竜との対峙
白い廊下を一人とぼとぼと少女は歩いていた。いつものように白く色の抜けた肌と髪が、その廊下に同化しそうなほどで、その表情はいつもに増して儚げに見える。苦しそうに眉を寄せ唇をわずかに噛むそれは、肉体的な苦しみから来ているものではない。深くため息を付き、高い窓の向こうに視線を送る少女は、何か深く悩んでいるように見えた。
長い廊下のその先で、今しがた廊下に出たばかりの黒い少年の姿がはっきりと見えた。きょろきょろと廊下を見回していたが、少女の姿を確認するや否や少年は小走りに少女の元にやってきた。その様子をずっと少女は視線だけで追い、目の前に少年が来るまで無言で見つめていた。
「……今戻った。……どうした? 具合がよくないのか?」
表情を見るとすぐに黒い少年は心配そうに少女の顔をのぞき込んだ。いつもは鋭く光る緑色の瞳が、少女の目には優しい色に見えた。
「大丈夫。具合はいいの……」
言葉とは裏腹に少女の表情は暗い。それを気にしている様子ではあったが、黒い少年はポケットをまさぐると、珍しく表情を明るくしてそれを取り出した。
少年の手の上には、黄色の光を閉じ込めた金に光る不思議な形をした石が浮かんでいた。
「……これが……」
その美しい光に少女の表情がようやく変わる。驚いたようなその表情に少年は満足そうにわずかながら口元をほころばせた。
「そう、これが光の石だ。残るはあと一つ……。それが手に入れば、僕の仕事も終わる。そしてレンファ……。これが君の治療にも役立つんだ」
その言葉に、名を呼ばれた少女は再び表情を暗くした。
「でもシャドウ……。私は……もういいの……」
その言葉に、少年はその瞳を大きくして一歩少女に歩み寄る。それに構わず少女は続けた。
「あの方……バンロウ様のやろうとしていることは……私は……たとえ私の身体が健康になるんだとしても……そんな……神の領域に手を出すなんてこと……私には……お手伝いできない……」
「……レンファ……」
少女の言葉にただポツリと名を呼び、少年はうなだれた。
「……でもレンファ……。僕は……君を救う手立てがあるのに何もしないなんてことは出来ない。レンファ、諦めないでくれ。僕は君に死んでほしくないんだ。生きていて欲しい」
少年はそう言って、少女の白い手を空いている片手で握りしめた。その手を見つめ、少女は白い髪を肩からこぼしながらうなだれた。
「叔父のやることがどうなるかなんて関係ない。僕はただ君を救いたくてここまでやってきただけだ。君は……生きることを諦めないでほしい。この方法で、きっと君の病は克服できるはずなんだ……!」
力のこもる少年の声に、少女はうっすらと目に涙を浮かべ、静かに頷くのだった。
「さぁて、ナニしに来たのかな、怪しいお兄さん」
のん気な口調の裏に、今までにない敵意を含ませて細身の男が首を傾げる。透き通るような青空の下、緑は風に揺れ平和な木の葉のかすれる音がするばかり。そんなのどかな空気を他所に、目の前の二人は睨み合うように向き合っていた。細身のなりをしたウリュウさんが首をかしげるその動きに合わせ、緑色の髪がさらりと動く。さっきまで話していた間抜けな空気が一変している。離れていても感じる魔力の波長が酷く攻撃的で、思わず私は生固唾を飲む。
「ちょっと探しものですよ。もちろんそこにいるスランシャも頂きに来ましたが……一番は『光の石』という物を探していまして」
一方の向きあう男は銀髪を風になびかせ妖艶に微笑む。赤い目を細め、銀髪の男、アニムスが口の端を歪めて囁くその言葉に、私は思わず背後の石版を盗み見る。背後から邪悪な闇の力を吐き出しているあの石版の足元には、光の石に通じる階段が続いている。
何としてもあの先には行かせられない――!
「光の石ねぇ……。どうしてここにあると思ったのかなぁ」
一歩踏み出してウリュウさんが問いかけると、アニムスはそこで表情を変える。不敵な笑みを浮かべて私達を見ていたのだが、目の前に立ちふさがった細身な男に一瞬眉を寄せる。
「……お前……ただの闇族ではないな……? 何者だ……?」
その言葉に、思わず私とスランシャさんはお互いに目を合わせた。普通に見ていては気がつかないが、ウリュウさんは精霊族でも闇族でもない。クーフさんやミズミは見抜いたと言っていたけれど、姿形はそれこそ普通に見えるが実はこれは仮の姿。本来の姿は巨大な竜だと言っていた。まさかアニムスは見ただけでウリュウさんの正体に感づいたのだろうか。
「君に言うようなことではないかな〜。ねぇ、『アニムス』くん」
名を呼ばれて、更にその眉を寄せる男をさておき、ウリュウさんはまた一歩前に踏み出して腕組みをした。
「残念だけど、君をこれ以上先に進ませるわけにはいかないなぁ。スランシャちゃんをあげるわけにはいかないし、なにより―—」
と、ウリュウさんは腕組みした状態で首を垂れて低い声で唸るように言った。
「光の石が欲しいならなおのこと――」
その途端、耳鳴りのような音が空間を走り抜け、その強い魔力に私は身震いする。
「これは……!」
次の瞬間、アニムスが眉をピクリと動かし、スランシャさんがはっとしたように周りを見渡した。
「これは……結界ですわね……」
「結界……?」
言われて初めて気がついた。周りを見渡せば、まるで薄いガラスのような壁がウリュウさんを中心にして球状に辺りを包んでいる。その薄いガラスの向こうにアニムスが立っているのだ。
それにしてもあの一瞬のうちに結界を張っていたなんて……術の発動を感じさせてなんかいなかったのに……!
「さぁて、壊せるものならどうぞ、アニムスくん」
驚く敵の目の前で、細身の男はその細い目をぎらつかせるようにして微笑んでいた。
*****
長い階段の向うにうっすらと光が差し込んでいるのが見えた。私達は光の闇の石につながる地下通路を戻っているところだった。地獄にでもつながるんじゃないかと思うほどの暗く長い階段だったが、それもいよいよ出口が近いのだ。
私の前を歩く金髪の少年がうんざりしたようにうなだれる。暗い階段では彼の金髪はとても目だって見えた。
「それにしても、長い階段だったな……。闇の力が強すぎてホント気分悪いぜ」
ため息一つ吐きながらダジトが呟くと、その発言にケラケラと長身長髪の男が笑う。
「精霊族には辛いよね。オレらにはそうでもないんだけど」
ミズミの側近、ハクライはその長い黒髪を揺らしながらミズミの後ろを歩く。疲れの見えるダジトとは違い、ハクライにもミズミにも疲労の色は見られない。これが闇の力に対する闇族ならではの強みなのかもしれない。
「ところで、お前たちこれから先はどうするつもりだ?」
私のすぐ後ろで、ミズミが久しぶりに肉声で問いかける。その問いに私が答えるよりも早くダジトが口を開く。
「あの光の闇の石は、持ち出せなさそうだけどさ、多分盗もうと狙ってるよな、あの二人組」
ダジトの言う二人組とはアニムスとアニマのことだ。銀髪の浅黒い肌をした赤い目の男、アニムス。それとは対照的に黒い髪に白い肌、青い瞳をした妖艶な女性、アニマ――。
彼らの目的ははっきりとは見えないが、少なくとも良い方向に石を用いようとは思っていないはずだ。それこそ――ミズミが危惧するように石の強大な力を利用して、軍事力どころではないもっと恐ろしいことに――。
恐らく、奴らは石の本来の使い方を知っているはずだ。しかし――超古代文明の遺産をどうして彼らがそこまで詳しく知っているのかは疑問が残るが……。
「きっと奴らは現れる。そこで捕まえられれば、奪われた石も取り戻せるとは思うんだが……」
私の言葉にミズミがため息混じりに答えた。
「面倒くさそうな敵だな。石を狙ってここまで来るんだとしたら」
彼女の言葉に私は無言で考え込んでいた。そもそも超古代文明の遺跡にしか記されていないような光の風の石の神殿にも奴らは現れた。私達も神殿でネスグナから聞いたからこそ、こうやってこの土地に隠されている光の闇の石の在り処に気がついた。一般的には知られる筈のない光の石の在り処を、どうしてアニムスたちは知りうるのかははじめから疑問だった。だがそれを知りうるということは、それだけ敵の能力も未知数だということだ。
「来るの見計らって、皆で戦えば捕まえられるんじゃねえかな?」
ダジトは表情明るく振り返ると、その顔にミズミが意地悪く口の端を歪めて笑った。
「おい、それはオレたちも一緒に手伝えってことか?」
「え、いや、駄目かな?」
ミズミの高圧的な言葉にダジトが一瞬たじろぐ。
「いえ、ぜひ手伝って貰いましょう。ミズミの力があれば、あいつらもさすがに手出しできないでしょうから」
間髪入れず私が笑顔で続けると、ハクライまでもがにこにこと頷いて答える。
「いいよ。オレも気になるし戦ってみたいしね」
ハクライの無邪気な言葉に、ミズミも呆れたようにため息を吐く他ないようだった。その様子にダジトと私は思わず顔を見合わせて笑っていた。
「……ま、どっちにしてもオレの国で好き勝手されるのは黙ってはおけんか……」
真顔に戻ったミズミは独り言のように呟くと、今度は私を睨むように見つめ音を飛ばしてきた。
(オレが協力する以上、あいつらをこの土地には近づけさせんぞ。あいつらをしっかり仕留めてこいよ)
その心音に私は無言で頷いてみせた。
(神出鬼没な敵だが、恐らくここに現れることは間違いないだろう。奴らはおそらく光の石の力に引き寄せられている。だとしたら……逆にお前たちも石の力を追って転送魔法を使えばいい。石のある場所にはあいつらがいるだろうな。それに――)
ミズミはそこで階段のずっと先に見える小さな光の穴を見つめた。
(きっと真の親玉もそこにいるだろうからな……)
その言葉に私は無言でいたが、心の中では頷いていた。そして同時にあの少年の気配を思い出していた。あの二人と一緒にいるはずの人物だが、一度も私達の前に現れたことはない。もしかしたらその人物が親玉なのだろうか……。アニマとアニムスの発言から、何となくそれは違うような気もしていた。
(それよりも――これからの戦略を考えようじゃないか)
私の考えを遮って音を飛ばしたミズミに視線を向けると、どこか楽しげに不敵な笑みを浮かべていた。
(きっとその二人組が来るんだろう? こうしている間にも狙ってきているかもしれん。だったら、どうやって奴らのしっぽを掴むか……エンリン術の使い方を考えねばな)
そう微笑むミズミに私が頷いた時だった。はるか遠くに見える通路の出口から、聞き覚えのある嫌な音が聞こえた気がした。
*****
『アクイア!』
今度は激しい激流だ。海にでも放り出されたんじゃないかと思うほどの大波が突然現れて、今にも私達を飲み込もうと轟音と共に襲いかかる。でも――
ウリュウさんが表情一つ変えることなく見守るその目の前で、大波は壁に弾かれて私達を飛び越えて後ろへと流れて消えていく。
「何度やっても無駄だよ」
呆れたような顔のまま、間延びした声を響かせるのはウリュウさんだ。今しがた現れた大波を冷然と見つめて、その先にいるであろう敵に言葉を続ける。
アニムスの攻撃は何度目だろう。しかしどの攻撃も一度も私達をかすりもしなかった。それもそのはず、すべてウリュウさんが作った結界に弾かれて、それこそ水の一滴ですら私達には届かなかった。轟音のような水の音が通り過ぎると、またも穏やかな日差しと平和な森の様子が視界に広がっていた。
「ボクの結界はそう簡単に壊れないよ。それこそ、スティラ様の術なら別だけど……。いい加減諦めたら?」
波が消えると、薄い結界の向こうで斜めに構えたまま睨みつけている男の姿が現れる。眉を寄せ不機嫌そうな表情をしている銀髪の男は、珍しく無口だった。ウリュウさんの言葉を聞いているのかいないのか、再びその両手を大きく振りかざすとまた呪文を唱えた。
『タナトゥス!』
私が何度も命の危険にさらされた黒い闇の波動だ。呪文とともにその両手の中で膨れ上がった禍々しい黒い光は、放たれると同時にまた私達を飲み込もうと更に膨れ上がった。
しかし案の定、あの薄い結界に触れた途端、その結界の向こう側であの黒い波動は弾かれて砕け散った。
「……ちっ……」
アニムスが舌打ちすると、砕けてはらはら落ちる闇の光を挟んで対峙する細身の男性は静かにため息を付いた。
「……一応聞いといてあげるけど、君らは石を集めてナニするの?」
唐突な問いに、アニムスは無言のまま動かなかった。ウリュウさんは続けた。
「光の石は、ただの力あるアイテムじゃない。使えばそれこそ世界を破滅させるような石だよねぇ。それを知った上で集めているのは、どういうわけかな……?」
その言葉にアニムスの表情が変わった。赤い瞳が黒く濁ってその中に黒い感情を見た。ニヤリと口の端を歪め不気味に微笑むその顔は、ズスタの軍基地で見た時と同じだ。黒い感情しか読み取れないそれは、人間離れしているように見える。唐突な変化に私は思わず身震いした。
「……石の使い方を、ワタシ達以外に知っている者には初めて会いましたね……。まさか……」
と、そこで初めてアニムスが構えを解いた。しかしその表情と身体に纏う空気はまだ殺意が含まれていた。
長い銀の前髪をかきあげて、男は見下すようあごを上げて息を吸った。
「……ここの石を守っている守護獣……か」
その言葉に、ウリュウさんがあからさまにため息をついた。
「はあぁ……。なあんだ、君、もう少し察しがいいかと思ってたのに、たかが守護獣と見られるなんて心外だなぁ」
その時、ふいに空間を震わせる音が響いて、アニムスの背後の空気が揺らめいた。それを見て私とスランシャさんはすぐに気がついた。空間の空気が揺らめいて、まるで水面のような波紋が空中に浮かび上がる。空間の揺らぎは転送魔法の証拠だ。そしてあの転送魔法は見覚えがあった。あれは――
「あらアニムス。自分に任せておけなんて大口叩いて、まだ仕事は終わってないようじゃないの」
その水面のような空間から揺らめくように姿を現したのは、白い肌に露出の高い服装、黒髪をかきあげて艶っぽい笑みを浮かべる女性――案の定アニマだった。現れるや否や、妖艶な女性は憎まれ口一つ挟んで、すぐに目の前の私達にちらと視線を向けた。一方のアニムスは現れた女性に見向きもせず、目の前のウリュウさんと睨み合ったままだった。そんな男の背後から呆れたような声でアニマは呟く。
「あら、用心棒はいてもたかが小娘二人……余裕なんじゃなくて?」
小馬鹿にしたようなその視線を私達に向けて、アニマは意地悪い笑みを浮かべた。
「そう思うなら、お前がやってみてもいいんだぞ。こいつ、石の守護獣だ」
表情変えずにアニムスが無表情に声を発すると、アニマは驚いたように目を丸くしてウリュウさんを見た。
「……あら、まだ守っていたってこと……? とっくに滅んでいたのかと……」
まだ守っていた……?
アニマの意味深な発言に思わず眉を寄せる私を他所に、ウリュウさんは現れたばかりの女性に呆れるようにため息を付いてみせた。
「君たち、ボクを見くびりすぎだよ〜。そんな大口叩くなら、このボクの結界を壊してみなよ」
対するウリュウさんはケンカの売り言葉に怒っている様子はない。寧ろ憎まれ口を叩く子供相手に呆れているような、そんな雰囲気だ。言葉の裏には彼の絶対的な自信を垣間見る。少なくともこの二人はミズミほどの攻撃力はないということなのだろう。そう思うとちょっとだけ安心感がわく。
「随分自信ありげね……。ワタクシもお相手したほうがいいかしら……?」
ぺろりと唇をなめて微笑むアニマはいつもに増して妖艶に見える。そんな彼女を制するようにアニムスが首を軽く動かした。
「よせ、アニマ。アイツは普通の男じゃない。誘惑の術はきかんぞ」
その言葉に不機嫌な表情を一瞬浮かべたアニマだったが、すぐにウリュウさんの様子を見て気がついたらしい。先ほどまでの艶っぽい微笑みが消え、憎々しげに彼を睨みつけた。
「あら……なるほど……。ただの守護獣ではなさそうね……」
アニムス同様、アニマにもウリュウさんが何者なのか感じ取る力があるのだろう。正体まではわからずとも、なにか察しているように見えた。
「これじゃあ、真っ向から立ち向かうしかなさそうねぇ……」
ため息一つついてアニマがニヤリと微笑む。その気配に殺気を感じ、思わず私は身構えた。とはいえ――
私はウリュウさんを盗み見た。彼の結界の中にいるから多分安全だとは思うのだけれど……。
そんな私の思惑を他所に、結界の向こう側であの二人組は両手に力を込め始めていた。
「ワタシ一人の術ではびくともしない」
「貴方が弱すぎるのよ。ワタクシが手伝えば倍増でしょ」
「まずは結界の破壊とあの男を的にするぞ」
「わかってるわよ」
そんな二人の会話を聞きながら、私とスランシャさんはいつ結界が壊れても大丈夫なように、こちらも戦闘態勢に入っていた。その時だ。不意にウリュウさんの声が響いた。
「二人とも、石版の後ろに回って」
私達より少し前に立つウリュウさんは、今まで敵に対してだけ話しかけていたのだけれど、視線を動かさず落ち着いた雰囲気でそう呟くように言った。あまりに唐突で真意がつかめず、思わず私達が顔を見合わせていると、彼は先程より声を大きくして急かした。
「時間がない、早く!」
意味もわからず私とスランシャさんは言われるままにあの石版の背後に回った。あの黒い闇の力を発している地下へと続く階段を見つめながら、私は石版の背後に回りこむ。地下に続く階段は真っ暗で、まだクーフさんたちの姿は見えない。
「いくわよ……」
「いくぞ……」
その間にもあの二人の両手には黒い闇の波動が大きく渦巻いていた。あまりの勢いに森の木々が鳴り出すほど、強い風が巻き上がっていた。ミズミの破壊術と比べたらまだましかもしれないけれど、それでも感じるあの禍々しい力は相当なものだ。ウリュウさんの結界がまさか壊れるなんてことは……
嫌な予感を打ち消したくて、私は慌てて首を振った。
闇の魔力の威力に、私達の周りにまで風が吹き荒れ始めていた。その黒い光が膨れ上がり、あの二人が同時に口を開いた。
『タナトゥス!!』
放たれたその瞬間だった。響いたのはのガラスの砕けるような音――
思いがけない音に私もスランシャさんも思わず上空を見上げた。見れば薄いガラスのような結界にひびが入り、上からガラスの破片が降り注ぐようにそれが崩れるところだった。そう、ウリュウさんの結界が壊れたのだ。しかも不思議なのはあの黒い波動が当たるよりも先に――!
思わず息を飲んだ。そんな――結界がなかったらそれこそあの攻撃魔法は――ウリュウさんに直撃してしまう!
慌てて私が前に出ようとしたその瞬間だった。
『ファイラン!』
唐突に聞き覚えのある声がして、あの黒い巨大な光の塊目掛けて白い光の球が飛び出してきた。ハッとする間もなく二つの玉が激突して、その次の瞬間だった。
「うわあ!」
黒い光と白い光の球のぶつかり合いは、すぐにすさまじい突風を吹き起こした。轟音に周りの木々までもざわざわと一斉に枝を揺らす音が聞こえた。風にさらわれる髪を押さえるその向こうで、誰かが飛び出してきたように見えた。
「なにっ!?」
「あぁああああ!」
次に聞こえたのは意外にもアニムスとアニマの叫び声だった。驚いて石版の影から身を乗り出すと、収まりだした風の向こうで、見慣れた二人の人物が私達に背を向けて立っていた。風にマントをなびかせる茶髪の人物と、背の高い帽子のかっこいい男性……!
「ク、クーフさん! ミ、ミズミも……!」
一体いつの間に現れたのだろう。一瞬で現れた二人の人物は、その先にいる二人組みと対峙しているように見えた。しかし先ほどまでと違うのは、予想外にも敵は先ほどいた位置よりもはるか遠くに立っていたことだ。どうやら攻撃を受けた後らしく、アニムスの上着が裂け、アニマはその白い腕から血を流していた。あのミズミの攻撃が当たったということだろうか。もしかしたら、クーフさんも攻撃を仕掛けていたのだろうか……?
「思ったより逃げ足が早いじゃないか」
あの二人に負けないほどの高圧的な声が響いた。目の前で腕組みするような姿勢で立ち、その声色には笑みまで感じさせる。声の主は案の定ミズミだ。背後からしか様子が伺えないけれど、きっとあの瞳が紫色に輝いてあの二人を睨んでいるのだろう。
敵の態度は一変していた。先ほどまでの薄ら笑いは消え、アニムスもアニマも目をギラギラと光らせてミズミを睨みつけていた。
その時、私はハッとした。まさか――
私はウリュウさんを見た。もしかして、ミズミとクーフさんがあの二人に襲いかかるのを察して、彼は結界をあのタイミングでわざと解いたのだろうか……? だとしたら合点がいく。結界が壊れて、ミズミやクーフさんが結界の外に飛び出せるように――
ウリュウさんとミズミのコンビネーションとでも言うのだろうか。絶妙なタイミングに今更気がついて私はあっけにとられていた。
そんな私の目の前で、私以上に驚いていたのは、思いがけずアニムス達の方だった。
「……まさかこれほどの力を持つ闇族がいたとはな……」
どうやら心底驚いていると見え、珍しくアニムスに余裕は感じられない。冷や汗でも流しそうな顔色で睨みつけている相手はおそらくミズミだろう。唇を噛み、心なしか焦燥感まで感じられる。
「オレの目の届く範囲内で好き勝手出来ると思うなよ」
そう言い放つミズミの隣で、まっすぐに立っているのは帽子の男性、クーフさんだ。彼のほうは無言で静かに敵を見つめているだけだ。やっぱり後ろ姿もかっこいいな……なんて思っている場合じゃない。
「……分が悪いわね」
敵の動きは突然だった。アニマがそう呟いたと思った瞬間には、二人の姿が揺らめきだした。転送魔法を発動したのだ。
「あっ!」
「逃げる気ね!」
敵の様子に気がついて私とスランシャさんが慌てるが、思いがけずミズミもクーフさんも落ち着いたものだった。揺らめいて消える敵を目の前にそれをただ見送る様に見つめている。
「諦めて逃げるか、その方が得策だ」
ニヤリと言い放つミズミに、思いがけないことに、消えながら不敵に敵は微笑んだ。
「慌てることはない……」
「どうせ後はここの一つで終わりですもの……。他の五つを支配した後でも十分よ……」
最後にそんな捨て台詞を残して敵は消え失せた。