少女の力
「右に飛ぶぞ」
少女の口が小さく動く。
「ああ!」
俺はすぐさま右足に力を入れ、地面を蹴った。すると、身体は予想以上に浮き上がり、横に吹っ飛んでいく。
「うぇっ!?」
「馬鹿、飛びすぎだ…… !」
「ごめん! こんなに飛ぶとは思わなくて!」
近づいてくる地面。着地と同時に、一回転して勢いを殺さないと危険だ。
「ちょっ!」
だが、受け身を取ろうとする右半身とは裏腹に、左半身はそのまま着地をしようと動く。
結局、俺はまともに着地できず、無様に転がってしまう始末。
「おい、何をやっている! お前はどっちの味方だ!」
「いや、だって、今のは転がって受け身をとるところじゃないの!?」
「我の身体はそんな柔ではない! そのくらい感覚でわかれ!」
「他人の身体の感覚なんてわかるか!」
一つの口で始まる口論。いつもの感覚で動こうとしたらダメだ。これはもう俺の身体ではないのだから。
だが、これだけ距離を取れば……
「何を一人でぶつぶつと! それで躱したつもりですか!」
黒い槍の群れは、地面に突き刺さる寸前に、身体をこちらへと回転させる。そして、それらは四方八方に広がり、瞬時に俺を取り囲んだ。
「ちっ。上級の魂はやはり格が違うな」
「どうするんだ…… ?」
「我もまだ、左半身だけを使えるこの状態に慣れてない。少し集中する。後十秒、時間を稼げ」
「十秒…… !?」
そんなに猶予があるだろうか。そうだ、ここは話し合いで気を逸らして。
「さようなら」
さようなら!?
普通はもっと、最後のやり取りとかあるだろうに。あの人型、もっと空気を読んでくれ。
と、まごついている内に、全方位から槍が容赦なく降り注いでくる。その黒で埋まっていく光景を一言で表せば、絶望。
「頼んだぞ」
俺の口が無責任にそう言う。左半身が動かなくなる。
だが、俺がやり遂げなければ。アイラたちに二度と会えなくなる。
「ああもう、わかったよ! やってやるよ! せっかく生き返ったんだ! 絶対にアイラたちを助ける!」
俺は瞬時に思考を巡らせる。
この細かい網目の中を、無傷で抜け出すなんてのは土台不可能。なら、俺がすべき最善の行動。
それは致命傷以外は、全て無視する事だ。
『今のお前は我のゆりかごに存在しているだけ。自由に動けないのは、ゆりかごの主導権を私が握っているから。それをお前の魔法によって、我の右半身と連結させる。我は左半身の担当だ。顔はどちらも使える』
『え、何それ。めちゃくちゃ動きにくくならない?』
『たしかにそこは不便だ。だが、それ以上にメリットが大きい』
『例えば?』
『一々挙げるとキリがないから、超絶パワーアップするとだけ』
『てきとー……』
『そこはどうでもいい。だが、一つだけ。左胸だけは絶対に死守しろ。それ以外は、たとえ頭であろうと失っていい。説明は後でする』
洞窟での会話。あれが本当なら、俺は左胸さえ守ればいい。
俺は目を絶えず動かし、槍の一本一本の動きを捉える。
「見える…… !」
やはりこの身体、俺のものより格段に性能が高い。
俺は身体を前に傾ける。その後ろを通り抜けていく槍。間髪入れず、顔を左に。風を切る鋭い音が、耳元を掠る。
「ぐっ…… !」
右の脹脛を駆け巡る激痛。一本を躱し損なった。
「このくらい気にするな…… !」
確認する暇なんてない。少しでも気を抜けば、そこから一気に崩される。
止まるな。動き続けろ。
「ふふふ! 面白い! どこまで耐えられますかね!」
人型はもはや弱者を痛めつける事を楽しんでいる。
脚の怪我のせいで、もはや結果は見えているようなもの。徐々に押されていくのがわかる。
「あいつ、何が十秒だ…… ! とっくに過ぎてるだろ!」
皮膚が裂け、肉が断たれ。耳が抉れた。
だめだ。避けているだけでは、もう持たない。
「また何もできないで死ぬのか…… ?」
俺はすぐさま首を横に振る。
「違う。俺は、俺は……」
正面から飛んでくる槍の一つ。俺はそれに、手のひらを向けた。ぐしゃりと、皮膚を貫かれる感触。
「がぁぁぁぁっ!」
それが腕を伝い、肘を通り。そして、肩の前で止まる。
「自ら攻撃を受けるとは! 自暴自棄にでもなりましたか! それとも虐げられるのがご趣味で!」
「そんなわけないだろ…… !」
迫り来る槍を避けつつ、俺は腕に突き刺さった槍を口を使って引き抜いた。気が遠くなるほどの痛み。
「俺はまだ死なない! アイラが! シエラが! 二人が俺を待ってるんだ!」
今度はその槍を強く握る。
そしてーー
「俺の邪魔をするなぁぁぁぁぁ!」
「なに!?」
人型の胸に、深々と槍が通っていく。それでも勢いは止まらない。人型はそのまま、奥に見える大木まで真っ直ぐ飛んでいった。
「よく耐えたな。少し遅れたがようやく準備がーー」
俺の口が一人でに動き出したが、途中で止まった。少し沈黙が続く。
「時間を稼ぐだけで良かったのだが。ゆりかごの方も、ここまで傷つけるとは」
「遅すぎだって…… 十秒どころか、一分は経ったぞ」
「なに、そんなにか。まあ良い。結果オーライだ」
「お前が言うな……」
力が抜けていく。
気絶するすんでの所で、俺は持ち直した。まだやり残した事がある。
「アイラ! シエラ!」
「おいこら! 勝手に右半身を動かすな!」
俺は夢中でアイラたちの元へ急ぐ。
「コッケイ…… !」
聞こえるはずのない声。
俺は慌ててそちらを向いた。そして、驚愕した。
「ギャハハハハハハ! 滑稽滑稽滑稽滑稽ィ! 私が! この私が、胸を貫かれた程度で消滅すると思いましたか!?」
そこに人型はいなかった。
目に写ったのは、黒々とした力の流れ。それが縦横無尽に広がり、今も周りの木々を飲み込んでいくほど。
「嘘だろ…… !?」
「頑強な魂だ。まだ消えていなかったか」
「キキキ貴様には確実にここで消えてもらいますゥよォ! それが、我が王の悲願! タルタロス勝利の為の第一歩!」
「ふん、ちょうど良かった。早めに試しておきたかったんだ。おい、お前にも一分待たせただけのものを見せてやる」
俺の左半身はそこから一歩も動こうとしない。
何をする気なのか。
「穢れ歪みし罪咎よ、その尽く無為の銀鏡に帰せーー」
「消えろォォォォォォォォ!!!」
眼前に押し寄せてくる、黒い波。
しかし、不思議と不安はない。湧き上がってくる絶対的な力が、自信が、それを感じさせなかった。
「純乎たる息吹」
冷たい声。
俺の足元から、波紋が広がるように地面が銀に染まっていった。