光の石を守る務め
分かっていた事だが、二人がかりでも押さえ込むのは難しい相手だった。敵の素早さに注意すれば、下手に攻撃を食らうことはないが、それでも余裕はなかった。
「おのれ、クソガキが……! フレイ!」
怒りに任せ、アニムスが炎魔法を発動すれば即座にスランシャが向かい打った。
「召喚……青女!」
発生した炎の渦を激流の波で飲み込めば、即座に隣のダジトが攻撃を仕掛ける。
「降臨……天炎!」
上から降り注ぐように発生した聖なる炎が、アニムスに降り注ぐ。それを避けながら敵も攻撃魔法の準備に入る。
「クソが、調子に乗りやがって……!」
全てを避けきれず、時折その炎を食らうのだが、敵の動きは変わらない。身体の傷に敵が怯む様子も見えないのだ。
「なんて不気味なヤツ……」
思わずスランシャが唇を噛む。対戦は消して不利ではなかったが、敵のその不気味さに緊張感は緩まなかった。
そんな戦いが続き、双方に疲れが見えてきた頃だろうか。唐突に戦いを止める声がした。
「その辺にしといたら、アニムスくん」
急に名を呼ばれ、呼ばれた男は憎々しげに声の方を向いた。場に似合わない間抜けな声を響かせるのは、彼らの予想通りだった。見れば緑色の髪をした異様に細身の男、ウリュウが壁に寄りかかるようにして立っていた。
「ウリュウさん!」
現れたのが味方と知って、心なしか安心したような声色で水色の少女、スランシャが声をあげた。そんな彼女にウリュウはにへらと笑い、すぐにため息を一つ漏らした。
「その様子なら、スランシャちゃんを守れていたみたいだね、ダジトくん」
「うるせえ! 別にお前の指示なんかなくてもスランシャはオレが守るさ」
名を呼ばれ、ほぼ反射的に答える金髪の少年、ダジトも憎まれ口を叩きながらもその声にはどこか安堵感が含まれていた。
「うんうん、そのくらいの意気込みがないとねぇ」
そんなことをぼやくウリュウの迫感のない様子に、戦いの最中にある銀髪の男は苛立ちを隠さず、勢いよく怒鳴り声をあげた。
「うるさい! たかが守護獣ごときがこのワタシに指図するなァ!」
「だから僕は守護獣じゃないったらー。いくら言っても覚えないんだから、おバカさんだなぁ」
ほぼ意図的な挑発だ、とダジトは思った。彼の予想通り、バカにされたアニムスはその赤黒い瞳をウリュウに向け、その手を勢いよく彼に向けると怒鳴るように呪文を唱えた。
「ふざけやがって! 『タナトゥス』‼」
呪文を唱えた途端、アニムスの黒い手のひらからたちまち黒い闇が膨れ上がり、轟音をたててウリュウに突撃していった。吹き荒れる黒い風を残しながら突進してくる巨大な黒い魔力の塊に、顔色一つ変えずにウリュウは小さく口を動かした。
『呪詛……闇返し』
黒い塊がウリュウに突撃したかと思った瞬間、黒い塊は低く鈍い音を立てた。そして次の瞬間、黒い塊はまるでボールのように跳ね返ったのだ。元来た軌道をそのまま戻るように勢いよく戻ってきた闇の力に、驚いたのはもちろんアニムスの方だった。構える暇もなく黒い闇の塊は銀髪の男に衝突、爆発するような魔力の破裂音と共に暴風が吹き荒れ、男は勢いよく吹き飛ばされた。
それと同時に吹き荒れる闇の力の破裂風に、近くにいたダジトとスランシャも身構えた。
「やれやれ、自分の技にやられていたら世話ないねぇ」
黒い霧のような闇の力が薄れると、その黒い霧の中にいた男がゆらゆらと立ち上がっていた。見れば自分の放った闇魔法のダメージを受けたようで、服の所々が破れ、その腕にはかすり傷すらある。しかしその表情は全く変わっていなかった。澱むような黒い色を孕んだ赤い瞳が憎々しげに細身の男を睨んでいた。
「クソが……! 小賢しい術を……」
しかしいくら粋がったところでこの圧倒的不利は変わらない。ダジトは毅然とした態度で男に言い放った。
「アニムス、大人しく光の石をオレ達に返すんだ」
「黙れ黙れ黙れ! 貴様ら精霊族ごときに、このワタシが従うと思うかァ!」
「三対一じゃ、勝ち目はないと思うけど?」
追い討ちをかけるように付け足すウリュウの言葉に、怒りで首をガンガン振りながら銀髪の男は叫び声をあげた。
「知るか、低俗共がァ‼ 貴様らごときに石は渡さん! 粉々に貴様ら砕いてくれる‼」
そう叫ぶ男を見て、少なからずダジトとスランシャは恐怖すら覚えた。状況が不利でも銀髪の男の敵対心と闘争心に陰りは見えなかったからだ。寧ろ怒りに我を忘れるように、今は目の前の敵を仕留めることしか頭にはないように思えた。それほどまで激情に身を飲まれている様子がわかったからだ。子供が駄々をこねるように暴れているなら、まだ呆れるだけだがこの男は違う。どんな状況下でも相手に牙を剥く、獰猛な獣のような唸り声をあげ、目はいつまでも敵を睨んでいるのだから。
「やれやれ、残念ながら、この状況がわかっていない低俗は君のようだねぇ」
思いがけずウリュウが挑発するように大げさにため息をついた。しかしその声色にはあまり感情が込められていない。冷静な声色だった。
「黙れ獣がァあああ‼ 『タナトゥス』!」
再び怒り狂い叫ぶ男は、またも魔法攻撃を放ってきた。勢いよく突進してくる闇の術を今度は反撃させず、ウリュウはただ見守るように立ち尽くしていた。しかし攻撃が彼にあたるよりも早く、彼の周りにはられている結界の術が発動し、まるで薄いガラス幕に弾くようにして黒い闇の力を霧消させた。
「少し落ち着こうか、アニムスくん」
二度目の問いかけはあの薄ら笑いもない、真剣な表情だった。まだ怒りの収まらない様子ではあったが、銀髪の男は荒々しい呼吸のまま沈黙した。ウリュウは続けた。
「今、光の石がどうなっているか、君にはわからないのかい?」
その問いかけには、アニムスよりもスランシャとダジトがピクリと反応した。男は淡々と続けた。
「一つが暴走したような気配があって、僕たち結構心配しているんだよ。もし光の石が暴走して、光の闇の石のようになったらどうなると思う? それこそ大昔のようにまた石が封印されて、この世界が古代文明時代のようになってもいいのかい?」
不気味な言葉だった。何かの予言を聞いているような気持ちにさせられ、スランシャとダジトは顔を見合わせた。疑問を投げかけたのはやはりダジトだった。
「どういうことだ、ウリュウ……? 石が封印される……だって……?」
その問いに一瞬だけ視線を向けるが、すぐにウリュウは目の前の敵に視線を戻す。
「最悪の場合はね……。もしそうなってしまったら、もう止められる人はいないんだよ。例え君らが本気を出しても、君の主なる者が全力出しても、そして、古代の神々だってね」
その言葉にアニムスはようやく動きを止めた。戦いの姿勢こそは崩していなかったが、ウリュウの話に集中しているのはわかった。それを確認してウリュウは一歩一歩アニムスに近づきながら話し続けた 「困るよねぇ。肝心要の魔力全てが消えてしまったら。魔力を糧にする全ての生物は消えるだろうし、君たちだって存在できないよ。まして、この世界がまた沈黙の世界になったら……君たち以上に主も困らない?」
もうウリュウの距離はアニムスの手を伸ばせば届く範囲まで迫っていた。一歩後退る相手に、ウリュウも動きを止め、ニヤリと笑って見せた。
「でも、それを止められる人物が今、唯一ここにいるんだよ。わかるかい?」
その問いかけに銀髪の男が舌打ちをし、呟くように言った。
「さては、貴様か、守護獣……」
しかし、言われた男はさらに不気味に微笑んでその緑色の瞳を見開いた。
「光の石を守る者……彼らこそが、暴走した光の石を止められる最後の存在なんだよ?」
「オレたちが……」
「最後の存在……? ど、どういうことですの?」
アニムスよりも二人のほうが困惑していた。
「ウリュウ、どういうことなんだ? お前、もしかしてオレたち光の守護役の務めについて、何か知っているのか?」
しかしウリュウは静かに笑みを向けるだけでそれには答えなかった。すぐにその笑みの表情をアニムスに向けると、今度は蔑むような目で相手を見下ろし、静かに言った。
「今の自分の行動が愚かだとは思わないのかい? 今更この石を主に渡したところで、なんの意味もない……。寧ろ、この光の守護役に渡すことを、主も望んでいると思うけど……?」
悔しそうに相手を睨んだのもつかの間、赤黒い瞳は急激に外界への興味を失っていく。攻撃的なあのギラギラした光は消え去り、虚ろな色へと変わる。そんな様子を不気味な気持ちで、ダジトもスランシャも見守っていた。銀髪の男は、次第に地面へと視線を移した。
「……シャドウ様…………シャドウ様…………何が…………」
震えるような唇の動きをし、主の名を呟き続ける。それはまるで、自問自答のようにも見えたし、主の声を聞こうと耳を澄ましているようにも見えた。それは何か一つの儀式のようにすら見えた。
しばらくそう呟いていたが、はっと目を見開くと、今度はわなわなと震え始めた。
「――シャドウ様……!? 一体何が……こんなにも苦しそうなご様子……」
そう言って顔をあげた銀髪の男の表情に、思わずダジトもスランシャもハッとした。目線はこちらにあっておらず、空虚な何かを追い求めるように泳いでいた。何よりも二人を驚かせたのはその表情だ。今まで一度も見たことがない、怯えたような表情だった。不安げに眉を寄せ視線を泳がし、その唇は恐怖に怯えるように震えている。あの高圧的で傲慢な余裕ある表情のかけらすらない。震えながら歩き始めるその男に、思わず二人は避けるように道を開いた。
ふらふらとおぼつかない足取りで部屋を出た男は、まるで何かを求めさまよっていくように見えた。
「……一体、なんなんだ、急に……」
感じた困惑をそのまま口に出すと、スランシャは首を傾げ小さく呟いた。
「アニムス達の主にあたるシャドウという人物に何かあったんじゃないかしら……。それを何かで感じ取ったように見えたけど……」
「何か……? 何かって何だよ?」
「それはわからないけど……」
そんな会話をする中、それに構わずウリュウは台座に置かれていた光の水の石に手を伸ばすと、難なくそれをつかみ取り、スランシャに歩み寄りながらそれを見せた。
「そんなことより、はい、スランシャちゃん。残るは光の炎の石かな? それも近くにあるんでしょ?」
ウリュウの言葉に水色の少女が静かに手を差し出すと、ウリュウの細い腕がその石をうやうやしく差し出した。その様子を見ながらスランシャが真面目な表情で問いかけた。
「ウリュウさん……一体先程の言葉はどういうことですの? あたくし達が光の石を止められる最後の存在、というのは……」
その問いかけにウリュウは表情一つ変えず、薄ら笑いを貼り付けたまま囁くように言った。
「光の石の守護役こそが、もはや最後の砦ってことだよ。キミたち次第で世界が救われるかもしれないし、終わってしまうかもしれないってね」
軽い表情の割に重い言葉が来て、スランシャもダジトも思わず息を飲む。
「世界が終わる……? あのパネス様が言っていた光の力が消えるってことなのか?」
「それよりも……一体あたくしたちが何をするというの……?」
立て続けに来る質問に、ウリュウは静かにスランシャに顔を寄せ、またうっすらと笑って見せた。
「知りたい? スランシャちゃん?」
低いその声に、水色の少女はゴクリとつばを飲むと。小さく頷いた。
「……もちろん……」
「じゃあ、ボクにちゅーしてくれたら―——」
「アホかー!!」
次の瞬間、勢いよくダジトがウリュウをどつく音が響いた。