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 裳着(もぎ)の当日、朱雀院(すざくいん)柏殿(かえどの)西面(にしおもて)。以前は大后の御座所(おましどころ)のあった場だ。そこに左右の大臣をはじめ全上達部(かんだちめ)や八人の親王(しんのう)が集い、殿上人(てんじょうびと)が私にかしずいた。


 やむを得ない事情のある人さえ何とかこの場に集い、帝や東宮(とうぐう)に親しく使える者たちも残らず現れた。この日のためにそろえたきらびやかな舶来の品は荘厳(そうごん)な儀式を引き立て、高貴な立場にあるすべての者から贈られた品も人目を際立たせた。。



 その三日後、病の身を押して父は髪を下ろした。

 かつて艶めいた帝だった男はなまめかしい院となり、その印象のまま僧形となった。

 もちろん私は悲しかった。それは喪失を意味した。敗北でもあった。私は相手が仏でも、事前に聞いていたことであっても、裏切られた気分を抑えることはできなかった。あやめの肩に顔をうずめて少し泣いた。


 父に仕えた女御(にょうご)更衣(こうい)たちも、叔母にあたる朧月夜(おぼろづきよ)尚侍(ないしのかみ)も私の姉妹たちもみな泣いた。一の宮のお姉さまさえ涙ぐんだ。悟りすました僧侶たちまで泣いていた。


 こんなやかましい状況は父の本意とは違っていたと思う。けれどわずかに目を合わせた時、「この幼い宮に引っ張られるから、すぐには引きこもれないな」と少し口元を緩めてつぶやいた。

 反論したかったけれど、彼に動いてもらわなければならないのは本当だ。涙を抑えてちょっとにらむと、ほんのわずかに目元に笑いを含んだ。でもすぐにひっきりなしの内裏(だいり)からのお見舞いでまたまじめな顔に戻った。


 それでも一、二日経つとまだ見慣れぬ姿ではあるけれどみな落ち着いてきた。私の姉妹たちは里に帰り、父の妃たちも四六時中泣くことはやめた。


 父はひょうひょうとしていた。病身なのに続けざまに大きな儀式を二つも終えたせいか、頭が冷えるのか少し風邪気味ではあったけれどそれ以前よりはよさそうに見えて、私が部屋を訪ねても拒まなかった。


「彼が見舞いに来るそうだよ」


 手にしていた経を軽く払いのけ、父は私に笑いかけた。


「今日、約束させよう」

「どういう風に」


 口元にのせた笑いは至高の地位を捨てた男らしからぬ悪戯(いたずら)めいたものだった。


「もちろん、泣き落としだ」

「それで大丈夫かしら」


 少し不安になる。これで源氏に拒否されたら、全てのたくらみがつぶれる。


「父を信じなさい。それとあなたの血筋をね」


 疑問に思った。同じ皇統のあの男は、他の者と違ってその血筋に敬意など持たない。


「私の方ではなく母方の血のことだ」


 父は何かを知っている。けれど私に話してはくれなかった。



 源氏の来た夜は雪が激しかった。そのためか父の風邪は悪化したらしい。それでも源氏が帰った後、几帳越しに彼の承諾を告げた。私は礼を言い、どうやって目的を果たしたか尋ねた。あの男に泣き落としが効くとは思えなかった。父はくすりと笑った。


「正確に言えば、彼自身には頼まなかったよ」

「どういうこと」


 驚いて尋ねると「あなたはまだ若いね」と少し得意そうだった。


「彼も直接依頼されると思って断ろうとしていたと思う。だが、東宮が援助するだろうと言い出しながらも君が誰かに降嫁(こうか)することを否定しきれなかった。これは脈ありだと思って、『この幼い内親王(ないしんのう)を特別にはぐくんでくれるご縁を、ぜひあなたに選んでもらってその人に預けてほしい』と知らん顔で頼んだ。自分にもらえると思っていた菓子を、配るだけだと言われたら途端に彼は惜しくなった」

「それでどうしたの」


 楽しそうに父は笑った。


「若い者の名を不自然ではなく出した。そう、彼の息子の夕霧だ。ああ見えて彼は負けん気が強い。ほんの一時期だけだが母上のもとにいたことがあるからかな。だから彼自身を候補とせず次世代に目をやって見せたら、急にその気になって引き受けてくれたよ」

「さすがだわ、お父さま」


 思わず息を呑んだ。完璧だ。父は称賛は気にも留めず、視線を東北に向けていることが火影でわかった。


「これで先に進める。もっと人を集めなければいけないね」

「中納言に命じるわ」

「それがいい。私も気を配ろう。もちろん費用は充分に用意しよう」


 大役を果たした後の疲れと充実がうかがえる。礼を言って部屋に戻ろうとすると、温かい声でやさしく励ましてくれた。


「何事にもとらわれず自由に生きなさい。あなたは何をしても許される身だ。君のすることはどんなことでも私が認めよう。助けが必要な時は私を頼ればいい。いつだって私があなたを守ろう」


 また涙が出そうになる。だけど裳着を迎えた私はもう子供ではない。無言でうなずいてその場を辞した。



「いかような類の人をお集めになりますか。生きた唐様(からよう)の品のように格式のある方々ですか」


 中納言(ちゅうなごん)に尋ねられ、高貴な内親王らしくない笑みを口元に浮かべて答える。


「まさか。もうお若くはない方ばかりの所へ行くのよ」


 固定化された人間関係。確定された序列。その中に乗り込んでいく。


「思いっきり派手で若くて軽々しい娘たちを集めて。おばさま方が眉をひそめるような」


 図は脳裏に描けている。六条院に吹き込む風。全てを(とどろ)かし脅かす嵐。それを私は作る。


「その中に、見た目と違って使える類の女房を入れておいて。他の子と違う傾向の人でもかまわない。人に勧められた子でもいいけれど、あなたが確認して」


 すべての権限を中納言に与える。


「一泡吹かせてあげましょう。愛しい旦那様に」


 中納言は苦笑した。そしてそれは共犯の笑い。


「お心のままに」


 従順で皮肉な声が答えた。私は機嫌よく彼女にうなずいた。



 もうこんな機会はないからと、姉の女一の宮が自分の里へ誘ってくれた。泊まるわけにはいかないけれど、何とかやりくりして遊びに行った。

 財力のある一族なので邸も御簾越しの冬の庭も広々として心地がいい。自分の里をほぼ持たないので、ここに来れなくなると故郷を失うような気がする。


 女房のしつけも行き届いている。私の裳着の時も手伝いをよこしてくれた。もう一人の姉の女二の宮も申し出てくれたが、先の女たちが極めて有能であることを知っていたので、礼と共に断った。


降嫁(こうか)する時も手伝わせるわ」

「助かるわ。だけどうちの若女房たちをしつけるのはだめよ」

「どうして?」


 また何か面白いことをたくらんでいるの? そう言いたげな顔で私を見つめる。賢く鋭いこの姉に何かを隠し通そうとは思わない。


「あの人たちは軽佻浮薄(けいちょうふはく)であることに意義があるのよ」


 祖母の大后の再来と言われるこの姉は、漢籍(かんせき)(漢文で書いた書物)も読みこなすので言葉にちゅうちょする必要がない。


「六条院への対応の一種なのね。自分の人生をあんな男のために使って本当にかまわないの」

「ええ。むしろ楽しみにしているわ」


 彼女は少し首を傾けて私の顔をのぞきこんだ。


「まさかと思うけれど、お父さまの意趣返しをしようなどとは思っていないわね」

「ご心配なく。私は誰かのために生きようとは思わないわ。たとえお父さまのためであっても」

「それならいいけれど」


 わずかに眉を寄せている。彼女は源氏の元へ嫁ぐことには否定的な見解を持っているけれど、私の意志を妨げようとはしない。


「あの男は見かけより恐い男よ。かつての正妻を失ってから、身近には後見(こうけん)を持たずにやわやわと縛ることのできる女だけを集めているわ。その中にあなたのようにしっかりとした後ろ盾を持った女が行けば、かえって従属させようとやっきになるのではないかしら」

「だとしてもかまわないわ。絶対に出し抜いて、後ろで舌を出してやるから」


 いつもなら笑ってくれるのに、姉は硬い表情を崩さなかった。


「帝もあなたの入内(じゅだい)を望んでいたようよ。あちらの方が安心できたのに」

「太政大臣の娘と(ちょう)を競い合う気はないわ。源氏の息子だって考えに入れなかったもの」


 それでも私が望んだら、父はためらいもせずに支度(したく)を整えてくれたに違いない。


「本当は止めたいわ。でも、それでも行くでしょう」

「ええ……ごめんなさい」

「謝る必要はないのよ。寂しくなるけれど、手紙は出すし手伝いが必要な時は女房を派遣するわ」

「こちらもそうするわ。あまり役に立たないかもしれないけれど」


 彼女たちの見た目は華やかだが、にぎやかしにしかならないと思う。


「それは楽しみね。でも今日は女房たちは抜きで楽しみましょう。(きん)(こと)の調子は整えてあるわ。私は和琴(わごん)にするわね」


 七弦琴(しちげんきん)(琴の琴)は古風な楽器で今では弾く人も少ない。でも私は耳のいい父から手ほどきを受け、腕のいい師についてほんの少し学んでいる。

 存分に奏でるのはこれが最後かもしれない。名残を惜しみながら、左手を目印の()の位置に添えた。



 朱雀院に戻ると、東宮である兄から文と祝いの品が届いていた。私が姉の元へ出かけたことを聞いたのかもしれない。

 兄はこの婚姻に同意した。そのように操った。彼は扱いやすい。それは顔を合わせた幼いころに起因する。


 帝の座を弟に譲った時、その代償として父は息子を東宮の座につけた。美しさも(ちょう)も他の者に劣ったその母、承香殿(しょうきょうでん)の女御は彼とともに内裏に残り、朱雀院には移らなかった。

 それでも、ここに仰々しい訪れを持つことは少なくなかった。揺るがすことのできないその立場を見せつけるために。


 いっそ大后のように君臨すればよいのにその力を持たず、後見もかつての右大臣ほどの勢いはなく、更に半端に世間体を気にするこの女は、表敬に見せかけるこの訪れを好んだ。

 従う者が多いときは兄も伴っている。そして御座所で挨拶を受ける父のもとには、たいてい私がいた。


 初めのころ兄にとっての私は、敵としての存在だったはずだ。その母たる女御が、自分よりも寵愛深く(すめらぎ)の血さえ引く女の娘である私に向ける視線は冷たかった。


 かの女御が父と語らう間、私と兄は次の間に下げられる。乳母のもとにいる私を彼はにらんだ。日ごろ母の恨み言を聞いていたのだろう。私はいつものように置かれた人形として座っているだけだった。


 立場はすでに決まっている。勝利者としての彼の乳母たちに、敗者としての私の乳母たちが心を配って口をきく。そのうちに気も緩み、彼女たちはうわさ話に夢中になる。仕える幼い主への注意が薄れていく。人目の中で人目が途切れた瞬間、私はにらんだままの兄に目を向けた。


 彼の表情が強くなる。黙って見返し、しばらくこちらは感情を出さない。そして、ふいに微笑んだ。

 雷に打たれたかのように、兄の顔色が変わった。


 私は、私の容姿がある種の感慨を他者にもたらすことを知っていた。人々のその感情はなかなかに興味深いものだった。

 充分に兄に印象を与えた私はその時はそのまま表情を戻し、彼を(かえり)みなかった。


 次の訪れの時に彼はもう、険しい目は向けなかった。それどころかおずおずと近寄り、だいぶ逡巡(しゅんじゅん)したあげく、声をかけてきた。


「…………猫はお好きですか」


 もちろん私は余裕をもって答えた。


「ええ。大好き」


 そして再び笑顔を与える。実のところさして興味があるわけではなかったが、そう答えた方が効果を与えることは予測がついた。

 彼は嬉しそうだった。日を置かずに子猫が私の元に届けられた。そして文と贈り物は、折りあるごとに今も続いている。


 行啓(ぎょうけい)(東宮などのお出かけ)のたびに彼は私を探した。けれどそのうちに歳を重ねたため、間に几帳が置かれた。それを取り去ることを要求して、自分の乳母にたしなめられていた。


 思えば、ひどく幼かったとはいえそれまでそうされていなかったのは、敗者たるわが乳母たちがせめてもの抗いに、私の容姿を武具として使ったのだろう。


 そのことは役には立った。隔てられたがすでに心を許した兄はしきりに私に気を配り、それはいまだに変わらない。身分のある娘たちが兄の元へ集められたが、関りは切れていない。


「東宮さまが最も寵愛する源氏の娘は大層美しいそうですが、あえかに小さく、三の宮さまを思わせる姿のようです」


 乳母の一人のささやきを聞いた。そのことに意味などは求めないが、御しやすいと思わないでもない。なにせ帝となることが定まった男、その言動には価値がある。


 幼さに愛らしさを加えた手蹟()で祝いの品への礼を記し、特に気を配って香を(くゆ)らせた。

 これからの長い年月も、文だけで心をとらえて置かなくてはならない。そしてそれはとても簡単だった。



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