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清く、貧しく、美しく  作者: 早瀬 薫
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一章

今時の若者は!などど言う輩もたまにいますが、私は今も昔も人間は大して変わらないと思っています。みんな悩んで大きくなった、に尽きるのではないでしょうか。それに、案外、世間の人は優しいものだと思うのです。

 私が大学生だった頃、つまり一九八〇年代半ばといえば、バブル経済がひたひたと足音を忍ばせてやって来ようとしている時代で、その頃の若者は今と違って、誰も彼もがお金もないくせに、ブランド物の服やバックや靴や化粧品を平気で持ち歩き、要するに見栄文化が発達していたとでもいうか、今にして思えば、愚の骨頂以外の何者でもないような浅薄な行為に誰もが当たり前のように浸りきっていた。確かに今と比べれば、経済も好調といえば好調で、実際、新卒の大学生の就職事情も売り手市場で、四大卒の女子が就職するのにもさほど困らない時代だったと思う。私は、その周囲の行為に嫌悪感を持ちながらも、自分もその流れに乗り遅れないようにと必死だった。私はお嬢さん育ちでもなんでもなく、ごく平均的なサラリーマンの家庭に育ち、大学に通うにも1DKの下宿から通い、車も持っていることは持っているが中古の軽自動車で、毎月稼ぐアルバイト代もその車のローンと維持費にほとんど消えてしまうという有様だった。内情はみんな似たり寄ったりなのに、それでも、何が面白いのかアルバイトで稼いだお金を、自分を少しでもよく見せるためだけに使う。その日の食事にも事欠く始末なのに、Jから始まる若い女性向けの雑誌もCから始まる雑誌も、ウン十万円するバッグやセットで買うと数万円する化粧品の特集をしていたし、誰も彼もがそれらの雑誌に載っているカリスマモデルの恰好を真似しようと躍起になっていた。私の場合は、それでも見栄よりもまだ車のほうに目が向いていて、列車でなく車で自由に安く旅行をするということに生き甲斐を感じていたので、周囲の若者たちに比べるとまだましなほうだったのかもしれないが、それでも友人達に遅れを取らないように、ブランド品を買い漁るようなこともしていた。とにかく、あの時代の若者というのは今考えても何か妙だった。みんながみんなそうだったとは思わないが、でもやはり何かが変だったと思う。今の若者は、雑巾ファッションと大人達に揶揄されながらも、お金もあまりかかっていない古着や、時には創意工夫を凝らした自作の服を着ていたりして、身分相応の若者らしい恰好で微笑ましい限りだと私は思っている。そのくらい、自分の若い頃の愚かな行為を恥じているとでも言うべきか。だからその当時の私達女子学生は、人間に関してもブランド志向で、三高の男性をゲットすることに必死だった。(三高というのはすでにご存知だと思うが、一応説明しておくと、高学歴、高収入、高身長)とにかく、彼氏もファッションの一部であり、万事が万事そんな感じで、何も考えていないお子様というか、若気の至りというか、またまた言ってしまうが、愚かの極みだったと思う。単純に三高の男性が白馬の王子様のように思えたとでもいうか、とにかく人生経験が少ない分、幸せを運んでくる象徴のように妄信していただけなのかもしれない。


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