いざ、魔王討伐へ
俺たちはこの寂れた教会で一夜を明かした。
時折、人間のものとは思えない気味の悪い唸りが、建物の近くを通り過ぎていった。が、ここに入ってくる者は現れなかった。
部屋の最奥のステンドグラスから七色の光が差し込む。一見美しいようなそれは、鎖に繋がれた大蛇を表していてむしろ不気味な感じがした。
昨夜まで全く動かなかった身体は、今朝嘘のように動かせた。
「なんだこれ……」
教会を出て、俺の開口一番がこれだった。
「太陽神の裁きだ」
「太陽神…… ?」
「魂の中でも最高位。その格の違い故、神とまで呼ばれ畏れられている。タルタロスとは真逆の世界を統べる者だ。夜襲ってきた雑魚どもは尽く灼かれただろうな」
教会前のあまり広くない通り。
そこには無数の衣服が散らばっていたのだ。端から端まで、百はあるだろうか。だが、それを着ていた人間と思しきものは何一つ残っていない。毛も皮膚も血も。
「灼かれたって、まじかよ…… 身体も残ってないじゃんか……」
「わわ、私たちも焼かれちゃうの? 私は焼いても美味しくないよ〜」
魂である二人にはよほど恐ろしく映っただろう。
「安心しろ。よほどの事をしない限り、奴は動かん。気まぐれで、家族想いな奴だ」
「その言い方、知り合いなのか?」
俺が聞く。
「まあな」
通りに人の往来が増えてきた。
皆落ちている服を不審がるものの、叫び声を上げたりはしない。昨夜の惨劇を知っているのは、俺たちだけなのか。いや、早晩、町のたくさんの人が失踪したという事件を知る事になるだろう。
「後二十九日。奴らが攻めてくるまで時間はない」
「でも、結局どうすればいいんだ? 俺たちだけで、その軍勢を倒せるのか?」
「無理だ」
また、きっぱり。
「だが、方法はある」
「その方法っていうのは?」
「そもそも魂というのは五つの要素によって構成されている。名前、影、心臓、化身、精神。そして、人間はその全てを、死後は化身と精神の二つを有していて……」
フィジーの口が止まる。彼女の視界には、難しい顔をする二人の魂。それと、興味なさげな一人の少年。ちなみに、俺もさっぱりわからない。
「お前たちには難し過ぎたな。まあ、つまり。我は魂として完璧な姿ではないのだ。後ろを見てみろ、人間」
「いい加減、名前で呼んでくれ……」
愚痴を言いつつも、俺は言う通りにした。
だが、別に目を引くものはない。あるのは家々が並ぶ一本道、何人かの人の姿は、それから……
「あれ!? 影が…… !」
「わ〜! リックとフィジーちゃんの影、半分しかないよ〜!?」
俺よりも驚くシエラ。
「左半分。つまり、我には影がない。まあ、魂なのだから当然といえば当然だが」
確かに日の光を受けた俺の影は、左半身だけ欠けていた。なんと不可思議なのか。
「それだけではない。そこの金魂もふわ魂も、自分の本当の名前を知らないだろ?」
「はあ、もう金魂でいいわ……」
「うん! この名前はね〜、リックにつけてもらったの〜」
正反対の反応を示す二人。
そう。二人の名前は、俺が契約を結ぶ時に考えたのだ。二人は元々、生前の記憶を覚えていなかった。
「それも死後、魂から名前が抜け落ちた結果だ」
「じゃあ、やっぱりフィジーも偽名なのか」
「まあそうなる」
フィジーは今、澄ました顔で答えている。
「その二つはこの世界のどこかに眠っている。目下のところ、我々が一番にすべきは、我の名前と影を探し出す事」
「あれ、後一つは? えっと…… 心臓とか言ったっけ?」
「物覚えがいいではないか、人間」
名前を覚える気ないな、こいつ。
「心臓が何を意味するか、お前は知っているのではないか?」
「なんとなくは…… 感情みたいな事だろ?」
「その通り。我には感情がない。快、不快の区別はできるが、それがどう言った感情なのかわからない」
「それもこの世界のどこかにあるのか?」
「ある。だが、探し出す必要はない」
その言葉で、俺はフィジーの次のセリフが何となく予想できた。
「そこにいる二つの魂と同じだ。我はお前を通して感情を知る。お前の感情の動きが直に伝わるから、我の感情が生まれるのも時間の問題だ」
「そうか……」
アイラたちとの日々が思い出される。二人には、俺が少しずつ感情を教えたのだ。かなり長い道のりだった。
「頼んだぞ、人間」
「わかったよ」
俺も町をこんなにした奴らを許せない。おっちゃんは魂を食われ、俺は身体を破壊された。
沸々と熱い感情が起こる。
「心臓については、リックがいれば大丈夫だとして、他の二つはどうするんだ? 名前と影は? 場所の目星とかついてるのか?」
アイラが尋ね終わらない内に、「知らん」とフィジーが突っぱねる。
「は!? じゃあ、どうするんだよ! こんな広い世界で、当てもなく探し回るなんて無理だぞ!?」
「世界中の人間を総動員させればいい。自分たちの未来がかかってるとなれば、従わざるを得ないだろう」
「そんなの無理だよ。だって、みんな魂の存在なんて知らないだろうし、そもそも俺の話なんて誰も聞いてくれない」
と、冷静に語った俺の口から、今度は「は?」という声。
「ふざけるな。無理にでも聞かせろ」
「ふざけてるのは、そっちの注文の方だ……」
「なら、人間。お前が偉くなれば良い。そうすれば、どんな命令も通せるだろう?」
「だから、元勇者の俺がそんな簡単に偉くなんて…… !」
俺は言葉に詰まった。自分が重要なキーワードを言っている事に気づいたのだ。
「勇者…… 偉くなる……」
「何か思いついたらしいな。聞いてやる」
「無謀な話だけど…… 魔王を倒せば、一躍ヒーローになれる……」
「魔王? ああ、人間と領土争いをしている種族の長か」
「知ってるのか」
「もちろん。我は現界には詳しい」
なら、名前と影の位置も知っていて欲しかった。
だが、この方法は無理だ。人類が数百年かけても討伐できない相手を、俺なんかが倒せるわけがない。
今のは忘れて、他の代案をーー
「よし。では、魔王を倒すぞ」
「え?」
聞き間違いかもしれない。俺はもう一度「え?」と繰り返した。
だが、フィジーは答えず、左足を前に出す。俺は危うく転びそうになった。
「ぼさっとするな。さっさと行くぞ」
「ちょっと待て!!! 無理無理! 魔王だぞ!? 人類の宿敵だぞ!? どれだけ強い奴だと思ってるんだ! 倒せるわけない!」
俺は早口でまくし立てた。いくらなんでもフィジーは世間知らず過ぎる。
しかし、俺の説得に対して返ってきたのは、彼女の短い吐息。
「安心しろ。今の我は、魔王より強い」
「いや、だから……」
無茶だ。諦めろ。
そう言ってやりたいのに、不思議と湧き立つ自信。フィジーの発言に説得力があったのか。それとも、彼女の余裕が俺にも伝わって来たのか。
「わかった…… 行こう」
なんだろう。
俺は死んで全てが終わったと思ったのに。そうではなかった。今まさに、物語の歯車が回り始めた。そんな気がした。