第六幕
屋上に続く階段を上りながら、学校に関することを教えてもらう。
「うーん、そうだね、定期テストは結構大変、かも。言語学とか、今も何十種類と受けているじゃない? そりゃ、話すことはできるけれど細かく文法とか見てないからね。あと似たような言語は頭がこんがらがることもある」
「食堂のご飯、あんまりおいしくないよ」
「あ、そうそう。秋になったら、修学旅行あるよ、うちの学校。……旅行というよりは、研修かな。施設長の趣味だよ。毎年カイン・ダウに行ってる。大丈夫だよ、何もしなければ安全は保障されてるから」
「食べたことあるよー。たおべはチョコレートが好き」
「体育祭もあるよ。そのためだけに作られた言語を使ってさ、あ、もちろん《禁止文字》は使っちゃいけない、っていうかそもそも使えないんだけど、うん、そう、バトル。燃えるよー!」
「うん、電車に乗ったら街の方に出るよ。この国の中心部、と言ってもいいかな」
ころころと表情の変わるアリス。まだ少し緊張と戸惑いがあるようにも見えた。心なしか、ずっと見られているように感じる。隣で藍色の瞳が僕をじいいっと見つめる。
それは、警戒というには少し異常だ。
「……僕の顔、なんかついてる?」
「へ? あ、ごめん、似てるなあって」
思わず尋ねた僕に、自分の行動に気が付いていなかったのかアリスはぽかんとした表情を浮かべた。
……似てる? 首をかしげる僕に、はっとして気まずそうに眼をそらすアリス。薄い桃色の唇が、少しだけ動く。
「お父さんに、似てる」
「何それ、他人の空似?」
「たぶん」
今度は僕の方を見ず、ちょっと先の方を歩いて答えた。
たん、たん、たん、と調子よく階段を上っていく。
それ以上話す気はないようだった。
……父親に似ている、ねえ。老けているように見えるってことだろうか。
複雑だ。
階段を上りきると、灰色の扉の前に出た。アリスがドアノブをひねると音を立てずにすっと開く。誰かがきちんと管理している、もしくは使っている証拠だ。
管理会社かな、あんまり需要ないんだけどね、と言う彼女の台詞通り、僕らのほかには誰もいなかった。
まあ、こんな暑いだけの場所には、誰も来たがらないだろう。
「……わぁ」
僕は思わず声をあげる。
目の前は、花でいっぱいだった。屋上からは、そのどこまでも続いていく花畑が一望できる。一面の、赤。かすかに甘い香りが運ばれてくる。
赤色と対比するように、空は雲一つない青色をしていた。まだ春の仮面をかぶった夏の太陽が、じわじわと僕を温めていく。
「文字通り『花畑』だよね。私たちの国を作り、私たちを支えてくれている花。……あ、綺麗だからって下に降りて行って触ろうとしたら駄目だよ?
知っているとは思うけれど、畑はブロックごとに四方八方鉄線と電気が通っているんだから。下手に手を出したら死ぬからね?」
「さすがにそれくらいは知ってるよ」
アイン・ロウの花は国家のものだ。そのため、常に厳重体制が整えられている。
素人、でなくても普通の人間が花そのものに触れられるわけがない。
そんな場所に設置されたこの施設は、かなり特殊なのだ。入所するにも、厳重な審査とそれなりの学力が必要になる。
ふっと、自分の表情が真顔になっていくのを感じる。
口元が下がり、目が鋭くなる。
そう、そうなのだ。
この学校は、入ってからは自由だが入るまではかなり警戒が強い。
……だからこそ。
危険物質は、取り除いておく必要がある。
アリスがこちらを振り返った。真っ青な空と赤い花、灰色のコンクリートの地面。そこに、暗めの蒼色の髪と瞳が加わる。
屋上のドアが閉まっているのを確認してから、僕はそっと口を開く。
できるだけ、おどけるような口調で。
冗談を飛ばしているような、そんな表情で。
「アリス、そういえばさ、さっきすれ違った、ええっと、キャイン・レウさんのことなんだけれど」
おずおずと切り出した僕に、アリスの瞳、瞳孔の黒々とした部分がすっと鋭くなった。蒼色の虹彩が、太陽の光を反射してその模様を少しずつ変えていく。
綺麗だ、と場違いにも思った。
……なるほど、ねえ。
アリスは口にいつも通りの笑顔を浮かべたまま、なんてことはないように返す。
「レウ? レウがどうかした?」
僕はそれにのっとって、同じくさらりと言葉を発した。
「レウさんも、転校生なの?」