第3話 選択
何もない白い空間、人形の気配の前で、俺は必死にこの空間で気がつく前のことを思い出していた。
普通ならこんな訳の分からない空間で、目に見えず気配だけの存在に、「あなたは死んだ」などと言われても信じはしない。
夢か何かだと思うだろう。
だが、その言葉に嘘がないこと、これが現実であることだけは、何故か分かる。俺は死んだ。これを否定できない。全く理解できないが、死を納得はしている。そんな奇妙な感覚だ。理解できないからだろうか、死んだことへの恐怖や哀しみ、怒りといった感情もわいてこない。
ただ気がつく前、生きていたときのことを思い出そうとしている。
どれだけ考えても思い出せるのは、高校の研修合宿に参加し、施設までのバスに乗りこみ、席に着いたことまで。
俺が思い出そうと無言で立っている間も、俺の前に気配は存在した。
だが、何も話しかけてこない。こちらのことをじっと見ているというような感じだ。
俺は顔をあげ、気配に尋ねる。
「どれだけ考えても思い出せない、私はどうやって死んだのですか?」
そんなことを気にする必要はないのに、なぜか丁寧な言葉を選んでしまう。
気配は、俺の質問に少し間をあけ答える。
「あなたは、乗っていたバスの事故でなくなりました。あなたがそのことを覚えていないのは、事故のときに眠っていたためです。事故は高速道路で起こり、何台もの車を巻き込んだひどいもので、あなたは即死でした。」男とも女とも分からない中性的な声で、とても穏やかに、それでいて何のためらいもなく告げられた。
あのバスが事故で? なら惟ねえは? 高速での即死するほどの事故? 助かったのか?
「自身の死を嘆く前に、気にするほど大切な存在のようですが、あなた以外のことを答えることはできません。」
俺が声に出して尋ねる前に、気配は再び穏やかに淡々と答えた。
声を出さずとも伝わっているようだが、そんなことはどうでもいい。
高速でのバス事故、即死した俺の隣にいた惟ねえ、無事ということはないだろう。万が一死んでいなかったとしても大きな怪我はおっているだろう。
そんな時に、俺は寝ていた?
自分自身への激しい怒りとも、後悔とも言える感情、呆れがうずまく。
五分なのか、一時間なのか分からない間、立ちつくしていた。
その間も気配は、俺の側にいた。声をかけてくる訳でもなく、ただいたようだ。
そのことに気がつき、少し落ち着きを取り戻した俺は、気配へと声を出し尋ねた。
「……それで、あなたは俺に死んだことを伝えるために、ここに?」
気配は、俺からの突然の質問に何事もなかったかのように答える。
「あなたが死んだことを理解していなくても、あなたの魂は死んだことを理解していました。ここは死を迎えた者が次の生へと向かう場所。ここにいるということは、魂が死を理解しているということなのです。私が説明しなくてもここに来た者は、直に死を受け入れ、次の場所へと向かいます。現に、あなたも私から死んだということを聞いても疑うことをしなかったでしょう? 」
確かに、なぜか納得はしていた。
「じゃあ、何でここに?」
気配は俺と会話をするためか、声を出して尋ねるまで待ってから答える。
「私はあなたに選んでもらうために来ました。」
「選ぶ?」
「はい。このまま輪廻の輪に加わるか、今のまま転生するかを、です。」
「その二つはなにがちがうんだ?」
気配の言うことが理解できずに尋ねる。
「輪廻とは、死者が浄化され、次の生を迎えることをいいます。この浄化とは、死者が自我をなくし、魂だけの存在になることをいいます。魂は次の世界へ運ばれ再び生をうけます。それは、人かもしれませんし、虫や動物、植物、あらゆる生の可能性があります。」
ここまでの説明に俺が頷くと、気配は続ける。
「転生とは、今のあなたの自我をもったまま別の世界で生をうけることです。この場合、再び生をうけますが、産まれた頃からやりなおすのではなく、今のあなたのままです。あなたの世界の概念では転移というものに近いかもせれません。」
つまり輪廻の輪に加わるというのは、俺という存在が魂だけになり、どこかで、何かに生まれかわるということ、転生は、今の俺のままどこかの世界でもう一度生きるということか?
「そうです。」と尋ねる前に気配は答える。
ここまでの説明だと、余程のことがない限りは転生を選ぶんじゃないのか? 自分を失い、何になるか分からないと言われて、そちらを選ぶ奴のほうが、圧倒的に少ないのでは?
……いや、高齢で死んだりすれば転生は選らばないのか?
などと考えていると、再び気配が答える。
「通常、このような選択はありません。死者は輪廻の輪に加わるのみです。」
じゃあ、なぜ俺には転生という選択肢が?
「あなたの死が、ある世界への転生とタイミングが一致したからです。」
再び俺が疑問に思うと、気配が続ける。
「そもそも転生で向かう世界というのは一つです。そこは輪廻の輪において、特別な世界。浄化によって、死者から取りだされた自我、つまり欲望や経験、記憶が集まる世界なのです。その世界では、集まった自我が、迷宮という形になり存在します。そして、その世界で生きる人々はその迷宮を糧に生活しています。彼らが迷宮を攻略し、糧にすることによって、初めて自我は消化されます。」
自我が迷宮に? それに何故その世界の住人だけが、自我? を消化できるんだ?
説明を聞けば聞くほど、疑問がわいてくる。
気配は説明を続ける。
「そもそもそこは、一つの普通の世界でした。創造を司る者が生をつくり増えていくと、輪廻の輪で浄化され溢れた自我が、その世界に集まり、変異し迷宮という形になりました。そして、迷宮が増え続け、その世界自体が崩壊しかけたのです。その世界が崩壊すれば、溢れた自我により輪廻の輪も崩壊し、全ての魂、生ある者は消滅します。それを防ぐために、その世界へ輪廻の輪から外れた転生という形で、魂を送ることにしたのです。転生をした者は、輪廻の輪から外れた存在であるが故に自我を吸収、消化することができるのです。今、その世界に生きる者たちは、転生した者たちの子孫であり、迷宮を糧とし、自我を消化できますが、時折その力が足りなくなるのです。なので、その時に他の世界で死を迎えた者をその世界へと転生させているのです。」
そのタイミングが一致したために、俺には選択肢が与えられたということか。
じゃあ、転生した者がその世界で死んだときは、どうなるんだ?
「一度、輪廻の輪を外れた者は、戻ることはできません。消滅します。」と気配は、変わらずに淡々と答える。
やはりそうか。何のデメリットもなしに転生ができるのならどんどん転生させればいい。
それをしないのは、何かデメリットがあると思ったが。
俺は、気配の方を見る。
「元々そこまで説明するつもりでした。その上で、あなたには選んでもらいます。」
転生をさせたいならデメリットは説明しない方がいい。全てを説明した上で、選択させるということか。
「それともう一つ」と、初めてこちらの質問なしにつけ加えてくる。
「転生を選んだ場合には、あなたの前世で親しい人たちに別れをつげることができます。転生すれば、二度とその人たちの魂と再会することはありません。……もっとも、輪廻の輪によって再会しても自我はありませんので、互いに気づくことはありませんが。」
そこまで話すと、気配がこちらを向きなおしたように感じた。そして、
「マツナガ ソウさん、あなたはどちらを選択しますか?」
俺は……