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源氏は年を重ね、その娘の明石の女御は東宮との間に何人もの子を設けた。
それでも、すべてが私の手の内にあった。四季折々の趣を見せる壮麗な六条院の四つの町は、君臨する力も持たぬかに見える幼い外観の内親王にその要を握られていた。そしてそのことを知る者は限られていた。
執拗にたどらせた道は過去に連なり、私の手の者は宮中の夜居(夜間勤務)の僧の侍童であった者から、上手く言葉をくみ出した。
僧都はすでに亡くなっている。が、事情を記した文がひそかに残されていた。
世が乱れ、人が争う時が訪れたときのための鎮めの書。僧都はそのつもりであっただろうが、結局はこのようにただ利用されるためにある。
おぼろに想像していたとおりだ。源氏は、実の父桐壺帝の后である藤壺中宮と契り、子をなした。それが今の帝である。
血の滾る思いがした。さすがに源氏を見くびりすぎた。
これほどの業、これほどの闇を抱える男だったとは。
育ちに恵まれ思い上がったただの色好みというだけではなかったわけだ。
私の中の獣が毛を逆立てて唸り、その小さな牙を突きたてようとも気にも留めない大きな獣。わが宿敵、光源氏。
だが喉首に押しつけた牙は今までよりも鋭い。私はこの六条院を滅ぼしてしまうことができる。皇統を汚した慮外者としてその罪を裁くことさえ可能だ。
すべてを奪い身一つにして、須磨よりはるかに遠い場所へ流された時、源氏は源氏としての意思を保てるだろうか。
須磨に流れた時さえ従者はいた。それすら奪い入道の助けなくしても、彼は彼であると言えるだろうか。
昏い想像を楽しんだ。だが同時に、自分がそれを進めないこともわかっていた。
ことが源氏のみに関わることであったなら、人はそれを受け入れる。安全な立場から失墜した権力者への同情を搾り出して見せる。あれほどまでに時めいた方がおかわいそうにと語り合う。けれどこの場合、帝の意義が問われることになる。
それは、その在位する期間のこの国への自涜に等しい。
帝を帝として奉ったすべての人々を愚弄することでもある。
それを防げなかった神や仏への不信の念を生み出す。
間違った相手に娘を貢いだ権力者への侮蔑も呼ぶ。
つまるところ、世の秩序が乱れていく。
女の性としての私は、それでも明確に事実を明かしたい気もする。
だが皇の血を引く一族としての私は、もちろんそれを忌避したい。
そして私の中の悪意は、より愉しむために沈黙を選ぶ。
それでも、噂として流すことは可能だ。人々のそしりを過剰に恐れる源氏は充分に傷つくことだろう。
しかし、と私は思索にふける。
言葉の凶器としての価値は時によって限られる。公然と囁かれたとしてもその主が反応をあらわにしなければ、いつしか下火になるだろう。
それよりかは言葉を櫃(箱)にしまい、見えぬが確かにあるものとして扱ったほうが威嚇の力を持つのではないか。
考えた果てに忍びやかな囁きを、自分から充分に離れた場所で上げさせた。
ーーーー帝にはなにやらたいそうな秘密があるそうな
ーーーー亡くなった僧都はご存知だったらしい
広がりすぎぬように気を配り、意味さえ知らせず流された噂。それだけで充分だった。
それが源氏のもとに伝わらぬうちに、帝は退位を決意した。
兄か新たな帝となり、明石の女御の生んだ一の宮が春宮と決まった。太政大臣は職を辞して致仕(退職)の大臣と呼ばれ、髭黒の左大将は右大臣に、夕霧は大納言と位を上げた。
源氏は鬱々と日をすごしている。実子である先の帝、今は冷泉院と呼ばれる方の裔をもって皇統を繋ぎたかったのだろう。
だがこの方は継ぐべき男宮を持たない。その上新たな帝は源氏を軽く扱うことこそないけれど、けして源氏を重んじてはいない。
私は政治家としての源氏の能力はそこそこ認めている。以前から次世代のことは配慮していて、自分の宿直所の桐壺が、東宮だった時の兄の住居である梨壷の隣であったことを利用して、何かと兄の世話を焼いていた。
その上、兄のもとへ一人しかいない自分の娘を送り込んでいる。順当な布石といえる。その昔の桐壺帝の折の左大臣などと比べるとなかなかの気の回し方だと思う。
当時のその方は一粒種の娘を入内させず源氏に与えた。藤原氏の氏長者としては無能の極みであった。
それなのに思惑を外れて、娘はともかく源氏自身はさしたる寵を得ていない。
理由の一つは私にある。兄は過度の情愛を私に注ぎ気を配る。私は彼に源氏への不満を述べたことはないが、文使いの者などはその限りではない。
時によっては、彼の周りに置いた手の者にもっともな指摘をさせてみる。すなわち、至上の地位である帝に順ずる位置の準太政天皇が新たに置かれたことに対しての疑問だ。
絶対的な地位が、その頂点に立つ権威者自身の手により臣下に過ぎない者に与えられる。それは世の理に対する挑戦に等しい。血のつながりの有無はあるが、孝謙天皇は道鏡にそんな地位を与えられなかった。
帝が恣意的に身分を与えることができるものなら、そもそも源氏の母は更衣の立場で苦しむことはなかった。彼女は寵愛深くとも、地位的には他者に圧倒されて死んだのだ。
前帝がそこまで考えていたとは思えぬ。いや、あの男は何も考えない。実の父である源氏を喜ばせるためなら、平気で国を足元に供える。血脈云々ではなく、思考自体が帝にふさわしくない。
美しい顔立ちと品のよい態度で何とはなしにごまかされているが、藤原の血を持つ者にとって恨むべき相手ではないのか。源氏の孫は春宮の位についた。明石の女御が中宮としてたつのは時間の問題だ。
このままでは、三代続いて藤原氏は女を時めかすことを仕損じたことになる。その名のとおり皇統の幹に血筋の蔓を絡みつかせて、それによって栄える一族にとっては遺憾なことだろう。
一方わが父朱雀院が帝であった時代は災害もあり短すぎたので、それほど評価が高かったわけではない。しかし彼は帝の職務の基底を理解してはいたと思う。
その愛情に従えば朧月夜の尚侍を中宮に選びたかっただろうが、彼女は血筋的にはふさわしくとも源氏との醜聞が災いした。
次にふさわしかった相手は亡くなった私の母だ。身分もあり、早くから入内し情愛も持たれていたと聞く。
けれど選ばれなかった。それは彼女が後見が薄かったためともう一つ、以前の帝の娘でやはり皇の者であったからだ。
たとえ大后の反対があったとしても重要な事項においては、父は決めるべき決断は自分でする。意識的に避けたと見ていい。
ならば兄の母、承香殿の女御についてはどうだったのか。
そこには政治的な思惑が加わる。その方の父君はその地位にふさわしい男ではなかった。権力を有効に使えず、世に混乱を導きそうな方だった。
それは女御自身にも当てはまり、兄が位に着く前に亡くなったことは世にとって幸いだった。生きていたならさすがに皇太后の地位は与えざるを得なかった。あれほど健康だったのにあっけないものだ。
父はすべてを考えわざと中宮を選ばなかった。それが彼の政権にとって不利益なことであってもだ。
そうして彼自身の咎ではないことで乱れた世を安定させ、帝の身さえも護りきったのに、冷泉帝はそのことに気づきもせずに平衡を崩した。
だが、それはもういい。世は変わった。源氏も自分の血を受けぬ帝の世を受け入れねばならぬ。ただ鬱々とばかりしている男でもあるまい。
私はかつて偉大であった敵よりも、今現在手ごわい相手と闘いたい。もちろんか弱い私であるから、本性を現さぬままのことだが。見えない闇から、充分に刃を降らせたい。
春宮=東宮ですが、前作から桐壺帝、冷泉帝の皇太子時代を春宮、
朱雀帝、今上帝の皇太子時代を東宮と書き分けています。




