王女の前世
前世の私は、よくいる普通の会社員だった。
朝仕事に出て、夕方に自宅に戻る。ブラック企業だーの過労死だーのが叫ばれる現代にしては、労働者に優しい会社だったと思う。
そんな私の毎日の喜びは、はまっている乙女ゲーム「セルリアンの恋人たち」をプレイすることである。
乙女ゲームが大好きな友達が、「これ、有名声優もたくさん起用されていて、ボイス聞くだけでも最高だから!」と言っていたのでアプリをダウンロードしてみた。
もともとアプリゲームも乙女ゲームをしない私からすれば、電気代だけでできるし暇つぶしくらいにはなるかなぁ、と思って始めた。
このゲームはセルリアン王国という架空の王国が舞台で、主人公は最近存在が明らかになった田舎育ちの王女様。デフォルト名がエレオノーラだ。
思いがけず王族の一員になってとまどう彼女を、騎士や官僚、従兄である王子、教育係などがチヤホヤしてくれるというお話なのだけれど、私は攻略対象の一人の沼に嵌ってしまった。
それは、隣国バルトロメの皇子であるアルベリック。
自国の繁栄を第一に考える彼は、野心家で残虐な性格をしているけれどなかなか憎めないところがある。吟遊詩人に扮して主人公との接点と取ろうとするときの彼は優しい敬語口調で、正体がばれると俺様な本来の性格をあらわにする。
彼の容姿とサンプルボイスを聞いてなんとなくルート決定した私だけど、ストーリーを読み進めるうちにガチで嵌ってしまった。
普通に遊ぶだけなら無課金で済むのに、彼の特別なスチルを見たりボイスを聞いたりするために課金に手を出し、イベント時には課金して特別ストーリーを読み、期間限定ボイスが売り出されたら即刻課金し――
おかげさまで、彼一人のために私は結構な金額課金した。
だが、一切後悔していない。
私にアプリを勧めた友達に相談したところ、「わかりみが深い。アル様沼マジ底なし。いくらでも注ぎ込める」とのお返事をいただいた。
彼の美麗スチルと色っぽいボイスのおかげで仕事で疲れた私の気力と体力は一気に回復され、毎日を快適に過ごすことができている。ついつい通販で買ってしまったポスター(B3サイズ)をデスクの前に飾っているおかげで、毎日彼のご尊顔を拝見できている。
何よりもこのアルベリックというキャラ、声がすさまじく良い。
声優には特に関心のなかった私だけど、アルベリックに落ちてからは彼を担当する声優にまで興味を持つようになった。声優さんのボイスドラマCDも買い、とろとろに甘いボイスを幾度となく再生している。
我ながら痛いオタクになっちまったと思っている。
だが、一切後悔していない。
そんな私だけど――三十歳を待たずに人生に幕を下ろした。
死因については、なぜか思い出せない。あまり痛い思いをした気がしないから、安楽死だったのだろうか……分からないけれど、とにかく私は死んだ。
――という前世の記憶を、奇しくも私はバルトロメ帝国との会談直前に思い出したのだ。いきなり「うわぁぁぁぁ」と声を上げて皆を驚かせてしまったものだ。
私が、吟遊詩人として現れたアル――アルベリック皇子の企みや正体に鋭く気づいたのは、前世で彼のルートをクリアしているからだ。ちなみに「セルリアンの恋人たち」には各キャラごとに三つエンディングがある。アルベリックルートの場合、王女と婿としてセルリアンで暮らすルートと、皇帝と皇妃としてバルトロメで暮らすルートと、全ての身分を捨てて平民として暮らすルートがある。
どのルートも大変すばらしいシナリオで、スチルもボイスも言うことなしなのだけれど、「アルベリックがセルリアン掌握を狙う」というのは共通している。
彼の攻略はばっちり、台詞もしっかり覚えてるというすさまじいオタっぷりだった私は、アルベリックの企みに気づいてしまったのだ。我ながらたちが悪いと思うのは、中途半端にしか記憶が戻っていなかったというところ。
アルベリックルートをクリア済みの私は、前世の記憶の大半よりも攻略情報やゲーム内での台詞だけを先行して思い出してしまったのだ。そうして、なぜか分からないけれどアルベリックの企みが見えてしまったエレオノーラは、セルリアン王国を守るためにアルベリックやバルトロメ帝国の侵略を阻止してしまった。
本来なら、エレオノーラはアルベリックとの交流の中で懐疑心を抱いたり騙されたりすれ違ったりしながら彼の本心に触れていった結果、どのルートにしても彼と結ばれるのだ。それなのに中途半端に攻略内容を思い出したがために、いろんな過程をすっ飛ばしてバルトロメ制圧という流れになろうとしている。
これは、まずい。
バルトロメ皇帝がどんな人間か、私はよく知っている。
そしてそれ以上に、アルベリック皇子という人の本性も分かっていた。
彼は冷酷で目的のためなら手段や他人の犠牲をいとわないような人物だけど、心の底では父皇帝に認められたい、と願っている。さらに期間限定イベントストーリーによって、独占欲と束縛心が強い反面、甘え下手な面があって何とも胸きゅんな彼の素顔が明らかになったのだ。
それなのに、このままだと彼は皇帝によって処刑されてしまうだろう。
推しキャラであるアルベリックを守りたい。それに、セルリアン王国だって大事だ。
何も失うことなく、会談を終了させるには――
「アルベリック皇子を、わたくしにくださいませんか」
私の発言により、会談の場は水を打ったように静まりかえった。
無言で目を伏せていたアルベリック皇子も、息子のしでかしたことに怒り心頭の皇帝も、どのように事を運ぼうか思案中の伯父様――国王陛下も、王太子として同席していた従兄王子――彼も攻略対象だ――も、きょとんとして私を見上げてくる。
私は口元を孔雀羽根の扇子で慎ましく隠しながら、皆の顔を順に見やる。
「伯父様は常々、わたくしの結婚相手には誰がよろしいかと仰せになっていましたね。わたくしとしては是非、アルベリック皇子を婿に迎えとうございます」
「エレオノーラ……いったい何を?」
困惑気味の声を上げたのは、従兄王子だった。
私より五歳年上の正当派王子様キャラの彼は、私を気遣わしげに見つめてきた。
「君がアルベリック皇子を婿に望んでいるなんて、今まで一度も聞いたことがない。一時の気の迷いではないのか?」
「……確かに。いきなり何を言い出すのだ、エレオノーラ」
国王陛下も眉根を寄せて私に問うてくるので、私は微笑んで言った。
「確かについ先ほど思いついたばかりですが……セルリアンにとってもバルトロメにとっても悪い話ではないと思います。それに伯父様は、何でも願いを叶えてくださるとおっしゃったではありませんか」
国王陛下は会談を取り付けた際、私の功績をほめてくださった。そして、「何か願いでもあるならば叶えてあげよう」と言っていたのだ。
陛下は渋い顔をしていた。「何でも叶える」といった手前ではあるがやっぱり、妹の忘れ形見である私の婿に敵国の皇子――しかもセルリアンを嵌めようとして失敗したという前科あり――をあてがうというのは不満も多いだろう。
それでも、私は必死になって皆を説得した。このままだと、推しキャラが処刑されかねない。そんな結果を招いてしまったのは、不可抗力とはいえ私が中途半端に前世の知識を思い出していたからだ。
結果、陛下や従兄は渋々ながらも、そして皇帝は感情の読めない顔で承諾してくれた。皇帝は、「二度とバルトロメに戻ってくるな」とアルベリック皇子に冷たく言い放ち、会談の間発言の許可を与えられなかった皇子は複雑なまなざしでじっと私を見ていたのだった。