敵国皇子の怒り
エレオノーラ王女の爆弾発言は、その場にいた全ての者を驚かせた。
セルリアン王としては、未然に防げたものの自国を壊滅に導こうとしていた敵国皇子の存在を許すことはできない。バルトロメ皇帝としては、侵略作戦をしくじった結果こうして自分たちにとって不利な会談を行う理由になってしまった息子を生かしてはおくつもりはない。
そんな中、此度すさまじい成果をたてた王女は、「皇子を自分にくれ」と言うのだ。
三者三様、様々な意見が飛び交った。だが、セルリアンに心臓を握られているバルトロメは強く言える立場ではない。殺すつもりだった息子を差し出すことで難を逃れられるのなら拒否する必要もないだろう。
セルリアン王としても自国を救ってくれた姪の願いならかなえてやりたいし、これで皇子を監視下に置けるなら悪くない。
そういうわけで、アルベリック本人の意見などは全く無視されて、「バルトロメ帝国皇子アルベリックがセルリアン王国王女エレオノーラの婿になる」ということで話がまとまってしまったのだった。
厄介払いとばかりに自国から押しやられたアルベリックは、わずかな護衛のみを連れてセルリアンに渡った。このときの彼はかなり自暴自棄になっており、毎夜ご奉仕して王女を満足させればいいのだろうと投げやりに考えていた。
だがいざ結婚してみると、ベッドに座った王女は「わたくしは、あなたに特別なことは命じません」とのたまったのだ。
純白のナイトドレスをまとう王女をどのようにして悦ばせようかと考えていた彼は、妻の言葉に眉根を寄せた。
「特別なことって……おまえにご奉仕すればいいのではないのか?」
「ご奉仕?」
あろうことか、王女はきょとんとしてアルベリックの言葉を反芻した。
まさか閨の作法を知らないのか――と思ったのは一瞬のことで、王女ははっと目を見開くと白皙の頬をほんのり赤く染めた。
「そ、そのようなことを仰せにならないでください!」
「は? なぜ?」
「だって……恥ずかしいではありませんか」
そう言ってアルベリックから顔を背ける王女。
――これは、いったい何者だ?
この女は本当に、アルベリックの企み全てを見抜きバルトロメ帝国を追いつめたあの王女なのか?
会談の場でも父皇帝の威圧にいっさい動じることなくもの申した王女が、「恥ずかしい」だと?
王女はしばらくの間照れていたようだが、しばらくして気を取り直した様子で咳払いし、アルベリックに向き直った。
「アルベリック殿下――いえ、あなたが吟遊詩人でいらした頃のように、アルと呼んでもよろしいでしょうか?」
「……好きにしろ」
「分かりました、アル。……わたくしがあなたにお願いしたいのは、一つだけです」
王女はナイトドレスのスカート部分をそっと撫で、澄んだ茶色の瞳でアルベリックを見つめてきた。
「わたくしと最低でも一日一回、お話をしてください」
「……お話?」
「ええ。おしゃべり、といったところでしょうか」
「おしゃべり」
「はい。特別なことを話せとは申しません。愛を囁けとも言いません。ただ、必ず毎日わたくしとのおしゃべりの時間を取ってもらいたいのです。それを守ってくださるなら、日中自由に過ごしていただいてかまいません。……あ、もちろん伯父様のご命令に違反しないのであれば、です」
伯父様――セルリアン国王の命令というのはつまり、「セルリアン国に反旗を翻す行為をしないこと」である。
王女の言葉を聞いたアルベリックは酷薄な笑みを浮かべると、体を傾がせてほんの少し妻との距離を縮めた。
「よくもそんなことを言える――それではおまえは、俺がおまえ以外の女を部屋に連れ込もうと夜遊びしようと構わないというのか?」
「はい、構いません」
はっきりとした王女の言葉に、さしものアルベリックも息をのんだ。
王女は小首を傾げ、ほんの少し寂しそうに微笑む。
「先ほども申したように、わたくしがあなたに求めるのは最低一日一回のおしゃべりのみ。加えてセルリアンに危害をなす行為をしないのであれば、それ以外の制限はいたしません。恋人を作ってくださっても、よそで女性と遊ばれても構いません」
「……おまえ、馬鹿か?」
「アルの自由を制限したいわけではありませんので。どうかこのセルリアンを第二の故郷として、心穏やかにお過ごしください」
きっと王女は、自国から勘当同然に追い出されたアルベリックを気遣ってこう言っているのだろう。
だが――アルベリックからからすれば、これ以上ない屈辱である。
おしゃべりさえしてくれれば、特に何もしなくていい。よそに女性を囲ってもいい。
そんなの、アルベリックにとっての自由ではない。
王女の婿として夜な夜なご奉仕するという「仕事」があった方が、まだましだった。
「……ふざけるな」
「何とでも仰せになってください」
「ふざけるな――!」
その日、アルベリックは夫婦の寝室から足音も荒く立ち去った。
生意気なことを言う王女の口を無理矢理にでも塞ぎ、泣こうとわめこうと無理矢理抱いてやろうかとも思ったのに、そんな気すら消えてしまった。
そうして翌日から、アルベリックの仕事――「エレオノーラ王女とのおしゃべり、最低一日一回」が始まったのだった。