二人の天才と二つの“特異点”(2)
「それで姉さんとオレフさんは『相克欠陥』の理論式を進めたのですね」
マリエルが訊ねると、オレフはうなずいた。
「そうだ。そして俺たち二人で検証可能な段階までこぎつけようとしていた。しかし、そこまで来て、エルマはこの研究を中止すると宣言し、全ての資料を破棄した」
マリエルもエルマが『相克欠陥』の研究をし、その理論構築も試みていたことも知っている。しかし、それは完成できなかったとエルマは言っていたのだ。
「なぜ姉さんはそこまで進めた研究を破棄なんて──」
「俺が理論の研究を続ける間、エルマは先に実地検証を試みた。実際に“聖域”内に残存している“原初の特異点”を探せるか動いていたんだ。エルマは研究の中止を決めたのはその時だ……彼女はその時に見つけてしまったんだ、実際に残存していた“原初の特異点”を──」
“原初の特異点”は目に見えるものではない。極微の空間であり、正確にその位置を推定し、干渉しないように慎重な測定が必要となる。だからこそ、理論式の完成が不可欠のはずだ。
オレフはマリエルの驚きと疑問の表情に気づいたようだ。
「そう、予想外の発見だったんだ」
『あの資料を全て燃やしたというのか!? 何故だ!?』
オレフとエルマは学院の屋上にいた。そこには二人の他に誰もいなかった。
自分の部屋に置いていた資料が消えたことに驚いたオレフが彼女を探し、ここまでやって来たのだ。
「答えろ、エルマ! いったい何があったと言うんだ!」
オレフの詰問にもエルマはなかなか答えず、背を向けていた。
「……ともかく、うちの手にある資料も全て破棄したわ。あなたにはいままで付き合わせて悪かったけど、この研究は全て白紙に戻させてちょうだい」
エルマがようやく答えた。
よほど思い詰めているのか、その口は重い。
オレフも落ちつくために一息つくと、エルマの横に並んだ。
「理由を聞かせてくれ。君があの研究を全て白紙にするなんて、よほどの理由があるはずだ。俺もそれを聞かなければ納得できない」
長い沈黙の後、彼女は懐から一枚の用紙を取りだして見せた。
それは測定機の記録だ。
オレフの表情が驚愕に変わる。
“原初の特異点”を観測した場合に予想される理論値とほぼ近似した記録だった。
「まさか……」
世紀の大発見となる記録用紙をエルマは奪い取ると、躊躇いもなく破いてしまった。
「これで納得してくれた?」
オレフはエルマがこの研究を破棄した理由にようやく気づいた。
「──“原初の特異点”は俺たちが予想していた以上に残存しているかもしれないのか」
完成に至らない理論と彼女一人の独力で発見を成し遂げてしまった。多くの偶然があったとしても、それは二人の予想を越える発見の早さだった。
「そういうことか。理論が完成しても、実際の観測までには早くても数年、十年以上は必要と思っていた。まさか、ここまではっきりと“原初の特異点”が残っていたとはな」
「あなたにも分かるでしょう? これを世に発表したら、それだけ“原初の特異点”の研究が加速する。そして誰にも見つけられるまでになるかもしれない……危険過ぎる」
エルマが言った。
「“原初の特異点”は世界の法則が破綻した空間。もし、使い方を誤ったら、いえ、誤った使い方をする者が現れてしまったら──」
「新たな“機神”が誕生する可能性も出てくるか」
オレフが答えた。
二人は“原初の特異点”が存在した場合の実験についても、幾つか考案していた。
その中で二人が共に気づき、そして最も危険と思われる可能性があった。
“原初の特異点”を“闇”の特異点に変えるものだ。
『相克欠陥』は力の天秤が作用しない一点だ。 その一点に魔力を集中することができれば《アルターロフ》のような超高出力の魔力炉を用意しなくとも魔力密度を極限まで高める事ができる。
かつて魔導科学の頂点に達したエンシアのみが可能とした“闇”の特異点の発生を、現在の科学技術でも再現できるかもしれないのだ。
「しかし、エルマ。それはあくまで最悪の場合の推測だ。理論式は未完成でしかない。結論を出すには早すぎた」
エルマがかぶりを振った。
「可能だと分かった時にはもう無かった事にできないの。取り返しのつかない事になったら手遅れなのよ。この世界は何百年も“機神”を破壊できずにその脅威にさらされ続けている。その“機神”を再び生み出すかもしれない知識を世に出せないわ!」
「その結論が早すぎると言っている!」
語気を強める彼女につられるように、オレフも反論した。
「君の懸念が実現可能かどうかを、自分が確信するまでちゃんと検証したのか!? それを利用することで“機神”を破壊する手がかりとなる可能性だってあるはずだ!」
「ないわ!」
エルマは答えた。頑なな態度は全く崩さなかった。
「少なくとも“機神”を破壊する手段にあれを使う方法は見つからない。仮に私たちが気づかない方法があったとしても──他の誰かが“機神”の力を手に入れようとして悪用されてしまう方が先よ」
オレフはもう何も言わなかった。
公表すれば科学者としての名誉と地位、そして永遠の名声をも約束された研究を全て放棄することは、彼女にしてみても身を引き裂くほどの決断であったはずだ。
「オレフ、あなたには本当にすまないと思ってる。この埋め合わせはだけはどんなことでもさせてもらうわ」
さすがにオレフにだけは負い目を感じるのか、エルマが目を伏せる。
「……俺は君の研究を検証しただけだ。君が研究を放棄するというなら、俺の頭に残っている知識も公表はしない。君に代償を求めるつもりもない」
オレフは背を向けた。
「君の意志は尊重する。しかし賛同はしない……残念だ」
そう言ってエルマを残し、オレフは去っていった。
「そうだったのですね。学院時代、姉さんとオレフさんが急に距離を置くようになったので何かあったとは思ってました」
マリエルは言った。
「彼女も考えを変えなかったし、俺もそうだった。俺たちも頑固だからな。しかし、ある日、エルマの方から俺に会いに来た。珍しく正装して一枚の書状を携えてな」
『オレフ、うちと一緒に来ない?』
その日、久しぶりにオレフの自室に来たエルマが、彼に紹介状を手渡しながら言った。
オレフはその紹介状の中身に目を通す。
それはエルマ自身が書いた、オレフを推薦する内容だった。
推薦する相手は中央王国クレドガルのバルネス大公だった。
「そうか。君がどこかの使者と話をしていると噂になっていたが、クレドガルの大公閣下から招聘されていたのか」
「うちの噂を聞きつけた大公様から自分の研究所で働かないかと申し出が来たの。うちは承諾したわ」
「そうだな。君はここで骨を埋めるには狭すぎるかもしれない。大公閣下の許で研究を続ける方が良いかもしれないな」
オレフはエルマに推薦状を返した。
エルマもオレフが賛同してくれたのを見て気を良くしたようだ。
バルネス大公は“戦乙女の狼犬”ルーヴェン=ユールヴィングの盟友として知られ、古代文明研究にも理解が深く、現在も“狼犬”の持つ古代鎧の管理と“機神”破壊の手がかりを求めて研究所まで設けている。
エルマにとっても有益となる後援者のはずだ。
「それでね、オレフ。あなたの事も大公様にお伝えしたわ。大公様も話をしたいそうよ。あなたもここで燻っているべきじゃないわ。あなたが求めている“機神”破壊の研究もあそこならもっと制約なしにできるわよ」
「君と一緒に大公閣下の許に来いということか」
だが、オレフは背を向けた。
「せっかくだが、それはお断りする。大公閣下にも丁重にお詫びしてくれ」
「どうして!? これほどの話はもうないわよ!」
エルマが彼の前に回り込む。その表情は動揺を隠しきれていなかった。
「実は俺の方にも話が来ている。いつも資料を揃えるのに利用していた商人経由で誘いが来ている」
「どこから?」
「ラスムディスの学術図書館からだ」
エルマが目を見開いた。
それはフィルディング一族が後ろ楯となっている“聖域”屈指の学術研究施設だ。表向きは学術発展のために創設されたものだが、実際はフィルディング一族擁する研究機関とも噂される場所だ。
ユールヴィングとフィルディングの因縁は二人も知っていた。
「あんた! そこに招かれるつもりなの?」
「そのつもりだ」
エルマが机に片手を叩き付ける。
「分かってるの!? フィルディング一族はかつて“機神”を悪用しようとしたフィルガス王の一族なのよ!」
「あれはフィルガスの暴走で、一族も止められなかったと結論が出ている」
「そんなのあんただって信じていないでしょう! いまだって悪い噂も少なくないのよ!」
「だからこそ、あそこにしかない科学知識や研究があるかもしれない。特に“機神”に関する知識がな」
オレフはエルマの瞳を凝視する。
「君と俺が同じ場所に居る必要はない。君は大公閣下の許で、俺は一族の許で研究を続ければいい。“機神”を消滅させたいという最終目標は一緒だ。ならば、それが一番、効率的だ」
「利用されかねないわよ! それにいつかは対立する事にも──」
「君の封印した研究が利用されないか心配しているのだろう? それは約束した通り、口外するつもりはない」
エルマが険しい顔を向けた。
「あんた! それだけのためにうちが引き留めようとしたと思ってるの!?」
「いや。だが、俺は君と別の道を行く。どちらかが間違っていても、どちらかがそれを止めればいい」
オレフの決意が揺るがないのを悟ったエルマは黙ったが、最後に思いっきり両手で机を叩いた。
「だったら勝手にするといいわ! このバカッ!!」
エルマはそう言うと乱暴に扉を閉めて出て行った。
いつも飄々としていた彼女がここまで感情的になった姿を、オレフは何年も付き合っていたが初めて見た。
そして、それが学院で二人で話をした最後の機会だった。
「姉さんは寂しかったんですよ」
マリエルは言った。
この後、エルマたちは大公に招かれ、その研究所に務めることになる。
オレフもフィルディング側に招かれたのまでは分かっていたが、その後はほとんど交流することはなかったのだ。
「姉さんは妹のうちから見ても天性の人です。だからこそ、そんな自分と渡り合えるオレフさんは最大の理解者でした。腹を立てたのもそうです。唯一の理解者と対立したままそっぽを向かれたと思ったから、オレフさんにも自分にも腹を立ててしまったんです」
「思えば彼女とは喧嘩と研究の言い争いしかしてなかったがな」
「それができるほどの理解者だったんですよ」
マリエルは立ち上がった。
「オレフさん、袂を分かった後、何があったのですか? 姉さんと約束して封印していた『相克欠陥』理論を利用してまで“機神”の力を手に入れた理由は何なのですか?」
オレフは手にする黄金の槍を見つめる。
「……あれから俺はフィルディング一族側の科学者として研究に加わった。それに深く関わるにつれて、やがて“機神”が彼らによって管理されていることを突き止めた」
「その時点で抜け出そうとは思わなかったのですか?」
「知ったうえで俺はそこで研究を続けた。“機神”を消滅させる方法を模索するには、そこが一番の舞台と思ったからだ。しかし一族の実態を知るにつれ、かつてのフィルガス王のように“機神”が悪用され、暴走されるのではと危惧するようにもなっていた。そんな時だ。ウルシュガル司祭長と出会ったのは──」
オレフの目が険しくなる。これから戦わなければならない相手との出会いを思いだしたのだろう。
「ウルシュガル司祭長は一族本流との戦いのため内偵を進め、その時に俺の事も知った。あの人は自ら俺の許を訪れると、自身が継承する予定の“機神”の制御装置を見せたんだ。そしてこう言った──『これを埋め込む前に複製を作って欲しい。もし、それに成功したら同志となり、一緒に一族と戦わないか』とな」
「それを受けたのですね」
「司祭長は“機神”によってフィルディング一族が暴走することを危惧し、一族本流との戦いを決意されていた。もっとも、あの人には他に個人的な動機もあったのだが、それも含めて俺はあの人を信頼し、仕える道を選んだ。それからは俺は司祭長の密偵として活動していた」
「全ては司祭長の計画のためにですね」
「司祭長はすでに“機竜”の操縦装置を入手し、“機竜”を呼ぶ事も可能だった。俺たちはそれを利用して計画を練った。“聖域”の構造を調べ、トリスが第二のラクルに相応しい都市と算定し、ブランダルクの王女が〈ガラテア〉という事実も知れば、それを利用して“機竜”を誘導する方法など、必要と思えることをできるだけ考案した。だが、それだけでは“機神”を擁する一族本流との戦いには不足だった」
「だから、“機神”の複製までも作ろうとされたのですか?」
オレフが黙ってうなずく。
「計画の準備の間にも、俺は個人的に『相克欠陥』の研究を続けていた。司祭長の計画が発動する直前にはほぼ理論式は完成させ、実際に利用できそうな“原初の特異点”も発見した。“機神”の一部も手に入れて、それを利用した“機神”の複製の設計もした」
「……でも、ここの資料を見た限り、それだけは最後まで迷っていたように思えます」
「そうだな。司祭長と俺は“機神”を封印する更なる仕組みを作ろうとしていた。しかし、それを実現させるためとはいえ、“機神”の複製を作るのは、俺と司祭長の二人で管理するとしても抵抗はあった。エルマなら本末転倒だと一蹴していただろう」
「でも、最終的に貴方はそれに踏み切った。ちょうど“機神”と“黄金の鎧の勇士”の戦いがあった直後です。そして司祭長を裏切り、自らの計画を練り始めたのもその頃です。男爵のあの戦いがオレフさんを決断させたのですね」
オレフも立ち上がった。
「そうだ。俺はいままでの研究を司祭長に打ち明け、その助力を得て“機神”の複製を製作した──《アルターロフ》は元々、古代エンシアの基幹として破壊されないための自己修復機能を有していた。その一部にも人の遺伝子のように機能の情報が組み込まれている。ただし、中心となる“核”と繋がらなければそれは機能しない。だから俺はその“核”の代わりを製造した。“原初の特異点”を囲むように“機神”の一部を利用した装置を配置し、そして“原初の特異点”に魔力を集中し、“闇”の特異点へと変えた」
「かつて《アルターロフ》内部で起こった特異点発生を“機神”の一部を利用した装置内部で再現したのですね」
「それによって“機神”の欠片が本体と同じように“闇”と繋がり、“機神”と同等の機能を持つ複製として機能するようになった。俺の疑似“機神”能力はそれと制御装置を共に埋め込むことで実現したものだ」
マリエルは俯いた。
「……正直、それは科学者としては凄まじい業績だと思います。でも、それによって多くの犠牲と混乱を生みました。それを認めることは──うちにはできません」
「認める必要はない。俺は俺自身の計画実現のために動いている」
オレフがきっぱりと答えた。
「“黄金の鎧の勇士”の存在を知った時、俺は彼らに賭けることを決めた。本来の計画でもユールヴィング男爵が“機竜”に挑むことまでは想定していた。だが、彼らといえどもあの“機竜”に勝てる見込みはないと思っていた。それでも、その予想を覆して彼らが“機竜”との戦いに生き延びることができたのなら、その時は俺は司祭長から離反して自らの計画で動くことにしていた」
そして、オレフがマリエルにこの戦いでの真の目的を告げる。
マリエルは黙って聞いていたが、やがて訊ねた。
「やはり、オレフさんはそのため……ですが、もし男爵や姉さんが貴方の期待通りにならなかったら──」
「その時は俺が“機神”の監視役となろう。再び“機神”を破壊するに相応しい者が現れるまで、いつまで時が過ぎようが待とう」
オレフは微かに笑みを向けた。
「だが、きっと大丈夫だ。“狼犬”は俺の望み通り、俺を倒してくれるはずだ。そしてエルマが俺の跡を引き継いでくれるだろう。俺の見えざる同志もそう告げている」
オレフは革手袋に包まれた左手を握りしめると、右手に握る槍の石突きで床を叩いた。
床に魔法陣が出現する。
「伝えたいことは伝えた。そろそろ俺は行こう──君も元気でな。近辺に古代兵器がいるかもしれないが君を襲うことはない。ここから帰り、そしてエルマの力になってやってくれ。頼む」
そう告げてオレフは魔法陣の中央に立つ。
「待ってください!」
マリエルは呼び止めた。
「姉さんに伝えておくことはありますか?」
オレフは背中を向けて答えた。
「ならば、エルマに伝えてくれ。君は人が“機神”の力を手にすれば悪用されると怖れていた。しかし、過ちからしか手に入らない成功もある。愚かな悪党の行いから為し遂げられる正義だってあるものだ。君はもう少しだけ人の愚かさを認めるべきだ──とな」
オレフは振り返る。
「この近辺はいずれ、俺とユールヴィング男爵の戦いの舞台となるだろう。できるだけ遠くに避難してくれ」
「オレフさん!」
オレフの姿が消えた。
彼自身がつけるべき決着のため、そして勇士との対決に向かうため──
地中を潜行する《グノムス》の内部。
妖精ダロムは治療装置の調整を続けていた。
(やはり、勇士の肉体は今回の戦いで著しく消耗しておる。これからの決戦、勝ち残ったとして果たして──)
治療装置の計器から勇士の状態を診ていたダロムだが、そこから離れるとマークルフたちの居る空間へと移動する。
マークルフとリーナの二人は狭い空間に寄り添いながら眠っていた。
治療の疲れと来たるべき決戦に備えた、束の間の休息だ。
(“機竜”との戦いで瀕死だっだところからここまで持ち直したのだ。それだけでも幸運というべきなのじゃろうが──)
古代装甲は装着者の肉体に過度の負担を強いるため、装着者は使い捨てに等しい扱いだった。
そして古代装甲を再現した戦乙女の“鎧”とて、その度合いは違えども例外ではない。
ダロムはリーナの姿を見上げた。
戦乙女として勇士を、一人の娘として男爵を支えてきた彼女の姿を見ていると、ダロムはいたたまれなくなる。
この娘はまだ事実を知らない。不安にはなっているようだが、大丈夫だという勇士の言葉を健気に信じているのだという。
機体内部が微かに揺れた。《グノムス》だ。
「二人を休ませてやれか。分かっておるよ……グーの字、本当はおぬしも辛いんじゃろう」
勇士の治療を進めればその肉体もさらに消耗する。それはいずれ主である少女に残酷な事実を突きつける時を早めることでしかない。自分の機体を利用して治療を進めていることは、心優しい鉄機兵にとっても複雑な心境に違いない。
それでも《グノムス》は決戦の舞台へ二人を連れて行くため、静かに移動を続けるのだった。




