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清く、貧しく、美しく  作者: 早瀬 薫
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四章

 月曜の朝、寝ぼけた顔で学校へ行くと、クラスメイトの志穂が私を見つけるなり、駆け寄って来た。

「今日の夜、空いとる?」

「何?」

「今晩、合コンがあるんじゃけど」

「えー、またぁ? しかもなんでそんなに急なんよ」

「雅美がドタキャンしてしもうて、人数足りんのよ。ねー、お願いじゃけ、桜子出てよ」

「やだ。今日、せっかくバイトが休みになったのに……」

「じゃあ、ちょうどええじゃん」

「ええこと、ないわい」

「でもH大なんよ」

 H大と聞いて、少し心が動いた。けれど、私には代表取締役が付いている。

「やだ」

「お願じゃけ、今度、奢ってあげるけん」

「何を?」

「『エンジョイサンデー』のパスタランチ」

「やっぱ、やめとく」

 志穂は少し考えて、小さな声で「ハンバーグランチ」と言った。私は「残念じゃね、この間、食べたばっかりじゃわ」、「それなら……」と、また志穂は腕を組んでしばらく考え込んだあげく、「ええい! 焼肉!」と言った。「乗った! 太っ腹、志穂ちゃん」と私は彼女の背中をばんっと叩いた。志穂は自分で言っておきながら「もー、桜子の馬鹿たれ!」と叫んだ。


 目の前にいる五人組の男は、確かに広島では頭脳明晰の部類に入るのだろうが、イケメンでもなんでもなく、その辺の普通のにいちゃんより劣る様相を呈していた。その中でも、私の目の前にいる男は、似合いもしないのにグラビア撮影中のモデルのように足を組んでポーズを取り、いかにも「自分は頭が良いうえにスタイルもいい」とでも言いたげな態度を取っている。確かに足は長い。身長も一七五センチくらいで体つきも均整が取れている、とは思う。けれども、彼の首から上の顔の造作、とくに髪型は、度し難いものがあった。女の子のように睫毛がカールした円らな瞳、鼻孔の広がった高さのない鼻、上唇と下唇両方とも分厚く顔の半分は占めているかのように主張し続ける口、クルクル巻いている天然パーマの髪の毛。しかも短髪ならまだしも肩まで伸ばし、それをどうも本人はえらく気に入っているらしい。「髪の毛をセットしなくても、良い形になるから楽なんだ」と隣りに座っている佐恵にしきりに説明していた。居酒屋に入って彼と彼の友人達の容貌を見た途端、帰りたいと私は思ったのだが、志穂と約束してしまっていたし、しかも焼肉のこともあるし、仕方なく居続けた。けれども、理想の男性像、「三高」の中には、何故だか容姿端麗という項目がないことを思い出し、「男は顔じゃないよね」と思い直していた。しかし、それにしても、性格がいいならまだしも、コンパの場で彼は私達を蔑むような言葉を連発し、彼の顔がますます醜く見えるのは本当に耐え難いことだった。

「えー、そんなのも知らないの? 福岡の博多って博多市じゃなくて、博多区なんだけど」

 彼は、広島出身なのに標準語を使うということにも、私は何だか知らないが虫唾が走った。

「福岡は住んだことも行ったこともないけん、そんなん、知らんわ」

「常識じゃん」

 そりゃH大に比べると、私達の大学、M大はどう比べたって劣るに決まっているけれど、そういう言い方はないだろう。

「ちょっとぉ、知っとらんといけんいう法律でもあるわけ?」

「い、いや、その……」

 楽しい合コンのはずなのに、この天パ男のせいで場の空気が険悪なものになりつつあった。それに焦った幹事と見られる小柄な眼鏡の男が「まぁまぁ」と天パ男と佐恵との間に割って入った。彼は「じゃ、このへんで場所を変えようか」と提案し、みんなをせきたて店の外に追いやった。「まだ、料理もいっぱい残っとるのになんでじゃー?」とみんなが口々に不平を言っていたが、私は素直に眼鏡男の言葉に従った。

 歓楽街をぞろぞろと十人で歩いていて、これからどこへ行くんだろうと思っていたら、眼鏡男は「ちょっとここから遠いけど、ジャズ喫茶へ行こう」と言い出した。「ジャズ喫茶」と聞いて嫌な予感がした。つい先日別れたばかりの彼氏の良幸がジャズ好きで、よくジャズ喫茶「Vibrations」に私を連れて行ってくれていたのである。当然、私はマスターと顔見知りだった。眼鏡男がみんなを引率する方向はどう見ても「Vibrations」に向いているようだったので、私は「もう一回、別の居酒屋行こうよ」とみんなに提案してみたものの、ほぼ全員に無視された。思わず「ちぇっ」と口を付いて出たが、知らないうちに私の横をさっきの天パ男が歩いていて、彼は私のその言葉を聞きつけ吹き出していた。私は思わず彼の顔を睨み付けたが、彼はまだ笑い続けていた。

「さっき、君と話したかったんだけど、案外、正面の人より隣りの人と話してしまうもんなんだね」

 「えーっ、冗談じゃろーっ!」と私は叫びたがったが、自分で自分の口を塞いだ。彼は「なに? どうしたの? 具合でも悪いの?」とずっと私に訊いてきたが、私は「何でもないから」とはぐらかし続けた。


 十五分かかって着いた場所は、やっぱり「Vibrations」だった。私はマスターに見つからないようにとみんなの後から店に入って、真っ先に、カウンターに背を向けて席に座った。マスターは「いらっしゃいませー」と言いながら、水を配っている。マスターが私の前に来たとき、私は顔を伏せていたが、マスターは「あれ、桜子ちゃんじゃなーい?」と大声で言った。

 ばれてしまったならしようがない。もう、居直るしかない。私は顔を上げ、「マスター、私、いつものミックスジュースね」と言うとマスターは「蜂蜜入りのじゃね」と笑ってウインクし、みんなの注文の品を作り始めた。そして、ふとマスターはその場にいる十人の顔を眺め回し「あれ? 良幸君は?」と言ったので、私は思わずカウンターに駆け寄り、みんなに背を向け「しーっ」とマスターの目を見て訴えた。マスターはその場の状況を察してくれたのか、身振り手振りで私に「分かった、分かった」と合図した。私はその様子を見て安心し、元いた席に戻ったが、席に座って隣りを見ると、例の天パ男の顔が目の前にあったので仰天した。

「君、ここのマスターと知り合いなんだね。ジャズが好きなの?」

「好きといえば好きじゃけど、でも、本当はロックのほうが好き」

「じゃ、なんでこの店、知ってるの?」

「そ、それは、私の友達が好きじゃけん……」

「ふーん」

 それから、彼に、「休日は何をしているのか」とか「趣味は何か」とか「卒論は何をするのか」とか根掘り葉掘りしつこいくらい質問され続け、いい加減閉口したので、たまにはこちらから相手のことを訊いてやろうと口を開くと、眼鏡男が「じゃ、十二時過ぎたのでお開きにしよかー」とみんなに言ったので、私はほっと胸を撫で下ろした。

 私は、自宅が遠いから今晩泊まらせてくれと頼まれていた志穂の手を取ると、さっさとその場を後にしようとした。けれども、志穂は気に入った男が見つかっていたのか、なかなか帰ろうとしない。そればかりか、志穂は店の奥に逆戻りし、戻ってきたときには背の高いヒョロヒョロの色白の男を伴っていた。しかも彼女は、あろうことか私に「前原君もちょっとだけ桜子の下宿に行ってもええ?」と訊いてきた。私は「冗談じゃろー!」と思ったが、いつも宿題やレポートでお世話になっている志穂の願いを断るわけにもいかず、しかもそのヒョロ男を前にして面と向かって「だめ」とも言えず、仕方なく二人を引き連れて帰ることにした。途中、あの天パ男が遠くの方で私に向かって「電話番号、教えてー!」と叫んでいたが、私は「また、今度ねー!」と叫び返して、さっさとその場を後にした。志穂は私に「今度、会う約束しとるん?」と耳打ちしたが「しとるわけ無いじゃん」と返すと、志穂は、ああ分かった、という風に頷いた。


 志穂とヒョロ男は、随分気が合うようだった。彼らはさっきから、一時間は私の下宿でアニメについて語り続けている。いい加減、こっちも眠くなってきて、うつらうつらしていたら、志穂は突然、「前原君もここに泊まってもええ?」と言ったので、眠気が一気に吹き飛んだ。私はついにイライラの堪忍袋の緒が切れて「それだけは勘弁して!」と言うと、ヒョロ男も「迷惑だよ」と言い、帰ろうと腰を上げたので、ほっと胸を撫で下ろした。すると志穂は、「でも、前原君、工学部だから下宿が東広島なんよ。どうやって帰るん?」と言った。

 総合大学のH大は、近々、ほとんどの学部が広島市内から東広島市内に移転することが決まっている。広大な実験施設を要する工学部は他の学部に先駆けて、すでに東広島市に移転していた。だから、ヒョロ男も一般教養の二年生までは広島市内にいたらしいのだが、三年になってから東広島市に居を移したと言っていた。東広島市は私の下宿がある広島市西区から三十キロは離れている。しかも今は真夜中。こんな時間に電車なんて動いているわけがない。

「送ったげるよ」

と、車を持っている私は、うんざりして言った。


 後部座席で嬉々として話続けているこの二人。いつか殺してやると思いながら、私は眠い目を擦りながら懸命に車を運転していた。五十分かかってやっとヒョロ男の下宿に着いて、とって返そうとしたら、彼は性懲りも無く「お茶でも飲んでいく?」と志穂と私を誘ったので、私は間髪入れず「いや、明日も学校がありますから」と断り、後ろ髪引かれる志穂の服を引っ張り、彼女を無理矢理車に押し込んだ。まったく、散々な夜だった。二度と合コンになんぞに行くもんかと誓ったのだった。

 ヒョロ男を送って広島市内に帰ると、夜が明けようとしていた。マンションに入ろうとして、ふと道路の向こう側を見ると、例の新聞配達の青年が新聞を配っていた。私は彼の元気な姿を見て安心した。実は、怪我でもしていたのではないかと、ずっと彼のことが気に掛かっていたのである。彼のまじめに新聞を配る姿を見ながら、心の中で彼に「おはよう」と言っていた。志穂は、ぼーっと新聞青年を眺めている私と彼を見比べながら、「もしかして知り合い?」と言ったが、私は「ううん、違う」と言って、志穂とエレベーターに乗ろうとマンションの中へ入って行った。そのとき、またしてもこの間と同じく凄まじい音が辺りに響き渡った。驚いた志穂は急いで外に飛び出た。私も彼女の後を追った。道路の向こう側の新聞青年が、自転車を歩道に思いっきりひっくり返していた。新聞は辺りにちらばり、彼はまたもや必死の形相で新聞をかき集めている。私は「つくづくドジな男」と、わけも分からず、ぽかんとした表情をしている志穂に向かって言った。


 次の日、寝不足で頭がどんよりし、今にもくっつきそうな瞼で、「ここで事故を起こして死んだらお終いだ」と自分に言い聞かせながら、車を運転し学校へ向かった。私が死に物狂いでハンドルを握っているのに、志穂ときたら助手席で、あろうことか大口を開けて鼾をかきながら寝ている。本当にコイツだけは、二度と車になんか乗せてやるものかと思う。

 学校へ着くと、友人たちは昨日の合コンの話で盛り上がっていた。天パ男に馬鹿にされていた佐恵と私は憮然とした表情で、無言でその様子を眺めていた。すると、真智子がふと志穂と私に言った。

「昨日の夜、前原君と一緒じゃったんじゃろ? 彼、どうじゃった?」

「誰? 前原って」

「ほら、背の高い、色白の……」

 なんだ、ヒョロ男のことか。

「普通にいい人じゃったよ」

と志穂が言った。真智子はワンダーフォーゲル部に所属し、何度もH大ワンダーフォーゲル部と合同登山をしていて、そのせいで今回の合コンの話が来たらしい。

「でも、桜子が東広島まで車で彼を送ってくれて、桜子に悪かったかも」

と言って志穂はちらと私を見た。私は「別にっ」と一言言った。

「あれー、そうなんじゃ。前原君の実家って広島市内にあるって聞いとったけど?」

 なにー? 今の話、なに?

「えー? じゃ、東広島には大学に通うために下宿しとるってこと? ほいじゃ、もしかして、わざわざ東広島まで送らんでも、実家だったら時間もかからんかったってこと?」

「うん、そうじゃと思うけど」

 私は志穂を思い切り睨み付けた。志穂の顔は、そんな私の様子を見て、どんどん蒼ざめ引きつっていった。彼女は私に向かって合掌し、「焼肉とお寿司、奢るけ、勘弁して」とぼそっと言った。

 その晩、死んだような顔でミスを連発する私に、「なんじゃもんじゃ」の店長が雷を落とし続けたのは言うまでもない。


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