坊さんですが、法力パンチで異世界生き抜きます!
1
もうだめだ、と思った。
アディティアの街を出て四日、わたしたちの護衛する行商人の荷馬車列は順調にパタック砂漠を南に進み、目的地であるヴァルマへと向かっていた。水や食料の蓄えも十分にあり、わたしをはじめとする冒険者グループ「カラネヴァラ」も、大した魔物も出現しないこの旅路に油断していたのかもしれない。
オアシスの街へ到着するまであと一日とすこしというところになって、盗賊に襲われた。ずいぶん東の方で暴れている「ヴァンチット」は、冒険者ギルドでは名の知れた盗賊団で、討伐依頼はそこいらの貴族連中から山のように出ていたし、その被害はどこの街でも噂になっている。
そんな奴らが砂丘の向こうから現れ、あっという間に包囲されてしまった。剣士のダンパ、戦士のファルジール、魔導士のエディヴァン、回復役のネリー――そして勇者のわたし。
「サーハス!」
ネリーが叫ぶ。やっとのところで振り下ろされた剣を避けるも、この砂漠では足が取られてうまく受け身も取れやしない。ファルジールが前線に出てくれているが、それでも次から次へと現れる盗賊たちは、まるで逃げ水のように身を躱してしまう。
一気に襲うのではなく、ほとんどが遠巻きにしながら、矢を構えてこちらの出方を伺っているのだ。この容赦なく照り付ける太陽の下では、長引けば長引くほど不利になる。加えて、ヴァンチットたちは砂漠に対応した装備だ。砂に埋もれないように、靴の底の面積を広げるための板のようなものを括りつけている。
「まずは回復役をやれェ!」
黒馬に乗っているのは頭だろうか。側近がふたり傍に控えている。本人は前に出ずに、この狩りを楽しむような笑みを浮かべて、こちらを見ている。胸糞悪い。
「ゆ、勇者様……」
今回の依頼者である行商人ジャミルが不安そうに視線をこちらへ向ける。
勇者は、国に選ばれた一握りのものにしか与えられない名誉ある称号だ。多くは、この世界にいる七人の魔王を倒し、人間に永久の平和をもたらすために国より送り出される。長い旅を経て、わたしは仲間を得たし、全員で切磋琢磨してきた。それでも、死は、平等に訪れるものだ。
わたしは、こんな砂漠の真ん中で、盗賊に殺される。わたしを信じてくれたジャミルや、仲間たちの期待を裏切って、無残に、情けなく、死ぬ。
「ッアアア!」
盗賊のひとりが放った矢がネリーの肩を射抜いた。
「ネリー!」
「よそ見してる場合か?」
振り返ったそのとき、ひたりと冷たいものが首筋に押し当てられた。すうっと一筋の風が皮膚を撫でたような心地がして、そこから熱が広がる。
「よおし。女は殺すなよ。男はやっていい。ハゲタカの餌にでもしろ」
盗賊たちの喚起の声があがる。それは、わたしたちの敗北の証明であり、死の宣告でもあった。
「くそ……くそっ」
ダンパも、ファルジールも武器を下ろす。そしてちら、とわたしを見た。その目をまっすぐ見返すことができずに、わたしは俯いてしまう。情けなくて、申し訳なくて、その最後を見届けることもできない自分にまた腹が立つ。
「なんだっ⁉」
声をあげたのは、盗賊団のひとりだった。顔を上げると、砂丘の向こうが蠢いている。砂嵐だろうか。それにしては、砂の粒が大きいような。
「魔物だぁ!」
そこにいたのは、スケルトンだった。スケルトンの群れだ。ガチャガチャと骨と骨のこすれる音を立てながら一直線にこちらに向かってくる。
「慌てるな! 低級魔物だろうがッ!」
頭が手下を叱咤する。
「でも頭、あのスケルトンども、昼間なのに動いてますぜ⁉」
確かに、スケルトンのようなアンデッド系の魔物は夜間のみの活動しかできないはずだ。頭上には光り輝く太陽があり、この砂漠に光を遮るようなものはどこにもない。
「迎え撃てぇ!」
頭が命じると、戸惑いながらも手下たちが迎撃態勢を取る。ヴァンチットほどの盗賊団となれば、スケルトンのような低級の魔物など、赤子の手をひねるようなものだろう。
だが、スケルトンの群れと盗賊が激突したとき、信じられない光景が広がった。たかが骨だけの低級魔物が、武装している名の知れた盗賊団を圧倒したのだ。
武器を奪い、殴りつけ、飛び掛かる。到底負けるはずのない相手に盗賊たちは逃げ惑い、その間にもひとり、またひとりと仲間が地に倒れる。
わたしはその光景を、目を丸くして眺めていた。瞬く間に、スケルトンたちは賊をまとめて縛り上げてしまい、頭と側近ふたりもまた唖然としている。残るのは、彼らだけだ。
スケルトンたちが一斉に顔を丘の上へと向ける。わたしも、賊の頭たちもつられて視線をそちらへとやった。
丘の上に誰か立っている。シルエットだけでははっきりとは分からないが、ふたりだ。ふたりとも馬に跨り、こちらを見下ろしている。風にたなびくマントは騎士を思わせる。
二頭の馬が丘の上から駆け下りてきた。近づくにつれ、明らかになるその姿に息を呑む。ふたりのうちの片割れは、A級魔物のスケルトンナイトだ。甲冑に身を包み、その手には巨大な槍を携えている。もうひと
りは、よくわからない。
漆黒の衣に、くすみがかった黄色の布のようなものを胸にかけていて、頭には植物を編んだのだろうか、幅のひろい帽子をかぶっている。その手には、槍ではない何か棒状のものが握られている。その金属でできた先端は輪になっていて、その輪にひっかけられた無数の金属の輪がしゃらしゃらと音を鳴らした。
「オシサマ!」
「オシサマー!」
スケルトンたちがカタカタと骨を鳴らしながらそのふたりに手を振った。
先ほどからいろいろ起こりすぎていて、頭が混乱する。スケルトンが喋るなんて聞いたこともない。低級の魔物は言葉を操るこができないし、理性もないはずだ。
「お前たち、どう見てもカタギじゃあないよねえ?」
この場にそぐわない明るい声でスケルトンナイトが言った。頭と側近たちは武器を抜いて身構える。
「シンニョ、君が驚かすから萎縮なさっているではないですか」
黒装束の男がまるでスケルトンナイトを窘めるように左手を振った。
「萎縮というよりは、攻撃態勢のように見えっけどぉ」
まあまあと黒装束の男が馬を降りて前に出る。武器らしい武器も持っていない。恰好の餌だ。
「や、やめなさい!」
声をあげてもその背中は振り返らない。餌に飛びつかない獣はいないように、側近二人が男に切りかかった。が、できなかった。スケルトンナイトの槍がいともたやすく弾き飛ばしたからだ。
「……わが友に刃を向けたな」
その声は、先ほどとはまるで違っていた。地を這うように低く、凍てついている。一歩でも動いたら殺す。肌を刺すような殺気が放たれる。
「シンニョ。修行が足りませんよ」
「……君は慈愛に溢れすぎ」
黒装束の男は笑い、まごつく頭に向き直った。
「すこしお話をしませんか?」
「あ?」
今、盗賊の頭とわたしの心はひとつになった。
こいつ、何を言っているんだ?
「あなたにも理由があって、このようなことをなさっているのでしょう。この世界では、強き者が弱きをくじき、持つものが持たざるものを食い物にしている。あなたはそれに負けじと抗っている。あなたは強いひとです。その心は鋼よりも強靭で、しかし苦しんでいる。痛ましいことです。あなたが踏みつけにしているのは、かつてのあなたと同じ弱きものではないですか?」
何の変哲もない声だ。言っているのはほとんど綺麗ごと。それでも、故郷の草原を揺らす風のように穏やかで、何故か聞き入ってしまう。まるで、父が語ってくれた昔ばなしのようにやさしい。
「うるせえ……てめえに何がわかんだよっ!」
頭は声を荒げ、剣を振り上げた。
「あなたは、いささか業が深すぎますね」
男の声は命の根を絶たれようとしてもなお、揺るがなかった。男の腕がゆっくりと構えられて、剣がその身体を切り裂こうとしたそのとき、殴った。ただ、殴った。
男の拳はまるで竜巻のように周囲の砂を巻き上げ、まばゆい光を放った。頭の身体が宙に浮かび、砂の山に墜落した。
「おー。ひっさびさに見たなあ、君の法力パンチ」
「あまり使いたくはないのですけれどね」
「まあこいつしばらく伸びてるだろうし、先に怪我人の手当てしてやろうぜ」
スケルトンナイトが馬を下りる。黒装束の男はこちらを振り返った。
「やっ」
背後からか細い悲鳴が上がる。見ると、スケルトンの二体がネリーに何かしようとしていた。
「ちょっと、あんた……!」
「肩、痛イ、良クナイ。矢、抜ク。ソレカラ薬草。治ル」
「俺ノ骨、噛ンデイイ。一気ニ抜ク」
どういうことだ。
スケルトンが、人間に治療を施そうとしている。
「このっ、ネリーに触るな!」
ダンパが叫ぶが、彼も消耗が激しいのだろう、倒れ込んでしまう。するとすかさず別のスケルトンが駆け寄って、抱え起こした。
「ココアツイ。鎧、キル、モットアツイ。水、飲ム。ジャナイト死ヌ」
「俺、ソレデ死ンダ。ツライ。死ヌ、ツライ。ダメ」
あたりを見れば、スケルトンたちが倒れた行商人たちや、パーティのメンバーを介抱している。ネリーの肩の矢を抜き、すかさず薬草を与える。ダンパには水を飲ませてやり、荷馬車を起こして零れた荷物を拾い集める。骨を折ったものがあれば添え木をし、腰が抜けたものがあれば背負って荷馬車の影まで運ぶ。
「どういうこと……?」
「ご無事ですか」
わたしは心底驚いて振り返った。黒装束の男がいた。帽子の影に沈んだ顔は、穏やかな微笑を浮かべている。印象に残りにくい顔立ちだが、涼やかな目元をしている。衣からこれまで嗅いだことのない不思議な香りがした。
「あ、の……このスケルトンたちは、あなたの従魔ですか?」
従魔とは、契約を交わして使役される身となった魔物のことだ。もし、この男とスケルトンたちが契約を結んでいるのなら、今の状況も説明がつく。といっても、半分程度のものだが。
「いいえ。彼らは、私を慕ってついてきてくれていますが、契約は交わしておりません」
「え、じゃあ……?」
「彼らは魔物としての己の在り方に疑問を感じ、より良いものとなるためにこうして徳を積んでおります」
魔物としての在り方?
徳?
「ハッハ! おいおい、オシサマァ。このお嬢ちゃん目ェ丸くしちまってんぜ」
馬を引いて現れたのは、スケルトンナイトだ。近くで見るとあまりにも大きい。黒光りする鎧にはどくろがあしらわれ、巨大な槍は一振りで何人もなぎ倒してしまうだろう。
「あ、失礼しました……。わたしは、サーハス。このようなことになってお恥ずかしい限りですが、勇者をしています。先ほどは危ないところを助けていただき、ありがとうございました」
頭を下げると、男は慌てたようにそれを手で制した。
「いやいや、そんな。大したことはしておりませんから」
あの盗賊団を倒したことが、大したことではないというのか。
男は、居住まいを正して、奇妙な帽子を取った。丁寧に剃り上げられた、形のいい頭がそこにあった。
「はじめまして。隆寛と申します」
2
気が付くと、青い空があった。雲が穏やかに流れていく風景は、都会の排気ガスで淀んだそれとはまるで違う。肺が澄んだ空気で満たされる。
思えば、もう長いこと遠出というものをしていなかった。学生だったころはあちこち遊びに行ったりしたが、お山に登り、髪を下ろして実家の寺に戻ったときから、休暇といえば友引の日くらい。いつ仕事が入るか分からないので、泊りがけで出かけたこともない。
そういえば、明日は檀家の棚橋さんちのおじいさんの葬儀じゃなかったっけ。
そうだ。私はその打ち合わせに行って……。
「行って……?」
勢いよく身体を起こす。やさしい春の風が頬を撫でる。視界に広がったのは青々とした草原であり、はるかかなたに悠然と聳える山々だ。
待て。待て待て待て。すこし整理しよう。棚橋さんちから朝連絡をもらって、お悔やみを言いに行って、その場で打ち合わせをした。そう、葬儀会社の人もいて、今日は友引だったから一晩ご遺体を安置し、明日の夜に通夜、明後日にご葬儀ということで話がまとまった。それから、私はスクーターで寺に戻ろうとして。
右折レーンから急に左折しようとした車が迫ってきて。ハンドルを切ろうとして、世界が回転した。
「……事故りましたねえ……」
普通、事故にあって目覚めるとするなら病院だろうに、こんな穏やかな風景の中にいるとすると、私は死んだのか。
寺には、父がいる。私は一人息子だ。父がお勤めできなくなったときには、私が寺を継がねばならない。それなのに、死んでしまっては、寺はどうなるというのだ。父は、母は。
「ハ――――ッ最近は多いねえ!」
私の他に人影ひとつない草原に、自分のものではない声が響き渡る。私は肩を飛び上がらせ、あたりを見回した。何もいない。
「兄ちゃんどこ見てんの? ハッハァ違う違う、こっちだよ。俺はこーっち!」
声に導かれ、膝の丈ほどの草をかき分けると、そこにひとつのしゃれこうべがあった。
「ようアミーゴ! 手間かけて悪いんだけど、ちょっと持ち上げてくれんない? さっきから雑草が鼻の孔に刺さって気分が最悪なの!」
「あ、ああ、はい……」
ここが死後の世界とするなら自分が学んできたどの世界とも違うな、とそんなことを考えながら喋りまくる頭蓋骨をそっと持ち上げた。
「いいねえ、兄ちゃん。俺をこんなふうに持ち上げてくれるような人間ははじめてだ。好きになっちゃう」
「しかし、言葉を話すしゃれこうべとは……いよいよ私死んだのでしょうか……」
「あれ? スルーする? そこ? ええ、俺寂しい。心配しなくても兄ちゃんは死んじゃあいねえぜ。俺はめっきり死んでるけどね! 身体もどっかいっちゃってるし!」
「死んでいない? とは……?」
「文字通り! 兄ちゃんは身体ごとこの世界にやってきちまったってわけさ。異世界転移だっけ? 前の前の前の前の前の前の奴が言ってたね。……あ、ちょい待ち、前の前の前の前の前の前の前の前かも」
異世界転移。
私は、自分が今昏睡状態で、病院のベッドで生死の境をさまよっているのではないかと思った。檀家さんのお子さんがおもしろいとすすめてくれたネット小説で何度か目にした単語を、目の前の喋る頭蓋骨が発している。
「その、私のような人間が時折現れるのですか?」
「うん、来る来る。最近は割りと頻繁だね。こないだなんか馬鹿でかい鉄の鳥ごと落ちてきたからね」
鉄の鳥とは、飛行機のことか。そういえば、ニュースで旅客機が行方不明とか言っていたような。
「か、帰る方法は? 来た人間がいるのなら、帰った人間もいるのではありませんか…⁉」
「うぐぇ、シェイクしないでぇ……?」
思わずゆすぶってしまった頭蓋骨がつぶれた蛙のような声をあげる。
「俺が知る限り、ここに来た奴は誰一人戻ってきちゃいないね。そもそもこの現象は自然災害みたいなもんだし。でもま、よその国じゃあ国の危機に異世界の勇者を召喚するなんてこともしてるって聞いたけどぉ」
「ほ、本当ですか?」
実際に異世界人を呼び出す方法が確立されているなら、戻る方法もあるかもしれない。
「その国にはどうやって行けば……?」
「教えてやってもいいけど、俺のお願い、いっこ聞いてくれる?」
「ええ、もちろん。私にできることであれば」
頭蓋骨はわたしの手の中でカタカタと顎の骨を鳴らした。これは、喜んでいるのか。
「助かるぜ、アミーゴ! 他の誰に頼んでも嫌がっちまってさあ……。悲しいね、こんなにかわいい骨ちゃんのかわいいお願いなのに」
さすがに頭骨が喋ったら人間は怯えるものだと思うが、口には出さないでおいた。
「お願いってのはさ、俺の身体んトコまで連れてってほしいのよ」
「あなたの……身体ですか?」
「うんうん。マイセクシーボディ。場所はなんとなく分かるんだよね、なんてったって自分の身体だし。俺も首だけじゃあさすがにいろいろ困るっていうか。女の子デートに誘えないじゃん?」
「は、はあ……」
私は頭蓋骨に言われるまま、彼を抱えて草原を歩いた。見れば見るほどどこまでも続く光景に圧倒される。緩く弧を描いた地平線まで青々としているのだから、この草原は一体どれだけ広いのだろう。
「アミーゴはさ、何で帰りたいわけ?」
「へっ」
急に質問されて、その意味を理解しかねた私は間抜けな声を漏らした。
「ここに来た連中はさ、みんな大喜びで街へ行くんだよ。異世界人なんてすんばらしい恩恵を授かりまくってっからね。冒険者になったやつもいるし、王族お抱えの騎士になったやつもいるし。魔王軍を退けてお姫様嫁さんにもらったやつもいる」
「はあ……ほんとにそんなことがあるんですね」
「兄ちゃんもステータス確認してみたら? 帰ろうなんて気、無くなるかもよ」
ステータス確認。そんなこともできるのか。しかしながらやり方が分からない。
「右手を差し出して、念を込める。『鑑定』って心の中で唱えりゃいい」
「な、なるほど」
察してくれた頭蓋骨が教えてくれた通りに、彼を左腕で抱え直すと右手を差し出してみた。何の変哲もない自分の手のひらだ。そのまま、心の中で『鑑定』と唱えてみる。
手のひらが一瞬光って、目の前に画面が現れた。半透明のそこに項目がずらりと並んでいる。
『名前』リュウカン
『種族』異世界人
『年齢』34
『レベル』1
『攻撃力』50
『防御力』50
『魔力』0
『スキル』被信仰(0) 法力(10000)
攻撃力や防御力なんていかにもだが、頭蓋骨いわく「しょっきしょきの初期値」だそうだ。魔力に至ってはゼロ。
「ステータスに恵まれなかったんだねえ」
哀れみの滲んだ声に苦笑いをする。ぐっと手のひらを閉じると画面は消えた。それぞれの数値が初期値でも、まあ特に冒険をしたり魔王軍と戦ったりするつもりは毛頭ないので気にもならない。それより、スキルの被信仰とか、法力とかいう方が気になる。なぜ名前のあとに数字がついているのだろう。
「……先ほどの質問ですが。私は一人息子でして。私の他に家業を継ぐものがいないのです。同業者はどこも後継者問題に喘いでいて、父には私だけが希望だった。だから、私は帰らねばならないのです」
「ふうん。孝行息子ってやつなのね」
「まだ何もできていないのです、恥ずかしながら」
それからまたしばらく歩き、一つの岩の前に辿り着いた。私の身の丈をゆうに超すそこにもたれかかるように、一つ亡骸があった。錆びと埃で汚れてしまっているが、元は白銀の立派な鎧を身にまとった身体には首がない。
「ああ、あった……。俺の身体だ……」
驚くことに、亡骸を前にすると、頭蓋骨が手を離れ、ゆっくりと亡骸の方へ浮遊していった。あるべきものがあるべき場所に収まる。これで、彼の未練も晴れるだろうか。
「ああ、アミーゴ……。あんたには、本当に感謝してるんだ。本当だぜ。親切なあんたにもうひとつお願いがあるんだけどさ、死んでくれない?」
「はい?」
ざわっと周囲の気配が一変した。生臭いにおいが辺りを満たし、風はぬるくねばつく。首を取り戻した騎士が骨と鎧をぶつけながら立ち上がる。その眼光に赤黒い光が宿っている。
ああ、これは、よくないものだ。
「俺はさあ、なれなかったんだ。俺は勇者になれなかった、どれだけ努力しても誰かのために骨身を削って削って削りつくして、結局こんなところで死んで、地獄に落ちた。こんな魔物なんかに、なっちまった」
彼の名前を呼ぼうとして呼べないことに気づいた。私は彼の名を知らない。
「魔物になっちまったからには、殺さなきゃならない。俺に刻み付けられた恨み呪いそのすべてが人間を殺せと言ってる。魔物の役割を果たさなきゃあ、俺は魔物でさえない。じゃあ、俺はなんだ? 俺はどんな存在だ? 何者でもなくなっちまうだろ? そんなの、寂しいもんな?」
「……そうですね。それは、とても寂しい」
「あんたは優しいなあ。他の奴らもあんたくらいやさしかったらよかったのに。苦しませずに殺してやれたのに」
私は愕然とした。彼は、これがはじめてではないのだ。何度も何度もあんな寂しいところに首を転がして誰かを待ち続け、そしてそのたびに、何者かになろうとしている。
「私の信ずる教えでは、命は巡るものです。何度も生まれなおして、そのたびに違ういきものになって、生まれ出でたことに苦しみ続ける。それから逃れようと、考えて苦しんで、それでも次こそは、次の生こそはより良いものであるようにと祈る。はるか天にある浄土へ至れるようにと」
「より良いもの……? 違う、俺の知ってることと違う、一度こうなったらもう殺されるしかない」
「そんなことはありません。あってはならないと私は思う。私たちは命の輪の中にいる。その中で、光を目指すことは、すべての命の権利です」
「すべての、命の……」
身体の中から温かいものが溢れてくる。それに導かれるままに、私は彼に手を伸ばした。彼の携える槍は、私を殺さない。彼はうなだれ、その手から槍が滑り落ちた。彼の手が、すがるように伸ばされた。私はそれを握った。離すまいとして。
「あなたはあなたとして、その命を生きて良いのです。どれだけ苦しくても悲しくても、その生はあなただけのものだ。何物にも脅かされることのない、あなたの光への道です」
力強く握り返された手に、血が通った感触がした。彼の目はもう、暗く淀んではいない。清涼な青い光をたたえて私を見ていた。彼の身体から黒い靄が弾き出されて霧散した。
「俺はかつて、この国の騎士でした。戦に敗れ、打ち捨てられて、魔物になってしまった。それでも、俺は魔物ではなく、もっとより良いものになりたい。騎士だったころに目指した高みへ、至りたい。どうか、教え導いてください。あなたの言葉に、あなたの手に俺は救われた。俺はあなたの盾となり、槍となってあなたをお守り致します。俺を魔物ではなく、あなたの弟子として、生きさせてください」
私は彼に頷いた。そうしなければ、ならないような気がして。いや、違う。私が、そうしたかったのだ。
「では、俺に名前をください。俺として、もう一度生き直すために。新しい命を、生きるために」
私は短く息を吸い、命を吹き込むようにその言葉を口にした。
「真如。あなたの名は、真如です」
3
「てまあそんな感じでえ、俺とオシサマはマブダチになったわけ!」
マブダチというより師弟関係なのだが、いかんせん、弟子を持つことにいまだ違和感を覚える身からすると友達扱いされた方が気が楽だ。しかし、こうも真面目に聞き入られると気恥ずかしい。
私たちと、ジャミルという行商人の一行はオアシスの街に辿り着いた。検問で盗賊団を引き渡し、懸賞金をもらってしまったのだが、被害にあった人たちに渡してくれと断った。
さすがに大群のスケルトンたちを連れて行くと街の人々を驚かしてしまうので、彼らには街の入り口で待機してもらっている。
「リュウカン様は素晴らしい方ですね……。まさか言葉で魔物から邪気を祓うなんて」
勇者だというサーハスさんからきらきらとした目を向けられて、思わずまごついてしまう。
アンデッドと呼ばれる魔物たちを祓うということは、この世界では対象の消滅を意味する。聖職者たちは神の威光によってその対極にいる魔物を祓うのだが、文字通りの消し炭にしてしまうのだ。
だが、あのとき気にかかったスキルの『法力』は、彼らを魔物たらしめる邪気のみをのぞくことができる。それが分かったのはシンニョと旅をはじめてからだったが、今では両手でも数えきれないほどの弟子ができてしまった。
それから、『被信仰』。厄介なのはこちらの方で、あるとき思い立って自身を鑑定してみたときにやっと気づいた。
『スキル』被信仰(+9250) 法力(13500)
このスキル、どうにも弟子からの信仰によって攻撃力や防御力の数値が上乗せされるタイプらしいのだ。かつてはただ光るだけだった法力パンチも、今となっては巨木の幹をへし折ってしまうし、あの盗賊の頭のように人間を吹き飛ばしてしまう。
「……教祖になりたいわけではないのですが……」
「おうおうどうしたアミーゴ。こんなかわいこちゃんを前にして溜息なんて!」
「真如……」
サーハスさんは気まずそうに視線を落とす。耳が赤いが体調でも悪いのだろうか。
「リュウカン様は、今も、元の世界に戻る方法を探して旅をされているのですか?」
アーモンド型の目がこちらを見るので、檀家さんに対応するときの癖で、微笑みを浮かべてそれに答えた。
「ええ。そのつもりです」
「あの! でしたら、わたしの国にぜひいらしてください……! 我が国には、以前そうした異世界者の召喚を行って国の危機を救った歴史がありまして……」
「本当ですか? それは助かります。真如の言っていた国では、その、ちょっといろいろありましたもので……」
本当にいろいろあった。魔王軍と戦うとうそぶいて、王族が召喚者を使って他国に戦争をしかけていたり、召喚者が国を乗っ取ろうとしていたり。結局元の世界に戻すなんて考えそのものが無く、従ってそんな方法もなかったのだ。
「へへ、やった。じゃあ、街を出たらまたしばらくご一緒できますね」
そういって微笑む彼女は年相応の少女に見えた。勇者という肩書がなければ、一体どういう人生を歩んだのだろう。
「じゃあ、さっそくみんなにこのことを話してきます! みんなリュウカン様たちとご一緒できるの、絶対喜びます!」
サーハスさんは飛び跳ねるように、冒険者ギルドの方へ去っていった。
「あーあー。またあんなかわいい子を。オシサマって、ほんと罪深いよね」
「は?」
「あーらら、やっぱり自覚ないのね」
私の従魔ということにして共に街に入ることを許された真如が呆れたようにぐるりと目を回す。といっても、その眼光は空っぽなのだが。
「私の一体どこが罪深いのですか」
「だからぁ、オシサマ、その気もないのに女の子にやたら気を持たせるじゃない。十分罪深いでしょうよ」
「私がいつ気を持たせたのです⁉」
そもそも、女性とかかわる機会を逃したまま僧侶となり、会話をするといえば檀家さんの奥さんくらいだった私だ。気を持たせようとして持たせられるわけもない。父親にせっつかれる見合いさえ気が重かったのに。
「こないだだって、ダーマルで聖女隊のリーダー口説き落としたじゃん」
「口説いてなどおりませんが!」
私はただ、自分の教えを伝えただけだ。あなたと私の信ずるものは違うのだと。信ずるものの違うものに教えを強要してはならないと諭して、彼女は理解してくれた。
「聖女やめるとまで言った子にあんたね」
「はあ、もういいです。この話は終わり」
「また逃げるう」
「真如!」
「はいはい」
そのとき、街の入り口がざわついた。妙な胸騒ぎがして、私は振り返ってしまった。それが良くなかった。
「リュウカン様――‼」
かつて、教会を代表してアンデッドたちの討伐を行っていた聖女隊のリーダー――サンティさんがいる。なぜか、いる。ダーマルに残ったはずの彼女が、かつての白装束を脱ぎ捨て、冒険者と見まがう出で立ちでこちらに手を振っている。
「あーあ」
真如が「俺知らね」とそっぽを向くのと同時に、どすっと身体に衝撃が走った。金糸の髪がはらはらとそのうつくしい顔にかかる。まっすぐに私を見上げているサンティさんが、それはもう満面の笑みを浮かべて言った。
「わたくし、正式に聖女隊の任を降りてまいりましたの。それでずっとお探しして――もうだめかと思いましたわ」
「そ、そうですか。それはそれは……あの離れてくださいませんか」
「いやです! あれからもうずいぶん離れてしまいましたもの、絶対離しません」
やんわりと肩をつかんで引きはがそうとするが、その倍の力でしがみつかれてしまい、どうにもならない。真如に目で助けを求めるが、彼はそらみたことかと言わんばかりの視線を返すばかりだ。
「わたくし、もうとっくに覚悟はできています。さあ、リュウカン様のお嫁さんにしてくださいませ!」
今、何て言った。
「あの、私、妻を娶る予定はなくて……」
「だめです、私は神よりもリュウカン様のおそばにいると誓ってしまいましたの」
それが、私が彼女と結婚することと何の関係がある。私は今度こそ彼女を引きはがした。真如は呆れかえりながらも、私の腕をつかんで担ぎ上げてくれる。
「私は、いまだ天上に至れぬ身故、妻を迎えることはできません。失礼致します!」
「そんなッ! リュウカン様!」
真如がぐんぐん距離を引き離す。サンティさんも負けじと追ってくるが、この人込みではうまく身動きが取れないようだ。
「アミーゴ、逃げてるままじゃいつまでも追っかけてくるからね!」
真如は言う。
ギルドから出てきたサーハスさんたちと落ち合い、かなり無理を言ってすぐさま街を経つことになった。
サーハスさんたちと、私に真如、そしてスケルトンたち。かなり奇妙な集団だ。何度も背後を気にして、サンティさんが追いかけてくる気配がないのを確かめるとそっと息を吐く。
「これから、運河を渡って国境に向かいます。そこを越えたらもう我が国、ラビです!」
サーハスさんが方角を指差しながら教えてくれる。
太陽は分からず砂漠を照らし、はるかかなたにゆらめく逃げ水がある。
ラビ王国は、ここから半月ほどまっすぐ北西に進んだ先にあるそうだ。
幸いなことに、この旅程では大した魔物も現れず、盗賊にも襲われずに済んだ。そしてきっちり半月後に、私たちはラビ王国の国境を超えたのだ。
ラビ王国でも、魔王軍とのいざこざがあったり、サンティさんが追い付いてきたり、サーハスさんがパーティを解消してついてくると言い出したりしていろいろあるのだが、それはまた、別のお話だ。
ふと思いついて書き散らかしました。
長編にできる余地を残して書きましたが、他にも長編を並行して書いているので、ひとまず短編という形での投稿です。