たった一人の騎士団
ブランダルク国境付近の村。
以前、グラオスの部隊の奸計に嵌まり、襲撃を受けていたこの村は、“最後の騎士”によって救われていた。
村人たちは何とか村を立て直し、先が分からぬまま日々の生活を取り戻そうとしていた。
「“最後の騎士”様、今頃、どうしているのかな?」
村長の家に来ていた村娘が訊ねた。
「詳しくは分からないが、中央じゃ亡くなっていたはずのフィルアネス殿下が立ち上がったという噂だ」
窓際に立つ村長が外を見ながら答える。
「ホントなの!? じゃあ、ガルフィルスの時代もとうとう終わるの!?」
「あくまで噂だ、あてにはできん。それに、そうは上手くいかんかもな。“機竜”がもうじき墜ちてくるかもしれんらしい」
村長は椅子に座った。
「村長さん、どこでその話を聞いたの?」
「傭兵たちさ。ここも安全じゃないからな。村の護衛を雇おうと思って傭兵の斡旋場所を聞いて一度、相談に行った。そこでいろいろと教えてくれたんだ。傭兵組織は独自の情報網を持っていて、すでにあちこちの情勢が耳に入ってきてるらしい」
「へえ。馬鹿王の部隊よりよっぽど有能だね。それで傭兵さんは雇えたの?」
「そっちは無理だった。向こうも大変なのと、本当に他国の部隊が侵入したら防ぎきれないから、雇うための金は避難のために取って置いた方が良いと断られた」
村長はため息をつく。
「でも、その通りだよ。むしろ親切だよ、いろいろ教えてくれたんだしさ」
「あの禿頭で太い男の人がおったろ。あの人の口添えがあったらしい。どうやらあの人も傭兵組織の顔役らしくてな」
「そうなんだ……無事でいてくれるといいな」
「そうだな。ここでできるのは“最後の騎士”様たちの健闘と無事を祈るぐらいだ」
村長と村娘がそう話していると、やがて村人の一人が家にやって来た。
「村長! 見てくれ! すごいモン、見つけたぜ!」
村の青年は両手に何かを抱えて村長の机の上に置く。
それは鋼の球体に眼球のように紅い水晶がはめ込まれたものだった。
「これさ、もしかして古代文明の遺産とかいうやつじゃねえか!?」
青年は初めて見る古代技術を前に興奮した様子で言った。
確かに用途は分からないが現在の技術では作れそうにない代物だ。しかも劣化や破損の様子もない。
「確かに、それっぽいよね……それにしてもどこで見つけたの?」
「いつも行く、近くの森に落ちてたんだ」
村娘の問いに青年は得意顔で答えた。
「これが? 変よ。こんなの落ちてたら今まで気づかないわけないわ」
「それは知らないさ。どっかから飛んできて燃料でも切れたんじゃねえか? ともかく、これをどこかに売れねえかな? いざという時の資金も必要になりそうだしさ」
「うむ……売るといってもどこに持っていけばいいんだろうな」
村長は首を傾げる。
不意に機械の水晶が紅く輝いた。
「うわッ!?」
その場にいた三人が慌てて部屋の隅に逃げる。
球体の表面に光の文字が浮き出し、やがて浮遊した。
球体が回転し、やがて水晶を青年の方に向けると水晶から真紅の光線が放たれる。
村長と村娘は思わず目を閉じたが、恐る恐る青年の安否を確認する。
壁に穴が開き、その近くで青年が放心状態で腰を抜かしていた。
球体は穴を通って外に抜け出すと、そのまま森の方へと飛び去る。
「た、大変だ!」
そこに別の村の男が慌てて飛び込んで来た。
「どうした? こっちも大変なんだが? まさか、また他国の奴らが!」
「いや、違うけど大変なんだよ! ええ、それが、その、なんて言えば──」
村長が腰を抜かした青年を助け起こす。村人もこんがらがっているのか要領を得ない。
「とにかく外を見てくれれば分かる! 来てくれ!」
村人に案内され、村長たちは村の外れに走る。
そこにはすでに他の村人たちも集まっていた。
「いったい、何が──」
外の光景を見た村長は目を疑う。
そこにいたのは異様としか言いようのない光景だ。
鉄の巨人たちがいた。
よく分からない機械が空を飛んでいた。
半分機械仕掛けの魔物の姿もある。
およそ、一般の者が見る機会すらない古代機械の群れだった。
「な、なんだ……」
機械の群れは村には全く目もくれず、国境へと向かっていた。
国境の向こうでは黒煙があがっており、すでに何かが起きている様子だった。
「村長……」
村人たちの視線が村長に集まる。
「何かが起こったのは間違いないな……仕方ない。みんな、この前の打ち合わせ通り、避難しよう。ここも襲われないとも限らない」
村人たちが動きだす。また襲撃に遭うことを考え、いつでも避難できる用意だけはしていたのだ。
「待って。村長さん、あれは──」
村に近づいてくる一団があった。
騎馬の集団であり、それぞれが武器を持っている。
村人たちが浮き足立つ。混乱に乗じた野盗と思われたからだ。
しかし、集団は村から離れた場所に止まると一騎だけがこちらにやって来る。
やがて馬が止まり、一人の男が村長たちに
近づいてきた。
「ねえ、あの人、見たことあるよ!」
村娘が言った。
村長も思い出した。セイルナックと名乗った大男の部下の傭兵だ。
「騒がせてすまねえ。あんたが村長さんだったな」
傭兵が言った。村長も前に進み出る。
「今日は親分の使いでやって来たんだ。ともかく、これを読んで欲しい」
傭兵は村長に書状を渡した。
村長は受け取るとそれを広げて目を通す。
それはセイルナックの親書だった。
国境付近で戦いが起きるかもしれない。傭兵たちもそれに加わる必要が出てきたので、この村を拠点として貸して欲しいという要請だ。村人の警護と報酬の約束もそこには明記されていた。
「親分と“蛇”のダンナの読み通りだな」
傭兵も国境に進行する古代の兵器の姿を眺める。
「……分かりました。そちらには助けてもらった恩もある。この要請をお受けしましょう」
村長は村人たちと相談した後、そう返答した。
「しかし、何が起きているのですか?」
「詳しくはさっぱりだ。だが、ブランダルクに眠ってた古代機械が国境付近の他国部隊の排斥に動きだしたらしい」
「それで傭兵さんたちはどうするのですか?」
村娘が訊ねる。
「『売り込んでこい』──それが親分の命令でな」
傭兵の答えに村人たちは一斉に首を傾げるのだった。
「陛下! 大変でございます!」
王城〈ブランテレス〉の玉座に鎮座するガルフィルスの前に大臣が駆けつけた。
「国境付近で再び古代兵器が目撃されております!」
跪いて大臣が伝えるが、当のガルフィルスは不機嫌を隠すことなくその姿を睨めつける。
「それで?」
ガルフィルスがそれだけ言うと、大臣は途惑いながら顔を上げた。
「そ、それは──一度、止まっていた古代兵器がまた活動を始めたということです。こちらも何らかの対策を──」
「必要ない」
ガルフィルスは即答した。
「それらが国内に来ると決まったわけではあるまい。いまは“機竜”の動向を注視し、国内への被害と影響を最小限に抑えることこそ先決だ」
「畏れながら、こちらに来ると判明する前に対策せねば後手に回りかねないかと──」
「余が分かっておらぬと言うのか!」
ガルフィルスが肘掛けを叩いた。
「いまは優先順位を考えねばならんのだ! 国王たる余が民のことを考えず、どうすると言うのだ!」
ガルフィルスの激昂に大臣は慌てて頭を下げると、後ろに退いた。
他の側近たちも黙り、広間に沈黙が広がる。
ガルフィルスは苛立っていた。
古代兵器の目撃情報はここにも次々と集まっていた。
その古代兵器はブランダルクを狙う他国の部隊を狙い、すでに襲撃も始まっているとのことだった。
(司祭長め。余を差し置いて好き勝手やりおって──)
ガルフィルスはこれが司祭長の計画だと知っていた。
司祭長は周辺諸国を掌握していたが、あくまで緩やかな支配だ。
なかにはそれを良しとしない反対派も存在している。
彼らは普段、真っ向から叛旗を翻すことはないがその勢力は密かに動いており、司祭長の描く計画において後の障害となる可能性は高かった。
そのため司祭長は彼らの排除も同時に画策した。
計画の要となるブランダルクへ干渉しないことを他国の権力者たちに要請し、その一方で混乱に陥ることを密かに情報として流出させた。
司祭長を支持する者は動かなかったが、反対派は混乱するこの機を逃さずに行動を選ぶと読んだのだ。
思惑通り、彼らは混乱に乗じた侵攻のため、ブランダルクへ進軍を開始する。
司祭長自らが動かず、ブランダルクも兵を出せないなら、そうするのが当然だ。
大義名分の下、司祭長に異を唱える者たちがおびき出されたのだ。
彼らは古代兵器を操る司祭長の罠に嵌まり、甚大な被害を被ることになるだろう。
“竜墜ち”後のブランダルクへ干渉されるのを阻止すると共に、司祭長に反対する勢力も削り、その支配者の座をさらに確固たるものにするつもりだ。
(しかし、あれだけの古代兵器群を操るとは聞いていなかったぞ)
ガルフィルスも司祭長からこの事は伝えられていた。だから国境に他国の部隊が迫っていても兵を動かさずにいたのだ。
しかし、数が多いとされる手つかずの古代遺跡の兵器が軒並み掌握され、領土を歩いている事実は国王としてはあまりに面白くない。すでに奴らに占領されたも同然の状況なのだ。
(クソッ、その兵器群だってそもそもはこの国の物、余の所有物ではないか!)
しかし、ガルフィルスももはや司祭長に逆らうことはできない。
伝説の“機神”のような力を持つ相手に敵うわけもなかったのだ。
「大変でございます!」
そこに騎士が駆けつけてきた。
「どうした? 古代兵器の件ならすでに陛下のお耳に──」
大臣が止めようとするが、騎士は必死の表情を向けてガルフィルスの前に跪いた。
「ト、トリスにてフィルアネス王子を擁する反乱勢力が動きだしました!」
「何だと!?」
側近たちが騒然とする。亡くなっていたはずの王子が生きており、それを擁するという者たちが反乱を起こしたとならば、現体制にとって大きな脅威となる。
「ローエン太守はどうした!? なぜ報告が遅れた!?」
大臣が詰め寄る。
「ローエン太守の消息は不明! トリス近辺に“機竜”が出現し、大規模な破壊があった模様! 現地域は大変混乱しており、確認と報告に時間がかかりました! 申し訳ございません!」
側近たちが浮き足立つ中、ガルフィルスは落ちついた姿で報告を聞いていた。
(ローエンめ、報告が遅れていると思っていたがしくじっていたか)
トリスに反体制派が集まることは計画の一環だった。その監視役だったローエンに何かあったようだが、トリスでの反体制派の蜂起自体は予定通りであった。
ガルフィルスは威厳のある姿を側近たちに見せつけながら騎士に告げる。
「報告ご苦労だった。そなたは休むがよい。しかし、いまは亡くなった王子の名を騙る反乱分子どもに関わっている暇はない」
「陛下!? よろしいのですか?」
「国王たる余が真っ先にせねばならぬ事は、“竜墜ち”に備え、国と民を守ることだ。“機竜”落下も時間の問題。おそらくトリスを含めたその近辺への墜落が予想されるだろう。この非常時に反乱など企てる者どものために、国や民が損なわれることがあってはならぬ」
「さ、さすがでございます」
側近たちは顔を見合わせるが、すぐにガルフィルスに賛同する。
「そのことについて、さらに申し上げます!」
騎士が告げる。
「“機竜”はトリス近辺に一度、接近した後、どこか遠方へと飛び去ったようです。おそらく国境沿いの山岳地帯に向かっているようです」
側近たちの表情が明るくなる。
それが本当ならば都市部で“竜墜ち”の危険がなくなり、被害は抑えられることになるのだ。
「それはまことか!!」
宮廷に広がる安堵感を一蹴するようにガルフィルスの怒声が響き渡る。
ガルフィルスは玉座から立ち上がると報告の騎士に詰め寄った。
司祭長の計画では“竜墜ち”はトリスで起こり、その時点でガルフィルスにとって邪魔な反乱分子も一掃される計画だったはずなのだ。
(司祭長め! さんざん偉そうなことを言っておきながらしくじりおったな! どいつもこいつも無能め!)
騎士が恐れをなしながら続ける。
「そ、それと……これは未確認ですがトリスに“最後の騎士”が出現したとの噂もございます」
「なんと、“最後の騎士”が反乱軍に──」
「まさか、フィルアネス王子は本当に──」
側近たちも動揺を隠せない。
ブランダルク最後の守護者が反乱軍に合流したことは、それだけで彼らに正当性を与えることになり、それに呼応する者たちが現れかねない状況となる。
「惑わされるな! 王子も“最後の騎士”も偽者に決まっておる!」
ガルフィルスは一喝して周囲を黙らせると怒りに歯噛みする。
ガルフィルスは忘れていない。
かつて自分に刃を向け、恐怖に陥れた“最後の騎士”の姿を──
(おのれ! どこまでも余に刃向かうつもりだ!)
ガルフィルスは右手を挙げた。
「これより反乱軍の討伐に向かう! 至急、戦の支度をせよ!」
側近たちが目を剥いた。
「しかしながら、兵を集めるにもいまは時間が──」
「余が直々に出向く。この城と直属の兵たちを全て動員せよ! 奴らがのさばる前に討たねばならぬ。王子を詐称し、“最後の騎士”の名を利用する連中を一匹残らず殲滅するのだ!」
あまりに強引な命令であったが側近たちは従わざるを得なかった。逆らえばその場で逆賊として国王に斬らかねないほど、ガルフィルスの目は血走っていた。
(もはや誰もあてにならん! フィルアネス! そして“最後の騎士”! 貴様らだけは余が直々に首を撥ねてくれる!)
長年に渡って悪夢としてガルフィルスを苦しめた亡霊。
それをようやく振り払い、復讐する時が来たのだ。
「ログさん、無理しないでくださいね。傷に障りますよ」
タニアはログに付き添いながら声をかける。
「大丈夫だ」
ログが治療を終えたばかりの身体で歩きながら、城の地下にある安置部屋へと向かっていた。
王子が飛び出し、トリスの街も混乱と被害で立て直しも難しい状況だ。
反体制派の士気も消え失せ、城全体が火の消えたようになっていた。
冷たい地下の空気をログが傷の痛みに耐えながら進んでいく。
二人は目的の部屋に辿り着くと、ゆっくりと扉を開けた。
そこには丁重に毛布に包まれたリーデの亡骸が安置され、その前に立っていたマリアが振り向く。
「……無理して大丈夫なのかい?」
「まだ休むわけにはいきません」
ログが答えた。
部外者であるタニアは遠慮して部屋の外に下がる。
「マリアさん。これからどうされるのですか?」
ログが訊ねると、マリアはリーデの前に跪いた。
「ここに置いていくこともできないしね……荼毘に伏して、遺骨だけでもしかるべき場所に納めたいと思っているよ」
マリアが答えた。
タニアの目から見てもログの事を恨んでいるわけではなさそうだ。
ただ、マリアの背を見つめるログの目が悲哀を湛えて細められた。
「そうしてください。ここも無事ではすまないかもしれない。早い方が良いでしょう。こちらで手伝えることがあれば言ってください。部下たちにはすでに伝えてあります」
「……ありがとう」
マリアの返事を聞いたログは黙って去ろうとする。
「あなたはどうするんだい?」
マリアが振り返って呼び止める。
「ここでフィルアネス殿下と我が主の帰りを待ちます」
ログは立ち止まって答えた。
「政府軍がここに来るかもしれないんだね」
「戦場になるかもしれません。そうなる前にここを立たれた方が良いでしょう」
「……もし、王子と男爵が戻ってこれなかったら、あなたはどうするんだい?」
「お二人は必ず帰還されます。それまで待つだけです」
その言葉でタニアも悟った。
ログはブランダルクの未来を決するこの時に、自分の全てを懸けるつもりであることを──
ログが去っていく。
「マリアさん、あたしも失礼します。手伝うことができたら呼んでくださいね」
マリアの姿に後ろ髪を引かれたタニアも、ログの後を追おうとする。
そのタニアの手をマリアが掴んだ。
「待っておくれ」
「……こいつはひどいな」
サルディンが周囲の破壊された街の一角を目にして呟く。
それは昨日、トリス上空に現れた“機竜”によるものだ。
それも“機竜”本来の破壊力を考えれば序の口に過ぎないのだ。
「サルディン。隊長はあの化け物に今度こそ勝てるんだろうかな」
同行するウォーレンが空を見上げた。
「エルマ姐さんたちも応援に行く準備中らしい。ともかく、勝ってもらわないと困る。若に報酬の吊り上げを直談判しないといけないからな」
「そうだな。勝って景気づけてもらわねえと、ここも先はないだろうな」
周囲に人の活気はない。
度重なる“機竜”の脅威を前に、都市の住人たちの多くがここを捨てて避難してしまったのだ。残された住人も城の者たちが保護しているが、反体制派も総じて悲観的だ。王子が無事に戻って来るかも分からず、いま国王軍に進軍されたら一巻の終わりだろう。
「逃げ遅れた人たちはもういなかったか」
二人の前に現れたのはログ副長だった。
「副長、休んでいた方がいいじゃないですか?」
「そうです。しばらくは俺たちでやれますぜ」
「そう悠長にはしていられなくてな。二人とも急いでやってもらいたいことがある。国王軍の動向監視と、傭兵たちへの援軍の要請だ」
サルディンが腰に手を付けた。
「ついに国王と決着をつける時が来たってことですか」
「そうだ。だが、それはわたしではない。この国の未来を担う者たちの役目だ」
ログはもう一つ、傭兵たちにやってもらいたいことを伝えると、二人の間を割って先を進んでいく。その足取りは傍から見ても辛そうだ。
「副長、タニアの奴はいったいどこへ? こういう時こそ、あいつに手伝わせればいいじゃないですか」
「タニアはマリアさんに何か頼まれたようだ。それに疲れているだろうしな。少し休ませた方がいい。至急の用があったら城郭へ伝えてくれ」
ログはトリスを囲む城壁の上に来ていた。
外の平野を見渡せる場所に立ったログは一人、隣にある掲揚台を動かし、降ろされていた旗を掲揚する。
神女の伝説を連想させる剣と騎馬と盾を組み合わせたブランダルクの国旗だ。
時の止まっていたかのような城郭において、旗だけが風にはためく。
そしてログは鞘に収まった剣と小剣を両手で持つと、外部から見えやすいように胸壁の間に身体を預けた。
ログは再び“最後の騎士”を演じるつもりだった。
いまブランダルクの人々の心を動かせるもの──それは“最後の騎士”の伝説だけしかない。
ブランダルク最後の守護者がまだトリスに健在だと伝えることで、崩壊しかねない反体制派の機運を繋ぎ止めるつもりだった。
これがブランダルクに残された最後の好機である。この機を逃すわけにはいかないのだ。せめて男爵と王子が戻るまで持ちこたえねばならないのだ。
それが戦う力の残っていない、そして長年ブランダルクに背を向けていたログができる全てであった。
足がふらつく。
神女との激闘で深く傷つき、立ち続けるのも辛い状態だった。
「ログさん!」
ログの身体を支えたのはタニアだった。
背に荷袋を背負ったままタニアはログをゆっくりと床に座らせる。
「ログさん、だから無理したらダメだって言ってるじゃないですか!」
「すまないな。用は済んだのか?」
「そうです! マリアさんからこれを預かりました!」
タニアは荷袋を下ろすとそこから一枚の外套を取り出した。
ログはすぐにそれが何かに気づく。
「亡き旦那さんの物らしいですよ」
外套は〈白き楯の騎士〉が出陣の時に用いていた物だ。汚れもなく、持ち主であるバルトがいなくなってからも大事に保管されていたようだ。
「それと、これを──」
タニアが荷袋からもう一つ取り出した。
それはリーデが使っていた仮面だ。
「マリアさんは分かっていたみたいですよ。ブランダルクに戻るつもりはないのなら、これを使えって。面が割れ過ぎると引き留める人が増えて大変だからって──」
ログは仮面を手にすると、静かに頭を下げた。
「……お借りします」
「おい、あれは──」
サルディンが城郭の上に居る人影に気づいて指を差した。
そこにはブランダルクの国旗を掲揚する一人の人物が立っていた。
白地の紋章が描かれた外套を纏い、仮面を被った双剣の騎士の姿だ。
二人は互いに目で合図する。
「面白くなってきたじゃねえか。こいつは一刻も早くブランダルク中に知らせねえとな」
「ああ。悪の国王軍に立ち向かおうとする伝説の騎士の再来だ。黙ってられねえよな」
二人が動きだそうとした時、背後にマリアが立っているのに気づく。
マリアは城壁の上に立つ“騎士”の姿を見上げていたが、やがてその目に涙がこぼれる。
「待ってたよ……お嬢様も、あの人も、団長様も……この時が来るのをどんなに待っていたことか」
マリアが感極まったように口を開く。
「あれはあんたの御膳立てか?」
ウォーレンが訊ねるとマリアはかぶりを振る。
「いいや。あたしはただ支度の準備をしただけさ。弔い合戦の出陣の準備を、さ」
サルディンとウォーレンも口の端を吊り上げる。
「確かにな」
二人にも見えるような気がした。
“最後の騎士”を中心に城壁の上に居並ぶ、伝説の〈白き楯の騎士〉たちの姿を──
フィルアネス王子を擁した“最後の騎士”がトリスで決起したらしい──各地の傭兵たちによってこの噂は瞬く間に広まることになる。
神女の再来と呼ばれた女剣士の仮面を被り、〈騎士〉の装束を纏った“最後の騎士”が、正統の王を護るために立ち上がったことを──
ブランダルクを蝕む悪を糺すため、たった一人の騎士団が出陣しようとしていることを──




