6話 シング・ジャンク店(皇帝)
しゅん、と音を立て。僕の背後で工房の扉が閉まった。
扉は分厚い声紋ロック。老人の声を認識して開閉したそれは、黒ずんだコンクリート壁に似せた塗装がされている。カモフラージュというやつだろう。
やはりここは、どこかの島都市の隠れ拠点に違いない。
鉄骨むき出しの階段を一階分のぼり、細くて狭い廊下に出る。
ふしゅう、ふしゅうと、左右から蒸気が噴き出ている。工房には歯車がたくさんあったが、ここには長い鉄管の噴出口しかない。蒸気の熱がすごい。肌が焼けそうだ。
燃焼機関はどこにある? 一体何を燃やしているのだ?
僕はじろじろと、うすぐらくて幅の狭い廊下を見回した。
ここは吹き抜けで、蒼い天が見える。
黒いビルの高さは十階建てほど。壁面は平らで、金属管がびっしり。つきあたりに、鉄の扉と鉄骨むき出しの階段が見える。
『わしは、シングと申します。わしの孫は、表の店におりますでの』
老人曰く、工房は地下全体を占めているが、出入り口は僕が今出てきた北側にしかないそうだ。南のつきあたりにある正面扉は店に、階段は居住スペースに通じているという。
ビルはこの吹き抜け廊下で東西に分断されており、一階は両翼とも店の倉庫。二階と三階部分が老人と孫の住居。四階から上はすべて貸し家だそうだ。住人は店の両脇についているエレベーターで、自室がある階まで直接昇るという。
「くそ。お尻がすうすうする」
僕はふきぬけ廊下を進み、正面扉を押してみた。
孫とやらから下穿きを回収せねばならぬが、さて、どこにいるのであろう?
店なるところは廊下よりも暗く、工房よりもごちゃごちゃしている。
床に積み重なっているのは大小の箱。中からコード類が幾本も漏れ出ている。
棚にも、並べられた卓のようなところにも、大小の箱。箱。箱……。
中には小さな金属やプラスチックの部品がひしめいている。
壁にびっしり小袋がかかっているが、これも何かの部品のパックらしい。
いったい何に使うものなのだ? ……わからぬ。
足の踏み場がなさげな床を縫うように歩き、管と部品の海の中で人影を探したが。
「だれもいない?」
店というからには、ここにある物を売っているのであろうが、店員らしきものはだれひとり見当たらぬ。
「店番をしなくて大丈夫なのか?」
市井の店舗には、店員というものが必ずいるものではないのか?
「いらっしゃいませ」と、かしこまってお辞儀をし、商品をすすめる幻像を、かつて視聴したことがあるのだが……こんなところに実際に足を踏み入れるのは初めてだが、その認識で合っているはずだ。
あまりに店内の通路が狭いので、肘が柱に当たった。パネルがびっしりついていて、そのひとつを押してしまったようだ。柱からぴこぴこ、変な音が鳴り始める。
「イラサイマセ。オキマリデシタラ、ショーヒンヲトレーニ、オノセクダセエ」
しゃべる柱? なるほどこれが店員か。しかしこれはどう見ても「孫」ではない。
ためいき混じりにふきぬけ廊下へ戻る。鉄骨むき出しの階段をのぼり、二階の住居部分へ行ってみる。
踊り場の出口は東西、そして南の三方向に分かれている。東西両翼には廊下が一直線に走っており、灰色の扉がずらり。窓は一枚もない。
廊下の天井には、裸電球がぷらんぷらん。それでうす暗いながらも、廊下が見渡せる。
南の出口の先は、店舗の真上部分、ベランダがついた居間に通じていた。
テーブルと椅子、細長いカウンター。
奥にあるのはたぶん、台所というものだろう。食器を入れた棚のようなものが並んでいる。
ここはかつて幻像で視聴した、「帝国下級民の標準的な住居」とさほど変わらぬ機能を備えているようだ。
しかし。
「だれもいない……」
心が折れそうだが。ずらりと並ぶ東西の扉を、しらみつぶしに探すしかなさそうだ。
僕は階段の踊り場に戻って方向を決めた。
「イーニー ミーニー マイニー モー
虎のつま先つかみとれ
イーニー ミーニー マイニー ……」
歌いながら、人差し指を交互に指せば。
「モー 」
ふむ、神のご意志は西か。吹き抜け廊下よりさらに狭い右翼の廊下に入る。
右手に並ぶ灰色の金属扉は、実に飾り気がない。
一枚一枚順ぐりに開けようとしたのだが、三つ目のドアに目を引かれた。どくろマークの看板がかかっている。数枚、薄っぺらい絵も重ねて貼り付けてあるが、どれもかわいらしい少女の肖像画だ。
「みな薄着だな」
見るとさらにお尻がすうすうしてきた。
近づけば、そのドアの向こうから、変な音が聞こえる。
ずず? ずず?
これは……いびきか? なるほど、だれかが寝ているようだ。
幸い鍵はかかっていなかった。僕は扉をそっと開け、中をうかがってみた。
廊下と変わらない黒ずんだ色の壁面。どこもかしこも金属管ばかり。
薄着の少女の肖像画が、壁にたくさん貼られているのだが……それを蓋い隠すように、尻尾が禿げた猫の肖像画が、無造作に貼られている。あちらにもこちらにも。
これはどういう意味だ? 少女より猫が好きということか? なんと、天井にも猫の肖像画が? その真下に――大きなハンモックがある。何かがいる……
「こやつが、〈孫〉なるものか?」
そこには革の上着をはおり、ゴーグルを目深に下げた少年がひとり。があがあと気持ちよさそうに眠りこけている。
あの老人の孫であれば大体このぐらいかと、すんなり認識できるぐらいの背格好だ。
たぶんこやつで間違いないだろう。
この状況。すなわち、店番を機械に任せてサボっている、ということであろうか。
「おい、起きよ」
戸口に立つ僕は腰に手を当て、そいつを呼ばわった。
「起きて、おまえが忘れたものをもってこい。僕の下穿きを返せ」
……くそ。反応がない。
眠りが深いのか?
もう一度同じ言葉を下してやったが、いっこうに起きぬ。
仕方がないので中に入り、ハンモックに近づいてやる。
まったく、この僕に手間をかけさせるとは。我が素性を知らぬとはいえ、不遜であろう。
「起きよ。今すぐ目を開けるのだ」
なんというアホ面か。かように口を大きく開けるとは、なんとはしたない。よだれがダダ漏れではないか。
「我が玉音をいったい何度聞けば、起きるのだ?」
結局、あきれる僕の声に反応したのは、少年ではなく。その足元にうずくまっている毛玉――
「ふぁー。んー? あらぁ?」
円形ハゲのネコであった。
「しゃべるネコ。ということは、人造物か」
「ええと、あなたは、アタシたちが拾った子ね。起きてきたってことは、治ったのねえ」
「ネコ。主人を起こせ」
「主人? テルは、アタシの主人じゃないわよ。アタシのこ・い・び・と」
ネコは少年の足元に座るや、大あくび。なんともぶしつけこのうえない。
「お前を造ったのはだれだ? あの老人か?」
「おじいさまじゃないわよ。こいびとのテルが作ってくれたのよ」
「そうか。まあ、こいびとでもこびとでもなんでもよい。今すぐこやつを起こせ」
「はぁ?! なんでもよくないわ。ちゃんと認識してちょうだいよ」
しゃーっとネコが怒る。いくら僕の素性を知らぬとはいえ、我が玉体からかもしだされる高貴な後光は、感じ取れるであろう。なのにごきげんうるわしく、などの定形の挨拶はないし、ため口でべらべらしゃべるどころか威嚇してくるとは。
なんと出来の悪い人造物か。
「余計な世話かとは思うが、あとで主人に忠告してやろう。おまえの頭脳を教育しなおせと」
「はあああ?!」
「頭も尻尾もハゲているし、内臓頭脳がこんな受け答えをするなど、教育不足のなにものでも――ううっ?!」
なんだ?! いきなり、胸のあたりに違和感を感じたが。これは?!
「ちょ?! テル?!」
今にもとびかかってきそうだったネコの瞳孔が、丸くなる。
それもそのはず、ハンモックから少年の腕が伸びてきていて。
僕の胸を……つかんでいる。
「なっ……なにをしている?!」
「……っれえ? メイ姉さ……じゃな……? 胸……ねえ?」
「な、何を言――ま、待て! は、鼻血?! うあ?!」
寝ぼけている少年の鼻から、なぜか鼻血がたれている。
夢をみているように見えるが、僕の胸をつかむ手が、思い切り動き始めた。
「あれえ? ないー……」
な、な、なにをするんだこいつは!
呆然とした僕がその手をはねのけようとすると。
「なにやってんのよ! テル!!」
機能が微妙なハゲネコが、シャーッと怒りの怪気炎をあげて主人に飛びかかった。
「アタシというものがありながらああああ!!」
「ぎゃひい!」
銀の爪一閃。
あわれ少年はネコにひっかかれ、ハンモックから落ちた。僕の、足元に。
そのとたん。
僕の鼻をおそろしい匂いが襲ってきた。くさった油? 汗? なんだこれは!
あまりの臭気に鼻をつまみ、眉を寄せ。僕は思わず……絶叫していた。
「……臭い!!」
暗闇は、人間の五感にあまりいい印象を与えない。
工房で目覚めて〈孫〉を見つけるまでに、僕の視覚や嗅覚は、このジャンクビルを「汚くて臭い」ものだと認識してしまった。
まぶしい工房はごちゃごちゃしていたし、表の店など足の踏み場がない。
ハンモックのある部屋の壁の汚れ具合ときたら、墨をぶちまけたよう。
ゆえにこれは、来たるべくして来たとどめと言える。周囲の環境が、我が嗅覚を数倍に強調したのだ。
「あのぉー」
ギヤマン貼りの浴室から、ずずっと少年の頭が出てくる。
水滴がついたギヤマンごしに、ぼんやりそやつの体が見える。ずいぶん色黒だったのが真っ白く変わったということは、やはり相当汚れていたのであろう。
「いやぁ、ごめんな。ゴミ山ほっくりかえしてきたまんま、ばたんきゅーで寝ちまってさぁ。そりゃクッサいよなぁ」
――「テルは黙ってて!」
開かれた浴室のドアから湯気とともに、ハゲネコがするんと出てきた。
「アタシも気になってたのよ。テルってば、毎日すごく汚れるくせに、めったにお風呂に入らないんだから」
「清潔を保つのは大事だ」
「それは同感ね」
ほう? このネコ、衛生観念はちゃんと入っているのだな。
僕は即刻、入浴することを少年に命じた。
臭くて真っ黒な手で、僕の下穿きをどこぞから取ってきて渡されるなぞ、冗談ではないからだ。
「よろしい、では服を着ろ。髪もちゃんと整えるのだ。身支度を終えたら、僕の右手に接吻して礼を取る事を許す」
「せっ……ぷん?」
「その後ただちに、手に香油をつけ、僕の下穿きを捧げ持ってこい」
「こ? 香油? そんなもんは――」
「石鹸でよく洗ったから大丈夫よ」
ネコが少年の言葉をさえぎって答える。
「パンツは、たぶんまだベランダに干してあるわ。ほんとごめんなさいね。テルったらざっくりてきとう型なのよねえ。でももう許してやって。あなた、自分で取り込んでいいわよ」
ベランダ? それはたしか……。
「ベランダとは、店舗の真上の二階の居間についていた……つまり道路に面している……」
「ええ、日当たりは悪いけど、あそこが物干し場なの」
「な……」
僕は絶句した。
この僕の下穿きを公然と、下界の虫どもが通る道路にさらしているだと?
あまたの島都市を従える、エルドラシア皇帝のものを?
「な、なぜ僕の下穿きを公開するのだ! 見物料でもとっているのか?!」
「はぁ? 公開?」
「いやもとい。なぜ僕が、自分で取り込まないといけないのだっ!」
「いやー、遠慮しなくていいって」
少年が、頭をタオルで拭きながらあっけらかんと言う。
下穿き一枚の恥ずかしい姿を、僕に平気でさらしながら。
「そりゃあ、あんたにとっては、ここは人様のうちだけどよ。洗濯物はさ、勝手に取り込んでくれていいぜ。アイロンもかけてくれていいし、床掃除もしてくれちゃっていいよ。いやそうしてくれたら、ものすごく助かるわ」
「テル、それ家事おしつけてるでしょ!」
「うひ。ばれたか」
「な……な……」
なんというやつだ! この僕に下働きをさせるだと?! おのれ……なんと無礼な……!
「でもさ、助けてあげた御礼になんかしてくれると、うれしかったりするからさぁ」
「むろん褒賞は与える! 召使いが欲しいのなら、五、六人ほどここに送ってやる!」
「えっ?」
「だが今すぐには無理だ。だから……」
僕はぎりぎり歯軋りしながら命じた。
「僕の下穿きは、おまえがとってくるのだ!」
いったい、エルドラシアの皇帝をなんだと思っているのだ。
いや、素性はたしかに伏せているが、島都市の機貴人だということはばれているはずだ。
押しも押されもせぬ天の騎士、すなわち貴族にアイロンがけを頼むだと? 床掃除してほしいだと?
いったい何を考えているのだこいつは!
睨みつけると少年はひきつりながらも服を着はじめ、手で髪をなでつけ、二階の居間に僕を通した。
「ま、まぁ、とりあえずここに座ってて?」
「もー。天使って横柄ねー」
僕がすすめられた椅子にどかりと座ると。少年はぼやくネコと一緒にベランダに出ていった。
その隙に僕は、背中に埋まる金盤に呼びかけた。
「アル……」
……反応は、ない。
「返事してよ、アル」
……だめだ。完全に沈黙している。いつもなら、呼べばすぐにしゃんしゃんと、起動音が聞こえるはずなのに。
アルゲントラウムの損傷の程度はどのぐらいなのか、想像するだにおそろしい。
よくもエルドラシアの皇帝機を撃ち抜いてくれたものだ。
一体だれがこんなことを……
「アル。目を覚ましてくれ」
非常時の起動プログラムも作動しないなんて。
記憶は大丈夫だろうか。
五十代一千年に渡る戦闘記録。皇帝たちの言動。帝国の歩み。
黄金の女神はすべて、覚えている。でもこんな状態では、もしかしたら……
「アル……」
修理されてよみがえっても。黄金の少女は、僕の事を……覚えていないかも……
「いやだそんなの。いやだ」
撃たれた直後、その疑いの片鱗はすでに出ていた。
アルは僕の事を……
『死なせません。マレイスニール』
僕の事を、高祖の名で呼んだ……。
――「きゃああああ」
突然。ネコの悲鳴がベランダから聞こえてきた。
「落ちた! 落ちたわよおおっ!」
な?! 何が落ちたのだ?! 直後、ベランダの床が激しく揺れる音が聞こえた。肩にネコを背負った少年が慌てて戻ってくる。
「ご、ご、ごめん!」
サッシを開けたとたん。少年は勢いよく僕に頭を下げた。
「蒸気に噴かれてパンツがとんだ!」
「なっ?!」
「今から回収すっから、ちょっと待ってて! あ、一緒に来てもいいぜ! えっと、えっと、あ? あれっ?」
がしがしと頭を掻き。少年は頭をかしげて、僕に聞いてきた。
「とこんでさ。あんたの名前って? なんて呼べばいいんだ?」