第12話 生活基盤
迷宮から出るとすでに日がのぼっていた。分析スキルのタイマーから考えると七刻前くらいのはずだ。大通りの方へ向かうと、すでに探索者らしき人が歩いていて、屋台も何軒か出ている。これから迷宮へ向かう人が多いのだろう。
屋台からはいい匂いがしてくる。迷宮の中を歩いて魔物と戦ってと、疲労もあるが、とにかく空腹だ。屋台で何か買って食べたいが、その前にスモールボアの肉を何とかしないといけない。一応ペリーアの葉に包んでいるが、長くはもたないだろう。腐らせてしまっては、苦労して解体した意味がない。
迷宮から持ち帰ったものは、ギルドで買いとってもらえるとのことだったので、ギルドに向かう。
ギルドに向かう途中、まわりの店より大きな二階建ての店からいい匂いがしてきた。〈木漏れ日亭〉と看板がでている。宿のようで、一階部分が食堂になっているようだ。今すぐ入りたい思いを抑えて、店の方を見ながら通りすぎようとしていると、ちょうど中から人が出てきて、目があった。
「あなたは、確かホーマーさんのところで……」店から出てきて、話しかけてきたのは、ホーマーさんにホーンラビットの解体を依頼していた人だった。確かテートさんだったか?
「はい、ソウと言います。昨日はギルドで依頼を受けて、ホーマーさんの手伝いをさせてもらいました。」俺が自己紹介すると、「そうでしたか、私はテートと言います。この宿を営んでおります。昨日はあなたの手伝いがなければ間に合わなかっただろうと聞いています。ありがとうございました。」とお礼を言われた。
「いえ、俺は仕事を受けてのことですし、大して役にたってないと思うので。」
「ホーマーさんはお世辞を言うような方ではないですよ。あなたがいたから間に合ったというのは、本当のことでしょう。」と笑顔で言われた。
ホーマーさん本人にも言われたが、少しは役にたったらしい。
「おかげで、お客様は満足されて、先程出発されました。」
「じゃあ、この匂いは? 他にもお客さんがいたんですね? 」ホーマーさんからは、部屋が全てうまる程の予約と聞いていたが、他にもお客さんがいたらしい。
「ああ、うちは食堂もかねているんですよ。というか、食堂として利用されるお客様の方が多いですね。」
テートさんいわく、村と村を移動して迷宮に入るような探索者や商人が利用するくらいで、宿としての利用は少ないらしく、朝、昼、晩の食事を求めてくる人がほとんどらしい。
「それで、美味しそうな匂いがしてくるんですね。」
「よかったら利用して行ってください。」
「そうしたいんですが、解体した肉があるので、先にギルドに行かなければならないんです。」
「解体した肉ですか? 」とテートさんは不思議そうに聞いてくる。
「はい、さっき迷宮から帰ってきたので。」
「えっ? 失礼ですが、ソウさんは転生者ですよね? もう泊まりで迷宮に? 」と驚いた顔をしながら聞かれた。
「いえ、その……夜中に迷宮に入ったもので。」そう言えば、普通は夜中に迷宮には入らないんだったと思い出した。初めて一人で迷宮に入って、どこか興奮していたのか、時間のことを忘れていた。
「夜中に迷宮に? 転生者の方は夜に行動するのですか? 」テートさんはますます驚いている。
「ああ、いえ、……俺だけだと思います。夜型なんです、俺。」この世界で夜型と言うのが伝わるのか分からないが、他にごまかす言葉が思いつかなかった。
「えっ、じゃあ一人で迷宮に入って、魔物を解体したのですか? 」
やはり、一人で迷宮に入る新人は珍しいらしい。
「はい、ソロなので。」
俺が答えるとテートさんは、少し考えてから真剣な顔で「失礼ですが、解体したという魔物の肉を見せて頂いてもいいですか? 」と聞いてきた。
「えっ? いいですけど……」俺は背負い袋からペリーアの葉に包まれた肉を取り出す。テートさんは、それを受けとると葉を広げて、肉を見る。
「これは、スモールボアですか。どれくらいの量あるのですか? 」肉を観察するように見ながらテートさんが尋ねてくる。「二頭分ですけど。」と俺が答えると、テートさんはまた少し考えてから、「銅貨十二枚で買い取らせていただけませんか? 」と言ってきた。
「えっ? 」今度は俺が驚く。
「少し解体は荒いですが、質には問題ありません。買取りの価格について不安ならギルドで確認して頂いて構いません。」
「あっ、いえ、値段は問題ありません。直接買取ってもらえるんですね。」
昨日、ジムさんはスモールボアの肉は銅貨八枚くらいになると言っていたが、ホーマーさんによると、それは皮や内臓も含めた金額らしい。俺が持ち帰られる量には限りがあるので、一頭あたり銅貨五枚になればいいと思っていた。
それよりも迷宮から持ち帰ったものは、全てギルドに売るものと思っていた。ギルドに売却するものは、売却時に手数料が引かれている。この手数料と素材の転売による利益がギルドの収入源だ。
「魔石はギルドを通してしか売買してはいけないことになっていますが、それ以外の素材については探索者の自由です。ギルド以外で売却すれば手数料分高く売ることができます。ただ、ギルドを通さずに売却するには、直接買取る人間と交渉しないといけません。価格の相場や変動、素材自体の知識がないと騙されることもあります。」
生活に欠かせず、全ての魔物からとれる魔石の売買でギルドは確実に利益が出せるので、それ以外は探索者の自由でもいいわけだ。他の素材についても、買い取ってくれるあてや交渉のことを考えると、ギルドで売買するものが多いのかもしれない。
「それなら、お願いします。」
「はい、ありがとうございます。スモールボアの肉は安価で提供できますので、需要は多いんですよ。今後も肉があれば寄っていただけますか? これくらいの量ならうちで買取りさせていただきたいのですが。」
「はい、よろしくお願いします。」こちらとしても買取り先が見つかり助かる。それに、丁寧に説明してくれたことからも、テートさんがいい人なのがよく分かる。
取引が成立したところで、俺の腹が盛大になる。
「すいません、何か食べさせてもらえますか?」
「どうぞ。」ははっと笑いながらテートさんが食堂の方へ案内してくれる。
食堂では、薦められたパンとスープ、ホーンラビットのステーキのセットを頼んだ。ホーンラビットのステーキは分厚いが柔らかく、かかっているソースが肉とよくあっており、ボリュームはあったが、ペロリとたいらげた。これで銅貨七枚ならお得だと思う。
食べ終わった後、テートさんは素材の買取り先や探索者がよく使う店について教えてくれた。
テートさんにお礼を言って宿を出て、教えてもらった薬屋に向かう。シードの種を買い取ってもらうためだ。木漏れ日亭を出て、大通りを挟んだ反対側の少し細い路地に入って、十分程歩いたところにある小さな店、店名は出ていないが、すり鉢とすり棒のようなマークの看板が出ているので間違いないだろう。
扉をあけ中に入ると、すぐカウンターになっており、そのカウンターには、とんがり帽子こそかぶっていないが黒のローブを着た、いかにも魔女
といった感じの老婆が座っていた。
「おや、珍しいね。知らない子が一人で来るのは。」と俺を見るなり、老婆は言う。
「ソウと言います。テートさんに教えて頂きました。」
「テートの坊やが? お前さん、転生者だろ? 」
「はい。」俺が答えると、老婆はしばらく俺を見て、「あたしゃ、ロジーナ。今日は何の用だい? 」
「シードの種を買い取ってほしくて来ました。」
俺はシードの種を取り出す。
「シードの種? それだけかい? 」ロジーナさんは、意外そうに聞いてくる。
「はい、そうですけど…… 」
「ふむ。あんたよほどテートの坊やに気にいられたようだね。あの子は、探索者としては大したことなかったが、商人として人を見る目はある。」
テートさん、探索者をしていたのか。それにしても特に気にいられるようなことをした覚えはないが。
「気にいられたんですかね? 肉を買ってもらっただけなんですが……」
「ここを教えたということは、そういうことさ。シードの種だったね、二つで銅貨十二枚でいいかい? 」
「はい、ありがとうございます。」俺は頭を下げる。
「ふふっ、礼儀ただしい子だね。薬の材料になりそうなものがあったら、また持っておいで。」
「はい、よろしくお願いします。」
ロジーナさんの店を出てからは、大通り付近の店を見てまわる。そろそろ生活に必要なものを揃えたい。一ヶ月で家は出るつもりなので、多くは必要ないが、服や下着なんかは、替えが必要だ。
立ち寄った店は、日用品全般を扱うところだった。かけ出しの探索者用なのか、質よりも値段の安さが売りといったものが多い。
俺は、替えの下着を三枚と上下セットの服を二着、タオルがわりの布を二枚買う。服と下着はどちらも麻のような生地でできており、下着はトランクスのような形で、服は白っぽいゆったりとしたシャツとパンツだ。下着が一枚銅貨五枚、服が上下セットで銅貨十五枚、タオルが一枚銅貨三枚だった。他に、この世界の歯ブラシといえる、棒に木の皮のようなものがついたものと、服を洗う洗剤がわりの白っぽい石のようなものをそれぞれ銅貨五枚で買う。
次に探索者用の品が置いてある店に向かう。これから迷宮に向かう準備なのか、数名の探索者らしき人たちが買い物をしている。
テートさんいわく、ここは探索者用の品を広く、浅く置いているらしい。
例えば、剣や槍も置いているが、専門の鍛治師の店に比べれば、その質は下の下。その分、値段は安く、探索者に必要なものを一通りそろえるにはちょうどいいとのことだった。
ここで靴を銅貨二十五枚で買った。今の俺にとってはかなり高価だが、迷宮内での移動と戦闘を考えると、靴はしっかりしたものの方がいい。
他に、ギルドでもらった水筒と同じサイズのものを銅貨七枚で、その倍入る大きなものを銅貨十二枚で買った。これで予定していたものは、大体揃ったのだが、店内を見ていると砥石と火打ち石
が売っていたので、これらも買った。砥石は、銅貨八枚、火打ち石は銅貨六枚だった。
残金、銅貨八十一枚。
転生後、三日目にして所持金の半分以上の金を使ったが、必要なものばかりだ。
買い物を終えて店を出ると、十一刻を過ぎていた。前世では、見たことのないものも多く、あれこれ見ているうちにずいぶんかかってしまった。
大通りを進んで、ギルドに向かう。途中、いろいろな店の前を通る。外から見ただけでは、何の店か分からないものが、いくつかある。その中でも特に目をひいたのが、人の横顔の看板を掲げた店だった。他の店の倍以上の敷地に二階建て、つくりもしっかりしているように見える。
気になったが、今入ったところでお金もないので、ギルドに向かう。
ギルドに着くと、人はそれ程多くなかった。もう少ししたら朝から探索に出た人たちが戻る頃だろう。
俺はこれから受けられる依頼がないかを確認しに、掲示板に向かう。
この時間だとすぐに受けれる仕事はあまり残っていない。何枚かの依頼書を見て、気になるものを見つける。
下水掃除、三時間で報酬銅貨十八枚。
かけ出しの探索者が依頼だけで稼ぐとしたら一日銅貨二十枚くらいなので、かなり報酬がいい。なのに残っているということは、危険な仕事なのか?
カウンターで確認するため、依頼書を持って向かう。カウンターにいたのは、エラさんだった。
「この仕事について聞きたいことがあるんですけど、いいですか? 」
「はい、いいですよ。でもその前に昨日の仕事の報酬は受け取りましたか、ソウさん? 」
「あっ、そう言えばまだでした。」
言われて、俺はホーマーさんからの依頼書を取り出す。
「……はい、確認しました。どうぞ、銅貨七枚です。」
「はい、ありがとうございます。」
エラさんは、クスクス笑いながら「報酬をもらい忘れる人は珍しいですよ。」と言う。
俺としては、解体を教わることができた上に、食事までご馳走になったので、全く仕事という感じがしなかったのだ。
そんな俺を微笑ましそうに見た後、「あぁ、すいません、依頼のお話しでしたね。」と、エラさんは、俺から依頼書を受けとる。
「この依頼って何でこんなに報酬がいいんですか? 」
エラさんは、俺の質問を受けて苦笑いし、ためらいがちに答える。
「これ、匂うんです。」
「えっ? 」思わず聞き返す。
「下水に残っている汚れを掃除するので……」
エラさんによると、この世界の下水は、魔石を使って水を流しているのだが、前世のように科学技術で整備されているわけではないので、人の手で汚れを除去しないといけないらしい。が、その匂いは凄まじく、報酬がらよくても依頼を受ける人が少ないらしい。
「どうしますか? 」
「うーん……」
俺は悩んだ末に受けることにした。買い物で随分金を使ったし、この世界で辛いと言われる仕事がどんなものか知っておこうと思ったからだ。
結果……
もの凄く辛かったです。途中何度も何で受けたんだろうと後悔しました。
俺は依頼を終え、全速力で大浴場に向かった。掃除自体は専用の服を着て行ったが、体についた匂いが……
風呂を終えて、家へ帰る途中、屋台や店の前を通るが、食欲は湧かず、パンだけ買った。
家へ帰りついて、疲れていたが服を洗う。買った洗剤を使いきる勢いで洗う。
そのついでに剣と解体用のナイフも研いでみた。
特に剣は、戦闘での生命線となるので大事にしなければいけない。
そこまで終えて、横になる。下水掃除にやられたのか、パンも食べずに眠りについた。