第八幕
キャイン・レウ。十六歳。本名、キャロル・レイエス。《転生者》。
下校中に捕獲、現在事情聴取中。
ニュースではそうとだけ、伝えられた。
教室の中はレウ――いや、レイエスの話題で持ちきりだった。
卒業生を殺して制服を盗んだらしい。試験官を洗脳して、いつの間にか入学してたらしいよ。いやいや、実はチョウンの街でひたすら物を盗みまくって、それでこっそり入り込んでいたらしい。そんなわけないでしょ、うちの入学審査どんだけ厳しいと思ってんの――。
数日前はクラスメイトだったのに、今じゃすっかり犯罪者だ。どこの地方も変わらないなあ、と思う。そりゃそうだ、僕らは「もしもの時のための必殺技」を一つだけ持っている、ただの学生なんだもの。
レイエスは捕まった時、どんな気持ちだったのだろう、だなんて考えてみる。今まで相当うまく潜り込めていたはずなのだ、少なくとも本人にとっては。
この国にとっては異端者で、排除すべき存在で、僕らもそれを根元から叩き込まれているわけだけれども。果たして、彼女はどうだったのだろう。当然、レイエスが入学してからも《転生者》に対する講義はあったはずだ。汚く、下等な存在であると罵倒され続ける音声を、彼女は一体どんな気持ちで聞いていたのだろう。
「……ま、《転生者》だし。どうでもいいけど」
悪者は退治された。この世界にいらない存在が減った。
これでまた一つ、僕らの安全は確保されたというわけだ。
窓は完全に締め切られており、コンピュータで管理された快適な風が空調から送られてくる。すうっと一つ息を吸うごとに、完全で何の心配もいらない安全な空気が肺を満たす。うん、いい気分だ。
ただ、一つ問題がある以外は。
隣をちらり、と覗く。
二つの目が、僕をはっきりととらえている。それはもはや無表情に近く、慌てて僕は目をそらした。そのまま、口をそうっと開く。
「えっと……なんでしょうか、アリスさん」
「…………………」
「……あの、ごめん、その言語は分からない」
「…………………」
「それ、黙ってるでOK? それとも、僕の知らない言葉使ってる?」
「…………………」
「…………………」
反応はない。
屋上でカッコつけて見せた日から、ずっとこの調子だ。授業はしっかり集中しているようだけれど、休み時間中は昼食時以外ひたすら僕を睨んでいる。途中疲れたのか、さっき見たような無表情と化したけれど。
むしろそっちの方が怖いよ。
視線は自分の机に向けたままで、あーっと、と口ごもる。
……どうしよう、別に彼女を怒らせるような気は、本当になかったのだけれど。むしろ仲良くしたくて、なんとなーくこの間終わったドラマの探偵役を模してみただけなんだけ、ど。
レイエスに至っては、ほんと申し訳ないんだけれど、運が悪かった、としか言いようがなく。だって気づいてしまったものは仕方がないじゃないか……!
気づいてしまったチャンスは。
使うしか――ない。
とはいえ、と思う。
まがいなりにも、そして監視のしあいなんていう特殊な状況に置かれながらも、彼女たちは表面上友人関係であったわけだ。
その、ある意味絶妙なバランスを一瞬で崩してしまったのは――間違いなくこの僕である訳で。
反省しているわけじゃあない。《転生者》はすぐに捕獲されるべきだ。その主張を譲る気はさらさらない。僕らはここで、この完璧な世界で生きていかなくちゃならないのだ。彼女かのじょ、のためにも。
ただ――僕にも、良心くらいはある。
唇を数センチだけ開いて、声を出す。目線は下に向いたままだ。
「謝らないよ」
「………………」
「この国を、守るためだもの。必要のないものは――要らない」
「………………」
「でも」
「………………」
「……ごめん」
最後の声はかすれていて、ひどく震えているのが自分でもわかった。
知っている。僕のその言葉がどれだけ残酷なものか、どれだけヒトの心を突き刺すものなのか。
身をもって――体験している。
周りは騒がしいおしゃべりに夢中になっていて、誰一人こちらの会話には気づいていない。教室の中はクラスメイトでいっぱいなのに、まるで僕ら二人しか存在していないかのようだった。
たん、たん、たん、たん、と左の人差し指が無意識のうちに机をたたき、リズムをとっている。心臓の鼓動に合わせて、小さい音が鼓膜を震えさせる。
でも――これは、言語じゃあ、ない。
喉を右手できゅうっとつまんだ。
息が詰まる。その苦しさに、少しだけ安心する。
さあ、言葉を出せ。僕たちは人間だ。会話をする生き物だ。
言葉で、世界を構築しろ。
僕は、顔を上げた。
「……分かってる、今アリスの矛先が僕に向いていることくらい」
ふっと、無表情だった彼女の顔に驚きが走る。
僕はその反応に、少しだけ眉を上げる。
何驚いてんだよ、当たり前だろ? だって、転校してきていきなりクラスメイトが、そして自身の友人が異端者であることをぶちまけたんだぜ? しかも、自分が監視していることまでばれていた。そりゃあ、誰だって怪しむさ。
心の奥底で、彼女の想いを代弁してやる。
怖いかい? 怖いだろう。
でも、大丈夫だ。安心して良い、何も恐れなくていい。
喉をつまむ手が、強くなる。息がひゅうっと漏れた。
「いろいろ僕に聞きたいことがあるのも分かってる――ただ、アリスの重さを、僕は知らない」
ふっと吐いた息は、空調の涼しさの中へと紛れてゆく。
「アリスがさ、一体その背中にどんだけ大きなもの背負ってるかなんて、僕は知らないし――知る必要も、無いと思ってる」
ぴくり、と、蒼に近い黒色の瞳に、反応があった。薄桃色の唇が、震える。
「……じゃあ」
なんで。
その声は僕と同じくかすれていて、しかも周りに紛れて消えてしまいそうなくらい小さかった。触れたら溶けてしまいそうなくらい、儚いものだった。
どの「なんで」なのかは、僕には判断が付きかねたけれど――、
一言だけ、答える。
息を吸い込んで、ほんの少しだけ溜めた。
この台詞を口にする時が来ることは、ずっと前から知っていた。ずっとずっと前から考えて、考えて、考えつくして、作り出した言葉だもの。
それを、今、ゆっくりと、口にする。
「ある女の子を、救いたいんだ」
その瞬間、ぶわ、とアリスの顔が赤くなる。
言葉の意味を、理解したようだった。
な、な、な、
「なんで、今、そんな、そんなセリフ、あなた、いい一体、何、何を」
「……何にも知らないってば」
アリスが背負ってきているものの大きさを、僕は知らない。
ただ――僕にも知っていることが、あるだけだ。
今は、まだ君には言わないけれど。
ガタン、と大きな音がした。
あんなにもうるさかった教室が、一瞬で静まり返る。音の下方向を、皆が見る。
当然、視線の先にいるのはアリスだ。
アリスが勢いよく立ち上がって、自らの椅子をひっくり返したのだ。
僕も立ち上がる。あり、す? と口を動かしたが、声にはならなかった。
鞄を後方のロッカーからひったくるようにして取り出した彼女は、逃げるように教室を後にした。
次の日、コイン・アリスは学校を休んだ。