10話 黄金の夢 (皇帝)
はてなく、銀色の円柱が建っている。
真っ白い天井を支えるその柱の間を、風が鋭く走っていく。
なんと長い回廊か。床は漆黒で、均等に植木鉢が置かれている。
茂っているのは、茎が黒く、葉っぱが銀色の植物だ。
かつかつ靴音を立てて回廊を進んだら、どこからともなく歌声が聞こえてきた。
『Auf Wiedersehen
Mein kleiner Vogel......』
若い女性の声。とても哀しげだということは分かるが、歌詞はまったくわからない。
風が冷たい。
吐き出す息が白い。ぽつぽつ白いものが舞っている。
雪、ではない……。これは何かの結晶。小さな小さな、光の塵だ。
『......Bitte schauen Sie sich den Traum
Ein sehr glucklicher Traum』
歌声をたどる。
寒さに身を震わせながら、僕は足早に柱の回廊を進む。
歌声の主は、廊下の奥の奥。つきあたりの、まっ白い石壁の部屋の中にいた。
それは、とても不思議な光景だった。
まわりはなにもかも、白か銀色か、黒。
色がない世界なのに、こちらに背を向けてしゃがんでいるその人だけは、燦然と黄金色に輝いていた。
白いドレス。むきだしの両肩にふわりと垂れているのは、黄金色のツインテール。
「――!」
僕はその女の子の名前を呼んで、走り寄った。
顔が見たくて、肩をつかもうとした。
だが。伸ばした手はその子の肩を突き通った。
つかめない。触れられない。
僕は、幽霊になったのか? 実体のないものに?
一瞬そんな感覚がした。だが違った。
幻なのは、女の子の方だった。僕の気配に気づかずに、その子は歌い続けている。
彼女の前に、低い台座がひとつある。
そこから夢の霧のように、女の子の幻像が流れ出ているのだった。
円い……。
台座の緋色のクッションにあるのは、うっすら金色に輝く美しい円盤。
これが? そうなのか?
おもわず目をみはる。
なんて薄くて小さいのだろう。
これが、我が背に負っているものと同じだなんてと、僕はひどく驚いた。
背負っているものは、ずしりと重い。展開すればアホウドリほどの大きさの翼が出るものだと、僕は「思い出した」。そして懸念した。
台座にはまっているこの円盤からは、ちゃんと翼が出てくるのかと。
いや、それよりも。
女の子の幻影は、ちゃんと「あの子」であるのかと。
『いかかでございましょうか、騎士長閣下』
まっ白い部屋の奥から、白衣を着た男たちがすうっとあらわれる。
肌は灰色。頭は白や黒。みな、色がない……。
『移植手術は無事このとおり、とどこおりなく完了いたしました』
『大脳のシナプスを読み込み、記憶領域の情報をすべて複製しております』
記憶をすべて?
ではなぜ、僕に反応しない?
うろたえを押し隠してつぶやくと。白衣の男たちは、認証登録が必要だと答えてきた。
『そこはふつうの人工知能機霊と同じ仕様にしております』
『背中に嵌め込みましたら、セットアップが始まりますので、暗証記号と所有者名を登録なさってください』
ふつうの機霊と同じ? 登録が必要?
胸に不安の翳がよぎる。
この技術であれば、魂そのものを移せると聞いた。そこは何度も確認した。
ただの記憶の複製では、意味がない。まったく、意味がない!
『展開する翼は金属物質ではありません。最新の光体翼です。現在主力級の機霊の半分にもみたぬ展開サイズですが、出力はそれをはるかに越えます。標準で、ざっと十倍です』
『いますぐ埋め込み手術をなさいますか?』
いや。
僕は首を横に振った。
まずは彼女の「体」を、送り出さなければ。力尽きたその抜け殻を。
この建物の集中治療室で眠っている、脳波のなくなった体を。
でも本当に、そうしてよいのだろうか。
黄金に輝く幻影の少女は、物悲しい声で歌い続けている。
僕に背を向けて。僕を認知しないで。僕の心をふるわせる声を出している。
これは、あの子のものに思える。
でも。
これは本当に――「あの子」なのか?
――!
証拠が欲しくて、名前を呼んだ。
――!
――!
何度も何度も、名前を呼んだ。しだいに怒鳴り声になっていく、自分の声。
反応は……ない……。
僕は深くうなだれて、白衣の者たちと幻影の少女から背を向けた。
体に埋め込み起動させ、登録したら。あの幻は、僕ににこやかに微笑んでくれるのだろう。
きっと僕ら二人の思い出も語ってくれるだろう。
あれはただ、機霊核の遮蔽膜に保護されているだけ。目を閉じているのと、同じ状態。
彼女の魂はあの中に、ある……。
僕はえんえん、そう言い聞かせた。何度も自分に言い聞かせた。
これで永遠に僕らは一緒になれると。
でも万が一。魂がそこになかったら?
口から嘆息がもれる。
空に都市を浮かべられる世界では、なんでもできる。
僕はそう信じていた。
技術は日々進歩しつづけており、機霊の進化はとどまることを知らない。さらなる輝かしい未来、そこへ進む力は万能だと。
だが胸の内に生まれたこの翳が、じくじく熱を持ち始めている。
なにごとも、用心するに越したことはない――
念のために、すでに確実に結果が出ている技術に頼ることにしよう。
決して後悔しないように。
幸い、そうできる資金はある。敵の首級をあげるたび、王は莫大な褒賞と栄誉をくれるから。
もし万が一、望みどおりの結果が得られなかったら、何度でもやりなおそう。
永遠に僕らが一緒になるために。
まことの彼女が、僕の名を呼んでくれるように。
『大好きよ。マレイスニール』
そう、呼んでくれるよう……に……
?
マレイスニール?
いや、ちがう。
ちがう。
僕は。
僕は――!
「っ……!」
目を開けたら、そこはシングの工房の中だった。ギヤマンドームの透明な天蓋がゆっくり開いていく。
また、夢を見ていたようだ。
色のない夢。いや……黄金色だけは見えていた。ふわりとゆれるツインテールの輝きだけは。
あれは、アルだ。
あの円盤は。あの少女は。僕の背中に埋まっている皇帝機、アルゲントラウムだった。
なぜ、こんな夢を見るのだろう?
五十代一千年。僕はマレイスニールの血を引く者だと、アルから教えられた。だからその血の中に、先祖の記憶が残っているんだろうか?
「シング」
カプセルのそばにいる老技師に、僕はそっと、たずねてみた。
「機霊の記録が、主人の脳に流れ込むことは、あるのか?」
「記録、ですと?」
僕の体を丹念にながめて調べながら、シングは首をかしげた。
「そのような事例は、聞いたことがございませんが。アムルどのと一体となっておる機霊は今、異常な状態にありますからのう。そういうことも、起こりうるやもしれませんな」
肌はすっかりなおったと、シングが微笑んでくる。
丸二日というのは、速いのか遅いのか。この培養液の再生速度のよしあしが、いまいちよくわからない。
「夢はどうですかの? まだ色がないですかな?」
「部分的に色がある。あるものにだけついていて、他は白黒だ」
「ほうほう。不思議な視覚ですなぁ。そのあるものとは、なんですかの?」
「……」
僕の半身だ。なによりも大事なもの。なければ困るもの。
大切だから、特別に見えるのか?
アルがどんなものか知られるわけにはいかず、押し黙って身を起こすと。ちり、とかすかに背中から、円盤がふるえるような振動がした。胸が期待でどきりとする。もしかして。もしかして呼びかけたら、起動音が聞こえるんじゃないか?
願いが、手足を動かした。
「アムルどのっ?」
カプセルからおりて、工房のすみに走る。林立する塔のようなカプセル群のひとつに身を隠してしゃがむ。
「アル。アル……!」
「アムルどの、お待ちくだされっ」
「アル、返事しろ!」
シングにきこえないよう囁くも。背中から、目覚めの音はきこえなかった。
「アムルどの、これをお召しになってくだされ。孫が手に入れてきたものです」
カプセル柱の向こうから、茶色い革の服がさしだされる。
「肌はすっかりきれいですぞ。ご安心なさいませ」
シング、そうじゃない。肌を見せるのが恥ずかしいわけじゃない……。
「介助は――」
「いらぬ!」
湿った声をださないようにするのは、大変なことだと初めて気づいた。こみあげてくるものを必死でおさえる喉が、ひりひりする。ぎりっと歯が鳴る。
こんなにまで感情がたかぶったことはない。宮殿にいたときは怒りも悲しみも、せっぱづまってあふれる前に、アルがやわらげてくれた。清涼な黄金の光に包んで、心地よくしてくれた。あの光にもう一度くるまれるまで、あと何日かかるんだ?
「う? シング?」
頭があたたかい……。これは、シングの手か? なぜ、僕の頭の上に置く?
なんだこれは。母親が、小さな子供にするようなしぐさではないか? アーケード街でみた親子がたしかこんな……あっ……離れた……。
「お召しになられましたら、これを飲まれるとよろしいですぞ」
カプセル柱のむこうから、いったんひっこんだシングの手がまた出てきた。泥水が入ったカップを持っている。あまやかでよい匂い。嗅ぐと、なぜかすうと胸が落ち着く……
不思議だ。飲みたい気持ちがわいてくる。前に飲んだとき、美味であったからだろうか。喉ごしがとろっとしていて、甘すぎず、熱すぎず。極上の味わいだったから。
「ほうほう。そんなにあわてて着ずとも」
「だって、早く飲みたい」
茶色い革の服……こちらが前か。最強の皇帝を自負する者としては、わが身の脆弱さははなはだ遺憾だが、いたしかたあるまい。シングの孫が僕のために手に入れてきてくれたのだし、着てや……む? 腕はここから通すのだな? ん? これは……
「なんだこれは!!」
半刻後、僕は表の店でシングの孫に抗議していた。
彼はめずらしく昼寝をしないで、部品と箱のジャングルにいた。ゴーグルをかぶって店番が座る鉄パイプの椅子に鎮座し、何かの部品を小さな棒で溶かしている。
「どうしてこんなものを!」
「お。けっこう似合うじゃん」
似合うだと? ふざけるな!
短い革帯が何本も垂れているミニスカート。まあこれはよしとしよう。我がエルドラシアの属国には、男がスカートをはく国がある。しかし。
「なんだこの胴着は!」
「かぱかぱするだろうと思って、胸に詰め物したんだよ。胴着、胸のふくらみがある前提で作られてるからさぁ」
「はぁ?! なぜ、女ものを買ってくるのだ!」
「え。いやそのだって、おまえオンナだろ?」
「はあああ?! 僕は男だっ!」
まったくなんという言い草だ。僕の胴体を包んでいるのは、先日工場で撃退した青銅の堕天使が着ていたような、袖のない胴着。肩がまるまる出ていて、胸から下がしぼりあげられる形のものだ。革紐がたくさんついていて、結ぶのがめんどくさい。なによりむかつくことに、丸い山がふたつ、胸から盛り上がっている……
「な、なんかおまえすんごくまな板だから、盛ってあげたくなっちゃって」
「いらぬ世話だ!」
「あたしも詰め物はいらないんじゃない? って言ったんだけど」
孫の足元で、人工知能ネコがあきれかえったように、ばしんばしんと床を叩く。
「テルってそういうの作るの好きなのよねえ。変身キットとか、変装グッズとか」
「特殊素材わんさか使えるから、面白いんだよ。そこに入れてるのは、生理食塩水とスライム・プラスチックの混合で、やわらかさはリアルのもんにかぎりなく近いんだぜ!」
な……リアルのものって、つまりこいつは婦女子のそこをさわったことがあるのか?!
「スライム・プラスチックはレア素材で、なかなか手に入らないんだ。遺跡にもぐる発掘屋が一番に狙ってるもんだといっても過言じゃない」
孫が棚の箱をごそごそして、粉末が入った袋を出しながら言う。
「ほらこれ。この粉に、生理食塩水を入れてみなよ」
しぶしぶ、粉がはいったマグカップに、渡されたビーカーの水を垂らしてみると。
「お……」
なんと目の前にふわふわしたパンのようなものが、もっくりあらわれた。
「すごいだろ? 水を吸収するんだけど、組織膨張で、こんなふうにもこもこするんだ」
びっくりだ。一瞬でこんなに変化するなんて、まるで魔法ではないか。
「劇的な膨張を起こすもんは、他にもいろいろあってさ、これなんかすさまじいぜ。スポンジってよんでるけど。水一滴で、軽くひと部屋埋まるんだ」
孫が、透明な箱に入った白い豆粒をからから鳴らしながら見せてくる。
星のまたたきのように目を輝かせて。こやつはこういうのが本当に好きなのだろう。たしかに、物が変化するのは不思議で面白いが。
「しかし詰め物はいやだ。いますぐ取れ」
「えーっ」
「それから今日、島都市からもぐりの客が来る予定だそうだな?」
「なんでそのことを?」
「シングから聞いた。だからおまえ、僕をそいつに紹介しろ。ラテニアの商人として、知己になりたい」
シングの功労に、僕は深い感謝の念をおぼえるばかりだ。
僕はここの顧客に取引したいともちかけて、個人情報をもらう。そいつの国民番号を借りて伝信空間を利用し、大使館に渡りをつける、という寸法だ。これでなんとかラテニアに行くめどが立つだろう。
時宜よく、じゃりんじゃりんと、店頭でベルらしきものが鳴り響いた。
店に客が入ってきたようだ。
「おおーい、シング・ジャンク店」
「ちょいと聞きたいんだがなぁ」
む? こいつらが、島都市から来た……顧客か?
「なあ、最近お宅に、いい売りがこなかったか?」
「買い取りたいんだがなぁ。大クレーターのお宝」
男ふたり組。ずいぶん柄が悪そうな顔をした連中だ。センスの悪い派手な模様がプリントされたシャツを着込んでいる。
「いらっしゃーい、って、大クレーター? それって、一週間ぐらい前に戦闘区域近くに落ちたやつ?」
「ああ、でっかい隕石が落ちたってウワサなんだがよ」
「抜け駆けしたやつが、いるみたいなんだなぁ? お宝をごっそり独り占めしたやつが」
「あ、おい――」
シングの孫がゴーグルを上におしあげ、立ち上がるのとほぼ同時に。
部品をいっぱいつめこんだ目の前の棚が、音をたてて倒れた。
「なっ……なにをする!」「きゃあ?!」
飛び散る釘やこまかい部品。舞い上がる箱。あわてふためく孫と人工知能ネコの目の前で、ずうんと沈んだ棚のむこうには。うすらわらいを浮かべた男ふたり組。
いきなり棚を蹴り倒したそいつらは、にやにやしながらシングの孫に近づいた。ぱきぱきと、袋詰めの部品の山を踏みしだきながら。
「けけけ。おたから、売りにきたやつがいただろう?」
「教えてくれるかなぁ?」
そいつらの口元はまるで悪魔のように引きあがっている。おぞけが走る顔だ。
おのれ。こいつらは……典型的な下界人、というものであろう。
地にうごめく蟲だ。きたならしくて、いやらしい蟲。
「おまえたち! 何をするのだ!」
そんな奴らが。シングの店を、こんなにするなんて……!
「アムル?!」
蟲。
蟲。
きたならしい蟲――!
「許さぬ!」
気づけば、勝手に体が動いていた。
僕の体は弾丸のようにそいつらに突っ込んでいっていた。
きたならしいそいつらを、シングの店から出すために。視界から消すために。
「出て行けえっ!!」
僕は、叫んでいた。強く握った両のこぶしを、蟲どもの腹に深く埋め込みながら。
それがどんな結果になるのか、深く考えもせず。こぶしに渾身の力をこめた。
「圧握波!!」




