13話 イサハヤ (皇帝)
革のマスクはしていたが、それでも顔を見られるのはいやだった。
否。僕が、あいつを見るのがいやだった。
赤毛のリアルロッテ。代理騎士えらびのとき、骨董品の機霊を僕の面前に広げたやつだ。
みなりも話し方もひどく気に入らない。だから、銀の兜をかぶった。シングの店にあのようなものがあったのは幸いだった。ごちゃごちゃしているが、すばらしい品揃えである。
リアルロッテがまさか男だったとは驚きだ。しかしあいつに対する印象は変わらなかった……どころか、ますます悪くなった。
『帝国は、皇帝機専用に作った有機人形の背中にアルゲントラウムを埋めてるのよ』
僕が人形? よくもあんな嘘を。
『つまり、お人形さんの生命エネルギーを食べさせて、保存してるってわけ』
信じるものか! 嘘だ。絶対、嘘だ!
くやしい。なぜ青銅級ごときに、あそこまで言われないといけないんだ? もしかしてあいつ、僕をはめたやつの仲間か? 僕を大地に落としたやつの……
歯を食いしばったとたん、目から何かこぼれおちた。とたんに、いきなりなにかが膨張した。
僕は店の外にはじきだされて、気を失ったらしい。
何が起こったのかわからないまま、ハッと気づくと――
一瞬だけ、空が見えた。
空の青は澄んでいて、天には輝かしい日輪が浮かんでいた。
僕はだれかに抱えられて、黒いビルの林の上に出ていた。
このまま、天に戻れたらいいのに。
切に、そう願った。帝都フライアの。白亜の宮殿の。僕の部屋に帰りたい。ふかふかの寝台に……
「しばらく眠っていてちょうだい、皇帝陛下」
ねっとりした女の声が聞こえたと同時に、薬くさい布が口に当てられた。
それがために、僕の視界はすぐに閉ざされた。
「まって! その子を連れてかないで!」
「アムルー!!」
「ミッくん! もっと早く飛んで!」
『荷物が重くて飛べん!』
「だれが荷物だー!」
下の方から、ハゲ猫と孫とむかつく女装男の声が聞こえたけれど。僕は抵抗せずに、女が嗅がせてきた麻酔ガスを吸い込んだ。リアルロッテがえらそうに言っていたことを、思い出したくなくて……そうした。下にいるあいつらよりは、女の方がましに思えたのだ。人のことを人形だとか入れ物だとか、誹謗中傷するやつよりも。
「おやすみなさい、皇帝陛下」
だから僕は自ら目を閉じた。
なにも……今はなにも、考えたくなかったから。
僕は長いこと、暗闇の中にいたかったのだが。薬の眠りは、またたきする間に終わってしまった。
ばちりと目を開ければ、我が身は柔らかい寝台の上。白い翼の天使たちが、黒い翼の天使たちを駆逐している絵が、目に飛び込んできた。
なんと見事な天井画だろう。エルドラシアの宮殿に描かれているものと、雰囲気がそっくりだ。帝国様式と呼ばれる、写実的な造形である。草木が絡みあう文様が優美な枠を成し、額縁のように絵を囲っている。
「神話の絵か」
まぶしい。水晶? ギヤマン? 透明な粒がおびただしく垂れ下がっているシャンデリアに、淡いあかりがともっている。
ここはみるからに、エルドラシア風の家だ。ということは、ここはフライアか?
青銅翼のあの女は、空の高みへ僕を運んでくれたのか?
ああ……違った……。
すぐそばの窓から、まっ黒いジャンクビルのジャングルが見える。
ここはずいぶん、高い階層なのだな。ビルの足元が、ネオンの光だまりでぼやけている。目がつぶれるほど明るいが、蒸気で煙っているのだ……。
「俺の部屋は気に入ったか?」
すぐ隣から、男の声がした。びっくりした……なんだこやつは。半裸の黒髪男? 片ひじをついて寝そべっている?
「な……誰だおまえは」
「ひんむいてこれから、というときに起きたな。うーん」
まだ若い……と思う。泥棒女をやっつけたハルという者と、たいして変わらぬぐらいだ。
顔はそこそこ、筋肉もそこそこだが、なぜ半裸なんだ? しかも僕と一緒に寝台にねそべっているなど……
「ちゃんと、ついてるんだな」
「はぁ? 何を言っている? いいから降りろ! 無礼者!」
わけのわからぬやつだ。くつくつ笑って、まったく寝台から降りようとしない。
いったい何者だ? 僕をさらったあの女と知り合いなのか?
両手が重い。銀色の腕輪がついていて、そこから鎖が……伸びている?
「おい、なぜ手首に枷がついているのだ。外せ!」
「それはできないな。逃げられんようにそいつで、俺のベッドに繋いでるんだ。まあでも、不自由はするまいよ。鎖は長いから、この部屋だったらどこでも――」
「囚人扱いするな!」
「いやいや、囚人だったら地下につめこんでるところだぜ。おまえさんは大事な金づるだから、俺の部屋に留め置いてるんだ。しかしまったく恥じらわないとはおどろいたな。全裸なのに」
「はぁ? なぜ恥ずかしがらないといけないんだ?」
僕は皇帝だぞ? この世で誰よりも立派な男だ。
なぜにこやつは残念そうにため息をつく? なぜ僕の体をじろじろ眺め回す?
エルドラシア皇帝たる我が玉体ほど、尊いものはない。本来ならこいつは床にはいつくばって頭をさげて、自分から僕の姿を目に入れぬようにしなければならないというのに。
遠慮なく舐めまわすように見て微妙な顔をするなんて、とんでもなく無礼だ。
僕の体は完全無欠で完璧で、なんら欠陥のな…………
……。
……。
「くそっ……」
「やっと気づいたか。はは、あわてて毛布ひっかぶるとか、かわいいまねをするんだな。麻酔薬でねぼけてたか?」
「黙れ!」
欠陥は……ある。肌が弱い。ほかにも、情けないところがあるのかもしれない。
でも……
「ここはどこだ? おまえはだれだ? 服を返せ!」
でも僕は。絶対、人形じゃない……。
「ここはドラゴ・ギルドのビル。俺はこのビルの主。服は床に放ったぜ。胸がばかでかい革服のおかげで、俄然、ヤる気にさせられたんだが」
「胸がでか……うう、やっぱりいらぬ!」
「すねてるのか? はは、胸がまな板というのも、まあ悪くはないさ。好きなやつもいるだろうよ」
「わけのわからぬことを言うな!」
僕は男だ。胸がまな板なのは当然だろうが!
「む? なんで泣いてるんだ?」
「な、泣いてなど!」
「まあ、勝手知らぬところに落とされたから、混乱するのも無理はないか」
「頬を触るな。無礼者!」
僕はあわてて、触れてきた手を払いのけた。
シングの孫が仕込んだ服のせいで、女だと間違われたのが無性にむかつく。
そう、あいつ、テルのせいだ。僕の体がおかしなせいじゃない。そんなせいじゃない。
絶対に違う……!
黒髪の男の名は、イサハヤ・ドラゴ。
ほどなくあの女泥棒が部屋に来てそう呼んだので、僕はこの無礼者の名前をようやく知った。
ドラゴ・ギルドという組織のボスであり、僕をさらってくるよう命じた張本人、であるらしい。
しけた顔しちゃってかわいいと、僕を見た女泥棒は不遜にも妖艶に笑った。
女は赤い酒の瓶とグラスを持ってきたが、それは僕に捧げるものではなかった。
グラスは二脚しかなく、ボスと女のためのものだった。祝杯だと、女はイサハヤにグラスを渡して、なみなみと酒を注いだ。
「お手柄だったな、マルガレーテ」
「ふふ。工場で見たとき、もしやと思ったの。端末の裏板に流れてきた、この街は、『前皇帝陛下』の落下地点と目されるところに一番近いし。『前皇帝陛下』の手配幻像と瓜二つだもの」
「前」皇帝陛下。
はっきり言われたので、僕は動揺を隠すのに難儀した。必死で震える手を抱きしめるようにして隠した。
クーデターを起こされたのだということは、半ば覚悟していた。しかしはっきり言われるとショックだ。少なくともエルドラシア軍では、僕はもう帝位にない者とされているらしい。
女が、寝台の上にうずくまる僕を見て口の端を引き上げる。いやに赤い唇が妖しげに動いた。
「エルドラシア軍は、極秘に落下物を探しているわ。大地に落ちたアルゲントラウムを回収せよっていう機密任務を下されてるの。発信は、ここ数日の間に三度あった。二度目の発信のときに、皇帝機を持ってる子の幻像が流されたのよ」
回収。いやな言い回しだ。帝国の機密がだだもれというのも、ゆゆしい事態だ。
「おまえ、なんでも盗むのだな。物も情報も」
刺すように女に言ってやると、声をあげて笑われた。
「電信で流される情報なんて、天界各国の情報部だけじゃなく、下界のそこかしこで傍受されてるわ。エルドラシアはそんなこと、はなから織り込み済みよ。本当に秘匿したいものは、もっと複雑な暗号で送るか、じかに密書を送るかする。そうでないということは、公表してるも同然ってことね」
「とどのつまり帝国は、不特定多数のみなさんにも、狩りの参加権をくださってるわけさ」
いまだ悠々と寝台にいすわる黒髪男が、グラスに口をつけて赤い酒をおいしそうに飲んだ。
下界の輩はいつもこうして、金になりそうな話に乗る――
にやりとしながらそう言って、僕に片目をすがめてみせる。
「もしかしたら狩りをさせるために、わざと落としたのかもな。この大地で一番力のある奴を見つけて、取引をするために」
帝国はわざと情報を盗ませた? わざと僕を落とした?
反逆者は僕を殺すのに失敗した。僕はたまたま下界に落ちた。それだけのことじゃないのか?
イサハヤという男。こやつはたぶん、自分に都合よく解釈しているだけだろう。
「はは。エルドラシアがいくらで買い取ってくれるか楽しみだな」
「買い手の名乗りがわんさか出ているから、値段をつり上げられるわよ。この街だけじゃなく、ほかのところのギルドもこぞって、裏板に『買い』を出してるの」
「他のギルドと申し合わせるのもありだな。帝国のご意向をゆっくり吟味して、ふんだくれるだけふんだくるか」
僕を売る……おのれ、どこまで無礼千万なんだ。
不遜はなはだしいイサハヤは、僕に恩着せがましく言ってきた。
「俺が日数かけて粘れば、おまえさんもそのぶんだけ生きられる。はは、感謝しろよ」
それから信じられないことに、イサハヤは僕の背を押してベッドから落とした。ソファにでも座っていろという。その作った笑顔はとってつけたようで、あきらかに僕をばかにしていた。イサハヤはおどけたように口をとがらせて、女にぐちた。
「ひどくそそられたのに、中身はあれでな」
「あら、見かけ倒しだったのね。あなた好みのすごい胸だと思ったのに」
「恥じらいもない。まったく知識がないようで話にならん」
「ふふ。そんなものじゃない? だって何も教えられてないんでしょう?」
ひとさし指でくいくいと手まねきするイサハヤに応えて、女が寝台にあがった。
たぶんこのふたりは恋人同士なんだろう。その寝台で一緒に寝るというわけだ。恋人や夫婦はそうするものだと、アルが教えてくれた。
だから僕はソファに行けというわけか。いくら囚人扱いだからって、この待遇はひどい。
うんざりした僕はこの部屋から出て行きたかったが、できなかった。扉は開けられるが、手首をつなぐ鎖は、扉の外まで届かない。
「別の部屋にいきたい」
イサハヤは僕の訴えを無視した。聞いてなかった、というのが正しい。楽しげに女の服を脱がしている。
「くそ……!」
毛布で視界を遮断しよう。二人が寝台にねそべるという、非常にむかつく光景を遮断でき――
「あんっ」
トーンの高い悲鳴のような声が、僕の背筋を冷たくなでた。
なん……だ? こいつら、なんの真似だ? これからパジャマに着替えて、一緒に眠るんじゃないのか?
イサハヤが、女を押し倒して乗りかかっている。なぜか二人でもぞもぞ、寝台の上で動いている。
な……なにをやっているんだ、これは!
「お、おい! なぜパジャマを着ないのだ?!」
二人の動きがびたっと止まった。なぜかたっぷり数秒固まって、それから女がぎこちなくひきつる。
「……やだ、口をあんぐりあけてるわ」
「はは、本当になにも知らないんだな」
黒髪のイサハヤがおかしそうに笑って、ぶすりと言葉を刺してきた。
「仕方ないか。機霊保存用のお人形だからな」
シャンデリアの光が消され、寝台に幕が降ろされた。
女が、見られるのは恥ずかしいとか、明かりを消してとか、イサハヤに言ったからだ。
たちまち、あたりはまっくらになった。
どっと、足の力が抜けた。僕は毛布をひっかぶって、その場にうずくまった。
イサハヤもリアルロッテと同じことを言うなんて、信じられない。大陸では、まっかな嘘がまこととして浸透してるのか? 冗談じゃない!
ひどい侮辱だ。
僕は皇帝。全知全能だ。
僕は生まれながらにして、五十代一千年の歴代皇帝が持っていた知識を備えている。
アルが、そう言っていた。
たしかに新しい情報は、取得しなければ知りようがない。でもそれらは逐次、アルが教えてくれる。僕の望みを察して、聞きたいことを瞬時に読み取って、説明してくれる。
僕は何も知らないんじゃない。大陸の蟲どものことなど、知るほどの価値がないというだけだ。
そう……これはきっと……寝台で変な声を出してなにかしているのはきっと、蟲ども特有の汚らしい習性にちがいない。
恋人や夫婦の愛情表現は古今東西、口づけと決まっている。
それがAからZ、唯一にして至高の表現だ。
さすがにそれを見せられたら、僕とてシングの孫のように鼻血を出すかもしれない。だがこんなわけのわからぬ習性など、虫唾が走るだけだ。
むかつく。むかつく。むかつく!
箱のようになった大きな寝台に、圧掌波を放ってやろうか。
手の先に気をためる。くそ、なんで力がたまらない? この手枷には、力を封印する効力があるのか?
大人しくしているしかないなんて、絶対嫌だ。どうにかして、手枷を外さねば……
変な声を出す女に負けじと、僕は手首の枷を壁にごんごん打ちつけた。
鎖が壊れて外れないかと、何度も何度も打ちつけた。
「おい、うるさいぞ」
イサハヤが寝台の幕から顔を出してくる。無視してがんがんやっていたら、奴はついに寝台からおりてきて、僕の手首をつかんできた。
「やめろ」
「そっちこそ、静かにしろ」
「この枷はおいそれと壊れない。おとなしくソファに座ってろ」
「そっちこそ、女を黙らせて早く寝――」
突然、息がつまった。背中に勢いよく壁が当たる。
イサハヤの右手が、僕の首をつかんでいる。その片手一本で、壁に押しつけられたのだ。
なんて馬鹿力だ。息が……できない……
「ぶっちゃけ取引には、おまえさんの背中に埋まってる円盤だけあればいいんだ。円盤が起動してるしてないは、不問って話だからな」
イサハヤの顔はぞくりとするほど冷たかった。ぎりっと、首をつかむ指が締まってくる。
「うう……」
「いい顔だ。そのもの欲しそうな顔で、今すぐ謝罪しろ。ごめんなさいと言え。でないと……」
なんなのだ、この……威圧感。氷のような視線。
「謝……罪? そんな言葉は……皇帝たる朕の辞書には、な……い!」
強情だなと、イサハヤがくすくす笑った。首を絞める手の力がまた一段と強くなる。
くそ……気が遠くなってきた。
僕は……殺される……のか?
なん……だ?
寝台からビイビイと……機械音が……
「くは!」
音のおかげで、イサハヤの手の力がゆるんだ。閉塞感が弱まる……
「イサハヤ……ボス」
寝台の幕が動く。白い胸をたゆませる女が、端末の板を差し出してきた。
「ギルドコードを使った緊急連絡よ」
イサハヤの手が離された。僕は、生きながらえた。ほとんど床についてなかった僕の足が、ひざからどちゃりと床につく。
「誰からだ?」
イサハヤは床にうずくまって咳き込む僕に背を向けて、鋭く問うた。
端末を持つ女がにやりとするのが……はっきり見えた。赤い唇が、満足げに引き上がっているのが。
女は得意げに、僕が知っている名前を告げた。
「ハル・シシナエ」




