竜の務め
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「フン……思ったよりも慎重な奴らだ」
戦わずして逃げた二人に対して、少々残念そうに隣に立つミズミが呟く。それを私は横目で見て思わず苦笑していた。先ほど話していた時には、戦うことにあまり気乗りしていない風だったのだが、一度戦うと決まれば迷いがない。やはり彼女は好戦的な人だ。
そんなことを思う私の背後で、ダジトが驚いたような声を上げていた。
「まさかあいつらが戦わずに逃げるなんてな……」
彼の発言に私はミズミと視線を合わせた。案の定、彼女は確認のために口を開いた。
「……オレ達の力を感じて逃げるのは想定範囲内だ。ちゃんとアイツに追跡の術は施しただろうな?」
「ええ、以前にかけた術がまだ残っていましたから、更にそれを強化しました」
私の答えに満足気に口の端を歪めるミズミとは対照的に、リタが私を見上げて怪訝な表情をしている。
「え? ど、どういうことですか? あいつらが逃げるのも……予想していたってことですか?」
見上げてくる少女の瞳を見ながら、私は微笑んでみせた。
「まあね。大事なのはアニムス達が盗んでいった石をどうやって見つけるか、だから」
事の流れはこうだった。
地下通路の出口の見えてきた辺りで、私は聞き覚えのある音を聞いたのだ。激しい憎悪のこもった攻撃魔法の音だ。この魔力の響かせ方は特殊な術の使い方で、聞いたことがある相手はすぐに思い浮かんだ。
(アニマ――!)
音に気づいて私が動き出そうとするのとほぼ同時だった。ミズミが鋭い心音を響かせて私を制した。
(待て、クーフ! 慌てずとも地上は安全だ。メイカがいる限りはな)
そのどっしりと落ち着いて聞こえる彼女の心音は、彼女の彼に対する絶大な信頼だ。それほどまでにウリュウの能力を彼女は買っているし、それだけの力が事実あるのだろう。
そう思うと、一瞬生じた焦りをぐっと飲み込むことが出来た。それを確認してからミズミは再び音を飛ばした。
(――さてはこの音……この音の主がお前らの敵、石を狙う奴らか)
私が無言で頷くと、ミズミの瞳が揺らめいて紫色の輝きを発した。
(なるほど……随分奇妙な音を出す……。普通の精霊族とは魔法の使い方も違うな。石を狙うだけあって、確かに一筋縄でいく敵ではなさそうだな)
私が説明したわけでもないのに、ミズミは的確に敵の特徴を当ててみせた。それは彼女自身の能力の高さを表していた。思えば師匠もそうだ。瞬間的に相手の能力を見抜き的確にそれを当てられる。きっとミズミは師匠たちと同等近くの力を身につけたのだろう。そこに行き着くまでの努力が並大抵ではないことを知っているからこそ、私の中に彼女に対する尊敬の念と、そして若干の対抗意識が生まれているのを感じた。
一方のミズミは私に話しかけた後、今度はその心音をずっと遠くに飛ばした。決してダジトやハクライには聞こえないのだろうけれど、私には分かる。通路の出口にまで届くような大声を心音で叫んだのだ。
(メイカ!)
その一言で十分だった。闇の通路にまで響くような低い咆哮が聞こえた気がした。竜の唸り声だ。しかしもちろん肉声ではない。ウリュウが心音で答えたのだ。
(時間を稼げ。今オレたちも向かう。油断させておけ。すぐにオレの攻撃を食らえるようにな)
ミズミの言葉に、竜が笑ったようにのどの奥を鳴らす音が聞こえた。
(じゃあ、ボクは戦わないよ〜。結界をギリギリまで張っておくよ)
その返答に、ミズミも笑ったような音で答えた。いつも竜とミズミはこんなやりとりをしているのだろう。
(さてと、敵が来たのでは時間がないな。クーフ、お前追跡に使えるような術は使えるか)
すぐさま会話の矛先をこちらに向けて、彼女は疑問を投げかけた。
(術をかけられた者が近くに来ると、私に存在を知らせる鈴のような術はありますが……)
答える私にミズミは首を振った。
(そんな待ちの術では駄目だ。こちらから相手を探せるほどの追跡の術がいい。オレの術を教えてやる)
思いがけない言葉に、思わず私は目を丸くしていた。心音を発するよりも早く、私のその心の動きを感じ取ったのだろう、ミズミが不機嫌そうに呆れる心音が聞こえた。
(なんだ、意外そうな反応だな)
(まさか――貴女から術を教えてもらえるとは思っていなかったものですから)
私の答えに、闇族王は外見からもわかるようにため息をついた。
(お前から例の術を教えてもらうからな、その代わりだと思え)
……どうやら私が術を教えることはもう決定しているようだ……。今度は私がため息をつく番だった。その反応を見て彼女は満足気に音を飛ばした。
(……決まりだな)
そこまで言って、彼女は急に肉声でハクライとダジトに声をかけた。
「通路から出るまでは、気配を出さずにいろ。地表に嫌な気配を感じる。奇襲するためにも大人しくしていてくれよ」
そんなやりとりを、地表に来るまでの間にしていたわけなのだ。
「アニマに傷を負わせることが出来ただろう? あの傷はいうなれば本当の術を隠すためのダミーみたいなものでね。本当の狙いは、追跡の術をかけることだったんだ」
私の説明に、リタよりも先にダジトが目を丸くして嬉々として叫んだ。
「マジかよ! 奇襲って倒すほうかと思ったらそこまで考えていたのか!」
「じゃ、じゃあ、クーフさんの術でアニマの居場所を探すことが出来るってことですか?」
「ようやくね」
リタの言葉に私が微笑み返すと、ミズミもニヤリと微笑んで続けた。
「後は正確な地図で敵の居場所を探るだけだな」
「ようやくだな……。あいつらを逆に追うことが出来るってのは……」
「確かにそうだね」
ダジトの言葉に私はミズミを盗み見る。彼女の――いや、彼女たちの手助けがなければ
なかなかここまで敵を追い詰めることは出来なかっただろう。今まで攻めの手がなく、石を探すか守るかしかできなかったわけだが、ここからは違う。石を取り返すためにようやく攻める事ができるのだ。
しかし――。
そんなことを思っていると、はっと思い出したようにスランシャが声を発した。その表情は決して明るいものではなかった。
「でも……気になることを言っていましたわ……。石はここの一つで終わり……」
その発言に、先ほどまでの高揚感が一変、リタもダジトもはっとしたように顔を見合わせた。
「残り一つって……おい、おかしいよな……」
「た、たしか……ここ以外で石が残っているのって……」
不安げに私に視線を向けたリタに、私は頷いてみせた。
「ネスグナの居たジフーラの神殿……。もしかしたら……」
その後に出かかった言葉を飲み込んで、私はミズミに向き直った。
確かにおかしい。石は確かにあいつらが奪っていったが、奪えていなかった石は二つあるはずだった。今私達が見てきた光・闇の石とそしてあの神殿に残っているはずの石――。脳裏に深い森に佇むあの白い神殿が浮かんでいた。
私が言うよりも早く、ミズミは呆れるように口を開いた。
「やれやれ、どうやら思ったよりも状況は悪化しているようだな」
私の顔を見るやいなや、彼女は形の良い眉を片方上げてため息混じりに呟いた。
「敵を追いたいところですが……」
私が言いかけた言葉を片手で制し、彼女は視線をウリュウにずらして口を開いた。
「ああ、まずはそのジフーラとかいう場所の石の確認が先なんだろう? ……メイカ」
「はいはーい」
相変わらずの間の抜けた声で男が返事すると、ミズミはあごで私を指しながら指示を飛ばした。
「こいつらを転送魔法で飛ばせるか?」
「え〜……精霊族の国でしょ〜?……遠いなぁ……」
あからさまに嫌そうな声を出す男に、ミズミは鼻で笑って答える。
「どうせ確認がいるんだろうが。もしも、本当に最悪の事態が起こっているのだとしたら……そのネスグナに会う必要があるんだろう?」
ミズミの発言に思わず私達は顔を見合わせた。ウリュウがネスグナに会う必要――一体何の事なのだろう。
疑問で首を傾げている私達をさておき、ウリュウはため息を吐いてうなだれていた。
「面倒くさいけど、仕方ないもんなぁ……。そろそろボクの本来のお仕事時なのかなぁ」
そこまで言ってウリュウは顔を上げ、主に向けて迷いなくその瞳を向けた。
「スティラ様、許可を頂いてもいいかな? 我らウリュウの主の命令を果たす時かも知れないからさ。ネスグナって人に確認して、場合によっては……」
「ああ、竜としての働きをしてこい。それがオレに対する役目でもある」
ウリュウの意味深な言葉に、ミズミにしては珍しく優しい笑みを浮かべて答えていた。
彼らのやりとりを意味もわからず眺めているだけの私達だったが、そんな私達に向き直って、ウリュウはイタズラに微笑みを浮かべて見せた。
「さてと。だとしたら、転送魔法よりももっと効率的な移動方法があるから、そっちでいこうか」
「え、どういう……」
疑問をダジトが口にするのとほぼ同時だった。ウリュウは大きく息を吸うと、それに合わせて胸が大きく膨らみ始めた。しかしその膨れ方が尋常ではない。見る間にその細い体が胸だけでなく肩も腹も大きく膨れ上がっていく。それと同時に彼の皮膚も大きく変化を始めていた。白い皮膚にぼつぼつと青い斑点が生まれたかと思うと、それはあっという間に彼の皮膚を覆い尽くした。それが鱗だと気付いた時には、既にその体は人の姿から大きくかけ離れたものとなっていた。気がつけばそれを見上げている私達がいる。そんな私達の上に覆いかぶさる影はすでに大木、いや、何かの建造物のような大きさになっていた。遥か上空に行ってしまったウリュウのあの細い目が開かれると、そこには細長い瞳孔がぎらりと光る巨大な緑色の瞳。先ほどまでウリュウが立っていた場所には男の姿など当然なく、合計四本の大木ほどの太さの足にかわっていた。どれも鋭い爪が生え、力強く地面を鷲掴みしている。それより遠くで揺れている長い尻尾が見えた。 巨大な尻尾に巨大な胴体、巨大な四枚の翼、それと比べると少々小さめなゴツゴツとした四肢……あっと言う間にウリュウは巨大な竜そのものに変化してしまったのだ。
あっけにとられている私達の前で、巨大な竜は大きく咆哮をあげた。腹の底から震えるような大きな低音を響かせれば、たちまち森のあちこちで鳥が飛び立つ音が聞こえた。
「毎度のことながら、メイカの変身って面白いな〜」
一方でこの光景は見慣れているのだろう。ハクライがのん気に天を仰ぐように、はるか頭上にあるウリュウの頭部目掛けて声をかけていた。目の前の光景からはなかなか想像のできない間の抜けた会話だ。これには私も、そしていつもならツッコミをいれるダジトでさえも言葉がでない。
そんな私達をさておいて、それに答えるようにウリュウが低い唸り声をあげた。
(悪いけど、この姿じゃ喋れないからさ。念話で失礼するよ)
その低い唸り声に紛れて、ウリュウの心音がずっしりと心に響いてくる。しかしその声の大きさは通常の私やミズミのそれとは違う。大きなその音は、エンリン術を使わないリタ達にも聞こえているようだった。
「わあ、声が直接頭に響く感じがする……」
「これが念話というものですのね」
念話は初めてである彼らは、ウリュウの言葉に目を丸くしていた。
ウリュウ本来の姿は驚くほど速かった。今まで私達が三日もかけて歩いてきた道のりを本当に一瞬で飛び越えてしまうのだ。あっという間に闇族の大陸を飛び出すと、久しぶりに北方大陸が見えてきた。日数で言えば本当に数日ぶりのはずなのだが、改めて訪れると懐かしい感じがした。
快適な空の旅に、束の間の快感を覚えたのだろう。ダジトもリタもスランシャまでも、楽しげに下界の様子を眺めている。
(それにしても……どうしてウリュウさんがネスグナにあう必要があるんですか?)
唐突に気になってこっそりと心音を飛ばすと、思いがけず静かに念話が響いてきた。
(やっぱり気になるよねぇ、そこ)
思ったよりも小さなその音は、恐らく私にしか聞こえていないのだろう。その心音に他の三人は反応しなかった。
(そもそも、どうして竜ほどの存在がスティラ様……闇族の王を守っているのかってところから始まるんだよ)
彼の言葉に私はあの光・闇の石のあった地下を思い出す。光の石と同化してしまった一人の女性……それこそが闇の女神であり、その魂の一部がガイアサンジスだと言っていた。
(あのガイアサンジスを守るのが貴方の役目……だからこそ闇族に仕えているんですよね?)
私の回答に竜は喉を唸らせた。
(そ。じゃあそのガイアサンジスを守るようにっていうその役目は誰に託されたか。そここそが重要なんだよ)
(……もしや、その役目を……竜である貴方に託した者がいると……。まさか……ネスグナが……?)
(ククク……察しがいいね。でもネスグナがボクに役目を託した人ではないんだよ、正確には。でもま、似たようなもんかな〜)
ウリュウの答えに私は沈黙して考えこんでしまった。ウリュウに役目を与えるほどの人物……。竜が従うまでの存在とはなんだろうか……。精霊もそうなのだが、一般的に力の強い存在は人の指示には従いにくい。ましてや人知を超えた存在でもあるのが精霊であり、竜などの神獣だ。その竜に役目を与えるなど、とても今の私には予想ができるものではなかった。とはいえ……
私は森の白い神殿で出会ったあの茶髪の少年を思い出していた。ジフーラの神殿を守っていた光・風の石の守護役、ネスグナだ。ウリュウはネスグナが役目を与えたわけではない、とは言ったが、ウリュウがわざわざ確認に会いにまで行くのだ。いずれにせよ普通の人物ではないだろう。初めてネスグナに出会った時のことを思い出せば、それは何となく分かる気がした。エンリン術のことを知り、心音すら感じさせない少年……。しかも人が今まで入ったことがないと言われていたあの神殿の中で守護役を務めているのだから――
考え出せば謎が深まるばかりだが、そもそものこの光の石の事自体、全て謎だらけだったのだ。きっとネスグナにウリュウが出会うことで何かが分かるのだろう。
期待と一緒に、石が奪われたかもしれない事に対する不安と、それとは違う妙な不安もこみ上げて、私は嫌に焦燥感だけが募っていた。