10 さあ、のぼるのです
本日、二話目の更新です。
思った通りに、わたしには少し小さくなった訓練用の服(長いぴったりしたズボンに、腰を絞ったミニ丈のシャツドレスを重ねてある。エマの策略で、少しだけフリルも付いている)はリリアンにぴったりだった。
「リリアンさん、着心地はどうかしら?」
「……こんな不思議な服は初めて着ましたけれど、ドレスよりもずっと動きやすいです」
「けっこう似合ってますわよ」
そう褒めてあげると、リリアンは両頬に手を当てて「えへへ」と照れた。
やだなにこの子、可愛いじゃないの。
で、でも、わたしの可愛さには負けるけどね!
準備ができたわたしたちは、再び庭に集合した。
「本日のミッションは、リリアンさんの木登りです。ミッションリーダーはこの、シャンドラ・リーベルトが務めますわ。よろしくて?」
一同から拍手が起きたので、ドヤ顔で受け取っておく。
「木登りが初めてのリリアンさんが安全に木登りするために、今日は道具を使っていきます。ルークは梯子とロープを用意してください」
「はい、リーダー!」
ルークはきびきびとした動作で走っていった。剣の腕も順調に上がっているし、もうちびっ子騎士と呼んでも過言ではない。
「次に、エマ。木の上で食べるおやつを調達してください。栄養補給は大切なのです」
「はい、リーダー!」
エマは素早く屋敷に駆け込んだ。厨房に忍び込んで、おやつを手に入れてくる筈だ。おやつ置き場には、子どもたち用のクッキーとか焼き菓子とかが必ず置かれている。忍び込んで取ってくる必要などないのだけれど、そこは暗黙の了解というやつである。
「リリアンさんは、木に触って感触を確かめてください。木登りをする時には、木と気持ちを通じ合わせることが大切なのです」
「はい、リーダー……あの、リーダー」
「なんですか?」
「わたしも他の人みたいに、リリアンって呼び捨てにしてもらえませんか?」
「あら、でも……」
エマとルークは使用人だけど、リリアンは男爵令嬢だから、それはちょっと憚られるのよね。
でも、ピンクの瞳をうるうるさせながら、懸命に頼んでくるリリアンを無下にもできないし。困ったわ。
「……それではシャンドラ様、こういうのはどうですか」
「ん?」
「わたしが木に登れたら、隊員として認めて、呼び捨てにしてください!」
あら、違うのよ。そういう意味で呼び捨てできないのではなくってね。
そう説明しようとして、やめた。
リリアンはまだ七歳なのだ。
そして、仲間はずれにされることを怖がっている筈。
まあいいわ。あとでわたしが叱られるだけの話よね。
「わかりました。あなたが無事に木登りを成功させたら、一人前の隊員と認めましょう。がんばってくださいね」
「はい!」
リリアンは、嬉しそうに笑った。
ルークが、庭にある木登りに最適な木(木の中には枝が折れやすくて危険なものや、滑って素人には登りにくいものがあるのだ。メンダル師匠が丁寧に教えてくれた。このニコニコ顔の師匠は剣のこと以外にもいろんなことを知っていて、わたしたちから尊敬を集めている)に持ってきた梯子をかけ、するすると登ると上の方をロープで固定した。
「リリアンさんは、梯子に登るのも初めてですわね」
「はい、リーダー」
ふわふわ髪の幼女は、真剣な顔で頷いた。
「不安定な梯子はとても危険なので、今回はロープで縛り安全にしました。てっぺんまで登った時にバランスを崩して反対側に倒れてしまったら……」
「大怪我をしますね!」
「その通りです。そして、大人に危険と判断されたら、わたしたちはもう二度と木に登ることが許されなくなります」
わたしたちを見守るエリザベス夫人が大きく頷いた。その隣にいるメンダル師匠はニコニコ笑っているだけなので、おそらく多少の怪我をしても死ななければ大丈夫というスタンスなのだろう。
「では、先にエマに登ってもらいましょう」
「それでは、お先に参ります」
わたしの侍女は、おやつの入った袋を背負いながら軽やかな身のこなしで梯子に足をかけて、危なげなく登っていった。その見事さに、リリアンは口をぽかんと開けて驚いている。
「次はリリアンさんです。ゆっくりでよろしいのよ。エマのような登り方を目指してはいけません、安全に、確実に行きましょう」
「は、はい、リーダー!」
緊張した表情で、手でしっかりと梯子につかまりながら、リリアンはちょっとずつ上に登った。
「なかなかいいわ。登っている時には下を見ては駄目よ」
「はい、リーダー……きゃあ」
「もうっ、見ちゃ駄目だってば!」
リリアンの身体がぐらついたので、わたしは急いで梯子に登って、リリアンの身体を自分の身体で押さえつけるようにして覆いかぶさった。
「ほら、わたしがこうしていてあげるから、がんばって登るのですよ」
「リーダー、ありがとうございます!」
頬を染めてにっこりと笑い、リリアンはギクシャクしながらも手足を動かして、上にいたルークに手伝ってもらいながら枝に座った。
この木はさほど高くないけれど、座り心地の良い枝が何本かあって、上でおやつを食べたり歌ったりすると楽しいので気に入っている。それに、今は梯子を使っているけれど、慣れれば木の幹に手足を引っ掛けながら簡単に登ることができるのだ。
でも、この高さでも、リリアンにとっては初めての木登りなのだ。
「うわあ、高いですね! 木の上って楽しいです」
「そうね、楽しいわね」
わたしははしゃぐリリアンの隣に座って、エマに手を出した。袋から出してくれたのは、ミニアップルパイだ。手に持って食べられるように紙に包まれている。
「リリアンさん、あなたは慣れていないから、必ず片手で枝につかまっているのですよ」
わたしが紙を開いてパイをかじれるようにしてあげると、彼女はわくわく顔で「ありがとうございます、木の上のおやつは楽しいですね」と言って笑った。
地面に足をつけるまでが木登りである。
わたしたちは事故もなく無事に降りることができた。
まあ、万一足を滑らせても、メンダル師匠が受け止めてくれるから大丈夫なんだけれどね。子猫みたいなものです。
「これでミッションは終了です。皆さん、お疲れ様でした」
「お疲れ様でした!」
リリアンの初めての木登りは無事に終わった。
「リリアンさんも、お疲れ様」
「あの、シャンドラ様……」
「そうだったわね。リリアン、お疲れ様」
約束を守って、呼び捨てにする。
「これからもいろいろな遊びに取り組んで、健康で頑健な身体を作り、将来は共に無敵のリーベルト戦隊を作りましょうね!」
「え?」
リリアンがキョトンとしている。
エリザベス夫人に「淑女は戦隊を作るものではありませんよ」と釘を刺されてしまった。
メンダル師匠は相変わらずニコニコしているから、戦隊を作ることに賛成なのだろう。彼の訓練はとっくに淑女の嗜みを超えているのだ!
「……どうしたの、リリアン?」
わたしはもじもじしているリリアンに尋ねた。
この子はどちらかというとインドア好きな女の子の筈だから、戦隊入りに躊躇しているのだろうか。
大丈夫よ、医療班も絶賛募集中ですからね。聖女としてガンガン治癒魔法を使ってくれればいいのよ?
でも、彼女は戦隊入りを悩んでいた訳ではなかった。
「シャンドラ様のことを……シャンドラお姉様とお呼びしてもいいですか?」
「え?」
「三ヶ月くらい年上だし……あの、駄目ですか?」
ピンクの瞳をうるうるさせて上目遣いで頼んでくる幼女に、冷たい返事をできる者がいるだろうか!
「駄目じゃないわ」
「ありがとうございます! 嬉しい……」
またほっぺに手を当てて、可愛らしく喜んでいる。
いや、可愛さはわたしの方が上ですけどね。
前世のリリアンは、わたしをお姉様と呼びながら断罪した。
とても辛そうな表情で、何度も「お姉様、もうやめてください!」と懇願した。
でも、お父様の養女になり、大切にされているリリアンのことがとても憎かったわたしは、いい子ぶるその姿を見て苛立つだけだった。
彼女が大聖女になってからは何度も何度も呪って、おまえなんて死んでしまえと無邪気そうな瞳を睨みつけた。
やり直した今、お父様の愛情はわたしに充分与えられている。
もうこの子を羨む必要はないのだ。
わたしは破滅の闇聖女にはならない。
リリアンが大聖女になるなら、その活躍を応援してあげられる。
わたしはリリアンにビシッと指をさして、高らかに宣言した。
「そうね、あなたはわたしの妹分になりなさい。そして、この美幼女シャンドラ・リーベルトを末永く支えて盛り立てていくのよ!」
「お嬢様!」
「お嬢様!」
「お嬢様!」
「お嬢様!」
エマとルークとエリザベス夫人とメンダル師匠に、同時に叱られてしまった。
リリアンだけは「はい、お姉様。えへへ」と嬉しそうに笑った。




