15 手のかかる子ね
エマに面倒を見てもらいながら、わたしたちはのんびりとお風呂に入った。リリアンの身体を見たところ、痣や傷はなかったから、肉体的な虐待などされていないようだ。
わたしはもう、リリアンを助けようとしなかったセーラ夫人を信用する気はない。
これからは常に監視しておこう。
いや、それよりもあの女をこの家から追い出した方がいいかしら? 信用できない人物が同じ屋敷内にいるのは心地が悪いしね。
そうね、リリアンがアレは不要だと言ったなら、お父様に頼んで追い払ってもらおう。元々保護が必要なのはセーラ夫人ではなくリリアンなのだものね。
セーラ夫人は、現在二十三歳だったかしら。
あら、考えてみるとけっこう若いのね。
十六の時にジルベールに騙くらかされてリリアンを産んで、それから最低夫の浮気やら経済的な搾取やらで苦労して、娘ざかりの日々をすべてつぎ込んで子どもを育ててきたのだと思うと……中身が十七歳のわたし的には、彼女にも同情の余地があると思えてきたわ。
七歳のシャンドラちゃんは、カンカンだろうけどね。
お母さんはお母さんで、大変だったのよ。
リリアンのことをずっと、他人から無条件に愛されるいけすかないウサギ系幼女かと思っていたけれど、蓋を開けてみたら意外にもわたしといい勝負の悲惨系小娘だった。
なのでこちらにも、これなら妹分として少しは目をかけてやってもいいかな、くらいに寛容な気持ちがわたしに芽生えていた。
これってすごくないですか、神様?
この子は前世ではわたしを殺した女なんですよ?
闇聖女殺戮チームのリーダーだったんですから。
「お姉様おやめください」なんて口では言いながらも、わたしに武器を向ける仲間たちにちゃっかり援護魔法をかけてましたからね。殺したも同然なのです。
それなのに、わたしの驚くほどの心の広さといったら……さすがは、今回は地味でおとなしく生きているけれど、その魅力と素晴らしさが隠しきれない美幼女シャンドラ・リーベルトですわよね。
わたしは目をつぶってそんなことを考え、ドヤ顔をしながらお湯に浸かっていた。
適度な運動の後のお風呂は気持ちがいいものである。
目を開けたら、前世の宿敵リリアンが頬に泡をつけて一生懸命に洗っていた。彼女はエマの手にあるはずの身体を洗うための布を持って、強く擦っている。
「なにをやってるの? そんなに顔を擦ったら赤むけになるわよ」
幼女の皮膚は柔らかいのだ。
でも、リリアンは口をへの字にして擦り続けた。
「やめなさいってば」
リリアンの様子に病的なものを感じたわたしは、少しイラッとしながら快適な湯船から出た。
「あっ、返してください」
「目を閉じなさい。エマ」
「はい」
わたしは猫脚の湯船から上がってリリアンの手から洗い布を取り上げると、エマに命じて手桶のお湯を頭からかけさせた。
「なんでそんなに顔を擦るのか、お姉様に話してごらんなさい」
「……だって」
リリアンは瞳から光を消して「汚いから」と呟いた。
「別に汚れはついていないわよ」
「……でも、汚い……汚れてるから、洗わないと……」
「さんざん洗ったじゃないの。もう綺麗よ」
「汚いの! だって、だって、変な男の人が……」
わたしの顔をベロで舐めたの、と無表情な子ウサギが言ったので、わたしは思わず「やだ、きったないわね! 気持ち悪いし! 気色悪いわ!」と顔を歪めた。
本当に、この子は悲惨な目に遭ってるわね!
幼女の頬っぺたを舐めるとか、変態にも程があるわ。わたしだったらその場でそいつの舌を引き抜いて、こんがり炙ってからお口に戻してあげるけどね。
「リリアンったら、変態ひひジジイに頬っぺたを舐められたの? うっわあ、めちゃくちゃきもちわるー、それはひくわー、あらいたくなるわー、わっかるー、きったなーい」
「う、うっ、うわああああああん!」
変な目をしていたリリアンが子どもらしく元気に泣き出したので、わたしは満足した。
「お嬢様! 言葉遣い!」
エマに叱られた。
「そうなの、きたないの、きたないの」
リリアンは泡を手につけて、泣きながら両手で顔をごしごし擦り始めた。
「そりゃあ汚いわね! ジジイのよだれがべったりついたんじゃ汚いわ。ほら、リリアンは下手だからお姉様が綺麗に洗ってあげるわ」
わたしは布に石鹸をつけて盛大に泡立てると、リリアンの顔を布で擦った。
「んぶふぉっ」
変な声が出た。
「目も口も閉じてなさいよ、なにやってるの」
泡がいろんなところに入って苦しむリリアンを見て、エマは「お嬢様、それは理不尽というものですわ」と言って、リリアンの頭からお湯をかけた。そして、むせこむ幼女にタオルを渡した。
「……仕方ないでしょ、人のことを洗うのなんて初めてなんですもの。こうやって何事も上達していくのだわ」
「妹分を実験台にするのはおやめください。かわいそうに泣いてますよ」
「いたいー」
目に泡が入ったのか、リリアンはまた泣いていた。
あら。
わたしは悪くないわよ? 親切心からやったんですもの。
「リリアン様、もう一度お顔をゆすぎましょうね。はい、ここでお目目をぱちぱちして」
エマに顔を洗ってもらって、リリアンはようやく目の痛みが治まったようだ。タオルでぽんぽんと顔を拭いている。
「ほら、わたしのおかげで綺麗になったじゃない」
しかし、リリアンは表情を消して、また頬に「汚いの」と両手を当てた。
「ちょっと、このわたしが綺麗になったって言ってるでしょうが! お姉様の言うことを信じないとはいい度胸をしているわね!」
わたしはリリアンの手をつかんで頬っぺたから引き剥がすと、そこにむちゅーっと唇を当てた。
「ほら、これで完璧に綺麗になったし! わたしのような美幼女の口づけは、世界一美しいものなのだから! これですべての汚れは浄化されたのよ、ありがたく思いなさい!」
ドヤ顔で笑うわたしに、リリアンは上目遣いをしながら呟いた。
「今、頬っぺたに、べちょっとした……」
幼女なので、ちゅーするとよだれがついちゃうのよ。
それがたとえ美幼女でもね。
「な、なによ、文句を言わないの! わたしはよだれも美しいのよ!」
わたしはエマの手から布を奪い取り、もう一度リリアンの顔を泡だらけにして「いやああああー、いたいー」と泣かせて、エマがまた石鹸をなんとかしてくれながらわたしを叱って、お風呂から上がった時にはふたりともほかほかの茹でたてみたいになって……疲れていた。
まだお昼前だけど、わたしたちはベッドに寝転んで大の字になった。
「お嬢様方、お風呂上がりの飲み物をどうぞ」
気が効く侍女のエマが、メイドに指示してフレッシュな果物のジュースを用意させてくれた。
「ありがとう。リリアン、飲みましょう」
ベッドに並んで腰掛けて、脚をぶらぶらさせながら飲んだジュースは、とても美味しかった。
「ねえ、まだ頬っぺたが汚いと思うなら、お姉様が洗ってあげるわよ?」
リリアンは、びくっとした。
「も、もう平気な気がします」
「そう? 遠慮しないでいいのよ。あなたはわたしの妹分なのだから、ちゃんと面倒見てあげるわ」
わたしは手のかかる妹分のピンクの頬っぺたをつついた。
「ありがとうございます、すごくよく汚れが落ちました、さっぱりすっきりして、もう全然汚れていません!」
「そうでしょうとも」
わたしは妹分に聖なる微笑みを見せて頷いた。
わたしには幼女を洗う才能もあるようだ。
全方面に死角なく優秀な美幼女シャンドラ・リーベルトなのよ。
その日から、リリアンは笑う時に両手を頬に当てなくなったし、夜中に変な声を出してうなされることもなくなった。
そして、一緒にお風呂に入ろうと誘っても、激しく抵抗して二度と入ろうとしなかった。
まったくもう!




