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 暮れも近くなった頃、中宮(ちゅうぐう)内裏(だいり)から里である六条院秋の町に戻り、奈良や都の各寺に驚くほどの布施(ふせ)をして源氏のための誦経(ずきょう)をさせた。まるで国家事業のように格のある儀式だった。


 その後も秋の町の寝殿(しんでん)で、大掛かりな宴が行われた。

 彼女も後見を源氏に頼っていて娘のような立場だが、それにしても大仰だ。


「どうも帝はこちらの院に手厚いようですね」


 皮肉な口ぶりで按察使(あぜち)がいう。


行幸(みゆき)を断られてもあきらめきれずに、今度は院のご子息の夕霧権中納言(ごんのちゅうなごん)に、右大将(うだいしょう)の地位をお与えになった。この大役にはまだ若すぎると思いますがね。まあ、先の方が病で辞職されたためもありますが」

「それにかこつけてどうしても賀を祝うつもりのようね」

「夏の町で行われるとか」

「さぞかし大げさな式になるでしょうよ。源氏が内々にと言っても、帝が介入しているわけだから」


 中宮の時もそうだった。大がかりな喜捨(きしゃ)に始まって、九重(ここのえ)(内裏)の大饗(たいきょう)(大宴会)になぞらえたような宴だったと聞いた。

 その時も、中宮の名に隠れてはいるが帝の意向が色濃くにおった。


 私の中に疑惑が生まれる。帝の周りに後見たる立場の者が源氏の他にいないわけではない。伯父であり娘を入内(じゅだい)させている式部卿(しきぶきょう)の宮は実力も人柄も頼るに足りないが、太政大臣(だじょうだいじん)は有能な男だ。彼も娘を弘徽殿(こきでん)女御(にょうご)として入内させている。


 帝はその方への情は深いようだが、それでも源氏の後見を受ける秋の町の方が中宮となった。

 源氏がもっとも有力な立場にあるにしても、帝の心入れは過剰に過ぎる。年端のいかないうちはともかく、いまや自分の考えを持ってもいい年だ。


 けれど彼は源氏に必要以上におもねる。兄だからか。しかし彼は、先帝であり兄でもある私の父にはさほど実のある孝養を見せなかったが。



 結局、強引に夕霧の祝いに重ねて源氏の()を行った。中宮の賀からさして間のない年の暮れの忙しい頃にだ。場所は噂どおり六条院の夏の町だ。


 あまたの人が集まった。親王(しんのう)たちは五人。左右の大臣。大納言(だいなごん)が二人。中納言(ちゅうなごん)三人。殿上人(てんじょうびと)は他の場所に残る者が少ないほどで、今では内裏に行くことさえ珍しい太政大臣(だじょうだいじん)においては帝の命を受けて準備に奔走(ほんそう)し、賀の当日も六条院に足を運んだ。


 おびただしい官人が源氏のために動いた。主催者は夕霧となっているが本当は帝本人だ。

 宴に力を尽くすのは内蔵寮(くらづかさ)穀倉院(こくそういん)。それも勅命(ちょくめい)(天皇の命令)だ。


 見事な屏風(びょうぶ)が運び込まれる。なんと帝自身が筆を取って字を書いたものだ。すさまじいほどの厚意だ。しかし私が言うことではないが、先に屏風を贈った紫の上の父の式部卿(しきぶきょう)に失礼ではないだろうか。

 さらに宮中の蔵人所(くろうどどころ)から楽器や御厨子(みずし)(戸棚)などが贈られた。舞の用意もなされていた。


 女房たちの話を聞きながら考え込んだ。

 帝は源氏を慕っている。そしてそれは度を越えすぎている。そもそも、準太政天皇じゅんだじょうてんのうの地位さえも過剰だ。


 このような地位に着いた方は近い世では帝の母、今は亡き藤壷の前中宮ぐらいだ。

 その方は不遇の時代に出家したために、その後時に恵まれても皇太后(こうたいごう)の位につけないという事情があったのだ。


 しかし、源氏への授与は帝の好意意外さしたる理由はない。後世の例となり、場合によっては悪用されかねないこのような事項を、帝個人の感情で遂行(すいこう)するとは愚かにも程がある。その深すぎる好意が読み解けない。


 私は再び他の関係性と比較を始めた。手がかりは私の父だ。


 帝が春宮(とうぐう)(皇太子)であり父が帝だった時代、大后には春宮をすげ替えるたくらみがあったと聞く。


 当時源氏は須磨(すま)へ流浪の身だった。世は太政大臣となった元右大臣に恐れつつなびいていて、表だって逆らう者はいなかった。大后は八の宮を抱きこみ、着実にその意志を通しつつあったと聞く。


 それを阻んだのは私の父である。桐壺帝の遺言を守って、会うことさえできない弟を離れた位置からどうにか守り抜いた。あの男が帝の地位にあるのは父が春宮を下ろすことに賛成しなかったからである。


 だが、そこに謝意は見出せない。何かがある。帝の、源氏と父との思い入れの差に。


 父の顔を思い浮かべた。記憶の中の彼は変わらずに柔和で、艶なる風情で私に微笑む。

 久しく会わない彼のほうがよほど鮮明に胸に浮かぶ。源氏の持つ華やいだ雰囲気はなくとも、情感を帯びた優美さが心を捉える。

 だがそれは私に限ったことで大抵の者は源氏のわかりやすい魅力に捕らわれるだろう。


 帝もそうなのだろうか。臣下でしかなかった男に行き過ぎた(ちょう)を与えるほど。


ーーーー父を信じなさい。それとあなたの血筋をね


 ふいに言葉がよみがえる。そして源氏の顔が、続いて朝覲行幸(ちょうきんぎょうこう)(天皇が正月などに親のもとへ出かけてご挨拶すること)にみたてて朱雀院(すざくいん)にやってきた時に垣間見た帝の顔が浮かぶ。ひどく似ている。


ーーーー私の方ではなく母方の血のことだ


 上流にありがちな幾重にも絡み合った血のつながり。私の亡くなった母はわが祖父である桐壺帝の前帝の娘で、源氏の姓を与えられた女御(にょうご)だ。その里は絶えている。したがって血を受け継ぐ者は他にいない。


 いや、いる。母の、母方ではなく父方を通したはらからが。


「中納言」


 小声でささやくとすぐに彼女がいざり寄る。


「帝の母君、桐壺帝の御世(みよ)の藤壺中宮について知っていることはないかしら」

「たいそう帝寵を受けた方と聞き及んでおります。評判の高い方でしたが、桐壺帝の一周忌の折の法華八講(ほっけはっこう)(命日などにする仏教イベント)の際に突然出家なさったことが印象深く感じました。身近な方にもお知らせになってはいず、お兄上の式部卿(当時は兵部卿(ひょうぶきょう))の宮が御簾(みす)内にまで入ってお嘆きになったと評判でございました。あの当時は宮さまの祖母君の大后さまが特に力を持っていらっしゃった頃で、ご出家の身ではご子息の春宮さまを守りにくいのではないかと不思議に思いました」


 必要とあれば私に礼を欠く噂さえ与えてくれる彼女に感謝する。


「その方は美しい方だったの」

「そのようです。こちらの紫の上の血の濃い叔母様にあたりますから、たやすく想像できます」


 乱れていた糸が色を帯び、その結び目が次第に解けていく。絡まりを緩めると見えてくる確かな線。通常でははばかられるほどの考えが色濃く明瞭に示唆(しさ)される。


 そしてそこに私自身。源氏が婚姻を承諾した理由。

 私も、その方の姪だ。私の母はその方の異母妹にあたる。


 錯綜(さくそう)した情報の中に一つの道が通る。父の言葉のそのわけが、帝が過ぎるほどの情を見せる理由が、そして源氏の心の奥に潜む何かが現れてくる。


「調べてもらうことができたわ」


 人は生きてきた痕跡(こんせき)を完全に消すことはできない。どこかにその残滓(ざんし)が残る。帝に語った者がいるはずだ。いや、他にもきっと知る者はいる。


 手立てはいくらでもある。以前の中宮に仕えた女房を、つてをたどって探し出すことも可能だ。

 あるいは僧侶。帝の傍近くに仕える者のうち、その母君に縁があった僧を探せばいい。

 一匹の蟻をたどってその巣穴を見つけ出すように慎重に。人を選べばきっと上手くいく。語りたいとの欲望を持つ者は多い。


 私はほくそ笑んだ。道は開けた。それが狭かろうが険しかろうが、進めないわけはなかった。



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