約束
漫画原作用に書いたものの改稿版です。
どうかどうか、楽しんでいただけますように。
この世界には、今はもう忘れ去られて久しい古い古い神がいる。
十字架にはりつけにされたその神には、「天のみ使い」というしもべがいたそうだ。
背中から翼を生やした彼らは天上を自在に翔けた。
白い翼のものは天使とよばれて、人に命を与えたという。
黒い翼のものは死神とよばれて、人に死を与えたという。
私の背から生えている翼は、どちらの部類に入るのだろう?
光り輝く、黄金色の翼は。
「どこまでまっ白なんだ……」
雲は白く。どこまでも白く。とても分厚い。
上も雲。下も雲。四方三百六十度、雲。
びゅんびゅんとおそろしい速さで、白い水蒸気の固まりが下へ下へと流れゆく。
脳天をひっぱられ、強引に引き上げられる感覚が襲ってくる。
ただひたすら、上へ。
上へ。
天へ。
ひっぱられる……。
雲は、さらに速度を増して流れ去っていく。
この怒涛の流れは永久に続くのか。果てなき迷路にとらわれたのか。
そう思われたとき。
突然。
周囲の雲が、なくなった。
「抜けたか……!」
下から勢いよく、放り上げられたような感覚がした。
解放感。
はるか眼下に、真っ白い雲の海が広がる――。
見上げれば。
天は、快晴であった。
背中の翼をはばたかせ。ただひたすら飛び続け。
雲をつきぬけこの星から飛び出したのだから、当然である。
それにしても、ずいぶん勢いよく昇ったものだ。
いったいどのぐらい速度が出たのか、一瞬前に抜け出したはずの雲海は、すでに遠いかなた。見渡す限り果てしなく、下界を覆っている。海というより、まるで雪が降り積もった平野のようだ。
雲が照り返す陽光のまぶしさに、思わず目をすがめる。
幸いにして、目が焼かれることはない。
わが背に生える黄金の翼が、生命維持結界を展開しているからだ。
結界はほぼ透明で、息を吹きかけるとほのかに黄金色に輝く程度。しかし非常に強固だ。成層圏のはるか上、酸素などないこの空層に、なんの特殊装備もなしにふわふわと浮かんでいられるほどの強度をもつ。
おかげで我が身は、超硬質の金属鎧一領に包まれているのみ。空の紫紺も雲海の白も、肉眼で楽しむことができる。
結界が生成する空気は、本物の空気よりはるかに清涼でおいしい。ありがたいことに治癒の効果もある……。
胸いっぱいに、癒やしの空気を吸い込んでいると。
『目標、こちらを追ってきます、我が主』
りんと、澄んだ鈴の音のような声がすぐそばで鳴り響いた。
声の主――すぐ隣に浮かんでいる幻影の少女が、しゃんしゃんと思考を鳴らして波動索敵を始めている。
ふわりとなびく、豊かな金髪のツインテール。
透けた布をいく枚も重ねたような、清楚で真っ白な衣。
優しいすみれ色の瞳が、柔らかなまなざしで私を見つめる――
『目標が昇ってまいります。音速3、結界はフォルテ、七重です』
「は! 神の槍で貫いてやったのに、まだそんな鎧を展開できるのか! 化け物だな!」
背から生えている黄金の光体翼を、私はひゅんとはばたかせる。
その輝く翼を放っているモノ――我が背に埋まる日輪の円盤こそ、隣に浮かぶ少女の本体だ。
機霊。日輪のアルゲントラウム。
我が永遠の、伴侶。
「ふん。まさに地獄の魔王の異名通り。もう一本刺してやろうぞ! アルゲントラウム! 槍を出せ!」
『了解、我が主』
紫紺の天の鮮やかさをのんびり愛でたいところだが、そうもいかぬ。
敵は我が結界をものともせず、このアマタイトの全身鎧を砕いてきた奴だ。
いつものように、手の上で転がしていじって遊べるような相手ではない。
『神の槍、顕現開始』
黄金の髪の少女が、両手を前へ突き出す。
身にまといし黄金の光が、その手の先に凝縮してみるみる一本の槍の形をとっていく。
「限界突破領域で放つ! 制限を外せ!」
『……了解!』
一瞬の躊躇のあと。
少女は完全に顕現した光り輝く槍を私に差し出した。その顔は、今にも声をあげて泣き出しそうだ。
『ご武運を』
「そんな顔をするな。今すぐ力尽き、地へ落ちていくようなことにはならぬ」
『マレイスニール……ですが……』
こんなときに名前で呼んでくるとは、心憎い奴だ。
「案ずるな。私は死なぬ。永遠にそなたとともにあろうぞ。そう、約束しただろう?」
黄金の少女がホッと安堵の息をつき、私に微笑む。
『はい! マレイスニール!』
うるんだすみれ色の瞳に我が姿が映っている。口からどくどくと血を流す私の姿が。
正直もう、息をするのもやっとだ。
だが、今の言葉は戯言ではない。
まごうことなき真実。
私は、生きる。この少女とともに、永遠に――
『七時方向、来ます!』
黄金の髪を揺らし、少女がハッとふりかえる。
雲海のはるかかなた。その分厚い雲間から、まがまがしい紫色の物体が飛び出してくる。
なにやら不気味な恨み言――呪いの波動おどろおどろしい、闇色の咆哮を放ちながら。
「きたな化け物」
大きな竜翼をはばたかせ、こちらに迫ってくるもの。
あれこそ、我が敵。おぞましい暗黒の神。
輝く槍を構える。
あれを打ち倒せば、この永きに渡る戦いはやっと終わる。
われわれは勝利し、闇に染められた天の世界は解放され、我らの手に戻ってくるのだ。
天を舞う天使たちのもとに。
「わが命の結晶。受け取れ!!」
まがまがしい紫の塊に、私は輝く槍を投げつけた。
渾身の力をこめて。
「消えよ!! 暗黒帝!!」
刹那。
我が槍は空をまっぷたつに裂いた。
まばゆい黄金の光で、天を染めながら――
ツインテール:
英語ではさまざまな呼ばれ方があり、
エンジェルス・ウィング(天使の翼)とも呼ばれていますので、
そのドイツ語訳であるエンゲルス・フリューゲルの呼称を採用しました。
すなわちエルドラシア帝国言語はドイツ語もどきです。
機霊用語:
オーロ=黄金
バリエーラ。もしくはスクード(盾)=結界
フォルテ=レベル的に強。 レベル的に弱はデボレ
スピナ=言語通りの意味では栓。
機霊が初めて作られた島都市の言語に則して、イタリア語もどきにしています。