。リリアン、怖い思いをさせたわね」
わたしはえぐえぐと変な声で泣いているリリアンの、ふわふわした茶色の髪を撫でながら謝罪した。
「わたしはもう大丈夫だけど、他には怪我をなさった方はいなかったかしら? ジムという子はどうかしら?」
家畜小屋に取り残された少年は、母親らしい女性と共にわたしに頭を下げた。
「お嬢様、ありがとうございました。お嬢様のおかげでうちの子は助かりましたが……お嬢様が大怪我をなさって……申し訳ございません……なんとお詫びをしたらいいのか」
「お嬢様、ありがとうございました。僕のせいでお怪我をさせてしまってごめんなさい。どうしよう……」
かわいそうに、涙目になっている。
平民が伯爵家のものに怪我をさせたとなると、大変なことになってしまう。わたしは怯えるふたりに笑顔で「いいえ、謝罪は無用です」と言った。
「自分を過信して飛び込んだわたしの失敗です。仕事に精出して火事に巻き込まれてしまった、不運なジムのせいではありません。あなたたちは気にしないでちょうだい。むしろ、忘れなさい。ジムを責めることも許しませんよ」
「お嬢様……」
「子牛たちも助かったのならよかったわ。村の大切な財産ですものね、大きく育ててから美味しく食べるのが牛のためでもありますよ、子牛では食べられる肉の量が少なすぎますからね。それはそれで美味しいけれど。ちなみにわたしは牛のテールをよく煮込んだものが好物です」
ルークが泣き笑いしながら「お嬢様、それ以上残念な方向に行く前に口を閉じた方がいいと思いますよ」と突っ込んだ。
「シャンドラお嬢様……なんとお心の広いお方なのだろう」
「さすがは神様に愛されているお方だ」
「シャンドラお嬢様、ありがとうございました」
え、なんで、みんなわたしを拝んでいるの?
そこはリリアンを「天才聖女様だ!」と持ち上げるところよね?
「そうなのよ、お姉様はいつも神様にお祈りをなさっている、とても信仰心の篤い方なの。わたしにもお祈りの仕方を教えてくださったのよ。だからきっと、神様はお姉様のために、特別に癒しの魔法を使わせてくださったの。村の皆さんも、神様によくお祈りを捧げた方がいいですよ」
リリアンも、そんなことを言っている。
うん、それは図星なんだけどね。
「はい、リリアンお嬢様」
「わたしどももシャンドラお嬢様を見習って、しっかりと神様にお祈り申し上げます!」
どうやら、信仰心の篤い村が誕生しそうである。
そのあと、美味しい牛のしっぽがたくさん届いたので、わたしはご機嫌でテールシチューを楽しんだ。
村での騒動は、家畜小屋が燃え落ちておさまった。リーベルト家から、納屋の再建のための手当が支給された。
そして、やはり、帰ってからわたしは叱られた。
お父様には、普段はあまり見ない、ものすごい怖い顔で淡々と叱られた。
「シャンドラに無茶をさせるために、剣技や体術を学ばせたのではないよ。もしもリリアンの魔法が発動しなかったらどうなっていたか。少年の一家は責任を取って自死する羽目になったかもしれない。シャンドラは伯爵家の娘であることをもっと自覚しなさい。どんなに迷惑をかけたのか、よく考えて反省しなさい。それがわからないようならば、これからは屋敷から一歩も出さずに育てるからね」
「お父様、ごめんなさい」
わたしはわんわん泣いた。
エリザベス夫人にも「淑女とは……」と数日間にわかって叱られて、わたしはしくしく泣いた。長期にわたるお小言は地味に辛い。
あと、叱りながら泣かれるのはもっと辛い。
毎日泣かせてしまってごめんなさい、エリザベス夫人。
あと、メンダル師匠。
騎士という、死にもっとも近い立場であり、師匠であるメンダルさんの叱り方は……ごめんなさい、怖すぎて思い出せません。
神様の怒りにも匹敵するような、心の奥底にトラウマができるような、そんな叱り方だったことだけはお伝えできますが、それ以上を思い出そうとすると、自然に身体が五体投地してしまい「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」と唱え続ける謝罪人形になってしまうので、やめました。
シャンドラ・リーベルトは、ここに誓います。
もう二度と死ぬような行動は致しません。
自分を過度に評価して行動するような真似は、二度と致しません。
この世には、死ぬよりも恐ろしいことがたくさんあると、痛感いたしましたから!
死んでも生き返っても叱られる。
わたしは哀れな美幼女でございます。




