17 盾になりなさい
わたしがお父様に進言した通り、セーラ夫人はウィング男爵家に戻って淑女として修行をすることになった。
リリアンに母親と離れて暮らすことについて尋ねたら「シャンドラお姉様がいるから平気!」と無邪気に答えられたとセーラが膝から崩れ落ちていた……うん、これは仕方がないと思うわ。
あくまでもリリアンの判断なのよ。
けっしてわたしの「リリアンもセーラ夫人も、両方とも幸せになる方法はね……」という呟きを聞いたせいではないわ。
うちの子ウサギは根に持たない性格のようで、もう母親のことを許しているみたいだ。
「もうジルベールみたいな顔だけクズ男には引っかからないでね」
セーラが出ていく日に、わたしは声をかけた。
「リリアンは自力で生きていける強い子だから、セーラは安心して幸せになるといいと思うわ。まだ若いんだし、よい縁談に恵まれて、優しくて頼り甲斐がある旦那様と温かな家庭を築けることをこのわたしが特別に祈ってあげましょう」
上から目線で言って微笑んであげたら、あのお馬鹿さんは目を丸くしていたけれど「……お嬢様にお任せいたします。リリアンのこと、よろしくお願いいたします」とわたしを拝んでから頭を下げて去っていった。
どうして拝まれたのかはわからないけれど、わたしが神々しいほどに心優しい美幼女だからなのかもしれないわ。
それからしばらくは何事もなく、わたしたち子どもはそれぞれの勉強や仕事やメンダル師匠の訓練に励み、忙しく充実した日々を送った。
勇者ルークは驚くべき才能を発揮し、エマはナイフや暗器を自分の身体の一部のように扱えるようになり、リリアンは棒を使いこなした上に、武器がない時に備えて武術まで身につけ始めた。
違う、それは大聖女の仕事じゃない。
大聖女はナックルダスターをつけて拳で木を殴り倒さないと思う。
わたしはというと、身体強化魔法をバレないように使いながら、目立たない程度に剣の腕を上げていた。四人の中では最弱である。
なので、姫ポジションなのだ。
みんなはたおやかでか弱いわたしの盾となってね。シャンドラちゃんのお願いよ。
そして。
その日は突然やってきた。
「はい、これは上級ポーションといって、死ななければたいていの怪我を瞬時に治す、すごいお薬です」
メンダル師匠が小さなガラスの瓶に入った、淡いグリーンの液体を見せてくれたので、わたしたちは「おおー」と感嘆の声をあげた。
「お高い薬ですが、俺の学生時代の友達が薬師になったので、割り引き価格で買うことができました」
「おおー」
学院を首席で卒業したメンダル師匠には、頭の良いお友達がたくさんいそうだ。
「そして、これが」
メンダル師匠が抜いた剣を見て、わたしたちは恐怖で固まった。
「とてもよく斬れるミスリルの剣です。よく斬れる方が、傷口が綺麗なので怪我を治しやすいんだよ。これは、鍛冶屋をやっている友達に格安で作ってもらいました。ふふふ、羨ましいかな?」
「……」
師匠の友達、ホイホイそんなもの作らないでよ!
本物の刃の輝きがめちゃくちゃ怖いんだけど!
ヤバいくらいに脚が震えるんだけど!
「ということで、今日からこれを持って鬼ごっこをしていくからね。大丈夫、上級ポーションがあるから、怪我しても平気だよ。万一腕が落ちてもすぐにくっつくよ」
全然大丈夫じゃねーよ!
「じゃあ、いつものようにこの円から出ないようにね」
メンダル師匠が、木の棒で地面に円を描いた。
「待って、師匠、待ってください」
わたしは救いを求めてエリザベス夫人を見たけれど、実際に刃を向けられていない夫人にはこの恐ろしさがわからないようだ。
にっこり笑って応援してくれた。
「淑女の振る舞いを忘れずに、がんばってくださいね」
がんばれないよ、死んじゃうよ!
「行くよー、はい、それじゃあ逃げて!」
マジ顔なメンダル師匠が、剣を構えながら突撃してきた。
怖いなんてもんじゃない!
「ぎゃああああああいやああああーッ!」
「あははははははははははははははは」
「ひいいいいいいいいいいいいいーッ!」
「あれ……おーい、待ってよー」
わたしたちは、円など無視して蜘蛛の子を散らすように逃げた。
そして、メンダル師匠に見つからないように屋敷内で身を潜めて、震えた。
そういうこともありましたが。
九歳になったわたしたち(エマは十二歳だけどね)は、ミスリルの剣から逃げる鬼ごっこもできるようになりました。
慣れって怖いわね、うふふふ。
メンダル師匠がどんな方向にわたしたちを育てたいのかわかりませんが、確実に強くなっていくのがわかります。
あ、わたしは本気を出すと大変なことになりそうなので、あいかわらず身体強化魔法は封印して常に最弱をキープさせていただきますけれどね。
ルーク、エマ、リリアン、お前たちは、このわたしの火の粉を払う肉の盾となって生きるのよ、おーほほほほほほ!
と、調子に乗っていたら。
「あっつ! 火の粉、あっつ!」
「シャンドラお姉様ーッ! いやあっ、お姉様を、誰か助けて!」
「お馬鹿さんね! その子を連れて早く逃げなさいよってあっつすぎなんですけれど!」
わたしが火の粉をかぶる役になってました!
十歳を迎えて、身体もしっかりしたわたしたちは、メンダル師匠に鍛え上げられてそこらのチンピラくらいならボコボコにできる腕になった。
ちなみに、実行はしていない。メンダル師匠が目安として教えてくれたのだ。
そのためお父様から、護衛の騎士をひとり付ければ領地の村とか街を見て回ってもよいという許可が出たのだ。
お忍びってやつかしら?
街は普通に外出用のドレスを着て馬車に乗ってお出かけしたけれど、少し離れた村に行く時には、機動性の高い服を身につけた。
ルークは冒険者っぽいシャツとパンツに、革の胸当てを付けている。リリアンはフリルの付いたノースリーブの柔らかな素材のシャツにショートパンツ、そしてつま先に金属を仕込んだ靴を履いている。そしてエマは白い半袖ブラウスにグレーのつなぎ風キュロットワンピースを着ている。履いているのは、底が柔らかくて足音がしない靴。どこで見つけてきたのかは不明である。
わたしは、動きやすいワンピースにドラゴン素材のロングブーツ、そして以前お誕生日プレゼントとしてもらったドラゴン素材のガウンコートを、ジャケットに仕立て直したものを着ている。手にはドラゴン素材の手袋。防御力が高いけれど、見た目は品のいいお嬢様コーディネートだ。
わたしも冒険者風にしたかったんだけど、お父様がどうしても駄目だと反対したのだ。ワンピースの中にはハーフパンツを履いているから、いざとなったら捲り上げて大暴れしても大丈夫だけどね。
将来(わたしは断っているのだけれど)リーベルト伯爵家を継ぐ時に、自分の領地のことをよく知っている必要があるとのことで、わたしはすでに数カ所の村をまわっていた。
本日はメンダル師匠は休日とのことで、別の騎士が護衛についている。
朝から異常に風が強かった。
早めに帰ろうと思って、とある村をひと回りしていた時に、不幸な事故が起きた。
風で激しく擦られた木々の枝が発火し、それが大きな家畜小屋に飛び火したのだ。
そこは、立派な二階建ての小屋で、中二階には冬場用の飼料が蓄えられるようになっていた。中には産まれたばかりの子馬や子牛、そしてたくさんの家畜がいる。
「誰か助けて! ジムが子牛を助けようとして、そのまま中から出てこないんだ」
「わかった、俺がってお嬢様! 駄目です!」
わたしは護衛の騎士より先にダッシュで小屋の中に駆け込んだ。
わたしだけが、耐火性能の高いドラゴン装備を身につけているからだ。
頭上では、乾いた飼料がよい燃料となってしまい、小屋ごと燃え盛っていた。
逃げ遅れた家畜たちを放してやりながら、わたしは「ジム! どこ?」と叫んだ。火の回りが早く、煙に巻かれそうだ。
「痛い、痛いよー」
奥に行くと、燃え落ちた木材に挟まれた子どもが泣いていた。
「今助けるわ」
「子牛を、子牛を助けて」
わたしが子牛を柵の外に出してお尻を叩くと、飛び跳ねるように小屋の出口に向かった。そして、身体強化魔法を使って重い木材を持ち上げ、子どもを引きずり出す。
「歩ける?」
「うん、い、痛いー」
転んでしまった。
うーん、魔法が使えることがみんなにバレちゃうけど、この子を担いで行くしかないわね。
そう考えた途端、脆くなった天井が落ちてきた。
とっさに受け止めて支える。さすがに重いけれど、わたしの魔力は強大だからこのくらいならなんとかなる。
「死にたくなかったら、這ってでもお逃げ!」
子どもを叱咤していると、小屋に誰かが飛び込んだ。
「お姉様! お姉様!」
「お嬢様ーっ!」
ちょっと、なんでちびっ子たちまで来ちゃうのよ。
燃えたらどうするの!
あっつ! ドラゴン素材じゃないところがじりじり焼けてくるんだけど!
「お馬鹿さんね!」
わたしは叫び、そのあと頭がくらくらしてくるのを感じた。
息ができない。
「早く、出て、行きなさい、って……」
肩にかかる重さが増していく。燃え崩れたなにかが積み重なっているのだ。
「行けー!」
護衛の騎士が、村の子どもを肩に乗せて「我々が出ないとお嬢様が逃げられないぞ!」と、ちびっ子たちを引きずって行ってくれた。
わたしは半ば気が遠くなりながら、力を振り絞って肩の重さを投げ捨て、ふらふらと小屋の外まで走り出た。
出ると同時に、燃える小屋が崩れ落ちた。
「お嬢様!」
その場に倒れたわたしを、護衛の騎士が抱き起こした。
「お姉様! お姉様! お姉様!」
リリアンがパニックになって叫ぶ。
「熱い空気を吸い込んで、胸を焼かれてしまったんだ。この村にポーションはないか?」
「今、持ってきます!」
なるほど、ドラゴン素材は身体の表面は守ってくれるけれど……くるしい……いきができな……。
「いやあああああーっ! お姉様! 目を開けて、お姉様!」
あら?
もしかして、わたし、死んじゃうのかしら?




