7話 堕天使 (テル)
本日午後の夢見は超最高! ……のはずだった。
だって俺のマドンナ、うるわしのメイ姉さんが出てきてくれたんだもん。
『うっしゃあ! メイ姉さーん、メケメケの修理終わりました! どうですう? ついでにざっくりてきとーに、潜水機能もつけてみましたーっ』
夢の中の俺、おっきなトラック型の反重力推進機の前で、ぴしっと敬礼。鼻高々に、イエローなサブマリン体型になってるメケメケを披露。
『わああ、ありがとうテルちゃん! すごーいっ!』
メイ姉さんは大喜び。銀縁メガネの中のおっきな瞳をきらきらさせて、大興奮! りんごほっぺに両手当てて、腰をくねくねって、夢みたいな光景が目の前に!
あ、夢か。
メイ姉さんはすっげえ頭よくて、超有名な学者さんのお弟子さんで、学校の先生してるかたわら、海に沈んだ都市を研究してる。ご近所で……いやたぶん世界一美人で、アタマいい人だ。
『テルちゃん、さっそく海に行きましょ! 二人で海にもぐって探検しましょっ。伝説の水没都市から、貴重な遺物をひきあげるのよーっ』
『うおおお! いきましょお! 深海デートしましょお!』
夢の中の俺、腕に抱きつかれたし!
『テルちゃん。ほんとうに、あ・り・が・と♪』
ほっぺたに、チューもされたし!
しかも! むにって。おっきなお胸が、むにっ、て! 俺の腕にくいこんできたし!!
こ、これはまさしく、天にも昇るなんとかっていうもんだろ!
しかし。
残念ながら寝覚めは――
「なにやってんのよおおおお! テル!!」
「ぎひい!」
最悪だった……
メイ姉さんのおっきなお胸に、吸い寄せられたはずなのに。つかめたのは、まな板のようなあんまり弾力性のないしろものとか。しかも起きたとたんに、銀髪の目つき悪男に叱られるわ命令されるわ。もうふんだりけったり、涙がちょちょぎれるぜ……
「粗相著しいおまえに、名乗る名などないと言いたいが。特別に教えてやろう、僕のことはアムルと呼べ」
たしかに洗濯物を取り込み忘れたのは俺の落ち度だ。しぶしぶベランダに出てみれば、あいつのパンツだけじゃなくて、じっちゃんのくつ下の片われもひとつぷらんと残ってた。
取りこんでる最中に端末がブルッて、ダチのショージと話してるうちにそのまま忘れちまったらしい。
『テル、メケメケの修理はもうしなくていいぞ。俺がメイ姉さんに新車買ってやったから』
『えっ』
『俺の勤め先の最新モデルさ。古いのを下取りするから、今から取りにそっち行くわ』
ショージは、俺のダチの中で一番の金持ち。今年、親父が重役をつとめる駆動機会社に就職した。この会社、めっさでかくて、コウヨウの街にいくつも下請け工場を持ってる。
『ごめんねテルちゃん!』
ショージと話してすぐに、メイ姉さんからメールがきた。
『ショージくんが私が困っているのを見かねて、新車を買ってくれたの。この子の調子が悪くなったら、今度こそテルちゃんに修理してもらうね。ほんとにごめんね!』
仕方ない。俺がバクテリア鉱を逃しちゃって、「修理もう一日待って!」ってメールしちまったせいだもん。プロの技師なら、絶対そんなこと言っちゃいけねえのに。
メイ姉さんに気を使わせちまったのが悔やまれる。
ていうか、ショージのやつ。きっとメイ姉さんにほっぺチューされたんだろうなぁ……。
――「それで僕の下穿きは、一体どちらの方角に飛んだんだ?」
一人用推進機の尻から、ぶすっと黒い排気が出る。
俺の後ろに、銀髪の目つき悪男が乗ってるからだ。
おかげでスピードは超鈍重。テケテケじゃなくてドツドツになってる。
プジの推進アシストがほしいところだが、プジが機霊だってのは絶対秘密。だから必死に我慢する俺なのだった。
「あー、えっと、アムル」
「呼び捨てにするな」
「あー、えっと、アムルさん」
うう、鼻をつんと上げすぎだろ。完全に上から目線かよ。機霊もちの天使ってほんと、うわさどおり気位高いんだなぁ。
「あんたのパンツは向かいのビルに飛び込んじまった」
「建物の中に入るというのに、なぜ乗り物に乗るのだ?」
「表回廊越えてったから、絶対中庭に落ちてる。でも向かいの中庭って、バカみたいに広いんだよ。すっげー奥行きがあるんだ。それに熱い」
ハル兄が住んでる向かいのジャンクビルは、工場だ。
五階部分までが作業場で、それから上の階は、うちのビルと同じ貸し家。工員の住居として使われてる。地階には巨大な蒸気機関がある。何百という管ですさまじい排気熱を外に流してるが、それでも地階は摂氏50度を越えるらしい。
そのため地階の天井、すなわち一階の床は、熱がこもって焼き肉の鉄板みたいになってる。
その熱を逃すためにビルは四角い枠の形。まんなかがすっぽり空いている。
「パンツ、焼けてないといいけどな」
「なにっ」
「あそこの床、じかに歩いたらやけどするわよ。気をつけて」
俺の肩に乗ってるプジが注意を垂れると、目つき悪男はがっくり肩を落とした。
「下穿き一枚に、なぜこんな苦労をせなばならぬ」
「回収あきらめる? 俺のパンツ貸そうか? ……ってえ!」
「い、いらぬ!」
うわ、はたいてきたっ。実のところ服も貸してやりたい気分だったけど、またどつかれそうだから言うのやめとこ。
しっかし、こいつの白い薄手の衣、えらくすっけすけだなぁ。すそは長いが背中の部分は大きく破れてる。背中の機霊をやられたときに、一緒に焼かれたんだろうな。背中も尻も今すっごく、すうすうしてるよなこれ。
「ほい、これ持って」
「なんだこれは」
「虫取り網さ。それにひっかけて拾い上げる。いくぜ!」
ドツドツと、俺のテケテケがゆったり推進して向かいのビルのエントランスに入る。
薄暗いロビーに、作業着を着た管理人がいる。
「お? テルちゃんどうした? そんなのに乗ってくるなんて」
ハル兄さんのおかげで、俺は顔パス。管理人のおじさんに敬礼すればOKだ。
「中庭入るね。蒸気にふかれてパン――ふが!」
「落とし物をしたのよ。取らせてもらうわね」
「ふがががプジ?」
「テル、我が家の恥を人さまにいっちゃダメ。ほんと、デリカシーないんだから」
俺の口に肉球を押しあてながら、ハゲネコが顔を赤くしてぼやく。
「っが! 進入! とっとと進入!」
俺のテケテケはビルのエントランスを抜け、中庭に進んだ。
鉄板から細い鉄塔が幾本も林立している、灼熱の空間へ。
ビルの幅は四十ナノメートル。間口はごく普通だが、奥行きは二百ナノメートルもある。
しかしビルの窓を越えた時点で目標はほぼ失速していたから、入り口にほど近いところに落ちただろう――。
そんな俺の予測通り、目標物は十ナノメートルも進まないうちに発見できた。
「あんなところに」
中庭には、細い鉄塔が何本も建ってる。まるで鉄の林みたいだ。
地階の燃焼機関が出す熱と蒸気を逃す排煙管が、丈高い塔に巻きついてて、ふしゅうふしゅうと絶えず高温の湯気を噴き出してる。
その一本のてっぺんに、きらめくまっしろいパンツがひっかかってた。かなりトランクスの形に近い。機霊は融合型だけど、やっぱりこの銀髪少年は……男、なんだろうか?
「うわ、かなり高さあるな」
「五ナノメートルはあるわよ。届かないかも」
蒼い義眼をしゅんしゅん鳴らして、プジが高さを測る。しかしその声はあまりよく聞こえない。
ぶっしゅんぶっしゅんという重量感ある音がさえぎってくるからだ。
枠のごとき周囲の壁から漏れてくるそれは、プレス機械の音。
この工場は、推進・駆動機製造会社の下請け業者。そう、まさにショージが勤める会社の製造を請け負ってる。
テケテケを目的の鉄塔のふもとにつけると、銀髪少年は虫取り網を俺に押し付けた。
「回収せよ」
「えっ? 俺が?」
当然だって顔でうなずかれる。蒼い瞳の刺すようなまなざしがこわい。すっげえ威圧的。
圧倒された俺は仕方なく網をかざしたが、まったく届かない。座席に立ってやってみたら見事によろけて、あぶなく熱い鉄板床に落っこちるとこだった。
「アタシにまかせて」
見かねたプジがするると、網の棒をつたって鉄塔に飛びうつる。
塔には熱排気が出る管がいっぱいひっついてる。ハゲネコはそいつをうまくよけてひらりひらりと上へ登っていった。
「おお! なんと身軽な」
銀髪アムルが感心して見上げる中。プジはあっというまにてっぺんについて、長い尻尾をぱしり。白いパンツを落とした。完璧な連携で、俺がひらひら落ちるそいつをすくおうと、網を差し出す。と。
そのとき――。
「うあ?! なんだ?!」
鉄板の床が、すさまじい勢いでどどんと揺れた。深いところから、縦揺れが起きたような感じだった。
「おい、落としたぞ!」
「わ、分かってるっ」
アムルにせかされ地に落ちたパンツを拾い上げようとするも、また地が激しく揺れる。
ひゃん! と悲鳴をあげて、塔のてっぺんにいるプジがよろけ、あわてて塔に爪をたててしのいだ。
とたん。
ものすごい音とともに、すぐ後ろの床が割れた。
「な?! なんだこれ?! 突き出てきたっ! カニ? でけえ! カニのハサミ?!」
ゆれる鉄板床。その割れ目から、もうもうと噴き出す蒸気と……でかい「怪物」。
こ、これは――
「作業用アームロボット?!」
そいつは鉄装甲をまとい、二本足がついてる、カニのようなハサミを持った鉄巨人だった。
右手だけが異様にでかいそいつは、自分で地階から出てきた感じではなかった。
めきめき床を割って姿を現したそいつは、いきなり横倒しになった。なんとどてっぱらに大穴があいている。
その操作席から勢いよく人間が飛び出してきて、すちゃりと短銃を構えた。
「うわ、美人!」
腰がきゅっとしまった革の胴着。肩は丸出し。革の短パン。長い革長靴。腰や皮手袋には銀のメタルバンド。蒸気に吹かれて、栗色の巻き毛がさらりと揺れる。
胸の大きさはメイ姉さんに負けるが、すげえ大きさだ。
その女が狙ってるのは――俺たちじゃなかった。
「っち! しつけえ!」
女が待ち構えてたのは。めくれた鉄板をよじ登って出てきた、革ジャン姿の金髪イケメンだった。
「は、ハル兄!?」
「うあ? テル?!」
一瞬床に足をつけたハル兄は顔をしかめて、光線銃を構えながら後方に跳躍した。
栗毛の女がばすばす放つ銃弾を華麗にかわし、塔の影に隠れて応戦する。
女は、倒れたカニばさみ巨人の上からさっと横に移動した。ハル兄の銃弾を流し、威勢よくばすんばすんと引き金を引く。その直後に、左手で小さな丸い塊を塔に投げつける。
着弾したそれは、ずずんと爆発した。激しい振動がまた起こり。
「っきゃあああっ!」
プジがまたよろけて、今度はみごとに落ちた。
「プジ!」
あわてて虫取り網でネコをキャッチした俺は、身をかがめた。
すぐ脇の鉄塔でまた、爆発弾が炸裂する。
「退避! 退避しないとお!」
「待て! 僕の下穿きを早く拾え!」
「アムルむり! そんなことしてる場合じゃ――」
――「テル! 俺の後ろに隠れろ!」
ハル兄が塔の影から銃をかまえてる。光線銃の先に、でかい光の玉がみえる。
やっべえ! 出力ためてるぞあれ!
俺はとっさに、プジ入りの網をアムルに押し付けて、テケテケのハンドルを回してエンジンをふかした。
ハル兄の背中に回りこんだとたん、銃から巨大な光弾が発射された。
ばぐんと派手な爆音をたてて、鉄巨人の足が破裂する。
「まだくたばらねえのか!」
「は、ハル兄、なにこれどうなってんの?!」
「ああ、ここの警備、片手間にやってんだけどよ。地階の機関室に賊が入ったんだわ」
「ま、真昼間に?!」
「人が少なくなる夜は、結界でがっちがちに固められるからな。それよりは作業員に成りすまして昼間入りこむ方が、簡単てわけさ」
ばすばすと通常出力弾で追い討ちをかけながら、ハル兄はぐちた。
「燃焼機関は守れたが……機関石をくすねやがって! ちくしょうっ」
「ふふっ。あなたがここの警備員をしてるなんてね、ハル・シシナエ」
銃弾をかわしながら、女がふふふと妖しく笑う。
「うちのボスったらあなたに首ったけよ。さみしがって会いたがってるわ」
「う? まさかドラゴギルドの者か?」
「工場ラインを完全に止められなかったのは、残念だわね。でも機関石はひとついただけたし、相手があなたなら言い訳がたつ」
革胴着の女は、自分の足元に丸い塊をまいた。今度はもうもうと煙幕が立ち込める。
ハル兄がばすばすと、煙の中に光線銃の通常弾を打ち込んだけど。
「逃げたかっ!」
相手には当たらなかった。蒸気と煙が舞い上がる中、涼やかな女の声が降ってくる……。
「じゃあね! ハル・シシナエ!」
見上げれば。はるか頭上に浮いた女の背に、翼のようなものが広がってた。青銅色の細い骨のような翼の骨格。はばたきはゆるやかだが速度はすごい。
女の肩先に、人の形をした光の玉がおぼろげに見える……
「機霊?!」
虫取り網を抱えるアムルが、ハッと眼をひんむいて、女を見上げた。
「青銅級の機霊じゃないか! なぜ機貴人が……」
「堕天使だ」
ぎりっと歯を食いしばり、塔にとりついてるハル兄が俺たちを振り返った。
「犯罪を犯して、島都市から逃げてきた手合いだろう」
「な……そんなものがいるのか?!」
驚くアムルにうなずく俺。
「でっかいギルドが用心棒として抱えてるって噂は、きいたことあるな」
「むがぁ! テル! 追いましょうよ! なんか盗まれたんでしょ? あいつ泥棒でしょ?」
虫取り網の中でプジがもがきながら顔を出す。義憤に燃えてくれるのはいいが、追うには翼が必要だ。ここでプジの正体をさらすわけには……
「機関石をひとつ取られた。保険はかけてると思うが、補充がくるまで工場の生産力が落ちる」
ハル兄が銃を構えて狙いを定める。プジが蒼い義眼でしゅんっと、天に昇る目標を捕捉した。
「無理よ、結界を張ってるわ!」
「出力を上げればぶちぬける。ハゲネコ、あいつの速度を教えてくれ」
「ハゲっていわないでよ! えっと、時速40ナノキロメートル! さらに加速中!」
一発目は外れた。俺の後ろでアムルがしきりに何かぶつぶつ言ってる。
「アル……起きろアル……! 悪者を退治しないといけないんだ」
背中の機霊に呼びかけてるらしい。助太刀してくれるつもりみたいだ。
でも、何の起動音もしない。こいつの機霊はすっかりこわれてるんだろう。
「アル……頼むから……!」
――「当たれぇ!」
エネルギーを急速充填した光線銃が、矢のような光弾を放った。
今は夕刻じゃない。蒸気は吹いてるが、空は蒼く明るい――
「やった!!」「アルっ!!」
俺が歓声をあげたのと。銀髪のアムルが悲鳴のような声をあげたのは、ほとんど同時だった。
はるか豆粒になりかけていた堕天使の軌道が歪む。ハル兄の光弾は、みごとに女の左翼を撃ちぬいた。
遠すぎて俺の目にはよく見えなかったが、女の肩をかすって当たったと、プジが叫んだ。
女のそばにあらわれてた光の玉が、ふっと消え去る。
機霊が顕現を維持できなくなったらしい。
キラキラと光るものが、落下してきた。
青銅の翼の骨格の破片と。それから……
「機関石だ!」
ハル兄があちちと足を踊らせながら、鉄板床に落ちた卵ぐらいの真っ黒い石を拾いあげる。
堕天使はへろへろと失速したが、なんとか片翼で飛んでビルの壁を越えていった。逃げられちまったけど……盗まれたものは取り返せたからめでたしだ!
「ハル兄、すげえ! マジすげえ!」
「ほんとすご腕ね!」
「ハゲネコのおかげだ。退避速度を計算できたからな」
「だからハゲっていわないでよおっ」
ハル兄と俺はがっしり肘を当て合って、すごく喜んだけど。
「アル……くそ……」
銀髪のアムルはうなだれて、唇をきつく噛んでいた。機霊を出して泥棒をつかまえたかったんだろう。それができなかったし。それに……
「あ。パンツ……焼け焦げてる」
「だまれ!」
「ひい! なにすんだよ!」
俺はおもいっきし、頭をはたかれた。反撃しようと手を振り上げたけど……やめた。
「……アムル?」
銀髪の少年は口を引き結んで、今にも泣きそうな顔をしていた。
大きな蒼い瞳をうるませて。ぼたぼた、涙をこぼしそうな顔をしていた……。