18話 沈む街 (皇帝)
僕が生まれて初めて目にしたもの。
それはきらめく、黄金の光。
廷臣や親衛隊の騎士たちは、普通の人間は、生まれた時のことなどそうそう覚えておりませんと言う。
人間は、赤子という形でこの世に生まれるからだそうだ。
その赤子はとても弱弱しく、一人で歩くことも食べることもできず、記憶など容易に蓄積できないものだという。
でも僕は。そんな脆弱なものとしては、生まれ出なかった。
『陛下は生まれた直後から、一人でお歩きになれました』
『言葉も流暢に喋られて』
『さすがは、帝国の現人神。我々とは違います』
廷臣たちは、そう誉めそやす。
『陛下は、生まれながらに皇帝機に選ばれた方』
『努力せねば戦乙女の機霊を得られぬ我々とは、違います』
親衛隊の騎士たちも然り。
そうだろう。僕は他の者とは違う。
僕は皇帝。帝国を統べる者。
「特殊」で「特別」。
生まれて初めてまぶたを開いた時のことを、僕はしっかり覚えている。
あの時から、この身の丈はほとんど変わっていない。
僕は、生まれながらに完全だった。
『お目覚めになられましたか、我が主』
僕が目覚めたとき。日輪のアルゲントラウムは、すでにわが背に埋まっていた。
まばゆい黄金の光の中。左肩に現れた少女が金髪のツインテールをふわりと揺らし、僕に微笑んできたのだ。
『ご誕生、おめでとうございます』
普通の人間たちは、生まれた時は全くの無知。家庭教師や学校などで知識や技を学ばねばならぬ。
だが僕は、そんなことをする必要はなかった。
言葉も一般常識も。この島都市と赤い大陸の歴史も。帝国の仕組みも。
必要な情報はすべて、生まれながらに持って生まれた。
ゆえに僕はその時まったく驚かず、流暢な帝国語で金髪の少女に答えた。
『ありがとう』
みんな、僕の前にひれ伏す。誰よりも特別だと褒める。
僕はちゃんとアルの言う通りにして、帝国に君臨していた。
五十代一千年。
今まで四十九人の皇帝たちと共に生きてきた、アルゲントラウム。
彼女が、僕にすべてを教えてくれた。皇帝は、どうするべきかを。
『陛下は、人間と同じものを食べてはいけません』
特に下界産のものは避けるべし。
シングに供されたあの甘い泥水だけは……においに抗えず飲んでしまったが。
基本、皇帝たる者の食事は、白いアムリタと白いマナ。この二種類だけだ。
これらは、僕のためだけに作られる特別なものだ。
『陛下が外に出られるお時間は、一日一刻までです』
自然光の下に出るのは極力避けるべし。神なる者の肌に、自然光は甚だ悪影響を及ぼす。長く浴びれば、神性が損なわれる。
『陛下は、普通の人間と同じようであってはいけないのです』
普通の人間のようにふるまうと、僕の『特別さ』が失われる。
『政は、廷臣たちに。戦は、騎士たちに委ねられますよう』
わざわざ僕自らが、出て行く必要はない。僕は皆を見守るだけでよいと、アルは言う。
普通の人間は、おのれを生み出した者に育てられる。
でも、僕にそんなものは必要ない。
たしかに、廷臣たちが見せてくれた帝国民の現状報告幻像を見て、そんなものがいたらいいなと思ったことはある。
幸せそうに幼子を抱いている母親。子供たちと楽しげに遊ぶ父親。
一度、同じものが手に入らないだろうかと、アルに聞いてみたら。
ぎゅっと手を握られ、即答された。
『陛下には、私がおります』
にっこり微笑みながらアルは言った。
『私は、陛下の守護者。陛下の教育者。陛下の母。陛下の恋人。陛下にとって、ありとあらゆるもの』
誕生の棺から目覚めて五年。僕らはずっと一緒だった。
死ぬまで僕らは離れない。
僕とアルゲントラウム。輝ける皇帝と、その守護者。
そう。僕らは、この世で一番、偉大で特別だ――。
光。光。光。
まぶしい光の渦。まともに見たら目がつぶれるほどのまばゆさ。
でも熱くない。ほんのり暖かく、なつかしい。
なつかしい?
そうだ。そんな感覚だ。僕たちはもう何年も何百年も離れ離れでいた気がする。
だからうれしい。うれしくてたまらない。やっとまた、君に会えた……!
「アル!」
たなびく白い衣。ふわりと揺れる、黄金のツインテール。
まっ白な顔の中で輝く菫の瞳が、にっこり細められる。
なんてまばゆい少女。神々しい……。
ハル・シシナエが、声も出せないぐらいおののいている。
「はは。驚いたか?」
安心しろ、地上の蟲。この光はおまえを焼きはしない。むろんアルには簡単にそうできる力があるが、僕は慈悲深い皇帝だ。
「ひざまずけ、ハル・シシナエ!」
今までの無礼を謝罪しろ。僕を馬鹿にしたことを。拒否したことを。地に膝つけて、悔いるがいい。
頭を垂れて深く悔やめ。そうしたら――許してやろう。
「なに言ってんだちくしょう! くそっ、なんだこの光量! 近づけねえ!」
ふん。所詮下賎の輩なのだな。銃を構えるとは愚かな。
よろしい。おまえなど……いらぬ。
ここを崩して外へ出よう。空へ飛び立とう。僕を捕まえようとするやつはみんな、焼き尽くしてやる。そして僕はまっすぐ帰るのだ。
帝都フライアの、水晶の玉座に。
「待て、きれいな天使!」
「アル! 地下道をマッピングしながら進行飛行してくれ! 動くものあらばすべて排除だ!」
『Welle・Wahrnehmung……』
「なんだ? 今なんて?」
アルが首をかしげている。口から出たのは、帝国の言葉ではない。言語設定が変わっているのか? なんと言っているのだ?
背中の円盤がしゅんしゅん唸っている。まだ起動中か? いや、これは……。
『……Mareisnir……!』
マレイス……ニールだと?
「アル! 違う! 僕は高祖帝じゃない」
じっと僕を見てにっこり微笑む少女。笑い声がこぼれそうなかわいらしい笑み。菫の瞳にはちゃんと僕が映っている。両手を僕にさしのべて、本当にうれしそうに……
『Ich habe dich vermisst……Mareisnir!』
「アル、ちがう。僕だ。アムルだ」
『Was sagen Sie? Mareisnir ,Wo bin ich?』
「う……ろ、ロードを早く! 蓄積記録を呼び出すんだ。思い出してくれ!」
黄金の少女がけげんな顔をする。僕を抱き締めかけた手が困惑で止まった。
困った……彼女が喋っている言葉が全然わからない。でもマレイスニールという名前だけははっきり聞き取れる。
アルは僕のことを初代皇帝だと認識しているようだ。
ある程度の記憶の損傷は覚悟していたが……
いや。きっと、まだ完全に情報を読み込んでいないからだ。きっとそうだ。まさか、僕との五年間をきれいさっぱり忘れるなんて、そんなことあるはずない。
落ち着け僕。黄金円盤には、蓄積記録のバックアップがどこかにあるはずだ。それを呼び出すことができれば……。
「アル、記憶を読みこむんだ」
『? Ich verstehe nicht, Ihre Worte……』
「僕と君の……一番新しい記憶だ。ここ最近の、五年間の情報を呼び出してくれ。君の中のどこかにあるはずだから」
声が震える。いやな予感が背筋を走る。
これは……今僕の肩先に出現している少女は……僕に何でも教えてくれたアルではない。何をしたらいいか分からぬ様子でそわそわしている。
頼むから、今にも泣き出しそうな顔をしないでくれ。
僕の言葉は通じていないのか? アルが喋っているのはもしかして、古代の言葉か。
僕が脳内に受け取った歴代皇帝の記憶には、この言葉の情報はどこにもない。古すぎてもう使わないものだからと、僕には伝達されなかったのだろうか?
まずい……アルは、本当に蓄積情報が飛んでいるようだ。
このとまどい顔。まっさらの、初期の状態だ……。
黄金色に輝く少女が、困りきったように首をかしげる。その姿が、突然ざっとゆらいだ。生身と寸分たがわない感じだった少女の姿が、半透明になる。
「う! 背中っ……」
違和感? 痛い! 背中の円盤が高速で回っている。
しゅんしゅんすごい音だ。まばゆい光の帯が背中からほとばしる。
いままで漏れていたよりはるかに膨大な、機霊光。それは空調を維持する涼やかなものではなくて――
「ち! ぱねえ!」
ハル・シシナエが僕から退避した。逃げる黒革の男を追うように、機霊光が広がっていく。
半透明の少女の表情が、キッと強面になっている。その瞳が映しているのは、銃を構えながら離れゆく、ハル・シシナエ。
『Es ist gefahrlich!』
何か鋭く叫んで、半透明のアルは僕の前に出た。守り、かばうように。両腕をばっと真横にまっすぐ広げて仁王立ちになる。
アルはシシナエを敵と認識したのか。それにしてもなんてまぶしい。
遺跡の古い建物に光が閃いて……溶けた? な……一瞬にして軒先がどろどろに?
「熱線!? アル待て! ここを崩したらっ……」
崩したら……どうなる? 汚い街の下に広がる空間。そこを潰したら。中に入り込んできている蟲たちは潰される。地下を抜かれた街は? あの黒いビルは、軒並み沈むのか?
あ……
別にそれでもかまわない……のか。だってここは帝都ではない。天に浮かぶ島ではない。
僕を馬鹿にする蟲どもしか、ここにはいないのだから。そいつらがどうなったって……
「その光を抑えろ! ここを破壊するな! 地上のビルが沈んじまう!」
黙れハル・シシナエ。無理だ、止められない。今僕は、アルと言葉が通じないんだ。
アルは自分の出力を制御できなくて戸惑っている。
でも僕の言葉では導けない。このままだとこのあたり一帯は溶けた熱土と化す。
でも――たぶん、これでいいんだ。
だって僕は。
アルを、止めたくない――。
「僕のものにならないなら燃え尽きろ! シシナエ!」
アルがその力を今ここで発揮すれば。この街を滅ぼせば。大陸のものどもも、島都市のものたちも、僕らに一目置くのはまちがいない。
黄金の光体翼が大きくなる。僕の意志をそのまま具現するかのように。
僕をかばう少女はうろたえて、呪文のようにぶつぶつ、僕にはわからない言葉をつぶやき続けている。
たぶん。
たぶんアルは混乱しながらも、シシナエからマレイスニールを守ろうとしているのだ……
僕ではなくて。
僕、ではなくて……!
「焼いてアル」
刹那、僕の口から出た声は。驚くほど暗かった。
両手で顔を覆っていたせいだ。これは動揺したのではない。失望したのでもない。そんな情けないものではない。
だって僕はうれしい。うれしいんだ。アルが復活したから。生き返ってくれたから。
だから。目からあふれてこぼれているこれは、喜びの涙だ――
「焼いて。焼いて……焼き尽くして! 下界なんかいやだ! 嫌いだ! こんな街、大っ嫌いだ!!」
僕の叫びに、少女がふりむく。とても困ったように。おろおろうろたえ、震えながら。
「Mareisunir……」
「滅ぼしてよ――!!」
僕は怒鳴った。なによりも一番、聞きたくない名前を、かき消すために。
光。光。光――。
まぶしい光の渦。まともに見たら目がつぶれるほどのまばゆさ。
天井が溶けた。ふふ、大穴が開いた。もっと広がれ。もっと溶けろ。もっと熱くなれ。
ああ、体が浮いた。飛べる。
「Mareisunir……!」
そうだねアル。翼の拡大が止まらないね。広がりすぎているな。
光が及んだところがどろどろに溶けていっている。すごいなアル。
君の翼はどこまで伸びていくのだろう。
とてもきれいだ。
きれいだ。
きれ……
「行くな! きれいな天使!!」
僕からどんどん逃げながら、行くなって叫ぶ? 矛盾してないか、ハル・シシナエ?
僕だってそうしようと思ったわけじゃない。でも背中の翼からのエネルギー放出が止まらなくて、勝手に体が浮くんだ。
勝手に飛び立って、ほらもう――あっという間にビルの上だ。
真っ暗な街だと思ったらそうでもないんだな。あれはネオン?
光の粒粒がいっぱい広がって……夜空の星を集めたようだ。でもどぎつい色だな。
ああ、黒いビルが沈んでいく。立てて並べたブロックを押し倒したみたいだ。
あは。すごい音だ。大丈夫だよアル。こわがらないで。
僕らのせいだけど、気にしないでいい。僕らを追い回したやつらが悪いんだ。
みんな消えればいい。
赤毛の女装男も。青銅女もドラゴギルドのボスも。
シシナエ同様、この街とともにみんな消えてしまえばいい。
あれはなんだ? 大きな船が浮かんでいる。ブンブンと鳴る乗りものが出て来た蒸気船か。
うまくよけられそうにないね。突き通ってしまいそうだ。僕の体には結界が張られてないけど大丈夫かな。
わあ、いったいどのぐらいの光熱? 近づいただけで壁がどろりと溶けたぞ?
この光の中でよく僕は、無事でいられるな……
? なんだこの鎧みたいなものは。いつの間に僕の体を覆ったんだ?
アル? 君が腕を回してだきしめてくれてるせい?
必死でマレイスニールを守ろうとしてるんだね。
アルがまとう光が変化したってわけか。幻だけどすごいな。玉座の間に描かれた、壁画の高祖帝みたいじゃないか。アダマンタイトの黄金鎧。
きれいだ。すごくきれいだ……
「あは。アル! すごいよ! これかっこいい」
『Hast du mich vergessen? Ich bin nicht Al……』
なんて言っているかわからないけれど。こんな表情初めて見たな。
すごく頼りなげで。こわがっていて。かわいい。
僕にぎっちり抱きついてくるなんて、今までそんなことしたことなかったのに。
高祖帝にはこういうことするんだ……。生身じゃないのに、感触がある。ほんのり熱い。
「こわがらないで。思い出すんだアル。まずは結界を張ってみて。結界展開ってコマンドを発動させるんだ」
ジョッと音を立てて、蒸気船の天井に大穴が開いた。僕らはどんどん上昇している。僕の背中から出ている翼は、すでにあのアホウドリサイズをはるかに越えている。地にたなびき落ちて、光の滝のようだ。
恐ろしい轟音をたてて倒れていくビルに、きらめきが降り注いでいる……。
「わあ。壮観……!」
僕は嗤った。穴を開けてやった蒸気船が墜ちていく。空飛ぶブンブンがいくつかこちらに飛んでくるけれど。
「愚かなり!」
みんな黄金の翼のはしに触れたとたん、どろどろ。赤くひらめく煙を吐いて、墜ちていく。
見るがいい。恐れるがいい。
見ての通り、僕のアルは強すぎるんだ。だから代理騎士が必要なんだ。
かなう相手がいないから!
『Bittestoppen! Es istbeangstigend』
大丈夫だアル。このまま昇っていこう。島都市につくまでにはきっと出力が落ち着く。
君もコマンドを思い出すよ。
僕らを帝国軍が倒そうとするかもしれないけれど。僕らはきっと負けない。
『Bittestoppen!Mareisnir……Vielleicht……! Haben Sie nicht Mareisnir?!』
アル、なぜ離れる? なにを言ってるんだ? 激しく首を振ってなにを言いたいんだ?
おびえないでくれ。君は僕の背中に埋まってるんだ。だから僕から離れることは―ー
『Nein!!』
「アル! 落ち着くんだ」
『Ich bin nicht Al!!』
――「あっ……アムルううううう!!」
? この声は。たしか、シングの……孫? どこだ? はるか下から……
「大丈夫かああああっ?!」「アムル!! 無事?!」
なんであいつが? 空を飛んでいる? どうして? 肩につかまっているのは機霊なのか?
いや、猫か! なんと不気味な翼なのだ。こうもりのような翼。いや、あれは。どす黒いあれは――竜翼か? 紫色の機霊光。ということは、あのハゲ猫は機霊なのか?
「ちくしょうまぶしい! アムル、機霊が暴走してるんだなっ?! いま、助けるからっ!!」
「――!!」
まさか本当に、僕を助けに?
嘘だろう?
みんなが人形だっていう僕を、わざわざ空を飛んで? ビルが倒れまくっている中を。こんなに危ない状態の中を。得たいのしれない猫機霊を使って、そんな必死な顔で……
『N……Neinnnn!!』
「アル! まて!」
「うわ?! なんだビーム出てきたー! うわあああ?!」「きゃああああ?!」
「シングの孫! ハゲ猫っ!」
しまった、アルの機霊光の熱線があいつに! 猫の翼に当たったか?!
「アル! 出力を抑えろ! 落ち着くんだ!」
ああ……墜ちていく。シングの孫が、紫色の光をたなびかせて。
『まあ、おまえを売ろうって思ってないのは、この世にテルだけだろうな』
墜ちていく。そんな……そんな……
「テル……テル・シング! テル! テ……!」
墜ちていく紫の機霊と少年。僕は思わず手をさしのべた。
「うあ……!!」
しかしそのとき手のひらを、一筋の細い光がしゅんと刺し貫いた。
天から一閃。
蒼白い光線が――。
「降って、きた?!」
黄金の乙女が悲鳴をあげる。ぶるぶるふるえる手をにぎりしめ。あいた穴からほとばしる血を払った僕は……呆然と黒い天をみあげた。
あの光。僕を地に落とした青い光。まちがいない。今のは、あのときの光線と同じ。
僕の背中を射抜いたやつだ……!
「降って、くる!! うああああっ!」
刹那。
青白い光の雨が降ってきた。
無数に。