第二幕
エアコンを入れる季節ではまだないらしい。大きく開け放たれた窓からは、初夏特有のやんわりとした風が入ってくる。
「転校生のニイン・ユウだ。八つ橋で有名なキイン・カウ地方から来た。もちもちしてうまいぞ。仲良くするように」
「ニインです。僕自身はもちもちしてませんが……あとたぶん先生がおっしゃっているのは『たおべ』かと。まあ、よろしく」
自己紹介もそこそこに、僕は空いていた席に座った。こしょこしょとくすぐったいような笑い声が聞こえる。評価は上々のようだった。
「自己紹介、上手だね。転勤族?」
びぃだまが転がっていくような、透明感のある声がした。言語はニオンと呼ばれる言葉。
隣を見ると、蒼に近い黒色の髪を肩くらいまで伸ばした女子が、涼やかな笑みを浮かべていた。瞳の色も髪の毛と同じで、他のクラスメイトとは雰囲気が違う気がした。ニオンの言葉で返す。
「ううん、そもそもこういう教育機関が初めて」
キインの方は子供の数が少なく自宅で授業を受けるような感じだったのだ。
「緊張して緊張して、昨日の夜ずっと何を言おうか考えていたんだ。……まさか『たおべ』の話題になるとは思わなかったけれど」
ああなるほど、と彼女は頷いた。まっすぐに伸びた髪がさらさらと揺れる。
「子供が多いっていうのと、コミュニケーション能力強化だって言ってこの辺ではみんな施設に通うことになってるの。……ていうか、言葉はニオンでOK? 他のも大抵は話せるけど」
ニオン、はこの国全体の共通言語だ。しかしこの言葉で《アインの印》を使ってしまうものも多く、人によっては少々不便なこともある。大丈夫、と僕は答えた。
「《印》は使ったことないから」
「でしょうね。そんな切り札、簡単には切れないわよねー。私もない」
クラスメイトの中にもいないんじゃないかな、と小さく首をかしげる彼女。白い頬にはほんの少し赤みがさしている。目の大きい、可愛い子だ。
名前を聞こうとして、あの、と声をかける。初めてなので、少々照れくさい。
彼女は僕の質問を待たずに、こう答えた。
「アリス。コイン・アリス。よろしくね」
……エスパー?
転校生というのはやはり珍しいものらしい。授業と授業の間、十分間の休みの間に様々なことをきかれた。
「ユウ、っていい名前だね。どんな意味?」
「たおべっておいしいの?」
「好きな食べ物は?」
「眼鏡、なんだ。目悪いのか?」
「黒縁だ……」
「音楽って聞いたりする?」
僕は一つ一つ、丁寧に答えていく。たぶん、この一日目がもっとも重要だ。できるだけ仲良くできる人を増やしておかないといけない。
「キインに伝わる昔の言葉で、優しいって意味」
「うん、おいしいよ。チョコレート味とか、抹茶とか、ソーダとか、種類豊富」
「北鶏のトマトソース煮込み、かなあ」
「うん。眼鏡をはずすと自分の足元が見えなくなるレベル」
「黒縁は譲れませんな」
「聞く聞く。電子の方も、生歌の方も。ライン・ネウの歌が好き」
質問攻めにあうことは予想できていたので、とんとんと調子よく流していく。
二つ結びにした女の子――レウさん、だったっけ?――が
「それにしても転校生なんて珍しいねー」
とつぶやいた。そうだね、だな、と肯定の色が広がっていく。
少しだけ背中のワイシャツに汗がにじんだ。
……これも、予想していたこと、かな。
レウさんの、艶のある唇が蠢く。
「ひょっとして《転生者》だったりして」
その言葉に一瞬、周りが凍り付いた。
「……そんなに怪しいかな、僕?」
困ったように頬を軽く指で掻く。不審そうな視線を送ってくるオレンジ色の瞳を、じいっと見つめ返した。白目と瞳の境目は、もぎたてのレモンのような色だ。
きれいだ。単純にそう思った。
わずかな沈黙を打ち切ったのは、軽い男子の声だった。コウ、だったっけか。
「んなわけねーじゃん。だって《転生者》だぜ? 学習できるほどの金も、頭もないじゃん」
ふっと教室内の力が抜けていくのがわかった。そりゃそうだ、うん、そうだよね。再び歓迎ムードが押し寄せる。
「なんか、どきどきした……」
そんな声も聞こえたけれど、うん、聞こえていないふり。
そういうのは得意じゃない。
もちろん疑われても困るし、かといって疑われた! とマジギレしても今後の生活に影響が出る。どうやら最良の選択だったようだ。
雰囲気を戻してくれた男子に軽く
「サンキュ」
と言っておく。笑顔も忘れない。
「おう。……お前の目、不思議な色してんな。他の色が混じった奴は見たことあるけど、真っ黒は初めて見たぜ。よろしくな」
よく言われる、と僕は返した。そんな彼の眼の色は、春の野原のようなエメラルドグリーンだった。