エピローグ ― 繋がる思い ―
どれほどの涙を流したのだろう。二人分の涙で枕元は重く濡れていた。少女と一緒にお互いに泣き続けていたのは――お互いに愛していた人への想い故だったのだろう。
泣き崩れる少女をあやすように私は撫で、逆に涙する私を少女は小さな両手で肩を抱きしめるように包んでくれていた。
愛しい人を失ってしまったのは――どうしようもなかったのだと――
そう、お互いに慰め合っていただけなのかもしれない。いや、寧ろ私の一方的な謝罪だったに違いない。そんなことを、今更リタに言っても何にもならないことは、誰より私自身が感じていることだった。こんなことをしても、もうあの人は戻らない。
でも、それでも――
あの人によく似ているからなのか――リタがあの人の娘だからなのか――いや、もしくは――私の気持ちがあの人と同じものを、彼女に寄せているからなのかもしれない。あの人によく似た綺麗な瞳で、切なげに悲しく、でも美しく微笑んでくれる少女の笑顔は、心の奥底にある深い傷を、そっと癒すように私の心を震わせた。
「――ごめん……本当にごめんね――」
リタに言っているのか、ナナリーに言っているのか、私にも分からなかった。ただ心にあることがただただ口から漏れて、その度に胸が締め付けられていた。
「いいんです――クーフさん、いいんです――ありがとうございます――」
そんな私の言葉に、ずっとリタは頷いて涙を落としていた。
私の謝罪を受け止めて私を責めない黒髪の少女を、改めて愛おしく思う。どうして私を責めないのだろうと――私は少女の顔に手を伸ばし、そっと両手でその頬を包み込んだ。
両手で捉えきれてしまう小さな顔は、泣きはらして目も目元も赤かった。ナナリーによく似た姿だが、でも違う。
――リタはリタだ。いつでも私を受け入れてくれた、小さな少女――。その優しさに、その明るさに、どれだけ私が救われてきたことか――。
見つめるリタの潤んだ瞳に私が映っている。悲しげな表情をしていることはすぐにわかった。リタ以上に私の目も濡れているのだろう――。
「リタ――」
呼びかけて、彼女が答える前に私は両腕で少女を抱き寄せた。ベッドに横たわる私の体にリタが倒れこむように崩れた。少女の重みを感じながら、強く、でも大切に少女を抱きしめた。その重みは決して苦しくはなく、逆に気持ちを満たしてくれる気がした。
「ク、クーフさ……」
抱き寄せた少女の頭が私のすぐ首元にあって、小さく驚いたような声が耳元に響く。それに構わず私は彼女の頭に顔を寄せ、髪に顔をうずめた。
「ありがとう――」
一言告げるだけで精一杯だった。リタの体温を感じながら、私はまた涙を落とした。
***
風が吹き、木々が歌う。鳥の鳴き声が響いて、そっと天を仰ぐと青い空が頭上に広がっている。吹く風の音を聞く私の横を一陣の風が通り過ぎると、それに揺られて葉は音を鳴らす。しかし、風は私の髪はさらえない。
世界の中に、私は半分溶けているのがわかる。自分自身に響く音は、もはや鳴らしていたその器をなくし、外界に響くばかり。頭にかぶった黒い帽子と、肩に羽織った黒いマントは、霞んで虚ろな私の体を隠してくれた。
闇族の大陸は、相変わらず邪悪な一族が幅を利かせていた。光の結界が切れても、闇族は大陸の外に出ることはあまりなかった。長年の習性から、外に出られないことを学んだことが影響しているのかもしれない。しかし結界の音が聞こえる私は、すぐにそれに気がついた。
闇族の大陸からわずかに離れた小さな孤島に、私は一人そこに居座っていた。万が一、闇族が外に出た時に、食い止めることも狙いだった。しかし、一番は最期の場所を探していたのだと思う。あとは消えるだけのこの身を、静かに置いておけるような場所――。
私は片割れのことを思う。カジャはただ一人、闇族の大陸にひっそり居座っていることだろう。母の一部を見守り続けるために。それを守る者を見守り続けるために。
もう、私たちの存在を見ることができる者はいない。肉体はなくなり魂だけの存在となって、私たちはそれでもなお、消えることができなかった。それこそが、光の神の言っていた、神の傍にいすぎたことの影響なのだろう――。『半神族』――。
しかし――
私は自分自身の音を聞く。かすれていくこの音は、魂の消滅もあと僅かだということを知らせていた。母の開放を待たずして、私たちは消えていくのか――。そう思うと、胸が締め付けられた。
不意に、誰かの声が聞こえた気がした。耳を澄ますと風の音が響く。――肉声ではない。しかし助けを求めるか弱い声――。私は声の主の元へ足を運んだ。
孤島の小さな浜辺に、漂流した男を見つけた。ボロボロに破けた衣服、びしょ濡れで冷えきった体――音を聞けばわかる。もはやその命の灯火が、消えんとしていることが――。
姿は見えないだろうが、音は聞こえるだろう――。私は消えようとしているその意思に問い掛けた。
(助けを求めるは――そなたか?)
反応があった。わずかに身を震わせ、男が音を返した。
(――おお、慈悲深い大地の女神よ――。どうか……我が子を――お救いください――)
どうやら私を神々の種族だと思ったらしい。その音に思わず自虐的な思いが湧くが、男には聞こえないように押さえ込む。私は男の腕の中に向け音を探る。小さな少年が、男の腕に抱きかかえられていた。響く音がまだ暖かい。彼はまだ生きている。
(――そなたの息子――か。わかった。その願い、しかと受け止めた)
私の音に、男がかすかに笑った気がした。ふっと音が風に吹かれ、さらわれるように消えた。と同時に男の肉体も沈黙した。
やり残したことがないわけではないだろう。しかし、彼には後悔はない。その顔を見ることはできないが、音の余韻が私にその表情を教えてくれた。
――いつか私にも、こうやって消えていく日が来るのだろう。
腕を伸ばし、男の腕に抱かれた少年に触れてみた。霞んだ腕に伝わるのは、もはや音ばかり。暖かさを感じない代わりに、少年の音が響いてくる。幼いながら暖かく、強く、凛とした響きを持っていた。父を、母を思う幼いながらも強い想い――。
少年は、おそらく随分前に母を失ったのだ。そして、たった今、父を。
私の心が共鳴した。
私は少年を抱きかかえ、島の奥へと向かった。
(少年――)
歩きながら問いかける私の音に、少年がうっすらと瞳を開けた。深い闇に似た、しかし空の色も溶かしたような、深い青の響き――。どこか、私たちの父――闇の神にも似た色をもつのだろう。少年の瞳からそんな音を聞きながら、私は少年に音を投げかけた。
(お前のその強い心――その想いにかけよう。私の術が、きっとお前に役に立つ――)
私が消えても、大きな流れは動き続ける。その流れに、私は私の存在を示しておこう。
この術と思いを――母のために、あの神のために、世界のために、消さないように。