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二人の天才と二つの“特異点”(1)

 “機竜”を追うため、マークルフたちは《グノムス》に乗って地中へと消えた。

 それを見送るエレナの後ろでエルマは考えていた。

(うちも残酷ね)

 エルマの推測が正しいければ、オレフと戦った時に本当に危険なのはマークルフではない。

 リーナ姫の方だろう。

 本当はそれを二人に伝えるべきだったかもしれない。

 しかし、同時にマークルフたちはオレフと戦わなければならないとも思っていた。

 避けられない対決ならば、マークルフたちの決意が鈍らないように敢えて何も忠告をしない事を選んだのだ。

「あ、姐さん……」

 エルマが振り返ると、そこにはアードとウンロクがいた。二人とも疲労困憊でヨレヨレの姿だった。

「二人とも無事だったみたいね」

「まあ、なんとか──」

「じゃあ、続きを始めるわよ。“門番”の再起動と魔力の充填を急いで」

 エルマが二人の間を割って、残っていた整備途中の“門番”へと向かって行く。

「どうするんですかい?」

「もちろん、男爵たちを追うためよ」

 アードとウンロクがそろって驚く。

「姐さんがですか!?」

「“機竜”がいつ墜ちるかも分からないですぜ!」

 エルマが振り向き、腕を組んだ。

「うちも逃げるわけにいかないのよ。それにフィルディングの姫様もそのつもりよ。“門番”も何人も移動できないし、あんたたちは留守番ね」

 二人は顔を向き合うが、やがて“門番”の方に向かった。

「……しょうがないっすね」

「そうだな。変な場所に飛ばされないように整備はきちっとしておかないとな」

「あんたたち、来るつもり?」

「僕らも行くだけの余裕はあるはずっすよ。それにここだけの話、オレフさんが何しようとしているかは興味がありますからね」

「あいつとは学院時代からの腐れ縁だしな。身内の不始末はこちらで片付けませんとね」

 二人が“門番”の整備を再開するのを見て、エルマはそっと微笑む。

 そして、オレフの言葉を思い出していた。


『君もまた、この時を導いた当事者なんだ』



 マリエルは一冊の書物に目を通していた。

 オレフにより地下室に軟禁されてから、ここに残された資料をマリエルは読み漁っていた。

 今になってはっきりしたのは、ここはオレフが秘密の研究をするため用意した隠れ家なのだ。

 ここで行われた研究や調査の資料は管理されたまま残されており、マリエルはようやく彼の意図を突き止めようとしていた。

 いま手にする書物は彼の研究の最も新しい記録である。

 そこで言及されていたのは一年以上前にクレドガルで繰り広げられた“機神”と“黄金の鎧の勇士”の戦いだ。特に調べていたのは“勇士”についてだ。

(さすがだわ……当時の時点ですでに黄金の“鎧”の正体を見抜いている)

 オレフは戦乙女の性質、古代文明の鎧、その均衡を維持する“聖域”の力があれば特殊な力が発動する可能性を突き止めていたのだ。

 だが、資料はそこで終わってはいない。

 その後に新たな仮説が加えられており、それを読んだマリエルは驚愕する。

(これが、オレフさんの本当の目的──)

 それにはブランダルクに封印された“神女”の存在も記されている。

 しかも、“神女”とすでに何かの契約を結んでいるようだ。それは本来の計画にはない、彼独自の計画であった。

(しかし、ここまでして何を──)

 マリエルは頭を悩ます。

 オレフの目的と手段は理解できた。しかし、肝心の理由が分からない。それが分からない限り、オレフの計画を全て暴いたことにはならない。

(姉さんなら分かるかもしれない……いえ、オレフさんは最初から突き止めることを望んでいるのかもしれない)

 そうでなければ手がかりとなる資料の山をわざわざ残したりはしないはずだ。

 扉の鍵が開く音がする。

 振り向いたマリエルの前にオレフが立っていた。

「どうやら、俺の計画までは調べたらしいな」

 《戦乙女の槍》を手にしたまま、オレフがマリエルの前まで近づいてくる。

「君を解放する。ここにある資料も持って行ってくれ。どれが必要かは君がもう調べているはずだ」

 オレフは手近な椅子に腰掛ける。

「……うちをここに閉じ込めていたのは、自分の研究を理解させ、姉さんのところに持って行かせるためだったのですね」

「俺も研究を続けられなくなるかもしれない。引き継いでくれる人間を探していたが、やはり君たち姉妹しか思い浮かばなかった」

 二人の間に沈黙が流れる。

「少し休んだら、俺は出る。もう君の前にも戻ってこないだろう。今のうちに訊ねたい事があるなら聞こう」

 マリエルも自分の椅子に座り直した。

「昔みたいですね。学院時代、後輩としてオレフさんにはよく教えていただきました」

「君は勉強熱心だった。それに応えただけさ」

 オレフが言った。一瞬だけ、昔の彼の姿を垣間見た気がした。

「──でしたら、教えていただきたいことがあります」

 マリエルは姿勢を正し、訊ねる。

「貴方の疑似“機神”能力はきっと、姉さんが予言していた『相克欠陥』を利用したものだと推測しています。姉さんとの間に何があったのですか? そして、姉さんに何を託そうとしているのですか?」

 オレフはマリエルの真剣な眼差しを受け止めると、やがて口を開いた。

「分かった。君には俺の願いの全てを話そう」

「姉さんには伝えているのですか?」

「必要なかった。彼女はもう気づいている」

 オレフは昔を思い起こすように机に広がる資料を見つめた。

「君の推測通り、俺はエルマの理論を利用した。ただ、一つだけ違っているところがある」

「それは何ですか?」

「エルマは存在を予言しただけで理論式が完成できなかったと伝えていたのだろう? だが、違う。理論式はほぼ完成し、それを実証して“原初の特異点”そのものまで発見していた──そして、その事実を研究ごと葬り去ったんだ」



『──俺は君と別の道を行く。どちらかが間違っていても、どちらかがそれを止めればいい』



 北方の都市ラクル。

 過去の“竜墜ち”に見舞われた悲劇の地であったが、人々はそれを乗り越え、墜ちた“機竜”の骸の研究を糧にすることで復興し、一大学術都市として“聖域”に名を知られるまでになっていた。

 都市の中心にある学院では今日も、若き学生たちが科学者となるべく研鑽に励んでいる。

 制服を纏い、通路を歩く若きオレフもその一人だ。

 彼は学院に籍を置く者たちの中でも一目置かれ、若くして頭角を現そうとしていた一人だった。

「オレフく~ん、そこに居たんだ。探しちゃったよ」

 甘えたような少女の声がし、オレフの腕に背後から彼女の腕が絡まる。

 制服姿の彼女はオレフの肩に顔を預け、一緒に並んで歩く。

 傍から見れば仲の良い恋人同士だろう。

(またか)

(ごめんごめん。一緒に歩くだけでいいからさ)

 オレフは黙って少女と一緒に歩いた。

 やがて、少女は周囲をうかがうとオレフから離れ、面倒くさそうに首をほぐす。

「諦めてくれたようね。はあ、しんどい」

「また誰かに言い寄られたのか、エルマ」

「そんな気配がしてさ。先手を打ったのよ」

 エルマがあっけらかんとしながら答える。

 おそらく、彼女に恋した男子学生が近くにいたのだろう。その度に虫除けのように利用されるのが、オレフの日常生活の一部となっていた。

「相手があんたなら、たいがいの奴は諦めてくれるからさ。ありがと」

 エルマはそう言ってオレフに手を振ると、姿勢を正してその場を去っていく。

 その姿は学院きっての才媛と謳われるだけあり知性的な魅力にあふれ、飾り気のない美貌に一役買っている。それだけに意中になる男子学生も多い。

 もっとも、それは学院生活に便利という理由だけで演じている借り物の姿に過ぎない。エルマの本性を知るオレフには理解しがたいことであった。



 オレフは研究棟の自分の部屋に戻った。

 学院での成績と研究を認められた彼は研究棟に自分の部屋を割り当てられるまでになっていた。

「おかえりなさーい」

 鍵を開けると奥からエルマの声がした。

「……」

 オレフは黙って扉を閉めると自分の部屋に入る。

 書斎兼寝室である部屋の真ん中に毛布が敷かれていた。

 そこに下着姿のエルマがうつ伏せに寝転がり、両足を揺らしながら、楽しそうに本を読んでいる。その手元には彼が保管していた菓子とお茶が並べてある。

 完全にくつろがれていた。

 オレフは黙って椅子に腰掛ける。

「……どうやって入った? 鍵は掛けてあったはずだ」

「ウンロクちゃんに合い鍵を作ってもらったのよ。あの子、器用なのよね」

「なるほど、偽造させられたわけか」

 エルマが無視して、菓子を一枚、口に頬張る。

「それに前から言ってるが、なぜ君はすぐに服を脱ごうとする?」

「この方が落ちつくのよ。これでも気を遣って扇情的にならないようなヤツを選んでいるのよ」

「気遣う努力だけは認めるが、まずは努力の方向を全面的に見直せ。若い娘のすることじゃない」

「ジジくさいわね。だいたい、あんた学術書で自慰できる変態だし、努力する必要ないじゃん」

「ともかく出て行け」

 そう言うが、相手に出て行く気が全く感じられず、オレフは軽くため息をつく。

「だいたい、なぜここに居る?」

「ここが一番、資料の閲覧にはかどるのよねぇ」

「自分の部屋があるだろう。いつ片付けたのか分からない、散らかし放題の部屋がな」

「だって、どこに何があるか分からないし……最近、マリエルも片付け手伝ってくれないしさぁ」

「マリエル君に伝えてくれ。君はそろそろ姉との関係を整理した方が良いとな」

 エルマは黙って立ち上がると、書棚から取り寄せたばかりの本を取り出し、その場であぐらをかく。

「これ、読みたかったのよね。まだ出たばかりなのに揃えてあるなんて、さすがはオレフね」

「君のために取り寄せたわけじゃ──」

 オレフは机の上に置いてある自分の物じゃない資料に気づいた。それは複雑な理論と計算の跡でびっしりと埋まっていた。

 興味を持ったオレフは資料を手にとり、それに目を通していく。

 答えを求めて格闘した跡が滲み出るそれを吟味したオレフは、求めようとしている内容に気づき、息を呑む。

「エルマ。これは……『相克欠陥』についての物か」

「さすがね。それを見ただけですぐに理解できるなんてさ」

 エルマが本を閉じて立ち上がる。

「そのあんたを見込んで頼みたいの。一緒にその理論式の構築を手伝って欲しいのよ」

 エルマが机に両手をついた。見た目はふざけているが、その目はいつになく真剣だ。

「これだけのもの、あんたにしか頼めないの! お願い、手伝って!」

 エルマが手を合わせ、オレフに懇願する。

「……これを完成させれば間違いなく歴史に名を残す発見になる。君が自分の手で完成させるべきじゃないのか?」

「残念ながら、うちの力だけでは計算しきれないの。あんたはうち以上にこういうの得意でしょう? それに他人の研究を横取りするような奴じゃないとも思ってる。もちろん、完成したらあんたも共同研究者として発表するわ!」

 オレフは資料と睨み合いを続ける。

 オレフが知るなかで最も天才と思うエルマが挫折を感じるほどだ。この理論の構築は困難を極めるだろう。いや、そもそもこれが正しいという保証もなく、膨大な労力を無駄にして失敗に終わる可能性もあるのだ。

「分かった。付き合おう」

 それでも、オレフは承諾する。

「本当!? ありがとう、感謝するわ!」

「君のためじゃない。これを見せられたら、どうしても俺も挑んでみたくなった」

「やっぱりね。あんたなら、きっとそう言うと思っていたわ」

「そう思うなら服を着ろ。これからこれを複写させてもらう」

 その時、部屋の扉が遠慮がちに叩かれる。

「すみません。オレフさん、いらっしゃいますか?」

 外から少女の声がした。

「待ってくれ。鍵を開ける」

 オレフが出迎えに行くと、エルマはぎょっとして部屋の奥に身を隠した。

 オレフが扉を開けると、そこには制服を纏う少女が立っていた。オレフたちの後輩として学院に籍を置くエルマの妹マリエルだ。

 マリエルはオレフが貸した本を両手で大事に持ちながら、緊張した面持ちでいた。

「やあ、君か」

「お借りしてた本をお返しに来ました。ありがとうございました」

「早いな。別にもっとゆっくり持っていてくれても構わなかったのに──」

「いいえ! オレフさんが記してくれたメモがあったので、すごく分かり易かったです!」

 マリエルはオレフに本を手渡すと、礼儀正しくお辞儀する。

 マリエルの表情が変わった。部屋の中に放ってあるエルマの靴に気づいたのだ。

「……あ、あの、オレフさん。ひょっとして姉さんが──」

「ああ。奥にいる」

「そ、それは……その、交際的な何かがあって──」

「そんなものじゃない。勝手に上がり込まれただけだ」

「そ、それじゃ、またご迷惑を──」

「もう慣れているけどな」

 マリエルが握りしめた拳を震わせる。

「すみません。ちょっと、姉さんと話をしたいので、少し待っていただいてよろしいですか?」

「ああ。構わん」

「……失礼します」

 マリエルが部屋に入り込むと、オレフは背を向ける。

「……姉さん」

「や、やあね! よその部屋でそんなに拳を震わせるものじゃないわよ」

「そのよその部屋で、なんでそんな格好でいるのよ?」

「ご、誤解よ! あんたの憧れの人を誘惑しようなんてこれっぽっちも考えてないから! だいたい、あいつは女性の裸よりも辞書に興奮する変態だし──」

「この……バカ姉貴ぃッーーーー!!」

 マリエルの怒声と何かが叩きつけられる音がしたが、オレフは敢えて考察はしなかった。



「……こいつはひどいっすね」

「ああ。相当の怨恨だな」

「妹さん、用意したご飯の味付けにダメ出しされて姐さんに腹を立ててましたからね」

「決まりだな。憧れの人との逢瀬にも水を差されて、堪忍袋の尾がぶち切れたようだ」

 ズタボロになって担架に乗せられたエルマにシーツを被せながら、大柄と太めの少年たちが会話をしていた。

 学院で不遇の扱いだったが、エルマがその才能を見いだして拾い上げた子分たちだ。

「アードさん! ウンロクさん! どうでもいいから早く姉さんを連れてって!」

 マリエルが怒鳴ると、二人は担架を担いでエルマを運び去っていく。

「本当にすみませんでした! 姉にはうちからきつく言っておきますので──」

 マリエルが半泣きになりながらオレフに何度も頭を下げる。

「気にすることはない。君も大変だな」

「し、失礼します!」

 マリエルたちが去っていくのを見送ったオレフは部屋に戻ると、机に座ってエルマの残した資料の検証を始めた。

 世界の理は三種の力によって成り立っている。

 “光”の輝力と“闇”の魔力。そして両者の均衡を維持する“大地”の霊力だ。

 元々、これらは一つの力だったが、原初の時代の終わりに分化したとされる。

 それ以降、世界の法則はこれらが天秤のように干渉することで成り立ち、この天秤の均衡は大きく傾くことはあれど極端に振り切れることはないはずだった。

 その均衡は過去に一度、破綻している。

 古代エンシア文明の末期に建造された超弩級魔力炉──《アルターロフ》の発動だ。

 力の均衡作用によって魔力が不安定化し、文明維持が限界まで近づいたエンシアにとって、世界に送る魔力を安定させる《アルターロフ》は最後の希望だったが、それは世界の均衡を破壊する行為に等しかった。

 《アルターロフ》の稼働はその内部に極限まで魔力を集中させた。

 魔力の極限圧縮によって無限小の極微の空間で均衡が綻び、“闇”の深淵と繋がる特異点が発生してしまった。

 《アルターロフ》は“闇”の特異点と同調してその外殻となって暴走し、後に“機神”と呼ばれる存在へと変質したのだ。

 これが現時点で確認される唯一の“特異点”──均衡の破綻だ。

 だが、科学者たちの間では別の“特異点”の存在も予想されていた。

 “機神”がエンシアを壊滅させた時、その暴走を止めようと“光”の頂点に立つ“神”もまた地上に出現した。

 “神”と“機神”が戦い、“神”は“聖域”を作ることで“機神”を封印することに成功した。その際、光と闇の極限存在の衝突によって、均衡が破綻した空間──原初の力へと還元され均衡の影響を受けない“原初の特異点”が発生したと予想された。

 これが『相克欠陥』と呼ばれる理論だ。

 この未知の特異点は無数に発生したとされるが、それは極めて不安定で、発生と同時に消滅するか、極めて微少な空間に折り畳まれて認識すらできないかのどちらかとされた。

 その一方、相克欠陥は現在も確認できる形で存在すると考える学者たちも少なからずいた。“聖域”という特殊な空間なら存在できるのではないかと考えたのだ。

 ただ、それは学会では異端の学説であり、オレフもどちらかと言えば懐疑的であった。

 しかし、目の前にあるエルマの資料は不可能と思われたその発生過程を説明しようとする理論だった。

 これがもし完成すれば、実際に未知の特異点を探す方法も考えられる。オレフとエルマは“聖域”が織りなす霊力の流れについても研究しており、この両者の研究を組み合わせれば、“聖域”内に現存する相克欠陥を発見できる可能性も出てくるのだ。

 オレフは自らの手が震えているのに気づいた。

 これが完成すれば長年の議論に終止符を打ち、今後の研究の方向にも多大な影響を与える重大な発見となる。

 オレフは資料の複写を始めた。

 もし、これが完成してもオレフは共同研究者として名を並べるつもりはなかった。エルマの理論式を見なければ、オレフもこの可能性には気づかなかったかもしれないからだ。

 あくまで検証者として、この理論の実証に貢献する。

 その静かな情熱が、筆を執る彼の手を動かしていた。

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