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紫の上へのたくらみが割とハードですので、ダメージを受けやすい方はお避けになったほうがいいと思います。
すべての女に不満がある。そんな時代だ。それは女君に限らない。むしろ自由とう言うものを垣間見ることのできる女房たちのほうがそれは多いのかもしれない。
仕える相手に限っただけでも、栄えのない主人に仕える不満、すべてに恵まれているが第一の地位を譲らざるを得ない女主に対する不満、やんごとなき身でありながら頼りない主がほかに押されがちであることについての不満、そして才多く賢く見た目や人柄も優れていながらも人よりも下に位置づけられる主人に対する不満などがある。
彼女たちはある時は不満を悪意に変え同輩や下の者で晴らし、また別の時には外出や遊びごと、そして大抵は噂話やおしゃべりで心の底を軽くするようだ。
それは仏にかしずくほどの信仰を持たず、書物の知識などもなく、姫君ほどの規範を求められない女房たちにとっては特に娯楽であり生きがいでもある。
ゆえに、女あるところに言葉あり。私はその罪もその毒もよく理解していた。
父の賀の祝いに向かうのは私だけだから、他の女君やその女房たちの関心はそれに先立って行われる女楽にのみ集まっている。
それぞれの町で、楽の音色が尽きずに流れる。明石の女御は音の指示を紫の上に頼って、東の対への渡りが増えた。あまりに近すぎる私の部屋への配慮でもある。つい興が乗り、そこで夜を過ごすことさえあった。
そんな時、明石の女ははばかって冬の町へ下がることが多かった。その場合、いく人かの自分の女房を代わりに残していた。
もちろん、彼女たちにも不満はある。一人の手の者の誘いがあれば、これほど相手方の懐深く入り込んでいてもその口は閉ざされることはない。
御帳台を女御に譲り、その横に寝場所を用意させた紫の上は身じろぎもせず横たわっている。ただでさえ私が嫁いで以来、源氏のいない夜は彼女の眠りは浅いそうだ。
紫の上に程近いところに明石の女の使う女房たちがいる。女御に対する遠慮がそれを許している。そして普段と違う場所に休む彼女たちの中には、寝つきにくい者もいる。
「殿は今宵も宮さまのもとでお過ごしなのね」
口火を切ったのはもちろん私の手の者だ。
「お気の毒ね」
小声で応える女房に、先の女が鼻を鳴らす。
「そんなの、お方様に比べたら何ほどのこともないわ」
「そうよ。あれほど素晴らしい方なのに、こちらのせいでお渡りが少ない」
意図せぬ三人めが加わったそうだ。が、話は予定の道へと進む。
「そりゃあこちらの方はお美しいし何ごとにも優れていらっしゃるけれど、それはすべて殿の配慮で身につけたわけでしょう。鄙(田舎)に育ってあれほどのたしなみを身につけたお方様のほうがよほど上よ」
一人があわてて気配をうかがう。
「聞いてらっしゃるんじゃない?」
「まさか。よくお休みだし女房たちもみな高いびきだわ」
手の者の声に安心した女房たちは小声で話を続ける。
「今はともかく、それ以前は何かと嫉妬してお方様へのお渡りを妨げたそうよ」
「まあ、あんなに優しそうなご様子なのに」
「お心の内はわからないわね。お子さえ取り上げ、自分は輦車の上から女房のように歩く女御さまの実の母君を見下ろしていたわけだわ」
「それは言いすぎじゃない? ご身分柄しょうがないじゃないの」
手の者は再び鼻を鳴らす。
「殿がこちらの方をお引取りにならなかったら、あの気性が荒くて有名な式部卿の正妻の下でお育ちになったはずよね。よくて受領の北の方、でもたぶん正妻の姫君の女房となっていたと思うわ。親王の脇腹の姫などその程度。お美しいから殿上人の慰みにされたりしたかもね」
「うちのお方様はそのままでも今より下のお暮らしはなさっていないはず。父君に充分な財産がおありになるし」
「入道さまが都に残って出世なさっていたなら、入内なさっていたかもしれないわ」
「だとしたらさぞ時めいたと思うわ。今だってご趣味もよく、賢い方だと内裏で評判だし」
彼女たちの悪意は主人への敬意と自らの不満の土壌に咲いたものに過ぎない。が、それを聞く紫の上は人の声に過敏すぎることを私は知っている。調べたことをもとにして種をまかせる。
「それでも女御さまのことを大事にお育てになったじゃないの」
「それは女御さまのことを思ってのこと? ご猶子(養子)になさったご自分のためじゃないの」
「準太政天皇である殿のお子ですものね。中宮になられること間違いなしだわ。そうなるとそのご養母の格も上がるわね」
「女御さまはこちらの方を慕っていらっしゃるわ」
「そう、お方様以上に。そう仕向けたのでしょうけど、この方は女御さまに対して同じほどの気持ちをお持ちになっていらっしゃらない」
「なぜ?」
「春宮さまがお生まれになった後のことを覚えていないの。あの時女御さまはひどくおやせになったじゃない。殿も『そんな様子もなかなか魅力がある』などと心無いことをおっしゃったけれどこちらの方もひどかった。早く内裏に戻るようにと女御さま本人に促されたのよ。あんなにお若くして出産されて弱っていらっしゃったのに」
「お子をお生みになったことがないので、いかに身体を損ねるかご存じないのじゃなくて」
「殿の最初の北の方は、お子をお生みになった後に亡くなっているじゃない。その時に紫の上はすでに引き取られていたと聞くわ。当然話を聞くことはあったでしょう。それなのに配慮のないことだと思わない? あの時女御さまを気遣ってお止めしたのはお方様だけ。結局お立場だけが大事な方々で、女御さま自身を大事に思っては下さらないのよ」
「お方様は殿がこちらの方の陰口を言った時さえもかばっていらっしゃるのに」
「お方様が女御さまのお付き添いになることが決まったことさえ疑えば疑えるわ」
「どういうこと」
「それを言い出したのは紫の上だそうだわ。思いやったように見えるけど、そうでなかったら義理の母君であるこの方は内裏に出向くことが多くなるはずだったわ」
「ええ」
「きっと殿はお暇になられてお方様へのお渡りが増えたはずよね。そうであったら、再び子を授かってもおかしくない年頃なのよ。なにせこちらの方より一つお若いし」
「そのことを恐れたのかしら」
「そう思うわ。少々ご身分が低くても別に卑しい筋ではないし、お子さえたくさんお生みになったら、一の人の立場が与えられてもおかしくはないわよ」
「実の母君と会わせてあげたかっただけじゃない?」
「そのことを教えて差し上げなかったじゃない。そのつもりがあったら説明するはずよ。それに、そう思うのならなぜ裳着に呼んでくださらなかったのかしら。人聞きのことを言うのなら付き添いだって同じ。ご自分の都合に過ぎないわ」
人を通して聞いた話によると、紫の上は眠ってはいなかったそうだ。
遠くから放った小太刀の刃は、ざっくりと彼女を切り裂いたはずだ。よく知っているが善人が何よりも心を傷つけるのは、その刃が自分自身のものではないかと不安を抱く時だ。
私が保証しよう。彼女はそのような悪意を持つ方ではない。
ただでさえほとんどの善人は深く考えたりはしない。とことん考えるのは悪人の十八番だ。その上この方は少女めいた無邪気さを持つ方で、思いつきもしなかったことだけが罪だ。
だが彼女はそうは思えないだろう。自分の心の奥底に魔が潜むことを疑って苦しむはずだ。
それでも私はたくらみをやめなかった。あやめの子がそちらに連れて行かれることを妨げるためなら、どんなことだって平気でやる。
花散里のつかさどる夏の町には、それほど大きな梅の木はない。だから春先なるとそこの女房たちの何人かが春の町をのぞきに来ることは恒例だ。
今年も現れた女房たちの一人は私の手の者だ。彼女は他の町に入れた者より仕事が少ない。相変わらず花散里の人柄が読みきれないからだ。
本当に素直な心根の方なのかもしれない。そう思える逸話も多い。けれどもたらされる話に時たま、さまざまな人物に対しての妙に鋭い観察や批評が混ざる。不思議な方だ。
だが女房たちにはさして難しい性格の者はいない。ただ少々、他の町の女主に対して含むものがある。それは花散里の位置に基づくものだ。
仕える女房たちはその主人に、過剰な思い入れを持つことが多い。
彼女たちはそこに夢を重ね自分を重ねる。女主の恋は自分の恋でもあり、女主の立場は自分たちの立場でもある。世に流れる評判も彼女たちのものでもある。
花散里は仕えやすい主人であるようだ。しかし、そこには穏やかな現実があるだけで、とろけさせるような夢はない。源氏の丁寧な扱いがあろうとも、夫君としての甘さはない。敬意と親愛、それだけでは女房たちは満ち足りることはできぬのだ。
彼女たちは他の女主の容姿に過敏に反応した。町を与えられている者の中で、自分たちの主だけが美貌とは呼べない範囲にいることを気に病んでのことだ。
反感といえるほどのものではないが、それでも他の主の見た目をほめる言葉があれば無関心ではいられなかった。
氷雨が少し降った後の昼下がりで、ほころんだ梅の香気がまだ冷たい空気にようよう混じり始めた時分、女房たちは落ち着いた色合いの衣を重ねて花の下に身を連ねた。
「夏にはあちらの町でよかったと思うけれど、春はやはりこちらが一番ね」
「香りがいいこと。衣に染みそうなほどだわ」
「桜の頃にはまた訪ねさせていただきましょう。代わりに花橘の季節に覗いてください、って言っておいたわ」
東の対の高欄近くで語りあう。そしてそこから程近い廂の御簾の内、声が届くほどの位置に紫の上がいた。
偶然ではない。状況によっては推測が可能なほど、彼女の行動や好みを細かく調べている。
花を愛する彼女は梅や桜を大事にしているので、咲き始めてまだ危うい花びらを氷雨が打った後を心配してそこにいることは予測がついた。
和琴の稽古の合間、最近では少し憂いがちの彼女がそこで安らぐことを女房たちは妨げなかった。それどころか慮って、少し離れて語り合っていた。もちろん私の命を受けた者の働きによるが。
声が彼女の辺りまで微かに届くことは調べさせてある。最初は花をめでる罪のない話しで、うち微笑んで聞くことができただろう。
「ここほど美しいお邸はないでしょうね。朱雀院や冷泉院もこれほどかしら」
「こちらの方も殿とご縁があってよかったわね。きっと父宮さまの邸より見がいがあると思うわ」
「お美しい方だから特にご縁も開けたのね」
言の葉がわずかに何かの色を帯びていく。
「そんなにきれいな方なの?」
「見たことないの? そりゃもう特別に」
「早くに亡くなったお母上は知らないけれど、父宮さまも艶な風情をお持ちだったわ」
「そのお父上がお引取りになった姉にあたる方も、お若い時はおきれいでいらしたそうね」
「その方って、髭黒の右大臣のもとの北の方?」
「ええ、その方。もともとは人柄もよろしく美しい方だったらしいわよ」
「こちらの方に似ていたのかしら」
「腹違いでいらっしゃるけれど、その方の母君はご気性で有名だけれどお美しいって話はないわよね。とすると父宮に似ているんでしょうから、この町の方にも似ているのじゃなくて」
「あら、信じられない。おばば様とさえ呼ばれてご夫君に粗末に扱われていたって噂じゃなかった?」
「確かに。でもそれは物の怪に憑かれて、しかもお年上で……あら、今のこちらの方のお年頃と変わらないわね」
「そういえば最近、殿は宮さまのもとへ行きっきりと……」
花散里の女房たちはけして陰険な者たちではない。顔を見合わせて沈黙し、それから話題を変え場を移したそうだ。




