9話 蒸気祭り (皇帝)
シングの家のベランダは、居心地がいい。
蒸気がふきだしていて湿っぽいが、午後はほのかに日の光がさしこむ。
灰色の床がほんのりあたたかくなるのが、なんだか好きだ。
それにしても……革のベストが少々きつくて、ごわごわする……。
昨日僕は、シングの孫の乗り物にのせられて、市井の店で買い物をした。おかげで今の僕は、下界の蟲たちのような身なりだ。ベストの紐をひっぱってゆるめつつ。蒸気が噴き出すベランダで、端末をいじっているのだが。
「……くそ……」
思わず、空を仰いでしまう。
島都市の電信空間のどこを覗いても、僕の「失踪」のことは少しも報じられていない。帝国中枢は、僕が襲撃されたことを秘匿しているようだ。
大使館への打電は、まったく反応がない。
電信空間に表示される、「在ラテニア・エルドラシア大使館・問い合わせ先」というところに何度メールを送っても、リターンされてくる。ほかの島都市にある大使館も、軒並みだめだ……
「調子どう?」
台所から、シングの孫がうかがってきた。あくびをかみ殺しているのは、午睡してきたばかりだから。今日もこいつは店番を機械に任せ、惰眠をむさぼっていたのである。
「うわ。アムル、くっさー」
くさい? よき香りだろうに。
昨晩、白いシャツに店で購入した香油をつけた。質はよくない安物だが、なんとか妥協できる香りだ。
「えっと、やっぱり端末、通じない?」
「こっちをみるな」
「島都市の電信空間は、銀河全体に開放されてる。だからタダで見られるけど、こっちの信号は、たぶん受け取ってくんないぜ? 発信地が大陸だから」
「なんだと?」
「島都市は、ほかの星との貿易がさかんだろ? だから空の向こうからの声にはハイハイッて答えるようだけどさ。自分の足元からの声には、答えない主義のところが多いみたいなんだよな」
なるほど。それで通じないのか。
たしかに下界の者どもなど、相手にする価値はないが……
「こっからつなぐにはさ、認証暗号とか、国民番号とか打てばいいと思うぜ?」
そういえば我が帝国に住む国民にはひとりひとり、管理番号を与えられている。
でも僕は、そんな番号などもっていない。
僕は皇帝。帝国を統べる者。管理される者ではないから当然だ。
いままでは機霊のアルが電信空間に取り次いでくれたり、家臣たちを呼び出して情報交換したり。なにもかもすべて、やってくれていた。
アルがこわれていなければ、救難信号をだしてすぐに迎えを呼んでくれたはず。だが今、それはかなわない。
さて、どうしたものか。
「テル、もっとカリカリほしーい」
「おいプジ、ネコのごはんてのは、一日二回で十分なんだぞ」
「アタシふつうのネコじゃないもん。エネルギーほしーい」
テルは肩をすくめながら台所にもどり、人工知能ネコにエサを与えた。それから茶を淹れようと、マグにお湯を入れる。
「ひい、あっつい!」
熱くて飲めないうようで、彼は小さなうちわで湯気をとばした。
「テル、それ意外と使えるわねえ」
「おう、ミニサイズでかさばんないし、いいな」
昨夜、アーケード街でもらったものだ。派手な赤色で、乗り物の絵が印刷されている。
あのお祭り騒ぎは。一体なんだったのだろう――
アーケードを出てみれば。
僕らと同じ所から出た人々が、一斉に空を見上げたり指さしたりしていた。
まっしろな蒸気でけぶる黒い空は、猫の額ほどしかなかった。黒ずんだビルが四方八方そびえて、空を隠しているからだ。
『蒸気船だ!』
ビルの頭上を悠然と横切っていった影は、とても異様だった。弾丸のようなかたちをした、巨大な浮遊物。全身からぶしゅぶしゅ、蒸気が絶えまなく噴き出していて、まるで呼吸する怪物のようだった。
目にしたとたん、びっくりした。
まさか下界の蟲たちが、空飛ぶ乗り物をもっているなんて。
あんな形の船は、みたことがない。息を吐き出す船なんて、どこの島都市にもないだろう。
シングの孫曰く――
『あれ、ショージの会社の船だ』
『ショージ?』
『俺のダチ。そいつがつとめてる会社、駆動機つくってるんだ。でっかい会社でさ、大陸でがんがんシェア伸ばしてる。あの船につくった駆動機や推進器いっぱいのっけて、遠い街におろしてんだぜ』
シングの孫はゴーグルを額の上に押しあげて、楽しそうに空を見上げていた。
その目は大きく、きらきら輝いて宝石のようだった。
『今夜は、宣伝のために飛んでるけどな。すげえよなぁ、天使じゃねえのに、あんなでっかいものとばすなんて』
みな、歓声をあげてはしゃいでいた。
人。人。人。
太ってる人。やせている人。背の高い人。低い人。
老人。大人の男女。子供たち……。
あんなに大勢の人の波。初めて見た。
『おそら、きれい!』
すぐそばで、革服を着た子が叫んでいた。
どこが? と思った。ビルに切り取られた、狭い狭い黒。蒸気でもくもく、星なんてひとつも、見えないのに。
『ほんとすごいわね』
なのに、子供の手をにぎる母親はそう言って、にっこり微笑んでいた。
ああ、でも……
『わあ! 花火!』
『きれいねえ』
とびちる閃光。きらめく炎の花。
あれはまぶしくて……
とてもまぶしくて……
『テル、今夜の花火、すっごく豪勢じゃない?』
『そりゃそうだよプジ、夏祭りは、駆動機会社が協賛すっからさ』
ビルのてっぺんに金色の光がこぼれていた。
目を焼く、黄金の火花はとてもきれいだった。
なんだか、アルの光に似ている気がした……
『一年に四回、この街は祭りってやつを開くけど。それってぶっちゃけ、企業が宣伝するために企画したんだってさ。はるなつあきふゆ、四つの業種の会社が、祭りをもりあげるって寸法さ』
『それ、しゅんかしゅうとうっていうのよ、テル』
『ふえ? どっちでもいいっしょ。へへ、俺的には食品会社協賛の秋祭りが一番すきだな。ただで屋台メシが食い放題になるだろ。ただになるもん、今回はうちわだけか?』
『去年は洗車洗剤をただで配ってたわよ』
『お、そうだった! どこでだっけ?』
『日用品専門のアーケード街だったかしら』
『うっしゃいくぞ!』
シングの孫は、ただのものが大好きらしい。目的のアーケード街に入るや、とろい乗り物から降りて、ずらっと並んだワゴンの山に飛び込んでいった。
人。人。人。ほんとうに、なんて人の数だ。
呆然とするぐらい、人がいた。
シングの孫はあっというまに、ワゴンにたかる人垣のなかにうまってしまった。
店先に並ぶちょうちんが、人々の波を、渦を、山を、ぼうっとおぼろげに照らしていて。ひとつの大きな生き物のかたまりのように見えて、ぞくりとした。
だから必死に探してしまった。うもれてしまった孫の姿を。
『お、おい、シングの孫。大丈夫か?』
『アムル! これ見つけた! ちょっとつけてみろよ』
『う?』
人垣からぬっと突き出た孫の手。
『革マスク! 洗車のとき使う、スプレーよけだぜ』
『よ……よくやった』
『結構かっこいいだろ? 逆三角形でさ』
あいつ。洗剤だのクリームだの、スプレーだの。いろいろ両手いっぱいかかえていたが。ちゃんと、僕の物を見つけるのを忘れていなかった。
『し、しかしなんて人ゴミだ。声もよくきこえぬ』
『そりゃあこの街、百万人以上人口いるもんな』
『ひゃく?!』
思わずぽかんと口を開けてしまった。我が帝都フライアの人口は三十万人。島都市の中で一番の人口を誇っている。
その、三倍以上?
信じられなかった。下界の蟲たちがそんなにいるなんて。
ものすごい人だかり。騒音のような喧騒。中年ぐらいの女性の、甲高い声。男たちの笑いやさざめき。みんなが吐く息がなんだかねっとり熱い気がして。見てると頭がくらくらした。
もう。息もできないぐらいだった……
「アル……」
少しも空気が。吸い込めないぐらい……
「苦しいよ……」
この街は蒸気でとても湿っている。それに暑い。
アル。早く天にもどって、君をなおしてもらいたい。
君に会いたい。
君の清涼な空気を吸いたい。さわやかで美しい、黄金の空気を……
「あれ? アムル?」
「きゃあ?!」
苦……しい……
「テル、おじいさまを呼んで! はやく!」
息……が……
「大変よ! あの子、泡を吹いてる!!」
でき……な……
浮遊感があった。
だれかに持ちあげられたのだろう。しばらく僕はふわふわ、宙に浮いていた……気がする。
「しっかりしろ、アムル!」「たいへん! 早くドームに!」
孫とネコがそばでずっとさわいでいたと思う。いつまで叫んでいるんだろうと、どろどろしている意識の片隅で困惑していた。
僕はそんなに悪い状態になったのだろうか。
不安に沈んでいたら、よどみない声が孫とネコを黙らせた。
「アドレナリンを注射したぞい。もう大丈夫じゃ。しばらくカプセルに寝かせておくがよかろう。昨日から夜も寝ずに、ずうっとベランダにおったのじゃろ? 疲れも出たんじゃなぁ」
「じ、じっちゃん、こいつの肌まっ赤だ」
シング。僕はどうなったんだ?
「服をぬがせたほうがよいな。これはアレルギーじゃよ」
「あれ? るぎー?」
「アナフィラキシーほど急性ではないがの。接触アレルギーじゃろう。島都市製の綿じゃから大丈夫かと思ったが」
「え? ふ、服?! 服が悪かったのか?」
シング。僕の肌が、どうしたって? 服が、悪い?
「テル、下着もとらんといかんぞ」
「ひっ。全身まっかでぶつぶつだ」
「なにもふれておらん太ももは、なんともなっとらんの。やはり布の材質が合わなかったんじゃろう。全部脱がして、カプセルに寝せるんじゃ」
「は、はいっ」
シング……頭がいたい……。
水音?
ああ、培養液につけられたのか。今度はずいぶん深いな。背中だけではなく、全身にかぶっているみたいだ。シングと孫の声が、かすかにくぐもって聞こえる。耳の中にも、液が入っているのだろう。
「なあじっちゃん。やっぱりこいつ、男? ちゃんと、足の間についてるよな?」
「そうじゃなぁ」
「でも機霊は、融合型だぜ? こいつの機霊、Y遺伝子を嫌わないのか?」
「いや。そんな融合型機霊は存在しないはずじゃ」
「じゃあなんで、拒否反応なしにちゃんと嵌まってるんだ? これ、きっとふつうに稼動もしてたんだよな?」
「うーむ。この性器は、Y遺伝子で構築されてるものではないのかもしれんのう。Xの変異体か。それともほかの遺伝子で、体が構成されとるんじゃろうなぁ」
「もしXの変異体ってことだったら、つまりこいつは……」
シング……なにを、いっている? 僕は……
「そうじゃなぁ。もしそうなら、女性ということになるなぁ」
ちが……う……!
僕は、男だ!
そう怒鳴ろうとしたけれど。目と口は開いたが、声は出なかった。
見えたのは、僕をのぞきこむおろおろ顔の孫。その頭の上に、青い目をしゅんしゅん言わせてる人工知能ネコがいる。
シングは、どこだ?
頭の付近に気配がする。高い枕のようなものをうなじに置かれた。
「もう少しで、体の自由がききますぞ。ですがしばらくは、この中でご安静になさるがよい」
耳もとでシングの声が聞こえた。枕で頭を高くされたので、声がはっきり聞こえる。
まだ口が動かないので、じろっと耳元あたりをにらんでやると。苦笑が落ちてきた。
「申し訳ありませんな。我らの無知をお許しくだされ。とにかく身に召されるものを変えましょう。革は、大丈夫なようですなぁ」
そういえば革マスクをしていた口の周りは痛くない。
でもシャツや下穿きやくつ下が触れていたところは……燃えるようだ。じんじんする。
「革の服ならいいのか? そんなら俺、アーケードにちょっくら行ってくるよ」
「うむ。テル、たのんだぞ」
「おう!」
あのシャツは、下界のものではなかったはず。下穿きもくつ下も、島都市製のものだった。
まさか産地偽装? いや、材質が合わなかったのか?
僕は今まで、アルが入室を許可する侍従が捧げもってくるものしか、着たことがなかった。
たぶんあのほとんどは、絹であったと思う。その材質でないと、僕の肌は耐えられぬということなのか?
そんな事実など、いままで自覚したことがなかった。まさか肌が弱いだなんて。
無敵のエルドラシア皇帝にあるまじき、脆弱な体質だったなんて。
ショックだ……。
「すばらしいお体ですなぁ」
じわ、と目が湿ってきたとき。シングがしみじみとつぶやいた。
「人工綿がだめとは。おそらく、繊維に染みこんでおる薬品が障っとるのでしょう。原始のものなら、大丈夫なのでしょうな。原始綿。原始絹。原始リネン……しかし原始種の栽培は、赤い大陸では不可能。島都市でもなかなか作られませぬ。すなわちあなたさまが着ていたものは、ほかの星から輸入された最高の逸品だったのでしょうな」
シングがゆっくりギヤマンドームを閉めていく。
「かような玉肌であられるとなると。まごうことなくあなたさまは、我ら人間の……」
がちゃり、とドームがしまった音に、聞き取りたかった言葉が消えた。
「どうか御心……しばし……くださいませ」
ドーム越しの声は、ほとんど聞こえてこなかった。
シングは、僕はいったい何だと言ったんだ?
いや、何であろうが僕は男だ。それはまちがいない。
アルは僕にいつも言っていた。にこやかにほほえみながら。僕をうっとり見つめながら。
『陛下ほど、りりしいお方はおられません。エルドラシアを統べるお方は、世界で一番の殿方です』
澄んだスミレの瞳が恋しくて。
僕は泣き声をかみ殺して涙をひとすじこぼした。
アル。
いますぐ、君に会いたい……