14話 騎士 (皇帝)
ハル・シシナエ。
その名を聞いた瞬間、イサハヤのふんいきががらりと変わった。
まるで、暗い部屋にぱっと朝日がさしこんだように。
「まじで?! おおおお! ハルちゃん!」
端末に話すその声はからっと明るく、別人のよう。
「どうした? うちに戻る気になったか? そうだよな? きっとそうだよな? 今どこにいんの? 電光石火で迎えにいくぜ!」
そうしてイサハヤは、女を連れていそいそと外に出ていって。
僕はひとり、暗い部屋に残された。
扉を施錠せずに行くとは、ずいぶん舐められたものだ。
「このようなところ。すぐに出てやる!」
手首の鎖は寝台のすぐそばの壁、銅色の金属板から突き出た輪につなげられている。
金属板は実に奇妙なものだ。板の四隅にはまっている小さな歯車が、ゆっくり回転している。しかし耳を当てねば回転音が聞こえぬぐらいの静かさだ。歯車の中央に埋まっているのは、宝石だろうか。ほんのり淡く光っている。
「こわれろ」
スイッチかと思い、宝石を押してみる。歯車は……止まらない。
「こわれろ。こわれろ!」
殴ってみると、歯車の動きが一瞬鈍くなった。
「こわれろ! こわれろ! こわれろ!」
かかとで何度も蹴ってみた。だが歯車はことのほか頑丈で、衝撃を受けたときだけ止まるものの、またゆっくり回りだす。
絶対に壊せない――そんな自信があるから、イサハヤは扉に鍵をかけていかなかったというわけか。
妨害電波かなにかで圧掌波は使えない。どうしたらよい?
途方にくれかけた僕の背中が、じりっとざわついた。
「アル?!」
痛み? 違和感?
否、この感覚は生まれた時からなじんできたもの。
かすかにちりちりと音がする。背中から鼓動が……!
「アル! 起きたのか?」
アルが出てきさえすれば、僕は難なく、ここから逃げられるだろう。
鎖など、アルが神槍で一瞬の内に溶かしてくれる。
あの窓から悠然と、飛んでいける。空を渡って天へ戻れる……!
期待をこめて窓を見たとたん。突然激しい衝撃音がした。
「なんだ今のは。どこから鳴った?!」
窓からか! 寝台の真横にある窓はかなり大きい。そこに何かがぶつかったようだ。でもこの階はかなり高層に在るはず。こんなところに当たってくるなんて、いったいなんだ?
「あ……!」
青黒い影が窓をかすめる。また激しく、なにかが窓にぶつかった。
鳥? それとも……
影を見極めようとすると、べたりと黒いものが窓にはりついてきた。
上から落ちてきたようだが、窓一面にみるみる広がって……
「光った?!」
反射的に、僕は扉の方へあとずさった。何個も何個も、ほのかに黒光りするものが窓にぶつかってくる。そのまま落ちていくものが多いが、べしゃりとはりついたものはみるまに広がり、窓を覆っていった。
これは……なにかまずいものにちがいない。窓にひびが入るなど、決して、ここの住人が望むことではないだろう。
いくらもたたぬうちに窓が割れた。寝台に落ちた破片は、端末板を五枚以上かさねたほど分厚い。
これを、あっという間に割っただと?!
黒いものがどろどろと、窓枠から流れ込む。生きているかのようにうごめき、壁にひろがり、またびきびきとひびを作っていく。
「風が!」
窓があったところから、涼やかな空気がびゅうびゅう流れ込んでくる。
風と一緒になにか入って来た。黒い塊……いや、人間だ。まっくらだから顔はよくわからないが、男か? ひとり。ふたり。三人、四人。抱えているのは、大きな銃。
「潜入成功!」
くぐもった声。
「目標発見!」
ちかづく硬い足音。
「確保する!」
軍靴? いや、服装はみんなばらばらだ。黒っぽかったり青かったり赤かったり。
こいつらは、兵士じゃないのか? 中の一人が、耳につけた小さな飾りをひっぱって言葉を落とす。
「ボス、見つけました! はい! はいっ! 了解です。すぐにお届けします!」
「やったな。ドラゴギルドのやつら、地団太踏むぞ」
「はは。うちのボスに鼻高々に自慢するなんて。盗ってくださいって言ってるようなもんだろ」
「イサハヤは二代目でほんとバカだからな」
なるほど。つまりこやつらは、ドラゴギルドと同じような団体の者というわけか。
こやつらのボスも、ここのイサハヤと同じことをしたいのだな。
僕をとらえて、僕のではなくなったエルドラシアに売り渡す――。
「来いよお姫さま」
いやだ。来るな。さわるな。
「こわがらなくていいぜ。ボスがかわいがってくれるさ」
こちらに向けられた銃口が、冷たく光る。噴き出す青白い炎が、僕の足元を照らす。
まっくらな部屋にまばゆく火花が散って――
「ほら、これでここから出られるぜ?」
鎖が、切れた……!
「おいこら!」「待て!」「どこへいく!!」
く……背後の扉に回り込まれたか。でもまだ、開けているところはある。
男たちのすきまを縫って、僕は走った。
割れた窓はもうあとかたもなく、黒くどろどろ広がるものは、壁をもあらかた崩している。飛び立つには、十二分だ。こんな高さ、こわくなどない。宮殿のバルコニーとさして変わらぬ!
だから呼んだ。いつもそうしていたように。
「アル! 展開!」
床のきわで思い切り、足を踏み切った。じゃらりと鎖が鳴って、いくばくかの重みによろけた。
黄金の光は出てこない。でも背中は、ちりちり言っている。
「アル! アルゲントラウム! 起きろ!!」
浮遊感。その直後に落下感。
落ちる。落ちる。
だめなのか?
このままだと、地べたに叩きつけられる。
こんな状況――僕の命がなくなる可能性が高い状況なのに、アルは出てこない。
出られないのか? 鼓動は聞こえるのに。
だれもが僕を探して売ろうとしている。ラテニアにいってもたぶんそんな輩ばかりなような気がする。味方になってくれる者はいないかもしれない。
つまるところアルを治してくれる人は、どこにもいない。
アルにもう会えないなら僕は――
かぶっていた毛布がふき飛んだ。空気をはらんでいたものがなくなり、落ちる速度が速くなる。
悲しくて、両手で顔を覆った。
死んだら楽になる……のだろう。
蟲どものうごめくところでつぶれて果てるとか、最低だ。赤毛少年や黒髪男の言うことが本当ならば、それが妥当な死に様なのかもしれない。皇帝ではなくて、ただの人形なら。
ああ、なに弱気になってるんだ。
アルはまだ生きてるんだ。死んでない。死ぬものか――
「起きろアル!!」
怒鳴ったら、ふしゅっと背中がひりついた。
ああ、聞こえてる。僕の声が聞こえてるんだ。必死に出ようとしてくれてる。
「顕現しなくていい! 結界だけ展開しろ!」
地が近づく。ふしゅふしゅと背中が鳴る。パッと黄金色の光がまたたく。
黄金の翼だ……!
ほのかに自分のまわりがきらめきだす。輝きが、ほとばしる――
「そこの天使っ!」
な? 影? 黒い? 大きい?
目の前におりてくる物体。丸くてずんぐりして、ぶんぶんうるさい。
視界が閉ざされる。ネオンに満ちた地上が、闇色のものにさえぎられた。
邪魔するな。邪魔するな。邪魔するな!!
アルが出てきそうなのに。もう少しで、出――
「なんて無茶するんだ!」
黒い革の上着が見えた。ぐいと、腕をつかまれた。革の手袋をした腕が腰にまわってくる。
こいつは……!
「起動不良起こしてるのに、飛び降りるなんて。地べたはすぐそこだぞ」
「な……なんでおまえが?!」
ハル。
ハル・シシナエ。
ドラゴギルドのイサハヤを呼び出した男が、落ちる僕を受け止めていた。変な乗り物に乗って、ホッとしたような顔で。
「離せ! 大きなお世話だ!」
ハル・シシナエの腕力は強く、僕はこやつの胸板にむりくり頭を押し付けられ、手足の動きを封じられた。たくましい手が、ずんぐりした乗り物のレバーを引く。蜂の羽のような四つの翼がぶうんと音をたて、ビルの上に舞いあがるのと同時に。僕の背中がふしゅんと、断末魔のような悲鳴をあげた。
「助けなど、いらなかった!」
強がりだ。
でも僕は、叫んでいた。自分が情けなくて。ひとりではなにもできないと、認めたくなくて。
「僕は飛べるのだ! こんな、こんな不細工な機械になど、助けてもらわなくとも!」
「わかってる」
「僕はこんなものよりもっと高く、速く! 飛べるのだ!!」
「わかってるよ、きれいな天使」
「飛べるのに!!」
ハル・シシナエの金の髪は、黄金の光のようで。ジャングルのようなビルが放つ明かりに、きらきら照らされていて。
「もう大丈夫だ。だから泣くな、きれいな天使」
とても、まぶしかった。
「とりあえずあそこの連中から逃げるぞ。暴れないで、しっかりつかまってろ」
革手袋をした手が、天を指さす。
頭上に大きな影があった。ふしゅうふしゅうと蒸気を出す、巨大な魚のようなものが。
「蒸気船……」
ひときわすさまじい煙が、胴体から吐き出されて。刹那、僕の視界は真っ白に染まった。
両目が、つぶされたかのように。
ハル・シシナエが操る乗り物は、ぶんぶん羽音をたてながら、ビルの合間をかなりの速さで飛んだ。
同じような乗り物が四機、僕らのあとを追ってきた。イサハヤの部屋に侵入してきた者どもだ。
うるさい羽音に混じってくる怒鳴り声からすると、ハル・シシナエは「裏切り者」らしい。
奴らもハルも、ビルの上を飛ぶ巨大な蒸気船から降りてきたようだ。
「裏切り者とは、どういうことだ?」
「ついさっきまで、あの船にいるボスと話してた。ギルドに入らないかと、誘われたんでね」
蒸気船は、タイガギルドという組織のもの。ドラゴギルドと同規模の大ギルドで、日頃から何かにつけ、はり合っているという。
「お誘いは丁重に断ったが、それじゃそっけないかなと思って、ボスにちょっと協力してやったんだ。ドラゴギルドが確保した君をほしがってたから、イサハヤを外におびき出してやったのさ。この飛行機は、その報酬ってわけ」
盗んだわけじゃない、ちゃんともらったものだと、ハル・シシナエは笑った。
そうしておいてこの一匹狼は、僕という獲物をやつらの目の前からかっさらったというわけだ。
「つまり……タイガギルドのボスに近づいたのは……僕を手に入れるためか? おまえも、僕を帝国に売るつもりというわけか」
「はは、どうしようかな?」
僕の腰に回る手に力が入る。乗り物が斜めにかたむいたとたん、すぐ脇を青白いビームが走った。
追っ手が撃ってきたのだ。ハル・シシナエは舌打ちして、片手でレバーをいじった。
「しっかりつかまれ!」
機体がさらに傾く。左右をすりぬけていく、幾本もの明るい弾道。紙一重のところでかわしながら、ハル・シシナエはがつんとかかとを、機械の底に打ちつけた。直後。
「うわっ? 蒸気?!」
なんて勢いだ。音もすごい。蜂のような船尾から、白い蒸気が噴出している。
速さが格段にあがったにもかかわらず、乗り物はビルとビルの狭い隙間へ飛び込んで行く。
「ブンブンは機霊よりも速いぞ、きれいな天使」
「でも駆動音がうるさい」
「蒸気機関だからそれは仕方ないさ。ずうっと燃焼しつづける、小さな機関石から得られる高圧の出力は――」
「わっ」
「石炭の百倍って話だぜ?」
乗り物がぐるりとひっくり返る。くそ、逃げられるチャンスだったのに。思わずシシナエの胸をつかんでしまった……
「空はまずいな。うようよしてるのは、あいつらだけじゃない。他のギルドにも情報が抜けてる」
うしろで爆音がした。見ればこちらのスピードについていけず、追っ手が一機、ビルに激突していた。ビルの隙間は迷路のようで、シシナエにしがみつく僕の頭はふらふらしてきた。
右。左。まっすぐ。左。左。右……
高度がどんどん下がっていく。
またうしろで、爆音がした。あんなに派手にビルに激突したら……ああ、黒いビルにも大穴があいているではないか……
「ビ、ビル……倒れたりせぬだろうな?」
「大丈夫じゃね? 死人は出てるだろうけどな。でもまあ、お宝の争奪戦となりゃ、このコウヨウの街は毎回こんな調子だよ」
ハル・シシナエがなに食わぬ顔でいう。
「ギルド同士の小競り合いや、金づるになるもんの奪い合いなんて、しょっちゅうさ。だから危ない目に合いたくない奴は、街のはじっこか周辺に住む。中心街に住むやつは、みんな覚悟の上だ」
この街はならず者のたまり場。いつ寝首をかかれるかと警戒しあい、狙い合う者どもの巣窟。
にべもなく断じるハル・シシナエのまなざしは、どこかもの悲しい。
そういえば、一匹狼でいるのは、人殺しをするのは嫌だからと言っていたな……
「地下に潜るぞ、きれいな天使」
ひときわすさまじい音をたてた直後、蒸気の噴出が途絶えた。とたんハル・シシナエは僕を抱えて乗り物から飛び降りた。最後に思い切り曲げられたレバーのせいで、乗り物が垂直に天へ昇っていく。
それが追っ手の一機と見事に衝突して――
「っへへ! 大爆発だ」
涼しい顔で張本人は言ってのけ、とあるビルの二階のひさしに降り立った。それから息もつかせぬ速さで走って。隣のビルのひさしに飛んで。走って。飛んで。走って……
シシナエは、ビルのそばにある暗い地下道に降りた。明かりが点滅している、閑散としたところに。
「ハル・シシナエ。おまえも……僕を売るのか?」
僕が訊くと、暗い階段を降りていくシシナエは、「どうしようか」と笑った。
「正直、金は欲しいな。薬でごまかしてるが、俺の母親は手術しないと治らない。そうするには莫大な費用がかかる」
「では、売るのだな」
「そうするのがいいんだろうな。でもテルが大騒ぎしてたからな」
「シングの孫が?」
「おまえを助けないとって。でも俺はあいつのようには思えないな。うん、できれば金は欲しい」
階段はどこまで続くんだろう。なんと長いのか。それに暗い。
点滅する明かりがどんどん褪せていく。
「僕は……売られたくない」
「そりゃそうだろうな」
「僕を玉座から落とした奴を、倒したい」
「まあ、普通はそう思うよな」
「だからおまえを雇うことにする」
シシナエの足が止まった。
「なん……だって?」
見上げれば、心底驚いた顔をしている。
「反逆者が取引するなら、僕も取引をするまでだ。おまえを雇う、ハル・シシナエ。僕を守れ。僕のために戦え。僕が帝位をとり戻すまで働いてくれれば、それ相応の報酬と地位と、名誉を与えよう」
なぜならこいつは腕が立つ。下界の蟲にしては、使える奴だ。見たところ僕を売ることに、がぜん乗り気というわけでもなさそうだし。
だから僕は思い切って口に出した。
状況は最悪だ。こちらの分は悪い。だが、アルさえ治ればいちかばちか勝負できる。アルは一機で当千の力をもつ。たとえ何百という機貴人の軍勢を相手にしても、負けはしない。
「皇帝機アルゲントラウムは無敵だ。僕はこの機霊を修理して戦う。帝位を取り戻すために。だから――」
「アルゲントラウムは、無敵?!」
だが。
ハル・シシナエは、信じられないことを言ってきた。目を丸くして。
「ちょ、ちょっと待て。アルゲントラウムは、ただ細々と、人形の命を食って生きながらえてるってだけだろ? 一千年も前の機霊が戦えるはずがない。治ったって、せいぜい飛ぶのが限界だろ?」
「そんなことはない! アルはちゃんと戦える! アルは強すぎるのだ。他の機霊と、格が違いすぎる。戦う相手と釣り合わぬから、元老院は代理をたてているのだっ」
ハル・シシナエが階段の途中で、僕を下ろした。ものすごく眉を下げて。まるっきり、哀れみのまなざしを向けながら。
「アルゲントラウムは暗黒帝を倒したあと、すぐに保存処置された。それ以来一度も実戦には出てない。なぜならぶっこわれて、ただ息をしてるだけのモノになったからだ。そんなの、下界のガキでも知ってることさ」
「違う!!」
ちくしょう。どうしてみな、アルと僕を貶めるのだ。
「アルゲントラウムは、帝国の威光を高めるだけのお飾りだよ。きれいな天使」
「違うっ! アルはちゃんと飛べる! 戦える! 今はこわれてるけど、僕が落とされるまで、全然こわれていなかった!!」
この世界は嘘だらけで。虚構でつくられていて。
どこもかしこも鋭い刃だらけで。
「後悔などさせぬ! 僕に従えば、おまえは必ず勝利と栄光を手にするだろう!」
むかつくあまり、だれもかれも殺したくなるけれど。
みんなだいきらいだと、泣き叫びたくなるけれど。
「高祖マレイスニールの裔、第五十代エルドラシア皇帝フンフツィグ・ジークフリート・アムルネシア・フォン・エルドラシアの名にかけて! 朕は、嘘はつかぬ! アルゲントラウムはだれにも負けぬ! 千年たった今でも! アルが治った暁には、朕こそが陣頭に立ち、敵を蹴散らしてくれようぞ!」
僕はこらえた。耐えてごくりと、僕を貫いてきた残酷な剣を呑み込んだ。
ちりりと背中が痛む。そうです、と答えてくれているかのように。
黄金の乙女に背中を押された気がして。僕は、迷いなく命じた。
「ゆえにハル・シシナエ! 我が騎士となれ! 皇帝機が復活するまで、朕を守れ!」
「きれいな天使……おまえ……」
「僕はこんな言い方しかできない。どうか頼むなどとは、口がさけても言わぬ! 膝をついたり頭を下げたりもせぬ。いまここで朕に与するを拒否するなら、全力でおまえを倒す!」
「た、倒すって……」
こいつには絶対に勝てそうもないけれど。はったりもよいところだけれど。
僕は本気だった。
相手にとっては嫌な奴だろうと思う。偉そうで、でも力はまったくなさそうで。
でも本当に、こんなしゃべり方しかできない。こんな態度しかできないのだ。
だって僕は人形ではない。僕は。
僕は――
「選べ地上の蟲! 朕の騎士となるか、朕に殺されるか!」
皇帝、なのだから。
「いまここで、おのが運命を決めるがいい!」