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敵国皇子の微笑

「こんにちは、アル。そちらに座ってくださいな」


 騎士に促されて渋々王女の部屋を訪れたアルベリックを、エレオノーラは柔らかい笑顔で出迎えた。


 肩先までの長さの髪は、柔らかな亜麻色。高貴な身分の女性としては哀れなほど髪が短いのは、彼女が一年前まで田舎娘であり、日光のもとで農作業をしたために傷んでしまっていた髪を切ったからだった。

 ほんの少したれ気味の目は茶色。小さな唇の割りによくしゃべり、これまた田舎娘だったからか王女という割には体格がしっかりしている。


 近頃の若い女性は胸元を大きく開いたドレスを好んで着る。王女も初めて出会った半年前は胸の谷間までしっかり見えるようなドレスを着ていたはずだが、ここ数ヶ月で気分が変わったらしい。今はのど元まで慎ましく隠すようなドレスを着ていた。


 王女の部屋には、騎士や侍女たちが待ちかまえていた。王女と違い、彼らはアルベリックに対して警戒心を解ききるには至っておらず、無言で入室したアルベリックをにらむように見つめてきていた。


 アルベリックと王女がそれぞれ席に着くと、侍女たちがお茶の仕度を始める。

 アルベリック唯一の仕事の始まりだ。


「今日はですね、アルにこれを読んでもらいたいのです」


 そう言って王女が差し出してきたものを見て、アルベリックはあからさまに顔をしかめた。


「……またそのくだらん読み物か」

「くだらなくありません。さあ、今日はこの赤いラインを引いた箇所を読んでください。いつも通り、感情たっぷりに、ですよ」


 嫌みも一蹴され、アルベリックは王女に本を押しつけられた。渋々受け取ったその表紙には、ちまたでも人気だという冒険ファンタジー小説のタイトルが記されていた。

 最近、王女はやたらアルベリックに本を読ませたがる。嫌々読もうものなら「もっと感情を込めて」と注文をつけられる。やけになって感情たっぷりに読むアルベリックを、王女は身動きひとつせずに見つめてくるのだ。これはいったい、どういう罰なのだろうか。


「……私はエメラルド王国の騎士、ギルバート。此度私は国王陛下からの命を受けて――」


 不服ではあるが、王女の命令通り感情を込めて読み上げる。

 本の朗読なんて、婿になるまでやったことがない。だが吟遊詩人時代に鍛えた歌唱力と持ち前の甘いテノールの声色、そして何でも器用にこなすという天才肌ゆえ、彼は王女の命令を華麗にこなしてみせたのだった。


 今日も王女は、目をきらきら輝かせてアルベリックに見入っている。その頬はほんのり赤く染まっており、唇からはたびたび艶めかしいため息が漏れている。


 アルベリックは思う。

 俺はいったい、何をしているのだろう、と。












 本の朗読の後、お茶を飲みつつ王女と「おしゃべり」をする。

 どうやら王女は自分がしゃべりたいのではなく、アルベリックの言葉を聞きたいらしく、彼にあれこれ質問してくる。アルベリックとしては事務的に受け答えしているだけなのだが、それでも王女はとても嬉しそうだ。そしてお茶会終了の時間になると必ず、「今日もとっても楽しかったです。また明日も来てくださいね」と言うのだ。


 自室に戻ったアルベリックはソファに座り、ため息をついた。


 王女と結婚して一月。

 妻の考えていることが全く分からない。


 結婚初夜に宣言したとおり、よそに女性でも囲ってやろうと思った。最初の十日ほどはあちこち遊び歩いては女性に手を出してきたのだが、だんだんそれもむなしくなってきた。

 アルベリックが外泊しようと女性の匂いをまとわせようと、王女は何も言わないのだ。さすがに驚いたような顔はするが、「今日もおしゃべりしましょうね」で終わってしまうのだ。


 おもしろくない。

 この王女ならおもしろいことになりそうだと思ったのに、全くおもしろくない。


「アルベリック様」


 物思いをしていたアルベリックは、名を呼ばれて首だけそちらに向けた。そこには、バルトロメから連れてきた護衛が待機していた。


「……何かあったか」

「ご報告がございます。先ほどのお茶会の後、エレオノーラ王女が侍女と一緒になにやら興味深い話をしておりますのを耳にしました」


 護衛は表情ひとつ変えずにそう言った。

 彼は護衛としてはもちろん、密偵としても非常に頼りになる。半年前の作戦は潰えてしまったが、それまでにもアルベリックは彼と一緒に何度も作戦を練ってきた信頼できる部下である。


 アルベリックは身を起こし、手招きをして護衛を呼んだ。


「……申せ」

「はい。先ほど侍女が王女に、なぜアルベリック殿下に睦言を求めないのかと問うていました」


 護衛の言葉に、ふむ、とアルベリックは目を細める。

 侍女としては、王女がいつまでもアルベリックと「おしゃべり」やら本の朗読やらしかさせないことに疑問を感じていたのだろう。しかも王女が指定する本はどれも、軍記物や歴史物だ。見るだけでのどの奥がカリカリしてくるような恋愛物を読まされたことも、愛を囁けなどとも命じられたことはない。


「王女は、俺のことなどおもちゃ程度にしか思っていないのだろう」

「どうやらそうではなさそうです」

「……何?」

「王女の返答は切れ切れだったので細部までは聞き取れませんでしたが、王女曰く、アルベリック様が愛を囁くようなことがあれば、自分は死んでしまうだろうとのことです」

「……死ぬ?」

「はい。確かに」


 アルベリックは目を見開く。

 自分が甘い言葉でも囁こうものなら、王女は死ぬ?


「死ぬ、といっても本当に死ぬわけではあるまい」

「そうですね。だとすれば、比喩的な表現かと。どういう類の比喩なのかは分かりませんが」

「……俺が愛の言葉を囁けば、王女は死ぬ――とな」


 そうつぶやくアルベリックの口の端はゆがみ、酷薄な笑みを浮かべていた。











 翌日、アルベリックは王女からの呼び出しがある前に、妻の部屋を訪れた。


「珍しいですね、アルから来てくださるなんて」


 侍女や騎士たちは急な来訪に憤慨していたが、王女は少しだけ驚いた様子だったがすぐに笑顔で応じてくれた。

 無言で部屋に入ったアルベリックは、自分の正面でにこにこしている王女を見つめる。

 いつもぽややんとしているくせに、アルベリックの前では決して自分のペースを崩さない王女。


 アルベリックは一歩前に出た。

 王女が首をかしげたため首筋に触れ、一気にその体を抱き寄せ――


「……愛しています。私だけのエリー」


 耳元でそう囁いてみた。

 護衛の言葉によれば、王女はアルベリックの甘い言葉を聞けば死んでしまうとのこと。せっかくだから、吟遊詩人時代に呼んでいた愛称を使って試してみよう。そう思っての行動だった。


 根限り甘くて優しい声で囁いてみたが、王女は何も言わない。それどころか、びくとも動かない。

 失敗しただろうか。そう思ってアルベリックは体を離してみたのだが――


「あ……」


 アルベリックの目と、王女の目がぶつかる。

 王女の目は限界まで見開かれており、その頬は真っ赤だ。


 アルベリックは王女の反応を見て一瞬だけ不意を突かれたがすぐに笑みを浮かべ、もう片方の手でそっと王女の腰を撫でつつ再び唇を耳元に寄せた。


「どうしましたか? 私の愛しい人」

「う……」

「エリー?」

「……きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 とたん、のどかな午前の空気を切り裂かんばかりの悲鳴が上がった。

 限界まで真っ赤になった王女は悲鳴を上げながらアルベリックの腕を振り解き、全速力で寝室に駆け込んでしまった。あわてて侍女たちが王女の後を追いかけ、騎士たちがおろおろし、王女の部屋は大混乱に包まれる。


「エレオノーラ様!?」

「姫様、大丈夫ですか!?」

「エレオノーラ様ぁぁぁぁ!」


 大混乱の部屋の中を見渡し、アルベリックはふっと小さく笑った。


 やはり、「死ぬ」というのはあくまでも比喩だったのだろう。

 だが――


「……これは、おもしろい」


 皇子は薄く、妖艶に笑ったのだった。

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