12 おやすみかわいいこ
「シャンドラお姉様、失礼します」
夕飯を済ませてお風呂に入りのんびりしていると、同じくお風呂に入ってネグリジェを着たリリアンが、わたしの部屋のドアからひょっこり顔を出した。
「こちらにいらっしゃい。枕は持ってきたの?」
「あっ」
ひょいと頭が引っ込んで、足音がする。まんまと枕を忘れたらしい。
「リリアン様はお可愛いですわね。シャンドラ様より小さいから、同い年には見えませんわ」
エマが鏡越しに笑いかけた。手はわたしの長い金髪を両側で三つ編みにしている。寝ている時に邪魔にならないように編んでいるのだと彼女は主張するのだけれど、朝解いた時に緩やかなウェーブを描くのを期待しているのだと思う。
それくらいならばゴージャスではないので、わたしは許している。
くるくる巻きは、絶対にお断りですけどね。
「エマはリリアンのことが好きなの?」
おやすみ前のハーブティーを飲みながら、侍女に尋ねた。
金髪に赤い瞳をして端正な顔立ちだったお母様にそっくりなわたしは、リリアンのようなふんわりした雰囲気はない。そんなわたしは将来には正統派の美女になるはずだ。
対するリリアンは、小動物系の女の子である。髪もふわっとした茶色だから、余計に動物の仔っぽいのだ。おまけにくりんとした瞳はピンク色である。
仕方がない。わたしは美しく気高く生きる定めのもとに生まれた美幼女なのだ。庇護欲そそる系になろうだなんて日和るわけにはいかない。
前世では憤怒の化身である闇聖女となってしまい、顔色も悪くお肌も荒らして残念なことにしまったけれどね。
今度こそ、世界で一番美しいのは誰? それはシャンドラ・リーベルトさんよ。あらそれってどなたかしら? と言われるような、目立たないギリギリのラインを攻めた美女となる予定だ。
「リリアン様のことは、シャンドラ様の行く手を阻まなければ、好きですわ。特に邪魔にもなりませんしね」
鏡の中で、淡いブルーの髪をしたまだ十歳の美少女が柔らかく微笑んだ。
笑っているのに、そこには感情が込められていない。
あらやだエマさん、もしもリリアンがわたしの行く手を阻んだら、どうしちゃうつもりなのかしら?
シャンドラ、怖くて聞けないわ。
エマの愛読書は『優しくない毒薬』とか『世界劇烈薬品指南』とか『人体の仕組みと壊しかた』なんていう明後日の方向に偏ったものなのですもの。
あ、そういえば昨日は『暗器の魅力……永遠なる美』が入荷したとかで、いそいそと買いにいっていたわね。
いつかエマが遠くに行ってしまいそうで、シャンドラちゃんは悲しいです。
「あのね、エマ。わたしは一生、ささやかな幸せを見つけて地味におとなしく生きていくつもりですからね。そんなわたしが、そうそう行く手を阻まれることはないと思うの」
誤解があるといけないので、きちんと神様のお耳にも入るように『ささやか』『地味』『おとなしく』を強めに発音して、エマに釘を刺しておいた。
「お嬢様の場合、見た目とやることが派手ですから、それは無理じゃないですか?」
「ええっ、わたしって、控えめでおとなしいひっそりした存在感の、美しい淑女よね?」
前世のごてごてゴージャス闇聖女に比べたら、わたしなんて道端でひっそりと花を咲かせる草くらいの存在感だと思うのよ。
可憐でしっとりした感じの……鈴蘭の花のような美幼女、それがわたし。
それに、まだ幼女だから、若干の癇癪は起こすことはあっても、人は殺していない。
他人を罠にかけてもいないし、一家丸ごと消滅させてもいない。
もちろん、世界を、滅ぼしてもいませんから。
なんて無害で非力な幼女でしょう。
けれど、うちのエマさんはクールに言った。
「どうやらおとなしいの物差しがわたしとお嬢様とは違うようなので、わたしの口からはなんとも申せませんわ」
あ、確かに。
わたしの物差しは『闇聖女ルミナスターキラシャンドラ』だから……常識と比較すると少々長すぎるのかもしれないわね、ええ。
枕を抱えたリリアンが戻ってきたので、エマは「それでは、おやすみなさいませ」と部屋を出ていった。
わたしの部屋のベッドはとても広いので、小さな子どもなら五人は余裕で寝られる。その真ん中にふわっと、二人並んで沈んだ。
「リリアンは、いつもセーラ夫人と寝ているの?」
「……いいえ。この屋敷に来てからは、一人で寝ています」
「わたしも普段は一人で寝ているから、誰かと寝るのは慣れていないの。リリアンのことを夜中に蹴飛ばしたらごめんなさいね」
「わたしも、寝相が悪かったら……」
「その時はベッドから蹴り落として、毛布をかけておいてあげるから安心なさい。おやすみ」
「おやすみなさい、お姉様」
正直言って、リリアンにお姉様と呼ばれると胸の奥がゾワっとする。
わたしは内心でため息をついて『学院に入れば寮生活だから、リリアンの顔を見なくて済むように部屋を一番遠くにしてもらいましょう』と考えながら目を閉じた。
前世では、ヒステリックに怒鳴り散らすわたしを恐れて、屋敷の中でも滅多に顔を合わせなかったリリアン。
最近懐かれて、少しは可愛いと思うけれど、やっぱりこの子はわたしの人生からは追い出したいわ。いつわたしの心の地雷を踏むかわからないのだもの。
わたしはもう闇聖女にはなりたくない。
小さな友情よりも、この世界を大切にしないとね。
神様に叱られたからというよりも、わたし自身がこの場所を壊したくないと思うようになったからよ。
だから神様、なんとかこの子を上手く遠ざける方法があったら教えてくださいな。
わたしはそんなことを思いながら、眠りに落ちた。
夜中に異様な雰囲気を感じて目が覚めた。どうやら隣に眠っているはずのリリアンが原因のようだ。
彼女は『ヒュー』とか『シュコー』とかいう変な寝息を立てて、顔のあたりを擦りながらもがいていた。
ベッドサイドの灯りをともして顔を見ると、酷く汗をかいてうなされているようだ。
「ふうむ……この声はなんなのかしら?」
うーんうーん、というのがうなされる声の定番だと思う。
この子はどこから声を出しているのかしらね。
わたしが冷静に観察していると、リリアンはぶるぶる震え出した。
いやだわ、何か悪い病気でも持っているのかしらと顔を顰めると、彼女は両手を前に突き出した……いや、違う。何かを押し退けているのだ。
「こっ……来ないで」
ようやく寝言らしくなってきたわね。
まるで毒の霧でも吸っているかのように、リリアンは苦しんでいる。わたしは手のひらで彼女の頬をぺちぺち叩いて「起きなさい、リリアン、起きなさい」と声をかけた。
「たす、けて……たすけておねえさま……」
「はいはい、お姉様は隣にいるわよ。一緒に寝たでしょ」
ぺちぺちぱちぱちパンパンパン!
「おねえさ……」
「ここにいるってば! もう、いい加減に起きなさいな」
わたしがリリアンの鼻を摘むと、呼吸が苦しくなってしばらく手足をバタバタさせていたが、ぷはっと息を吐いてようやく目を開けた。
「お姉様……」
「鬼ごっこの夢でも見ていたの? 大丈夫よ、怖いものなんていないから、真夜中に騒いでいないでゆっくり休みなさい」
「……ありがとう……たすけてくれた……おねえさ……」
リリアンは目をつぶって、今度はすやすやと安らかな寝息を立てて眠った。
「仕方のない子ね……ん?」
リリアンの目尻から、一筋の涙が流れた。
「なによ。何が不安なの? この、贅沢者が」
わたしは誰もが愛する可愛いリリアンの涙に腹が立って、布団を頭からかぶった。
朝起きると、リリアンは昨夜のことを覚えていないようで、両手を頬っぺたに当ててえへへと笑い、首を傾げた。
なんだか胸騒ぎがしたわたしは、それから三日間、彼女と一緒に寝た。
リリアンは、毎晩変な呼吸をして、酷くうなされた。
そして、助けてとわたしに縋りついた。
「絶対におかしいわ」
わたしはエマに言った。
「あんなに毎晩怖い夢を見る子を、どうしてセーラ夫人はひとりで寝かせておくのかしら? 『この屋敷に来てからはひとりで寝ている』とリリアンが言っていることからして、以前はセーラ夫人と一緒に寝ていたのよね。あの子の異常に気がつかない筈がないわ。それなのに、放置しているのよ。昼間は仲良さそうな親子に見えるのに、奇妙だわね」
わたしが顔を顰めると、エマは「さあ、わかりませんけど……大人だからといって、無条件で頼りになるとは限りませんよ。いろんな人がいますからね」と、無表情に言った。
達観してるわね。
「やっぱり、鬼ごっこのせいかしら?」
「あれは、体力的にはかなりキツいですけれど、半分は遊びみたいなものですし……リリアン様も怖がってきゃあきゃあいう割には、毎回楽しそうに笑ってますよ」
「そうよね」
鬼ごっこは、メンダル師匠がものすごく怖いんだけど、怖いからこそのおかしさがあるのよ。一応、剣に刃はついていないしね。
あれが真剣だったら、また違ってくるだろうけど……さすがの師匠も、真剣を持って子どもたちを追いかけ回すような鬼畜ではないと……信じたいわ……。
「わたしが出る幕ではないと思うけれど、お父様から情報をいただいてこようかしら?」
「いえ、出る幕だと思いますけど」
「どうして?」
「リリアン様は、シャンドラ様の妹分ですから」
クールな侍女は「それに、寝不足が続くのはシャンドラ様の成長によくありませんからね。頭にも身体にも美しさにも」と恐ろしいことを付け加えた。




