11 リリアンに関するあれこれ
「うーん……リリアンって、あんな子だったかしら?」
汗を拭いて、メンダル師匠と打ち合っている(というか、一方的に打たせてもらっている)ふわふわ茶髪幼女を見ながら、わたしは首を傾げた。
てっきりインドア派だとばかり思っていたリリアンは、自分もメンダル師匠の訓練を受けたいと言いだした。そして、基礎の身体作りからわたしたちの訓練に参加したのだ。
三ヶ月くらい経って、地獄の鬼ごっこにもなんとか加われるようになり、今は棒を持たせてもらっている。彼女には棒術の才能があるとメンダル師匠が見極めたのだ。
「えい! えい! やあ!」
可愛らしく気合を込めて、汗だくの幼女が懸命に棒を振り下ろす。それを軽く受け止めながら「リリアン様、いいですね。動きが安定してきましたよ」と師匠が褒める。
確かにあの子は棒の扱いが上手く、日に日に腕を上げているのがわかる。
もちろん幼い子どものやることだから限りがあるけれど、これを毎日続けたら将来は、かなりの棒使いになれるのではないかと思わせるような熱心さと上達ぶりだ。
棒を振り回す癒しの大聖女……おかしい。ありえない。
わたしはリリアンのことが大嫌いだったから、彼女がどんな女の子だったのかなんてよく知らない。でも、限りある記憶の中のリリアンは、穏やかな笑みを浮かべて静かにしているか、泣きながらわたしに訴えているか、あとは……思い出せない。
リリアンがリーベルト家にやって来てからは、あの子の存在が許せなくて癇癪を起こして喚いたり、泣き叫んだりといった騒がしいことをしていたのはわたしだけだ。リリアンはいつも、おとなしく、笑い声も立てずに存在していたように思える。
それはまともな七つの女の子の生活ではない。
「今考えると、リリアンは異常だったのかしら?」
異常というのは言い過ぎかもしれないけれど、それほどの違和感があるのだ。
七歳の時から、わがままひとつ言わずに穏やかに微笑み続け、周りの人すべてを愛して思いやりを持ち、そして愛されたリリアン。
聖女として大きな癒しの能力を発揮して、やがては大聖女となり世界を守るために身を呈してわたしと戦ったリリアン。
では、リリアンの人生って、なに?
あの子は何が好きで、何が嫌いで、何をするのが楽しくて、誰のことが好きだったの?
いいえ、すべての人を等しく好きな、愛と慈しみの大聖女だったのよね。
でも、それっておかしくない?
好き嫌いなく、分け隔てなく、どんな人も愛するなんて……気持ちが悪いわ。
だって、そんなことができるのは、神様だけだもの!
どんなに力があったとしても、あの子は神ではなく人なのだ。
わたしは、口をきっと引き締めて真剣な表情で棒を振るリリアンを見る。
今、その瞳はキラキラと輝いて、たまに師匠のフェイントに引っかかって空振りすると、すごく悔しそうな顔になって……あら、悔しくて泣いちゃったわ。
べそをかきながら、リリアンがこっちを見た。
わたしは拳を握ってリリアンに振り「やっちまいな!」と檄を飛ばす。
いつの間にか忍び寄ってきていたエリザベス夫人に「淑女の言葉遣いではございません」と、脳天チョップを落とされて、わたしは頭を抱えてうずくまる。
それを見たリリアンはぷっと噴き出して、顔を上げて師匠の顔を睨みつけると、棒を振り飛びかかっていった。
うん、今のリリアンの方がずっとずっと人間らしくて、そして、幸せそうだ。前世で大聖女となったリリアンは、この世の幸せをすべて手に入れているように見えたけれど、それは上辺のものだったのかもしれない。
あの穏やかな笑顔は嘘の笑顔だったのだ。目の前にいるリリアンを見ると、それがわかる。
師匠に「ありがとうございました!」とお礼を言ってから、リリアンは「シャンドラお姉様ーっ!」とこちらにやって来て、エリザベス夫人からタオルを受け取った。
「お疲れ様。リリアン、とても棒の扱いが上手くなったわね」
「いいえ、まだまだです。メンダル師匠に全然当たらないんですもの」
リリアンは子どもらしく、ほっぺをぷうっと膨らませた。
……前世のリリアンは、こんなに表情豊かな女の子ではなかったわ。
「ねえ、リリアンは、うちに来て楽しい?」
「はい、とても楽しいです! 毎日たくさんいろんなことができるし、なによりお姉様と一緒にいられて、わたしは幸せです」
曇りない無邪気な瞳は、日の光を弾いて眩く輝いている。
「こんなに楽しい日が来るなんて……いきるのをあきらめなくてよかったです」
「え」
待って。今、無邪気な幼女にふさわしくない言葉を聞いたような気がするんだけど?
わたしが怪訝な表情をしているのに気づいたのか、リリアンは両手を振りながら「大丈夫です、今がとても幸せってことです」と笑った。
メンダル師匠の訓練の最後には、あの地獄の鬼ごっこがある。
リリアンが加わった頃には、あの恐ろしいナイフはしまって、かなり手加減してくれたのだが、彼女が慣れてきたと見ると、とんでもないものを持ち出してきた。
「はい、これは刃は付いていない訓練用の剣ですからね、大丈夫ですよ。ぶつかると痛いけど」
いやいやいやいや、剣を持って鬼ごっこだなんて、師匠、あなたは鬼ですか⁉︎
「リリアンさんは、まだ逃げ方が上達していないので、仲間で守りながら逃げましょうね。いざという時に、誰かを守りながら戦えるようになるための訓練ですよ」
メンダル師匠は、剣の先を地面に突き刺して、いつもよりも大きな円を描いた。ざりっ、ざりっ、というその耳障りな音がわたしたちの恐怖を増大させる。
いやこれおかしいでしょ?
幼児にやることじゃないでしょ?
「はい、それじゃあいきますよ。この円から出たら負けですからねー」
「きゃああああああああ」
「あははははははははは」
「ぎゃああああああああーッ!」
控えめに言って、阿鼻叫喚でした。
マジ泣きするわたしたちを剣を持った師匠が追いかけ回し、裏庭は地獄と化しました。
「お姉様、あの……」
「どうしたの?」
屍となったわたしたちはメイドに拾われて、お風呂に放り込まれた。そして、おやつをもらった。
それで完全に回復してしまうのは、やはり育ち盛りの幼児だからこそでしょう。
そのおやつタイムに、リリアンがわたしに何かを訴えてきた。
「あの、お姉様にお願いが、あるんですけど……」
屋敷に来た当初は遠慮がちだったリリアンは、木登りをこなしてわたしの妹分になってからは、はきはきとものを言える女の子になっていたのだが……そんなに言いにくいお願いがあるのだろうか。
「叶えられるかどうかはわからないけれど、言ってみなさい」
「はい。実は……」
そのお願いとは、わたしと一緒に寝たいというものだった。
子ウサギなの?
この子は馴れた子ウサギなの?
なんなの、この懐っこさは!
「しっ、仕方がないわね。妹分のリリアンがどうしてもというのなら、一晩くらいなら、一緒に寝ても、よろしくてよ」
そう言うと、リリアンは両手を頬に当てて嬉しそうに「うふふ」と笑った。




