13 悲しいウサギの話
「お父様、お邪魔してごめんなさい。どうしてもお聞きしたいことがございますの」
わたしは執務中のお父様の部屋に遠慮なく入り、笑顔を浮かべて言った。
「可愛いシャンドラのことは、いつだってお父様は大歓迎だよ! だから、その怖い笑い方はやめようね。目が笑ってないからね」
あら、おかしいわね。淑女らしい美しい笑みだと思ったんだけど。
「笑いながら殺気を飛ばせるようになるとは、さすがはメンダルの弟子だね。でも、お父様に向けるのはよくないと思うんだ」
なるほど。師匠の『笑顔で殺気を飛ばす』と言う技を、いつの間にか身につけていましたのね。日頃の訓練の成果が現れて、シャンドラちゃんは嬉しいわ。
「で、何が聞きたいのかな?」
「リリアンのことです。あの子、毎晩酷くうなされて、その様子がちょっとおかしいの。彼女はお父様の従兄弟の子どもなんですよね。ということは、貴族でしょう? あの子はいったいどんな育ち方をしたのですか? 過去になにがあってうちにやってきたのですか?」
すると、お父様は笑みを消して、わたしに心の中を悟られないように見えない仮面をかぶった。
「それは、まだまだ小さいシャンドラちゃんには言えません」
わたしの中身は十七歳なので、まったく問題ありません。
「遠慮なく言ってください。あの子はわたしの妹分なので、知る必要があります。それに、エマもそう言いました」
おまけにエマを持ち出しただけなのに、予想外の効果があった。
「……そうか、エマもそう言ったのか」
お父様は片手で顔を覆って、ため息をついた。
「この話は聞いて気持ちが良いものではないし、エマならともかくシャンドラちゃんに理解できるかどうか……うん、理解できないと思うな」
七つのわたしには難しくて、十のエマなら理解できるの?
お父様の基準がおかしい。
「わたしをその辺の子どもと一緒にしないでいただけます? リリアンという娘の後ろにとても気持ちの悪いものが隠れていることくらい気づいています。賢く可愛く可愛く可愛く美しい、このシャンドラ・リーベルトを舐めないでいただきたいわ」
「こっわ。我が子ながら、こっわ。おお、愛するエレーナよ、君に瓜二つの可愛い可愛い可愛い愛娘は……」
さらっと可愛いの三連呼返しをしてくださるお父様、好きよ。
でも、それとこれとは話が別なのです。
「お忙しいところをこれ以上無駄にお時間いただくのは申し訳ないので、さっさと話してくださいませ」
「……はい」
観念したお父様が話してくれたのは、リリアンの父親についての胸糞が悪くなるような酷い話だった。
ジルベールは、リーベルト家の親戚すじにあたるクラーク伯爵家の三男に生まれた、とても見目麗しい若者だった。彼は当然のことながらチヤホヤ可愛がられて甘やかされて育ち、子どもの頃から女性からモテまくり、大変な女たらしに育った。
元々の性根がどうしようもない男が、際立った美貌を手に入れて生まれてしまったら、ろくでもないことになるのは目に見えている。
自堕落な女たらしは、自由奔放に遊び回ってトラブルを起こし、その尻拭いには大変なお金がかかった。クラーク家は、うちほどの大物伯爵家ではないのだ。
湯水のようにお金を使われ、評判を地に落とされて、とうとうこれはたまらないと音を上げたクラーク家の家長が彼を捕まえようとした時には、平民の女性を妊娠させていた。それがセーラ夫人である。
彼は障害があると燃える、ドラマチック展開を好む馬鹿だったので、強引にセーラと結婚をして、ついに見限ったクラーク家から放逐されてしまった。ジルベールは、美しく魅力ある若者である自分が見捨てられる筈ないと舐めてかかり、その生活態度を改めなかった。
妻になった健気なセーラは彼の愛を信じて、リリアンを文字通り背負いながら懸命に働いてジルベールを支えようとしたが、彼はお給金を巻き上げるとまた次の女性とのアバンチュールにうつつを抜かすという、救いようのない阿呆であった。
そして、リリアンが可愛らしい幼女に育った頃、ジルベールの借金が膨れ上がり、どうにもならなくなる。
彼は考えた。
この可愛らしい我が娘を、なるべく高く買ってくれる人間に売りつけよう、と。
泣いて止めるセーラからリリアンを取り上げると、ジルベールは住所を転々としながら、商品のリリアンを見せて回って、変態の貴族から悪質な人買いまであらゆるクズの間を渡り歩いた。
セーラに涙ながらに訴えられたクラーク家の手の者が、危ないところでリリアンを助け出すまでに、ジルベールは言葉巧みに騙して複数の手付金を受け取り逃げ回り、挙げ句の果てにどこかの組織に制裁された。
美貌を誇った彼の最後の姿は、ぼろくずのように川を流れる奇妙な塊だったという。
セーラとリリアンは、クラーク家の傍系であるウィング家にいったん迎えられた。
だが、ジルベールが関わった、面倒な裏の世界の者たちがリリアンを狙っているとの情報があったため、急遽力のあるリーベルト伯爵家が二人を預かることになったのだ。
さすがの暗黒組織も、相手がリーベルト伯爵家となるとリスクが大きすぎて、容易に手出しはできない。リーベルト家がその気になれば、いくら裏の世界で幅を利かせているといっても、綺麗さっぱりとお掃除されてしまうのだから。
「というわけで……ジルベールに連れて行かれた時に、リリアンは酷く恐ろしい思いをしたのではないかと思う」
「……」
ほんのいつつむっつの女の子を、クズな父親は商品として変態どもの目に晒して回ったのだ。それは、リリアンにとっては地獄だったのだろう。
「商品としての価値が下がるから、その、無体な真似はされていないだろうとのことだが……」
最後の一線を越えなければいいというものではない。
セーラ夫人は、お人好しで、わたしから見たら馬鹿な女だ。
きっとジルベールのことも『本当はあなたのことを愛しているお父様なのよ』なんてリリアンに言って聞かせて育てたのだろう。
しかし、愛するお父様がやったことは……下劣な、口に出すのもおぞましきことなのだ。
美しい容姿をしたジルベールを、リリアンは父として慕っていたのだろうか。それとも美貌の悪魔だと恐れていたのだろうか。
「この屋敷に来てからは、とても明るく楽しそうになったと、セーラ夫人は話しているが……」
「どうして!」
わたしは靴の踵で床をガンと踏みしめながら言った。
「どうして、あの子を放っておくのですか!」
ガンッガンッガンッと、激しく蹴りつける。
「『なにが明るく楽しい』よ、愚かにも程があるわ、あの馬鹿女!」
「シャンドラちゃん、どうしたの?」
「苦しむリリアンから目を逸らして、逃げただけじゃないのよ! あの子がどんなに辛い思いをしているのか、心を殺して笑って見せるのか、母親ならばわかっているでしょうに!」
わたしがお父様の机を思いきり蹴ると、重い筈の木の机がひっくり返ってふたつに割れた。
「ひ……シャンドラちゃん……」
「ふざけるのもいい加減にして欲しいわ!」
この屋敷に来る前は、毎晩リリアンがうなされるのを見ていたセーラ夫人。
リリアンが悪夢に苦しんでいるのを知っているのに、我が子から逃げ出したのだ。
一緒に寝て、リリアンを抱きしめてやることから逃げたのは……苦しむ我が子を正視できなかったから? それとも、愛するジルベールの裏切りを認めたくなかったから?
馬鹿だ。
夫と同様にあの女もクズだ。
『愛し愛される夫』などという幻想にしがみついて、母に助けを求めるリリアンの心を踏みつけにした。
お母様助けてと呼べずに、会ったばかりのわたしに助けを求めている、かわいそうな子ウサギ。
現実を見ると心が壊れてしまうから、あの子は心を封じ込めて、父親の裏切りなどなんでもなかったように笑って見せている。残酷な父に連れ回されているうちに、あんな笑い方を覚えたのかもしれない。
『わたしは無邪気で愛される存在です。だから傷つけないで』という振る舞いをして、これ以上心が壊されないように、本当の気持ちを奥深くにしまい込んで……あの子のことが気持ち悪かったわけがわかった。
あの子は、わたしと同じだったのだ。
剥き出しの心を引き裂かれて闇聖女となったわたしと、明るく愛らしい子ウサギの演技の裏に怨念を隠して大聖女となったリリアン。
そんなふたりが出会ったから、世界は破壊されたのではないだろうか。
神様、そうなのですか?
「お父様、拾い上げたなら、最後までウサギの面倒を見てくださいませね」
「は? ウサギ?」
「では、のちほど」
その瞳に『シャンドラちゃん、ご乱心!』と浮かんでいるお父様を残して、わたしはリリアンの部屋へと駆け出した。




