2話 黄金の女神 （皇帝）
天は青く。どこまでも蒼く。
昇るにつれて、どんどん色濃く紫紺になっていく。
皇帝機アルゲントラウムが展開する空調維持結界が、真空の空間とこすれてきんきん音をたてる。
背から黄金の翼を生やし、女神と手をつないで飛んでいる僕の下。
はるか眼下にある大島都市フライアはいまや遠く、フロリア銀貨ぐらいの大きさほどにしか見えない。
『即位五年を記念いたしまして、表に陛下の横顔を。裏に帝都フライアの七つの塔を刻印いたしております……』
廷臣どもが見せてきたあの記念コインのごとく、都の建物は一面白銀色。
ドーム結界に囲まれた白亜の都市は、人口三十万。
太陽系外の星から輸入した浮遊石の岩盤と、この星の遠心重力の作用で浮かんでいる。
高度は、平均70マイルメーター。
成層圏のひとつ上、中間圏を上下していて、星の周りをゆったり回るように移動している。
帝都の近くに転々と、ものすごく小さな島都市が数基見える。
豆粒ぐらいに見えるあれらは、大昔、この世で一番初めに作られた島都市たちだ。
「天に浮かぶ都市が創られたのは、十五世紀前だったか……」
『ええそうです、我が主。統一政府時代末期のことです』
僕のつぶやきに、黄金の少女が答える。隣にふわりと浮いている美しい幻影が。
『島都市は、大陸にあふれかえった人類が求めた理想郷。天の国』
今僕が想起した知識はすべて、この少女――アルゲントラウムが教えてくれた。
彼女は何でも知っている。いつもりんりんと澄んだ声で、穏やかに語ってくれる。
「島都市はたしか、はじめはたった十基だったと前に言ったな」
『はい。でも数世紀の間に二百五十六基に増え、現在もそのすべてが稼動しております』
あの小さな初期のものには、せいぜい二万人ぐらいしか住めない。
それでもあれが浮かべられた当時は、「巨大空中都市」と謳われていたそうだ。
一世紀経たぬうちに、天に浮かぶ島々は「天界」と称されるようになった。
資源が堀りつくされた大陸は疲弊しきっており。ひどく膿みきっており。
度重なる紛争によって大陸は汚染され、どこもかしこも病んでいたからだ。
だれもが汚れきった母なる大地への愛を失い、そこから逃げたがっていた。
本当の新天地をめざし、ほかの星へ行ってしまった者も多かったという。
しかしこの星に固執する人々は。富める人々は。そして権力をもつ人々は。島都市に移り住んで、死に絶えた地を見下ろすようになった。
自分たちが壊した、母なる大地と。天に行けずとり残された人々を――
統一政府の中央政庁となっていた島都市オピニアが、叛乱を起こした暗黒の島都市に堕とされたのが、一千二百年前。
それをきっかけに、他の島都市も次々と独立を宣言した。
初期移住者の子孫で権力のある人々が王族となり、あまたの天の王国が生まれ、統一政府は消滅した。
国が林立すれば、相争うようになるのは世の必定だ。
弱きものは破れ、強きものが支配する。
現在、あまたの戦を経て他の島都市を従えるようになった強大な島都市は、わがエルドラシア帝国を含めて十八ある。
いずれのメガコロニアも、この星の覇権をとろうと虎視眈々。常に睨み合っている状態だ。
「戦場は錆びきってるな……」
帝都フライアのはるか下。
眼下にシミのごとく広がる大陸は、今日も今日とてまったくひどい色だ。
錆びたように真っ赤で、まるで血を流して横たわっている死体のよう……。
そう。
下界は、「戦場」だ。
天の楽園に住まいし者たちは、たがいの島都市を汚したり破壊したりすることは、決してない。
僕らは「天使たち」を汚れた大陸に降りたたせ、そこで戦わせる。
時を決め。場所を決め。
母なる大地で争わせる。
その背に機霊を背負った、機貴人――人工精霊に選ばれた者たちを。
高祖帝マレイスニールも、そんな機貴人たちのひとりだったという。
かの偉大なる英雄は島都市フライアの王に仕え、王の代理騎士としてあまたの戦で名をあげ。世界中の誰もが知る英雄となった後に、クーデターを起こした。
王から玉座を奪い、おのが手で勝ち取ってきた島都市たちをとりまとめ、帝国を建てたのだ。
『朕がみずから勝ち取ったものを、朕が統べるのは当然であろう』
偉大なる英雄はそう豪語して、特注で作らせた水晶の玉座に座したという――
「一週間後の大陸投下戦では、植民星マルスとの紅鉱貿易優先権がかかってる。五ヶ国が参加の名乗りをあげてるんだが、煌帝国の女帝が自ら参戦すると聞いた。だから我が帝国も……代理騎士をたてるなんて、人任せにしたくない」
『我が主。煌帝国の今上帝は即位なさったばかりです。すなわちこたびの戦を「初陣」とする儀式を行うのです。実戦に投入されるかどうかは、微妙です』
「だが、その可能性はあるだろう？」
『代々の皇帝の即位記念の典礼戦をのぞけば、皇帝機王母娘娘は、今までに三度出撃しています。私は直接の交戦記録をもっておりませんが、騎士団より送られたその戦闘記録の解析によれば――』
僕と手を繋いで一緒に飛んでいる黄金の乙女が、しゃんしゃんと鈴を鳴らすような音を立てる。
記録を呼び出して、瞬時に計算しているのだ。
『投下予定のわが帝国第一騎士団十騎が、今度の会戦予定地で女帝陛下の王母娘娘および七仙女と交戦した場合の勝率は、八割五分。わが国の皇帝機――すなわち私を投入せずとも、圧倒的に優位な数値です』
「いや、戦力の不安じゃないんだ。相手国の国主が出陣するから、こちらも相応の礼を尽くしたいっていうか……即位祝いの意味合いっていうか……」
『ああそれは。とても立派なお心がけです』
黄金のツインテールがふわっと揺れて。
少女が、かわいらしく微笑んでくる。
「いやその、心がけという堅苦しいものでもなくて」
僕のアルゲントラウムは、他の機霊と違う。
その人工知能はとても賢くて。個性的で。まるで普通の少女のような思考を持っている。
だから僕は目を細めて、軽口を叩いた。
「実はかの国の皇帝機『王母娘娘』を、じかに見てみたい、ってのが本音だ。君と同じ年頃の機霊だそうだから」
『えっ……』
金髪の少女の表情が繊細に変わる。むぅと口を引き結んで、ちょっと怒り顔だ。
アルゲントラウムは人間には嫉妬しないが、同じ機霊にはすごく嫉妬する。
その貌が……実にかわいい。
「でも、君より強い機霊はいないよね」
にこっとして言ってやると、黄金の乙女は謙遜した。
『買いかぶりです、我が主』
はにかんで、ほのかに頬を染めるところがまたいい。
『あ……我が主、高度が高すぎます。結界の出力が限界です』
黄金のツインテールをゆらして、少女が警告する。
僕はしぶしぶ、飛翔の高度を下げた。
帝都フライアがぐっと近づく。
眼下に在る都は、ドーム型に展開する空調維持結界に包まれている。
白亜の都市を包んでいるのは、ほんのり霞がかかった青色の空気。
酸素のみならず、住まう人々の健康を促進し、長寿を促す数種類の合成気体が混ぜられている。
僕のアルゲントラウムはその結界を突き抜け、独自の生命維持結界を張ることができる。
完全光体の翼から高エネルギーの結界膜を展開するのだが、高度が上がれば上がるほど、莫大なエネルギーが必要となる。すなわち機霊が寄生している、宿主の生命エネルギーが。
さすがにこれ以上上昇して、宇宙空間にまで出るのは無理だ。
同調して機霊に生命エネルギーを流し込む、僕の心臓がもたなくなる。
皇帝機でも無理なのだから、たぶん……
いまだかつて、星の海を渡った機霊はいないだろう――
『飛翔時間、十五分を超えました。宮殿へ帰投いたしますか？』
「もう少し飛んでいたい」
島都市の住環境は、人間にとって完璧であるように調整されている。
森林。平野。川。湖。田園。そして街。自然と都会が絶妙の割合で融和した理想郷だ。空気組成は日々ナノ単位で調整され、天候、気温は完全管理。
でも、帝都フライアは。
「人口三十万人……」
島都市では一番巨大な規模を誇っていて。
それだけ空気も……
「なんだか……帝都の空気がよどんでいるような気がする」
『フライアの空気組成を確認しましょうか？』
「いや。しなくていい。君のと違うってことを言いたかった」
『それは……』
アルゲントラウムの黄金色の空調結界は、心地よい。
鋭利で清々しくて、島都市コロニアの空気とはまったく違う。
僕は手を繋ぎあっている金髪の少女に囁いた。
「君が作る空気のほうが、澄んでておいしい」
とたんにうれしそうな微笑が返ってくる。
やさしいすみれの瞳。ばら色の唇。金の髪が揺れる――
美しいこの子は、僕の気持ちには……たぶん気づいていないんだろうけど。
気づく能力があるのかどうか……知らないけど。
でも僕は……
『あ……！』
手を繋いでいない方の手で、僕が黄金の乙女の頬に触れようとしたとき。
突如、彼女の美しい顔がほのかに気色ばんだ。
『我が主！』
そのつややかな白い顔が、ハッと固まる。
『我が主！ 下方五時方向より正体不明弾。回避します――』
「な？」
王宮の近くあたりから、ひゅん、と何か光る弾道が、空調結界を突き抜けてきた。
はじめ僕は、その光を迎えに来た護衛官だと認識した。
常に僕の身辺警護をしている、五人の機貴人のひとりだと。
だがそれは。機霊で飛んでいる人ではなく――
「うあ？！」
青白い刃のような閃光で。
『わが主！！』
異様な速さで、僕の黄金の翼を射抜くように貫いた。
背中に一瞬焼けるような熱さが広がった瞬間、繋がれた僕らの手が離れる。
「アルゲントラウム！」
ざざっと、黄金の少女の姿が歪み、みるみる透明化していく。
『我が主。不明弾が結界を貫通。被弾、しまし――』
なんだ今のは？！
アルゲントラウムの結界が破れるなんて……！
黄金の翼も。
空調維持結界も。
目を見開く僕の周囲で霧散していく。
『我が主、結界再展開を優先しま……ああ……出力不足で……両翼再展開が、出来ませ……出力が……出ませ……』
「なんだって？」
結界が、ふわんと張られる。
すがすがしい黄金色の空気を吸い込んでホッとするのもつかのま。
僕はどんどん、空の高みから落ちていった。
高度が下がれば結界維持のエネルギーを両翼展開に回せる。なのに高度がだいぶ落ちても、黄金の翼が開かない。
『我が主……出力が……出ませ……』
「なっ……どうして？！」
『接合部が破損……我が主の生命エネルギーが吸収できませ……ご安心を……死なせませ……絶対にお守りいたしま……緊急……ード……発……ます』
「くっ……」
たしかに、背中が燃えるように熱い。機霊との接合部が、本当に燃えているかのようだ。
「アルゲントラウム！！」
黄金の乙女が大きくゆらめき、ちりちりと音を立てて消えていく。
「いやだ！ 消えるな！」
「大丈……です……我が主……なたを……死なせませ……」
落ちていく。どんどん落ちていく。
帝都から飛んできた青白い光は、たった一発だけだった。
誰かに狙い打ちされたんだろうか？
王宮のそばから、一体誰に？
僕の背中からぼうっと黄金色の光が絞りだされて、結界の外側に翼ではなく球体を形作る。
僕との接続がはずれ、生命エネルギーを取りこめない今。
アルゲントラウムは、機霊の姿も翼も維持できない。ほぼ死んでいる状態だ。
それでも。
僕を守ろうと、緊急救命モードの光を出し続けている……。
「アルゲントラウム！ アル！」
黄金の乙女の姿は完全に消えてしまった。もう、返事は聞こえない。
黄金の光に守られ落ちていく先を見て、思わず息を呑んでしまう。
大島都市メガコロニアフライアの縁から、わずかに外れている。
このままでは――。
「アル！ 大地に落ちる！ 大陸に……！」
返事はない。
「アル！」
白亜の都市があっというまに迫り。
その縁が、僕のすぐ横に来た。
だが手を伸ばしても、届かない。僕を包む黄金の光は伸びず、固まったままだった。
フライアを横目に、僕は猛烈な速さで落ちていった。
大気圏を突き抜け。
はるか下へ。
下へ。
「アル！ 答えろアル！ 死ぬな！」
必死に呼びかける僕の声に答えて。
アルゲントラウムがやっとのこと、つぶやきを絞りだした。
『死なせません……私のマレイスニール……』
「ア……ル？！ 違うっ、僕は――」
その囁きに愕然としながら。
僕は、地に落ちていった。
汚れきった、真っ赤な大地へ――。
