プロローグ
世界は、生まれてから何度も破壊と再生を繰り返してきた。
生まれては育ち、
育っては消え、
癒えてはまた生まれ、
多くの生けるものが存在してきた。
時代は流れ、進化を繰り返したその世界は、古来の神々にこう呼ばれた。
女神の大地「アルカタ」
ここは多くの種族が生き、魔法にあふれた世界である。
「朧朧真如」【Light side story】
『言霊使いと古の秘石』
『神の石の詩』
「神無き時代
混沌ありき 光と闇の偉大な石が
神なる力 全てを統べる
手に入れしもの 創神となる
世界はそこで終焉となる
命あるもの すべて消えて
古の神 力を封ず
溢れし闇を 闇で押さえて
全てが消える 力は消えて 命は残る
失われし時代
残されし子よ 愛されし我が子
石を守護し 創神を阻め」
*****
のどかな景色が眼下に広がっていた。真っ青な空、青々しい緑の木々、人里から離れ、静かなその山々を背景に、さわさわと風が吹く以外、静まり返った場所だった。景色だけ言えば非常に落ち着いた、いい場所だろう。だが私には分かる。この山々の奥から、なにかよどんだ空気が流れていることが。
私は、胸ポケットに入っていた紙切れを開いた。村の少年が書いてくれた地図だ。幼い字で丁寧に書いてくれたその地形と見比べながら、私は現在位置を確認する。
「地図で見ると、大分近いようだな……」
目的地の方向へ視線を向け、私は意識を集中する。視界が閉ざされると、肌に触れる空気が意識を刺激する。真っ暗な視界の向こうで、どんよりと重い気配が、うっすらとこちらに伸びているのが分かる。肌に触れるその気配は、ずっとずっと森の奥深くから、煙のように伸びてきているのだろう。同時に魔物の気配が増えていることも確認できた。
「……どうやら目的地は間もなくのようだ……。急ごう」
私は瞳を開き、そのまま前進を続けた。
私が小さな村に立ち寄ったのは昨日のことだった。村の人々が生活の頼りにしている山に、最近妙な魔物が増えているということを聞いた。
「兄さんも、北方大陸を目指すなら、あの山を越えなきゃいけないだろ。気をつけたほうがいいよ」
旅先で休ませてくれた宿の少年が、私にそう言ってくれた。
この世界には、魔物が人々の生活の身近な所に存在する。もちろん、人に害をなすこともあるが、魔法を使える魔術師や、戦いに慣れた警備隊や魔導師がいれば問題はない。しかし、この小さな町では、そんな魔術師や警備隊はいないのだろう。
私は朝食を食べ終え、少年が持ってきてくれたお茶を飲んでいる最中だった。小さな宿の食堂には客は数名しかいないようで、後は宿を切り盛りする主人が忙しく歩き回っている以外、しんとして平和な空気だった。その空気からは想像できない、重い空気を少年から感じ、私はお茶を飲む手を休め、少年に視線を移した。
「気をつけたほうがいいって……どういうことだい?」
少年から不穏な音が聞こえていた。何か恐れているものがあるのだと内心気付いてはいたが、そんなことは一般の人に言うことではない。私は内心緊張感を持ったがそれを穏やかに押さえ、少年に問いかけた。私の呼びかけに、少年は周りの視線を気にしながら小声で話しかけてきた。
「最近……あの山に、奇妙な魔物が出るんだ。真っ黒な影みたいなヤツ。村の人たちが何人か襲われたんだ。別に死んだ人は出てないんだけどさ。音もなく近づいてくるから不気味だんだ。しかも……」
そこで少年はつばを飲み、また周りに人がいないことを確認して言葉を続ける。
「山の奥に、古い神殿みたいなところがあるんだ。昔からオレ達、村人にとっては村を守ってくれる神様がいるって信じられてたところでさ……。どうもその神殿の周りから魔物が現れるみたいだから……。みんな神様のたたりかもしれないって恐れていて、誰も魔物を退治に行かないんだ……」
その話に、私は思わず考え込んだ。この地域にある古い神殿――北方大陸にある古い神殿なら、心当たりがあった。光の神の信仰や、竜への信仰があったと聞く歴史ある土地だ。しかし、その大陸のつなぎ目に当たるこの地域に、神殿を構えた神などいただろうか……?
――だが……。
そこまで考えて、私は少年の方を向いた。少年と目があうと、私は彼を安心させるために優しく微笑んで見せた。
「心配してくれてありがとう。しかし、そんな魔物が出るとなると、村の人たちはかなり困っているだろう?」
私の問いかけに少年はうん、と頷いてうなだれた。私はその少年の肩に手を置き、立ち上がった。
「その神殿の場所を教えてくれないか。どうせ通り道だ。ちょっと神殿を確認してみるよ」
私の申し出に、少年は案の定反対した。しかし私の意思が揺らがないことを知ると、観念して場所を教えてくれた。しかも丁寧に地図まで描いて。その心音から、もしかしたら、魔物が消えてまた平和になるのかも、という淡い期待も感じ取りながら、私は静かに少年にお礼を言った。
「お礼いうのはオレのほうだよ。でも、無茶しないでくれよ。お客さんがやられた、なんてなったら、オレ……なんて謝ればいいか……」
「私なら大丈夫。原因が分かれば、魔物も消えるかもしれないだろう。では、地図をありがとう」
そういって私は宿を後にしたのだった。
宿の少年が教えてくれた神殿へは、徐々に近づいていた。しかしそれと同時によどんだ空気も濃くなって、魔物の気配も増えていることを感じていた。間もなく神殿が見えてくるだろうという位置まで差し掛かったときだ。
甲高い不気味な音が響く。前方から聞こえたそれは魔物の声だ。しかもその数は単体ではない。かなりの数がいることを感じ取り、思わず歩みを遅めようとして――はっとした。
人がいる――しかも、少女が――!
後ろ姿しか確認できなかったが、長い黒髪を振り乱し、魔物から逃れようとしているように見えた。しかし魔物の数は多い。少女の動きが止まった瞬間、彼女を挟むように二体の魔物が飛び上がった。
考えている暇はなかった。私は瞬時に駆け出した。距離はあるが、あの魔物の動きならぎりぎりかわせるだろう。魔物が飛び上がり、空中で止まった瞬間、私は少女の肩に手をかけ、両膝をすくうようにして抱きかかえた。魔物はその真っ黒な腕を真下の私めがけて振り下ろしてきたが、その動きは十分予想出来る動きだった。力を込め、大地を蹴りつけると、私の身体は少女を抱えたまま、その魔物と交差するように飛び上がった。魔物の爪を紙一重で交わすと、私は魔物の群れから若干離れた位置に着地した。
「……間に合った」
着地と同時に少女の姿を確認し、安堵する。華奢な体は予想通り抱き上げるには十分軽かった。衣服に乱れもなく、怪我もないようだ。そこで初めて少女の顔を見た。大きく見開かれた瞳に小さな口、まだまだ幼さが残る顔つき、かわいらしい少女だ。
「ごめんね、いきなり」
その少女から発せられる音が明らかに動揺しているのを感じ、私はとっさに謝った。いくら危険な状況だったとはいえ、いきなり男性に抱きかかえられれば、女性なら驚いてしまうだろう。少女の瞳をみて、私は微笑んで言った。
「え! い、いえっ!」
出来る限り優しく微笑んでみたつもりだが、少しは安心してくれただろうか。
しかし、今はそれどころではない。
「それより、今はこの子たちを何とかしないとね」
そういいながら少女を自分の腕から下ろすと、彼女の注意はすぐさま魔物に集中した。
「こいつら、多すぎて……倒してもキリがないんです」
少女の目線は魔物を捕らえていた。その表情に恐怖はない。どちらかといえば、緊迫した強い意志を感じる。まさかとは思ったが――どうやら少女はこの魔物と戦っていたらしい。
私は魔物を見た。真っ黒な身体に不気味に長い手足。その姿はまるで獣の影のようだ。頭の部分にうっすらと瞳と口だけが笑って見える。その体から発する音は、邪悪な意思そのもの。典型的な魔物の音だ。
「この子たちはただの影……。きっとこの子達を生み出している何かがあるんだろう」
私は呟くように少女に言った。魔物のレベルは高くない。いってみれば魔物の残り香とでも言うべきだろうか。数限りなく表れてくるのは、この魔物を生み出す何かが存在しているからだ。
「どうすれば、この魔物を消すことが出来るんですか?」
少女はまっすぐに私を見て問う。その声には魔物を消さなくては、という使命感を感じ、思わず共感する。私は少女から視線を外し、魔物の群れのその奥を見た。
「魔物を生み出すもの、そのものを何とかしなくてはいけないね。そのものを破壊するかもしくは陽の力で相殺するか……」
「……やってみます!」
その行動はあまりに唐突だった。少女は私がしゃべり終わらないうちに、その魔物の群れに駆け出していた。少女の動きに、魔物たちも一斉に彼女を取り囲む。しかし少女はそんな魔物には目もくれず、その群れをかき分けるように奥へと走って行く。少女の向かうその先に、砕けた黒い石の柱が見えた。
その柱を見た途端、邪悪な気配を感じ取った。間違いない。あれが魔物を生み出す根源だ。少女にはそれが分かっていたのだろう。
突然、少女はその柱の前で立ち止まった。
――いけない!
少女の動きが止まった途端、魔物は一斉に少女へ攻撃の手を伸ばす。とても走って間に合う状況ではない。――仕方ない。
『スィ……』
私は両手に意識を集中した。発する声とともに、その両手が熱くなる。すぐさまその両手を前に突き出し、魔物の群れに意識を集中する。
『グァンシャ!』
魔物の手が少女に届きそうになるその刹那だった。両手から発せられた光は、魔物の身体を刺すように突き抜けた。光が当たった途端、魔物は叫び声をあげるように口を開き霧消した。そもそもが影の魔物、光系の術が弱点なのは想像にたやすい。
少女の周りの魔物が一斉に霧消する中、少女はそちらに気をそがれることもなく、なにか呪文を唱えているように見えた。私は残る魔物に術をあてながら、少女に走り寄った。彼女に近づくにつれ、何を唱えているのか徐々に聞き取れてきた。それとともに少女の周りに強い力が渦巻いているのを感じ取る。この感覚は、光の魔力だ。少女は何かを召喚しようとしているのだ。彼女のすぐそばまで歩み寄ったその時、呪文が終わったのか、突然彼女は腕を前に突き出し、大声で叫んだ。
『……降臨、月精!』
その言葉の次の瞬間だった。彼女の両腕の延長上に一際輝く光の粒が現れた。みるまに粒は大きくなり、あっというまに光の珠になると、その光は古びて崩れ落ちた黒い石の柱にしみこんでいった。その光がしみこんでいくと同時に、柱から邪悪な気配が消えていくのが分かった。光の精霊のなかでも、清めに使われる月明かりの精霊の術だ。
石に光がすっかり入り込んでしまうと、急に当たりはしんとして、先ほどまでこのあたりを占めていたよどんだ空気が消えていることに気がついた。どうやら魔物の根源は消え去ったようだ。
「……これで……大丈夫ですよね?」
少女は背後の私に振り返り、私を見上げてきた。私はゆっくり頷いた。
「……そうだね……。どうやらその石から……魔物が生まれていたようだね」
私はそういって柱に触れる。邪悪な気配は消え、今は静かに横たわる石から、微弱ながら音が聞こえる。古い古いさびれた音……。遠い昔に神を称え、その恩恵を人々に届けてきた、そんな歴史を感じ取る。
私は柱のその先に視線を送る。おそらく、昔は立派な建物であったのだろう。石畳の周りは砕け、今はわずかに中心を残すだけだ。その石畳の上に、何かを祭る祭壇だけが残っている。屋根もない祭壇の上には、おそらく村人が捧げていたであろう果物が、無造作に転げていた。おそらく魔物に崩されたのだろう。
「ここ、ふもとの村人にとっては、村を守る守り神の神殿なんです」
少女はそういって、祭壇に歩み寄った。ばらばらに転がっている果物を拾い上げ、祭壇に一つ一つ丁寧に並べていく。
「でも、最近になって、山に魔物が現れるって……しかもこの神殿から魔物が現れているって聞いたから、私心配になってきてみたんです。そしたら、あんなに魔物がいて……」
彼女はそこまで言って、私の方に向き直って、突然頭を下げた。
「ごめんなさい! 助けてもらったのにお礼も言ってなかったですね! ありがとうございました!」
「どういたしまして」
私は少女を見て思わず微笑んで答えた。気持ちのまっすぐな少女だ。伝わってくる心の音が心地よい。しかし、疑問はよぎる。一体この少女は何者なんだろう? こんな幼いなりで、恐ろしいほどの力を持っている。私は先ほどの少女の術を思い出した。あれは高等魔術師でもなかなか難しい召喚魔法だ。その上――
私は少女を見つめた。少女はまだ果物並べに忙しいようで、丁寧に果物を一つ一つ置いている最中だ。その様子はまさに少女そのもの……。
とても今の様子からは想像できない。あの魔法で召喚されたのは、光の精霊なのだ。
光の精霊を意のままに召喚するのは難しい。光や闇の精霊は、炎や水、風や大地と違い、非常にプライドが高い。全ての精霊を配下に置き、精霊の中でも位が高いものだ。とてもやすやすと人に従う精霊ではない。それ故に光系や闇系の魔法自体、扱いはなかなか手ごわいはずなのだが……。
そこまで考えていると、唐突に少女の目線がこちらを向いた。表情とその心の音から察するに、何か疑問を向こうも感じたらしい。ちょっと首をかしげて、私のほうに近づいてきた。
「そういえば……名前も聞いてなかったですよね」
言われて気がついた。そうだ、お互い自己紹介もまだだったのだ。思わず、あ、と声がもれると、その様子に少女は笑った。
「私、リタ、です」
「私はクーフ。はじめまして」
私が手を差し出すと、少女は私の手より一回り小さい手で握り返してくれた。
それが、リタとの最初の出会いだった。