闇の女神
その日のルートは、本当に安全な道だった。普通ならうろついている強族や姦族あたりに遭遇してもおかしくないはずなのだが、ウリュウはことごとくそれらの道を避けて通っているようだった。
「ホントに出ないな、闇族がさ」
周りを見渡しながらダジトがつぶやくと、前方を歩いているウリュウが自慢げに鼻を鳴らした。
「あったりまえでしょ。このボクが案内してあげてるんだよ? そんな危険な道を通るわけないじゃない?」
「本当に、闇族王にあたくし達を連れてくるように言われているんですのね……」
スランシャの言葉に、ウリュウはくるりと振りむいて彼女の手をふわりと握る。急な動きに思わずスランシャがびくつく。
「こんな綺麗な精霊さん、守らないといけないじゃない? スランシャちゃん、ボクに惚れちゃダメだよ? あ、いや、いいよ」
「勝手に触れんじゃねぇよっ!」
間髪いれずダジトがウリュウのその腕を叩く。
「いったっ! もー、ホントにダジトくんは乱暴だねぇ。ボク怒るよ?」
「知るか! 勝手に怒れ!」
そんな二人のやりとりに、間に挟まれてしばらくあっけにとられていたスランシャもそして私も、思わず吹き出してしまった。いつの間にかウリュウはスランシャが気に入ったのだろう。少々意外な展開に、私は思わず表情が緩んでいた。
「それより、今日はこのまま歩き通しになるだけですか?」
私がケンカ中の男に質問を投げかけると、ウリュウはその緑の髪をかきあげて、思い出したように口を開いた。
「ああそうだ、今日は闇の女神の神殿を通ろうか」
「闇の女神? なんだそれ?」
聞きなれない言葉に、ケンカ中だったダジトが怪訝そうに眉を寄せる。
「ま、闇族以外の種族じゃ知らないよねぇ。闇族にもね、一応神様がいるんだよ。闇族を産み落とした『闇の女神』様がね」
初めて聞く話に、ダジトもスランシャも敵の使いだというのも忘れて、思わず聞き耳を立てる。
「初めて聞いたな」
「ええ――というより、闇族にも神を信仰するような習慣があることに驚きですわ」
二人の言葉にウリュウは話に関心を持ってもらえることが嬉しいとみえ、表情をいきいきさせて頷いた。
「一応闇族だって、自分を生み出した神には感謝するみたいだよ? 特に鬼族や樹族――まあ堕族とかそこいらのヤツらもそうかな――そういった一族は、キミたちに近い感情や考えをまだ保っているから。一応信仰として神殿で女神を崇めているんだ」
「なるほどねぇ……なんだか意外だな」
感心するダジトの後ろで、私も声をかけた。
「――ウリュウさん、ひとつ聞いてもいいかい?」
ウリュウの発言に少々気になるものがあって、私は単純に探究心で質問を投げた。
「どうぞ」
私の問いに、ウリュウはあの細い目で私をぼんやりと見つめて笑う。
「鬼族や……樹族たちが、私たちと同じ感情を『まだ保っている』って――どういう意味なんですか?」
一瞬、ウリュウの音が揺らめいた。心が動いた、というよりはまた体が反応したような――感情よりも――術的な何かを感じさせる音だった。
「ああ――ま、大した意味はないよ。気にしないで」
そう言うウリュウの音と表情は随分固く感じた。しかしそれも束の間、すぐにへらへらと笑うと、細身の男はひらりと前を向いて説明を続けた。
「ま、闇族だってまったくキミらと違う生き物ってわけじゃないってことさ。魔物と同じで陰の気は強いけど、笑うし怒るし泣くんだよ。ただちょっと――」
と、そこで男の心音が黒く淀む。
「貪欲な欲望や凶暴な感情を制御できないだけなのさ」
その言葉に私たちは無言だった。もしウリュウの言うことが本当なら、私たち精霊族やマテリアル族にも、それができない人もいる。だとしたら、闇族に対する印象は、多少なり偏見も含まれているのかもしれない。
「せっかく闇族の大陸に来たんだよ~! 観光くらいちょっとしないとね。ね、スランシャちゃん、他に見たいところがあったら言ってね?」
ウリュウの声は脳天気に私たちに響いていた。苦手ではあるが、彼も心根は意外にいい人かもしれない。もっとも――彼が闇族や精霊族といった「人」ならばの話だが――。
「観光しに来たわけじゃないんだよっ! さっさと城に案内しろって!」
「してるじゃない~! 今まさにその真っ最中!」
また賑やかな二人のやり取りが、静かな草原に響いていた。
草原をしばらく行くと、灰色の建物が見えてきた。
「ああ、見えてきた。あれが『闇の女神』の神殿だよ~」
ウリュウは言いながらその神殿に向けてずんずん進んでいく。響く音も邪悪な気配はない。私を不安げに見上げるダジトとスランシャに微笑み頷くと、二人もほっとしたように頷き、ウリュウの後を追った。
神殿は随分と古びて小さく見えた。北方大陸にあるような、立派な神殿とはまるで違う。造りは柱もあり、石畳もあり、神殿らしい雰囲気はあるのだが、その大きさはまるで小屋。そして年月的なものだけで、古びて見える原因でないことはすぐにわかった。神殿のあちらこちらに傷がついていたのだ。壁がひび割れていたり、柱が折れていたり、場所によっては赤黒く汚れているのを見て、すぐに察しがついた。
「――神殿であっても――ここで略奪などを行う者がいるんですか?」
私の言葉にウリュウはそっけない声で答える。
「そりゃあね、強族なんかは、女神すらオレたちのものだ、なんて言って神殿にあるもの全部持っていこうとするし。それが鬼族の崇めている神殿であろうが堕族の使っているものだろうがお構いなしだから。喰族は食べ物荒らしにくるしねぇ」
やはり治安の悪さは比べ物にならないと、改めて痛感する。
「それにしても、なんだか――随分シンプルなんだな」
神殿を見渡していたダジトがぽつりと呟く。
彼の言葉の通り、神殿の中は広い部屋がひとつあるばかりで、その正面にひとつの石版が佇んでいるだけだった。一応地下室につながるらしい階段は見えるが、それ以外は何もない。崇めるべき女神をかたどる物は何もないのだ。
「ちょっとだけ――残念ですわね。闇の女神の姿がどんなものなのか、ちょっと見てみたかったのだけれど」
スランシャの言葉に、またもウリュウはその細い手で急に彼女の手を取って囁く。
「ごめんね、スランシャちゃん。闇族にとって崇めるべき女神はここにはいないからさっ。ここにあるのは女神の説明だけなんだよ~」
「だから勝手にスランシャに触るなっ!」
そして案の定ダジトのツッコミを食らう。叩かれた頭を抑えながらウリュウは頬を膨らませる。
「もー! 何も力いっぱい叩かなくてもいいじゃない! ヤキモチはいけないよ? ダジトくん」
「誰がヤキモチだっ!」
「ハイハイ、ケンカはいいから……それよりどういうことですの? 女神の説明って――」
またもケンカが勃発しそうな二人の間に入って、スランシャが質問を投げかける。ウリュは途端表情を明るくして、また彼女に向き直る。
「あ、ここにあるのは女神の説明だけなんだ。ホラ、あそこに石版があるでしょ? あそこに女神の説明が書いてあるんだ」
そう言って彼が指さす石版を見て、私は違和感を感じる。――あそこに書いてある文字は――なぜだろう、見覚えがある。
私はそっとその石版に歩み寄った。その間にもウリュウの説明が続く。
「女神がどんな存在かって、ま、だいたいそんなことが書いてあるんだ。ただね、今の闇族はだーれもこの文字読めないから。ただの女神の言葉と思って大事にしてるだけなんだけどね」
「――なるほど――それは読めないでしょうね……」
ウリュウの言葉に続いて私も呟く。その声にダジトとスランシャが振り向いた。
「え? どういうこと、クーフさん?」
私は質問を投げかけるダジトの方を向いて、石版に触れたまま口を開いた。
「――だって、この石版に書かれている文字……超古代文字だから――」
その言葉に二人は目を見開き、ウリュウは逆にその目を細めて微笑していた。
***
闇の神の説明を聞いても、私たちは理屈もわからなかったし、なぜ彼がそれほどにまで心を揺らがせるのかもわからなかった。しかし一つだけわかったのは、闇の神の葛藤は、私たちにも十分伝わるものだったということだ。
(この世界を壊すことと、母を縛る闇の力を開放することは同等になるらしい)
片割れの低い音が響く。私も同意して同じ音色を響かせる。
(確かにそれでは闇の神も悩むだろう。それは私も避けたい)
(オレもそう思う)
珍しく片割れがその攻撃的な音を飲み込んで私に同意した。
私は世界に耳を傾ける。吹き抜ける風、照らしてくる暖かな日差し。見ることはできないけれど、風を受けて木々の歌う音がする。この世界は私も好きだ。失いたくはない。
きっと母も同じことを望んでいたのだろう。
(しかし、何か方法があっても――おかしくないと思う)
片割れが発する、なにか思いついたふうな音に、私は思わず問いかける。
(どういうこと?)
片割れは深く息を吸って言葉を続けた。
(――母から闇の力は流れてくるだろう? それは闇の神が行っていることではない。あくまでも自然にだ。今のオレたちは、どうやってこの世界に生を受けた? 母から闇の力が流れてきたからだろう? 木々が大地の力を受けて生を受けるように、オレたちは母から闇の力を受けている。これ自体が、闇の力の抜け道なんじゃないだろうか?)
その言葉に、思わず私は息を飲んだ。
(では、私たちのような母からの闇の力を受けて生まれてくるものが増えれば――)
(――闇の力は徐々に解放され、母は闇の力から解放されるのかもしれないぞ)
私が恐る恐る言葉を紡ぐと、片割れはそれを続けてその音を弾ませた。
(そうすれば、それは決して不自然なことではない。オレたちはあの闇の神が生み出した存在ではないのだ。あくまでも自然と、母から生まれてきた存在なのだから!)
私たちは音を交わし合いながら、期待で音が熱く高鳴っているのを感じていた。
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