圧倒的な差
一瞬の内に、見渡す限り銀の世界へと変わる。地面も木も空も、全てが混じり気のない銀色だ。
「なんだ…… これは……」
銀の中にポツンと佇む黒。さっきまでの威勢はどこへやら。すっかり気を飲まれてしまっている。
と、俺の両隣の地面から、二本の太い何かが生えてきた。銀の手だ。直径は周りの木々を遥かに超えている。
それは目で追えないくらいの高速で黒に接近。そして、その巨体を鷲掴みにした。
「くそがァァァ! 離せ、離せェェ!」
「お前の魂は汚れ過ぎた。看過できぬ程に。これよりアスィミの名の下に、お前の魂を浄化する」
俺の口が冷酷に言い放つ。
「ギャハハ、ハハハッ、ハハ! 私の魂が汚れている? なんだ貴様、神になったつもりか!」
叫ぶ黒い身体。そこへ三本目の腕が伸び、その指で何かを摘んだ。それは慎重に俺の前へと運ばれる。
黒いヘドロに覆われたような球体だ。するりと、それは俺の左手の上へ落ちた。
声はそこからした。
「結局貴様は何も分かっていないのだ! だから、我が王はタルタロスに革命を起こした!」
「穢れた魂の言うことは、よくわからんな」
「ふうっ」と小さく息を吹きかける。
その吐息が、黒い球体に触れるとどうだろう。途端にその黒が下の方へと抜け落ち、手を伝い、雫のように地面へと垂れていった。
「ア…… ワタシのユメが…… キボウが…… ワがオウよ…… ナニもカンジない……」
声が止まる頃には、球は真っ白になっていた。
次の瞬間、銀色の世界は消え、夜の森へ戻っていた。球もいつの間にか無くなっている。
「どうだ。一分待った甲斐があっただろう?」
「あ、ああ……」
「なんだその反応。ここはもっと興奮する所ではないのか? 心が沈んでいるぞ、人間」
「リックだ」
「ああ、そうだったな。それで?」
「いや、確かに凄かったけど、訳のわからない事が多過ぎて……」
俺はさっきまで人型が立っていた所に目をやる。
「なあ、あいつは死んだのか?」
「違う、浄化されたのだ」
「浄化?」
「数々の欲望、感情がこびりついた魂を無垢の状態へと戻してやった。これは救済だ」
俺にはこの少女の言うことがよくわからない。だが、救済という言葉には強い違和感を抱いた。
しかし、一先ず一難は去ったらしい。安心すると、俺は一番重要な事を思い出した。
「アイラとシエラは!?」
俺は最後に二人を見た所を向く。
しかし、そこに二人の姿はない。嫌な予感が胸裏を掠める。
「あれ、どこに……」
辺りを見回す。すると、存外すぐに二人の姿が見つかった。一本の木を囲むようにして、二人は座っている。その場所に見覚えがあった。
近づいていくと、すすり泣く声が徐々に大きくなっていく。
「リック…… 嫌だよ…… お願い、起きて…… 私たちを置いていかないで……」
「あたしが…… あたしがあの時、敵の動きにもっと早く気づいてれば…… 全部あたしのせいだ……」
二人は一人の少年の手を握っていた。
俺だ。
死んだ俺がそこにはいた。
口は半開きになり、瞳は虚空を見ていて動くことはない。左胸からの出血はもう止まっているが、周りの下草はゾッとするような赤色に変わっている。
「なんだ、さっさと教えてやれば良いだろう。"俺の魂はここにある"と」
「そ、それは、そうなんだけど……」
俺の目は、生き絶えた自分の身体から離れようとしない。
さっき洞窟の中で、少女に俺が死んだ事を告げられた。その時は、アイラたちを助けたい一心で、自分の死という事実を直視できていなかったが。
そこへ、少女が大きくため息を吐く。
「おい、役立たずの魂ども。お前らの主人はこのゆりかごの中にいる。いつまでもメソメソしていないで、我を休めるところに案内しろ。我は疲れた」
へ?
「待って! 今のは違うんだ! 今のは俺じゃなくてーー」
慌てて弁解しようとするが、不意に振り向いたシエラの顔を見て、俺は頭が真っ白になる。
今もなお涙が溢れ出る充血した目を、乱暴に細めこちらを物凄い形相で睨んでいる。あの温厚そうな彼女は見る影もない。なんといじらしい姿だろう。
対するアイラは、そんなシエラの肩に手を置き、こちらを見た。生気を失った、表情のない顔だ。
「さっきは助けてくれてありがとう。あんたには感謝してるよ。でも、少しだけでいいから、三人だけにさせてくれ…… お願いだ……」
後半は嗚咽が混じり、よく聞き取れない。
ダメだ。二人のこんな姿いつまでも見ていたくない。どうにかして、俺がここにいる事を伝えないと。
「"ここから抜け出して、色んな世界を旅をするんだ"」
俺を見る二人の目が、大きく見開かれた。先に口を開けたのはシエラだ。
「どうして、それを……」
「さっきの話は本当なんだ。俺はーー リックはこの少女の身体の中にいる。まだここにいる」
俺は右手を二人に差し伸べる。
「外見は変わっちゃったかもしれないけど…… まだ旅は終わってない。まだ契約は終わってない。これからも三人で一緒に暮らそう」
しばしの沈黙が流れる。
二人は俺を穴が空くほど見つめていたが、やがて、吸い寄せられるように手を伸ばしてきた。