敵国皇子の困惑
アルベリックは、バルトロメ帝国唯一の皇子だった。
さらりとした黒髪に、鋭い眼光を放つ濃紺の双眸。黒系統の服を好んで着る分、肌の白さが際だって見える。
そんな彼は目尻をつり上げ、唇の端を曲げて笑い、弱者を足で踏みにじって哄笑するのが常という、なかなか物騒な性格をしていた。
バルトロメ帝国の皇位継承権保持者として、強くあらねばならない。
どのような手を使ってでも、他国を蹴落とし、自国を繁栄に導かねばならない。
父皇帝の教えを身に叩き込んだ彼は、長年の宿敵である南の隣国セルリアンを掌握するための計画を立てていた。
今から一年ほど前に、セルリアン王国は田舎育ちの王女を王家に迎えた。どうやら、駆け落ち同然に出奔した国王の妹の実子らしく、遠く離れた田舎で王妹が病没したとの連絡が入った際、王女の存在も明らかになったという。
国王は、恋人との仲を先代国王夫妻に認められず、反発した結果出奔した妹のことを案じていたらしく、妹の死にはショックを受けたものの、妹の忘れ形見である姪をすぐさま呼び寄せ、手元で保護することにしたという。
それを聞いた皇子は、しめたものだと内心歓喜した。
国王の姪で、田舎暮らしの世間知らずなお姫様。
なんとも興味深く――よいおもちゃになりそうな存在ではないか。
彼は自分の容姿には自信があった。その気になれば、初な小娘の一人や二人、ころっと落とすことができる。
皇子であることを隠して王女に接近して口説き、その心を掌中に収める。国王は妹に生き写しの姪をたいそう可愛がっているらしいし、王妃や王子たちの反応も悪くないという。となれば、王女を人質に取って王家を脅すのもたわいないだろう。
皇子が立てた計画を聞いた父皇帝は、作戦の決行を許可した。
父から認められた。
ここで任務を華麗に達成すれば、自分が即位した際にもプラスに物事が動くはず。そして、自分のことを駒としか思ってくれない父もきっと、自分を信頼してくれるはずだ。
彼は念入りに計画を立てた。
旅の吟遊詩人に身をやつし、王女に接近する。そうして持ち前の話術で少しずつ王女の関心を引き、皇子の言いなりになるようなよい「お人形」に仕立てるのだ。
絶対にうまくいく。失敗なんてしない。
――そう自信満々だった半年前の自分を、殴り飛ばしたい。
「アルベリック殿下。エレオノーラ様がお呼びでございます」
入室するなりそう言ったのは、セルリアン人の騎士だ。
護衛を相手にボードゲームをしていたアルベリックは、不機嫌を隠そうとしないままドアの前に立つ騎士を見やった。
「……何の用だと?」
「いつも通り、『おしゃべり』でございます」
「……」
アルベリックは持ち前の鋭い眼光で騎士をにらんでやったが、職務に忠実な彼はいっさい動じることなく一礼した。
「エレオノーラ様は、殿下とのおしゃべりを大変楽しみになさっております。どかご仕度を」
「……チッ」
これ見よがしに舌打ちした後、アルベリックは荒々しく席を立った。弾みでボードから転がり落ちそうになった駒を護衛がさっと拾い、アルベリックを見上げてきた。
「呼び出しに応じるのですね」
「……仕方あるまい」
アルベリックは吐き捨てるように言った後、護衛に仕度を命じたのだった。
エレオノーラ・マリア・セルリアン。
約一年前、王妹の死によって存在が明らかになった幻の王女。
十七年間田舎で暮らしたという王女は美貌で知られた王妹と瓜二つでありながらあか抜けておらず、純真で心優しい性格が皆の心を掴んで離さない、ともっぱらの噂である。
そんなエレオノーラ王女を懐柔しようとセルリアン王国に忍び込んだのが、約半年前。
旅の吟遊詩人として国境を越え、「放浪の身であるため身分証明書がなくて……」としおらしく言えばあっさりと王都にも進入できてほくそ笑んだものだ。
王女との接触も驚くほどうまくいき、他国の様々な話を通して王女の関心を引くことができた。
これなら、初な小娘を惚れさせることもたやすいだろう。
そう思っていた。
だが。
ぽややんとしており平和ボケしていると思っていた王女はなぜかやたらと鼻が利き、「何か私に隠していることがありますね」「あなたはバルトロメ帝国の人間なのではないですか」などと、アルベリックにとって痛いところばかり的確に突いてくるのだった。
やけに鋭いお嬢さんだ、と最初の頃は笑顔でかわしていた彼だが、そうしているうちに王女は次々にアルベリックの策略を見抜き、先回りして侵略を阻止してきたのだ。
身内でなければ分からないような臣下の潜伏場所も筒抜け。帝国からの使者との密会現場に騎士団を引き連れて突撃し、酒で酔わせて迫ろうとしたら隠していたはずの酒を没収されてしまう。バルトロメ帝国と水面下でつながっていた酒場でセルリアンの騎士たちが宴会しており、バルトロメ人である酒場のマスターが泣きそうになりながら接待している姿を見たときには、さしものアルベリックも呆然としてしまったものだ。騎士たち曰く、エレオノーラ王女の指示でこの酒場の調査をした結果、飲み会を開くことになったのだという。
ふわふわと笑っているかと思ったら次の瞬間、アルベリックの弱点や秘密を遠慮なく攻撃してくる王女。
これはまずいと思った時には既に遅し。アルベリックが皇子であることが暴露され、セルリアン王家は決定的な証拠を掴んでバルトロメ帝国にもの申していたのだった。
アルベリックが自信満々で立てた計画は全て、あのぽややん王女のせいで水の泡――となるどころか、祖国の心臓をセルリアンに掌握されるまでに至ってしまったのだった。
アルベリックは、死を覚悟した。
父皇帝は優秀な臣下には非常に寛容だが、しくじれば忠臣だろうと実の子だろうと遠慮なく首を刎ねにくる。アルベリックがセルリアン侵略に失敗したどころか逆にセルリアンに脅される立場を作ってしまったので、間違いなく父は自分の処刑を命じるだろう。
……そう思っていたのだが。
セルリアン・バルトロメの会談に出席した王女は、あのぽややんとした顔をほんの少しだけきりっと引き締め、発言したのだった。
『アルベリック皇子を、わたくしにくださいませんか』と。