19
帝となったわが兄はあたりまえだが勢いが増した。飾られるだけの位置に飽きたらぬ彼は、さしさわりのない行動でその力を示そうとした。つまり、父である朱雀院に孝養を尽くそうとした。
しかし世を捨てて出家した父は、さして望むことはなかった。政務に口を挟みもせず、ただ私のことだけを頼んだそうだ。
自分の意思に沿う言葉を受けて、兄は私を一品の宮につけたいと考えたが、それはもちろん父に止められた。
内親王にも位がある。私の今の位置は三品の宮だ。けして悪くはない身分で、源氏の名を与えられて臣下に下ろされたわが母よりだいぶ恵まれている。
けれど母方の里の後見にもっと力のある男を持っていたならば、宣旨が下るときにさらに上につくことができただろう。それでも一品の宮ではなかったはずだ。
私が兄と同腹だったらその可能性もあっただろう。だが私は四人いる彼の異腹の姉妹の一人というだけだ。
一品の宮は他よりもずっと御封(給料)も多く安定した地位だ。だから一人の帝につきほぼ一人しかなれない。後見の力から考えて一の宮のお姉さまがそうなることに内定していると思う。
それに、と私は思索を続ける。
帝に準ずる地位の源氏に極めて高位の妻が与えられたら、それは皇統に対しての脅威となるのではないか。
帝の力は奉られることによって成り立つ。直接の力ではなく慮られることによって力を持つ。だから本人自体は清らかなままだ。それが洗練された時代の力の扱い方だと心得ている。
しかし源氏は自ら動いた実績を持つ。生々しい力が衣の裾からちらつく特別な地位が、妻によって補強されて帝の傍にあることは穏当とはいえない。
そのあたりのことを父も考えに入れたのだろう。私の地位は二品の宮となることが決まった。これはこれで相当な身分だがひとまず妥当なところだ。
私の女房たちは喜んだ。それはいい。だが帝のこの特別の志は、当然のように源氏にも特別な扱いを求める。権威に跪け、とこの傲岸な男に要求する。
そして源氏はそれに逆らえない。皇の血を理由として高貴な男は、皇の血を否定することはできない。
さらにこの男は世間の噂にかなり過敏だ。昔、世の不興をかって遠い須磨に流れざるを得なかったことがよほど辛かったらしい。
源氏は世間の思惑にしたがって私のもとへ来ることが増えた。当然紫の上は面白くはないだろう。そのためか源氏の孫の女一の宮の養育で気を紛らせているらしい。
それを聞いて花散里まで、夕霧の妻妾の一人の典侍の産んだ子を引き取って育て始めた。
重い扱いを受け通いの増えた私は世間からすれば大変けっこうな立場であるはずだが、源氏に愛情を露とも持てないので偽りの時間が増え書を読む時間が減った。わりと困っている。
こうなる以前に、このことを予想したのか一位ではなくなる自分を許せないのか、紫の上は出家を申し出ていた。
もちろん源氏が許すはずがない。自分のほうが先にそう考えたのにあなたのためにそうしていない、と理由にならない理由を述べて押し留めた。
私はいらだっていた。どちらに対してもだ。
まずは源氏だ。ならばさっさと出家すればいい。人の後見などただのいいわけだ。身分のある息子もいるわけだし決定的な理由にはならない。
そのような道心(仏教修行しようとする心)があるとしても、世を捨てていないということはただの尼にも劣るということだ。それを自分だけが特別なものであると思い込み、他者を否定する根拠とするのか。
朧月夜に聞いたように、自分がすべてを許される存在だと本気で信じ込んでいるのではないのだろうか。
紫の上に対しても私の怒りは向けられる。仏はおまえの道具なのかと。
生活の道は源氏に任せ、後生を祈って念仏三昧か。二条の東の院に住む空蝉と呼ばれる尼君がそのような形で養われているが、自分で言い出すほど厚顔な心は持ち合わせてはいなかったようだ。
いや、それだけではない。私はあの方の美や才を、そして他者に対する深い挑み心を軽いものと捉えたことはない。
闘え。私の心は呼びかける。
あなたはその腕に強固な盾も、鋭い矛をも持っている。そしてその根にあたる自分自身は、源氏が思うほど穏やかで男に都合のいいものではないはずだ。
幼い頃の彼女の話を聞いたのは、私が六条院に嫁いである程度たってからだ。これは彼女との交際を深めた結果、あちらの女房の一人と親しくなった少納言がもたらした話だ。
「あの紫の上でさえ、少女時代はなかなか活発でいらしたそうよ」
「そんな風には見えないけど、何か話があるの?」
小侍従が身を乗り出した。
「院がお若い時にわらわ病みを患ったことがあって、験のある聖を訪ねて北山にまで行かれたのですって」
弥生(旧三月)のつごもり、都の花は過ぎたが山の桜はまだ盛りの季節だったという。
聖の住まいは高い峰の岩の中で、そこからあたりの僧坊(坊さんの住まい)を見下ろすことができたそうだ。
その一つに、とある僧都が住んでいたとか。この僧都が紫の上の祖母の兄だった。
「たまたま通りがかった殿がふと覗き込むと、美しい少女が走りこんできたそうよ。雀の子を犬君が逃がしつる、とおっしゃりながら」
目の前に、物語のような風景が広がる。人里はなれた山桜の美しい清らかな土地に、駆けてくる生き生きとした美少女。
うらやましさで少し息苦しい。走ることができるなんて。それが許された子ども時代をあの方は持てたのだ。
私にはそんな時代はなかった。自然はいつも御簾越しで、しかも人の手で整えられたものだった。いつも奥にしつらえた席に端然と座り、永遠のように続く女房の話を、常にまとわりつく風の音のように聞いていた。
「それがご縁となって後にお引取りになられたとか。世の中、何が幸いするかわからないわね」
駆け行く少女は年上の美女となってその姿を止めた。
それはどんなに辛いことだろう。少年のような自由を一度は手にして、そしてそれを失うことは。
あの方が私とは逆に大人びた美貌をお持ちになりながら、その核に無邪気な少女を抱く理由もよくわかった。さらに源氏がその少女に惹かれていたに違いないだろうに、無理に過去の雛形に押し込めて、その方を別の形に導いたことにも気づいた。
それが彼女の根幹が安定を欠く理由の一つになっている。
私は彼女に言いたい。そのような偽りの雛形など脱ぎ捨てて、あなた自身となって挑むがよいと。穏やかに逃げることはあなたの本分にはない。この男は私のものだから手を出すなと、駆け込んで主張する方が真のあなたにふさわしい。
もちろん気品あふれる紫の上はそのような手段はお取りにならず、そのくせ身体の芯を灼くほどの情熱はくぐもって逃げ場を求めている。敬意を払われ愛されながら、彼女はけして幸せではない。
要の安定をわずかに欠きながら六条院は壮麗な威容をあたりに示し、もはや内裏を訪れることさえまれな源氏の動向は、国の大本さえも動かす。彼の言動が憶測を呼び、彼の意を受けたとされる人事が推測によって図られる。
その理由の一つとして、右大臣である髭黒の恭順があげられる。
兄のおじであり忠実な臣下でもあるこの男は、いまや例の玉鬘を通して源氏に追従しその意思を慮ることを隠さなかった。
だから源氏自身が直接何かを指示しなくても、権威は充分に彼にあった。
だがその暗黙の力自体が、源氏の位置を少しずつ危うくしていた。




