21話 名前 (皇帝)
衝撃がこなくなった。大地に落ちているのだろうか。
光の鎧で体は千切れずに済んだが、全身が割れそうだ。
一瞬、暗黒の玉が我が身を包んできたものの、それはすぐに僕らの光に喰われた。
背中から出る光がまばゆすぎて、よく見えない。
ああ、違う。僕の目がもう機能していないのか……。
『……! ……!』
腕の中で泣きじゃくる少女。その姿がおぼろになっているのは、機霊の出力が衰えたせいではない。光は増している。僕の目がかすんでいるのだ。全身がだるい。アルをかばう体勢で固まったままで、手足が動かぬ。
融合型機霊は、主人の生命エネルギーを使って稼動する。アルがこの出力を続ければ、僕は……。
「死ぬ……んだな」
僕の命は黒い街を引き裂いた。僕らを追いつめた蟲たちに仕返しができた……はずなのに。
少しも嬉しくないのは……とても哀しいのは……僕らが利用されたからか?
天から降りてきた機霊たちにはじかれて、やっとのこと気づいた。黄金の光で破壊される、蟲どもの街を見て。
島都市連合が定めた国際機霊行使法では、大陸環境を保護するため、天使たちは指定戦区以外のところでは戦ってはならないと定められている。
戦区外で機霊を行使するには、本来ならば、例外的な特殊事象が起きなければならない。たとえば戦区外にふっとんだり。暴走したり。そんな機霊を回収処理する目的ならば、機霊行使が認められるのだが……。
「つまり帝国は……この大きな黒い街を破壊するために、僕らを落としたのか。最強たる僕らが邪魔だから……」
――『あは。やっと映像が来たな。おお、見えるぞ。ずいぶん眩しいなぁ』
何だ……突然。誰の声だ? 笑っている? 音源はどこだ?
『バッテリーのおかげで音声はずっと入ってきてたのだがね。再起動でやっと映像が……ふふ、そうなのだよ。機霊同士で小競り合う普通の機霊では、暴走したってたかがしれている。不慮の暴走事故で一夜のうちに都市を破壊するのは、無理だ』
背中……からか?!
『だからアルゲントラウムに、落ちてもらったのだよ』
「だれ、だ?」
『あは。幻像のクオリティが低いな。これ何万画素かな? ずいぶん粗いなぁ。まあ仕方ないね、内臓通信機が古いから』
「誰だっ?!」
『ふふ。びっくりした? 指揮伝達用の通信機なんて、君は使ったことないものね。君の円盤には、エルドラシア全軍、それに帝宮に、君の声と周囲の映像を伝えられるモノが入っているのだよ』
「答えろ! 何者だ?!」
『通信機を通して少々音質が落ちているけれど。僕らの声って同じに聴こえないかな?』
同じ……ああ、たしかに。似ていなくも……。
『十年ぐらい前かなぁ、元老院はね、新しい皇帝を立てたくなったんだ。高祖帝マレイスニールの複製じゃない、まっとうな意味での国主。最新鋭の皇帝機をもつ機貴人を、女帝にしたかったみたいだよ。それでちょうどきりよく五十代目で、人形による低起動保存を打ち切りにすることにしたのだ。アルゲントラウムの記録を新皇帝機にコピーして、凍結保存に切り替えようとね。それで五十代目までの人形だけを残して、地下に何百とあった、高祖帝の複製体を全部処分したのだ。でもね……』
くつくつ、僕と似ている声がしのび笑う。腹立つくらい楽しげに。
『ひとりだけ、そこから救われた子がいたのだ。とあるやつが、きれいな人形が欲しくて……盗んだのだよ』
そいつは実にいい人なんだと、その声はうっとり囁いた。
『おかげで助けられた子はゆっくり学べた。何もかも知ることができた。そうして命の恩人のそいつと一緒にゆっくりじわじわ、元老院を掌握していった。それでつい最近やっと、新体制を始められるところまできたのさ。ああ、水晶の玉座はとっぱらったよ。僕は君とちがって、お飾り人形じゃないからね。正直忙しすぎて、ふんぞりかえって座ってるひまなんてないのだ』
なるほど。僕の背中から出ている声の主。こいつが――僕を、落とした奴か。
つまり高祖帝の複製体にアルを保存させていたのは、真実……
僕は人形のひとり、なのか……
でも。でもこいつが、その人形たちの生き残りだというのなら。
「おまえ……僕と同じものなのか? ならばなぜアルを、こんな目に」
『はは、君が背負ってる円盤はいらないよ。円盤自身の戦闘記録なんて数えるほどだし、今までの人形皇帝たちのお世話記録なんて、うっとうしいだけだもの』
戦闘記録が数えるほど? 馬鹿な。
泣きすがる黄金の髪の少女を抱きしめる。初期状態になった今ならば、声の言うとおりだ。
だがかつてのアルが持っていたのは、暗黒帝との戦闘記憶だけじゃない。五十代一千年間の戦闘記録をちゃんと有していた。帝国が戦区に繰り出した機霊の交戦記録を、全部。アルは自分自身は出撃してないが、ほかの機霊たちからすべて情報をとっていた。
僕はアルにいつも話してもらっていた。僕の国の機霊の、戦いの叙事詩を。戦区で戦う帝国の天使の活躍を。
つい先月の戦いの記録だって、アルはちゃんと交戦の詳細を把握していた。
筆頭騎士団の戦乙女たち、〈スクルカルド〉がいかにして煌帝国の機霊を射抜いたか。
〈フリースリーエ〉の光線が、どうやって相手の旗手を破壊したか。
僕は彼女の報告を目を輝かせて聞いた……。
『負傷ゼロはすごいな』
『装填している蒼石が強化されました。輸入した高蓄積性能の魔石の効果は絶大です。貫通弾の威力が、従来より五倍にはねあがりました』
『僕らの黄金の結界も破れるか?』
『そうですね。結界は破られるかも知れませんが、光鎧は貫通できないでしょう』
『鎧……マレイスニールがまとったというあれか』
『はい。戦に出られるときには、陛下にもまとっていただきます』
僕はアルから戦闘報告だけしか聞かなかった。それにしか興味がなかったからだ。ほかのことはすべて、下の者たちに任せていた。いや、たぶん……任せていると、思い込まされていたのだろうけれど。
声の主は、アルが帝国の膨大な交戦記録を、ちゃんと蓄積していたことを知らないのか?
まさかアルは……アルはこっそり、帝国軍から情報を?
低起動の状態を装って、帝国の情報を全部、勝手に……?
『ふふふ。僕はね、新しい機霊をもってるんだ。本物のあの人が入ってる機霊をね』
僕のとまどいを知らない声が嗤う。
『あのね。かわいそうだから教えてあげるけど。君の背中の円盤に、あの子の魂は入ってないよ』
かわいそうと言うわりに、同情など微塵も入ってなさそうな声音だ。
その言葉を理解するのに、数拍かかった。
『高祖帝マレイスニールは、君が背負っている黄金円盤に愛する少女の魂を入れたかった。でも、技術的にそれは不可能で、結局実現できなかったんだ。黄金円盤に入っているのは、その人を精巧に複製した人工知能にすぎない。それが証拠に、高祖帝は円盤に、愛する少女の名前をつけなかったのだよ』
高祖帝が愛した人。もしかしてそれは、夢で見た……?
それにアルゲントラウム。たしかにそれは、人の名前とは違う。黄金なのになぜか、銀と言う意味の名前だ。まるで本当は黄金じゃないとでも主張してるような、不思議な名前。
『ふふ。僕の皇帝機にはね、ちゃんとあの子の魂が入っているのだ。僕がこの手で入れたのだよ。封印所にて眠っているあの子の体から、いまだそこに閉じこめられていた魂を移したのだ。千年経ってようやく、この僕自身が、その技術を完成させた。高祖帝が切に望んだことを。だから……』
晴れ晴れとした声が僕の背中を刺した。
『僕こそ、マレイスニール。僕の機霊こそ、まことの皇帝機。ただの複製円盤なんか、いらないよ。五十人目の人形くん』
驚かないんだね?
背中の声が少しがっかりした様子で言った。背中の円盤内に通信機があるのなら、僕のしらけた感じの顔はたぶん見えてないだろう。こいつが見ているのは、僕の背後にある光景か。つまり、燃え盛る黒い街。
声の主は何を期待しているのだ? 僕が地団太踏んで悔しがる声? それとも泣き声?
アルは、人工知能。そんなことなど、僕は重々知っている。
マレイスニールの恋人を模したということも。円盤に魂を入れられなかったということも。夢には見たが、今ここで事実として始めて知った。
しかしそれがなんだ?
「本物」がいようがいまいが、関係ない。敬意のないこの酷い扱いに憤りこそすれ、「本物」に対する羨望など、微塵もない。
僕が好きなのは、「この子」だ。
僕と一心同体のもの。生まれたときからずっと一緒だったもの。僕のそばにいてくれたこの円盤。その中に住んでいる、この少女。いまは記憶が飛んでいるが……この子は、千年生きてきたのだ。きっと「本物」より長生きだ。
だから、迷いなく言えた。
「黙れ、僕と同じもの。僕にとってはこの子こそ、本物のアルだ!」
『ふうん? そうなんだ? まあ、その円盤の機霊力は、馬鹿みたいに強いから魅力はあるよね』
「ちがう、そんな理由ではない!」
幻の少女を囲む僕の腕に、思わず力が入る。じかに触れられないものなのに、僕の腕はその光の幻を突き通らなかった。このまばゆい光に弾力があるわけではない。僕の意識が、これはここに存在するものだと思っているからだ。
揺れる金の髪が頬に触れてくる。熱い光が僕の頬を焼く。
『まあ、下界の様子を聞けて楽しかったよ』
背中の声は神のように高慢だった。僕の言葉を無視してそいつは言った。
蟲の街はやはり破壊しなければならない。実におぞましいところだと。
『バッテリーのおかげで、落下直後から音はずっと聞こえていた。聞きしに勝る荒みっぷりだね。やはり下界は汚らしい。君が拾われたところも囚われたところも、ひどいものだ』
いばりくさった声はシングやその孫をせせら笑った。蟲のくせに機霊を扱えるようだが、言葉遣いからして低俗だと。
たしかに下界の蟲には違いない。でも僕を見るあのまなざしは。あの貌は。あの歯を見せる笑顔は。僕を心配げにみるあの猫の、爆発したり縮んだりする尻尾は……
ああ、声の主は見ていないのだ。だからわからないのだろう。
しかし僕がわけもわからずとまどっていたのを、ずっと黙って聞いていたなんて。
性格が悪い、などというレベルではなかろう。高飛車で傲慢で冷酷すぎる。
『あは。かわいそうに、人形呼ばわりされてショックだったろうね。君だってうんざりしてただろ? こんな街焼かれてしまえって。滅んでしまえって。』
「それは……」
『浄化しないとね。汚れた物はきれいにしなくては。僕と同じ考えに至ってくれて嬉しいよ。五十代目の人形くん』
みんながよってたかって僕らを馬鹿にするから。ギルドのやつらが僕を捕らえようとしたから。ハル・シシナエが機霊を穢そうとしたから。だから僕は……
ああでも、街には子どももいたな。商店街にあふれていた、たくさんの人々。みな笑顔で蒸気船を見上げていたな……まるで式典映像を見て喜ぶ、帝都フライアの人々のように……
『蟲じゃないわ!』
テルの猫がそう叫んでいた……
『みんな一所懸命、生きてるのよ!』
一所懸命、か……
僕の命が切り裂いた中に、その一所懸命な人々はどのぐらい……いたのだろう……
……
……
僕は、耐えればよかったのか?
怒りを破裂させずに、黙って打たれてればよかったのか?
でも、無理だった。
たしかに僕は、声の主と同じだ。黒い街を、消したいと思った。
僕も本当に、ひどい奴だ……
『呼吸が荒いね。そろそろ終わりかな。ふふ、君はとても役に立ってくれたよ、五十人目の人形くん。目障りな下界の街を消してくれたし、皇帝機の力を見せ付けてくれたんだもの。即位式のときに、君を追悼する言葉を入れてあげるよ』
だまれ。五十代一千年の記憶を持たずして、なにより、暗黒帝を倒した記憶を持たずして、何がエルドラシアの皇帝か。
帝国の血と汗の歴史、エルドラシアのために戦ってくれた機貴人たちの記憶を吹き飛ばした奴が、エルドラシアの帝冠を頭にいただく?
ふざけるな――!
怒鳴ってやりたいのにもう声が出ない。黄金の光が退いてきた。
死が、近づいている。
『それにしても僕の親衛隊の九機が一瞬で……なんて堕天使だ』
傲慢な声がぼやくのが、かすかに聞こえる。
『どこのどいつだ? 速すぎて映像に捉えられないなんて。ふふ、僕の手駒に欲しいな』
ああ、暗黒玉を出してくれた機霊か。姿がよく見えなかったが、そやつが敵を倒してくれたのだな……
『名残惜しいがこれでお別れだ。かわいそうな親衛隊のみんなを慰めてやらないといけないからね。さらばだ、五十代目の人形くん』
あれは黒い機霊だった。すごいな……すごい……
「アムルうううう!!」
?
な……この……光……
何者かの、呼び声。刹那全身を襲う、衝撃。飛ばされる……
エルドラシアの機霊ではな……僕らに暗黒玉を放った機……だ……
「うあああああ! 俺の血よりすげええええ!! 特製カリカリすげええええ!!」
あ……
「て……」
「アムルううううううっ!」
テル・シング……無事……だったの……か――
「うりゃああああああ!! スガモ遺跡のごみ山に突っ込んだぞ! よしこれで寄ってくる! あいつらが寄ってくる!」
『金属バクテリアね?』
「そうだプジ! 熱が大好きなあれがアムルの暴走熱を喰ってくれるはずだ!」
『言ってるそばから、うじょうじょ寄って来たわよ!』
「よっしゃあ! この合間に!」
光が……れる……
鎧が……消……て……く……
周囲に……暗……色の……が……渦ま……
うずの……なか……てが……でてき……
かわてぶくろの、て……
『Neinnnn!! 』
!!!!
「ちょ! じゃましないでくれ! 金髪美少女! アムルからあんたを取り出したいんだ!」
『Bitte nicht beruhren!!』
ア……ル……?
「ぎゃああ?! なんだこれ! 矢だ! 矢!」
『テル、アルゲントラウムが反撃してきたわ! いったん退避する!』
ねこの、こえ。
とびたつ、くろい、もの……
『Nicht sterben!!』
アル。
『Nicht sterben! Nicht ……シ……シナ……』
アル?
『シナナイ、デ……シナナイデ!』
アル。ことば。
『シヌ、ダメ!』
ことば……!
『シヌ、ダメ! マレイス二ールソックリナ……ヒト……』
あ……
「ア……ム……ル……だ……」
『アムル? アムルサン? アムルサン! アア、コノコトバ、ワカリマス、カ?』
うん。わか……る……
『ゴメンナサイ! ワタシ、キョウツウゴ、アマリシラナイ。ワタシ、アレイシア。ワタシ、〈機霊〉ニナッタノ、デスネ?』
アレイ、シア?
『マレイスニールガ、ワタシ二約束、クレマシタ。永遠ニ一緒ニ、イテクレルッテ……』
きれいな……名……
『アナタハ、アノ人ジャナイ。デモソックリ……アナタハ、ワタシヲ守ッテクレマシタ。カバッテ、クレマシタ』
アレ……シア……
『アリガトウ、アムルサン。ワタシ、アナタヲ、タスケタイ。シヌ、ダメ……』
ありが……
『アムルサン? アムルサン!? アア……アアアア……』
『テル、黄金の光がほとんど消えたわ!』
「き、きっとバクテリアが喰ったからだっ」
……
『Neinnnn!!』
『テル! あ、アムルが、動かなく……』
「とにかく背中の円盤をとる――! 突っ込むぞ!」
『Neinnnn! Neinnnn!!』
……
「イーニー ミーニー マイニー モー
虎のつま先つかんで捕まえろ
虎が吠えたら放してやろう
イーニー ミーニー マイニー ……」
「やだ、なにを選んでるの?」
「君たちのどっちを先に病室へ運ぼうかと……」
白い壁。白い床。ソファが並ぶ、病院のロビー。
「それ、そうやって決めること?」
パジャマ姿の黒髪おかっぱの子が、頬を膨らませる。ソファに座ってお菓子を食べていて。
甘ったるい匂いがする。
「好きな子から先に運べばいいのよっ」
〈僕〉の肩をばしりとはたいてくる。元気のいい子だ。名前はたしか……?
「おかっぱちゃんは俺が運ぶぜ」
浅黒い肌の男が、ニコニコ顔でおかっぱ少女を抱き上げる。こいつは……〈僕〉の同僚だ。名前はたしか……?
「あ、お姫さまだっこして」
「へいへい、了解。じゃあお先になー」
連れ去られるおかっぱ娘。黄金のツインテールが、〈僕〉の目の前でふわりと傾く。スミレの瞳が〈僕〉を見上げてくる。
「あー、えっと。あはは」
「あのふたり、仲良しよね」
「そうだよね」
はじめて会ったのは星船の墜落現場で、事故に合った旅行客と救助隊員という関係だった。
二度目はこの病院で鉢合わせ。〈僕〉がまた事故救助して怪我人を運び込んだ時にばったり。
怪我が治って退院してるだろうと思っていたら、違って驚いた。
不治の病に侵されていて、生まれて以来病院暮らし。星船に乗っていたのは手術を受けに別の星へ行くため。
でも事故のせいで少女の家族は亡くなり、手術は受けられなくなった。
再会してからというもの、〈僕〉は相棒とちょくちょく、お見舞いにきている。
「お願いします」
ぺこりと頭を下げる少女を抱き上げ、病室へ連れて行く。相棒とおかっぱ娘はどこだ?
廊下に出たものの、もう姿が見えない。
「アレイシアの故郷は、島都市ヴァルトだっけ」
「はい。ものすごく小さくて、辺境の」
「共通語、上手になったね」
「わ。うれしい。練習したの」
ずいぶん長い廊下だな。この病院、こんなに広かったっけ?
一体どこまで続いてるのだ? なんと果てしない……
「アレイシア」
「はい?」
「いい名前だね」
「ありがとう。あ……まぶしい」
「ほんとだな」
やっと病室の前についた?
入り口が白く輝いていて、目がくらむ。暖かい。陽だまりに包まれたような感じだ。
なんだかとても、おだやかな気持ちになる――。
「入るよ」
〈僕〉はそのまばゆいアーチをくぐり抜けた。
腕にしっかり、黄金の髪の少女を抱いて。