第十幕
僕が育ったキインは、レイン・ラウ国の西区、マイン・サウ国との国境付近にある小さな町だ。国境付近にある、と言っても、間にゲインやニャインといったそこそこ大きい街を挟むから、外国の文化が入ってくるかといえば、そうでもない。
ラガス水(街でいうサイダーみたいな飲み物。柚子の皮入り)やラルク(堅焼きしたパン)、たおべ、ガラス細工のネックレスなど、レイン伝統の食べ物や町独自の品物を並べたアーケードを、横目で見ながら通り抜ける。
カツカツと音を鳴らす、少し古ぼけた石畳が優しい。まだ向こうに入学して一か月もたっていないというのに、なんだかすべてが懐かしく思えてしまう。
そうなのだ、僕は今、子供集中管理上級学習室――略して上級室の二年生なのだ。
ようやく、ここまで来た。このちっぽけな、学校すら隣町に行かなければ無い町から抜け出すことができたのだ。
独学で勉強して、入学試験を受けて。編入することができたのだ。
そこそこ栄えているわけでもなく、経済破綻しそうなほど財政が厳しいわけでもない、普通の町。問題といえば、少子高齢化くらい。それも介護の仕事の給料に町の補助が付くようになってから、随分と良くなったし。
ただ、少子化のほうはどうしようもないらしい。少ない子どもたちのために学校を新しく作るほどのお金はないとか。
そのおかげで子どもたちは他の町に行くしかないし、そうなったらもうこの町には戻ってこない。そして、さらに子供が減る。そんな悪循環をたどっている。
アーケードのおじさん、おばさんたちの目が、僕のほうを向いているのがわかる。
入学するまで仲良くしてくれていた人たちだ。ラガス水を売っているクウおばさんはしょっちゅうおまけにアメ玉をくれたし、パン屋のご主人は父親のいない僕のことをよく見てくれていた。
こんにちは、と声をかけると、彼らは一瞬どもりながらも挨拶を返してくれる。
しかし、その瞳が示しているのは友好ではなく――好奇だった。
クウおばさんは物珍しそうにこちらを見ているし、パン屋の主人はこちらが目を合わせると、すっと下を向いた。
僕は気づかないふりをしながら、笑って通り過ぎる。視線が背中に突き刺さっているけれど、気にはならなかった。気にならない、ふりをした。
まるで、町全体が僕のことを嘲笑っているようだった。早く出て行けと追い立ててくるような、そんな風すら吹いていた。
「……まあ、そりゃそうだよな」
つぶやいたセリフは、何事もなかったかのように消えた。
アーケードを抜け、住宅街へと入っていく。レンガ造りの家々に人気はない。皆働きに出ているのだろう。
太陽の照り返しが、足を刺激した。あっつ、と言葉が漏れる。
そろそろ夏が始まるのだ。
ほのかに揺れる陽炎の中、視界の端に何かが映った気がしたけれど、まあ近所の住人だろう。
クラスメイト達が言っていたように、近くのジャウンという町は治安が悪いことで有名だ。しかし、警察が見回りをきちんと行っているから心配はない。《転生者》が外に出てくるのはたいてい夜中だし、その時間は各家庭しっかり施錠をしている。
ハエを追い払うように軽く手首を振ってから、家へと急ぐ。
そして、僕は、
更地になった元我が家へとたどり着いた。
「あー……」
言葉が出てこない。
予想していたことの一つではあったが、さすがに何も言えなかった。一応、ぎりぎりまで残しておいてほしいと隣の家の人には頼んでおいたはずなんだけれど……流石に一軒家の管理は、面倒だったか。
「あー、うん、なるほどねえ……」
住宅街を引き返して、しばらく歩く。
着いたのは、集団墓地だった。
巨大な石碑が一つ、公園の跡地のような場所にぽつんと置かれている。経済的に厳しいものや、身内の当てのないものがここに葬られるのだ。
僕はそれに近寄ると、そっと唇を開いた。
「……お久しぶりです、母様」
母様が死んだのは、今年の春のことだった。女手一つで僕を育ててくれていた彼女は、僕がお使いから戻ってきたとき、無残な姿になり果てていた。
ナイフで心臓を一突き。部屋は荒らされていて、母様のお気に入りだったサファイアのブローチや家にあったお金がなくなっていた。
警察の人たちは、《転生者》の犯行だろう、と言っていた。
「僕が玄関の鍵を閉め忘れなければ、母様は……いえ、もう、何も言いません。犯人はまだ、捕まっていないそうです。……ジャウンは人も多く、入り組んだ街ですから……」
少しだけ口ごもる。それでも僕は、ふっと顔を上げた。喉元を指で押さえる。
「でも必ず、捕まえて見せます。僕が、偉くなって、国を動かせるくらいになったら、ジャウンを徹底的に捜索させましょう。母様の敵は僕がとります。だから、だから、もう少しだけ、力を貸してください」
皮肉なことに、母様が残してくれた遺産、生命保険、それからかろうじて残っていた宝石類は、僕が学習室へ通うための資金となっていた。
町では、僕が母様を殺してお金を奪い取ったんじゃないかって噂が流れている。町の人たちがこちらに変な視線を送ってくるのも、無理のないことだった。
牛乳屋のおじさんが、僕のアリバイを証明してくれたけれど、噂は噂。いくら真実が存在していたって、言葉にはかないっこない。
「まったく、生きにくい世の中です……せめてあと二日、母様とともにいようかとも思いましたが……今回はもう、誰にも会わず、帰ろうと思います。ミウもいなかったし」
「―――――」
立ち上がって、軽くひざの砂を払った。さらさらと砂が落ちていく。それを見ながら、僕は少しだけ笑った。
「では、また。……頑張ります」




