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運命と呪縛

 クレドガルの若き国王ナルダークは王城の窓から外を眺めていた。

 視線の向く先は城下街の先の荒野。

 現在、“機神”が眠っている立入禁止区域だ。

「──何かが起きているのかもな」

 ナルダークがそっと独り言のように呟く。

「大公様の件でございますか?」

 後ろでお茶の用意をしていた若き王妃が言う。

「私は存じ上げませんが、大公様から詳しいご説明を受けられたのではありませんか?」

 ナルダークは大公バルネスから立入禁止区域に行く許可を求められ、その目的と理由も説明を受けていた。それは驚くべきものであったが、事の重大さもあり、バルネスを信頼して許可していた。

「ああ。だが僕が言っているのはそれとは別さ。ユールヴィングとフィルディングの因縁に何か変化が起きているような気がしてね」

 ナルダークは王妃の用意した紅茶の注がれたティーカップを受け取る。

「何かあったのでございますか?」

「今回、大公殿にフィルディング一族の最長老が同行している」

 王妃が驚く表情を浮かべた。

「ユーレルン老でございますか?」

「知っているのか? そうだな。君の生家もフィルディング一族の流れを汲んでいたな」

「一族の関係者で最長老の名を知らぬ者はおりません。しかし、大公様が最長老と同行しているなんて……」

 大公バルネスは初代“戦乙女の狼犬”ルーヴェンの戦友であり、現当主である若きユールヴィングの後見人だ。その大公が仇敵であるはずのフィルディング一族の最長老と同行している。

 それはいままで考えれなかったことだ。

 それだけブランダルクで起きている異変が脅威なのかもしれない。

 だが、同時にそれがきっかけに何かが変わり始めているような予感がナルダークにはあった。

「ユーレルンとはどのような人物か、君は知ってるのかい? あの長老は表舞台には出ないからね。僕も何度か話をしたぐらいの面識しかない」

「私も詳しくはございません。ですが、フィルディング一族への忠義と献身であの方の右に出る者はなく、私心を捨てて一族の繁栄の為だけに生きてこられたそうです」

「なるほど。野心や金では動かせない、ある意味で最も手強い人物っぽいな」

「そうかも知れません。一族の者もあの方を敵に回すような事だけはしないそうです」

 王妃がナルダークからカップを預かる。

「出過ぎたことかも知れませんが、私は思うのです。ユールヴィング卿とフィルディング一族の間で上手く和解してくれれば良いと──」

 ナルダークが意表を付かれた顔を浮かべた。

 一族出身の彼女が王妃として選ばれたのは一族の働きかけがあったからだ。王妃が世継ぎを生めば、フィルディング一族はクレドガルにはっきりとした権勢を固めることができるのだが、いまだに二人の間には世継ぎは誕生していない。そのために王妃は辛い立場にいた。その境遇をナルダーク自身もどうにもできず心を痛めていた。

「私も一族の思惑の道具として生きてきました。ですが、陛下に嫁ぐことができたことは嘘偽りなく幸福に思っております。ですから思うのです。誰の血を引いているかでも、出自の一族の立場にも縛られることのない、新たな未来を築ければそれで良いのではないかと──」

 王妃は微笑む。

「……そうかもしれないね」

 愛する王妃の笑みを見つめながらナルダークは頷いた。

 ユールヴィングの血統とフィルディング一族の歴史。

 フィルディング一族は終焉させるにはあまりに大きく、若きユールヴィングも今後のクレドガルに必要な逸材だ。

 どちらかが敗北して暗い未来となるよりは、どのような形でも和解の未来の方が良いのかもしれなかった。



 バルネスは設営された天幕の中から、目の前にそびえる巨大な鋼の像を見つめていた。

 円形の甲殻と鋼糸で編み上げられた、翼と両腕を持つ上半身の巨人。

 古代エンシアが遺した世界の災厄──“機神”の姿だ。

 かつてのマークルフとの戦いで半壊していたはずだが、その傷跡はほぼ残っていなかった。エルマに言わせれば、へこんだゴム鞠が元に戻るようにあるべき姿に戻っただけらしく、それ以上の再生も活動もないらしい。

 だが、こうして眺めていると、いまにも動きだしそうに思え、かつての過去の記憶も思い出される。

 “機神”が暴走しかけた数十年前のフィルガス戦役。多くの犠牲を出したあの戦いに生き残ってから、バルネスはこの災厄と対峙する道に生涯を捧げてきたのだ。

「──かつて、わたしは当時のフィルガス王に従い、あの“機神”を復活させるために暗躍してきました」

 隣にいた車椅子のユーレルンが呟く。

 二人の周りは人払いをして誰もいないが、他の者が聞けば国中がひっくり返るような問題発言だ。

「フン。貴様に何度、命を狙われたことか。確信があるだけでも片手では足りん。儂でそうだ。ルーヴェンはもう数えてもおらんかった」

 バルネスはため息をつく。

「それが共に“機神”をこうして眺めているとはな……時代も変わったものよ」

 バルネスとユーレルンの部隊は“機神”を利用するため、合同でここにやって来ていた。

 ユーレルン側の作業をバルネス側が監視するという形だ。

 作業はひとまず完了しており、ブランダルクに派遣したというユーレルンの孫娘が今後の動向の鍵を握っていた。

「……わたしはもう必要ないのかもしれません。ですが、その前に後を託す者を助けられるだけ助けてやりたいと思いましてな。大公様、ブランダルクの件が上手く収まれば過去の恨み辛みはいつでも清算致しましょうぞ」

 バルネスは鼻で笑った。

「老いぼれの命をいまさらもらっても仕方ない。それに愚直な人間へ恨み言を吐いた所で疲れるだけだ」

 バルネスは用意していた椅子に座った。

「ユーレルン、最後の奉公をする時が来たということか」

 ユーレルンのシワだらけの顔が険しくなる。

「貴様は一族の為ならどのような手段も厭わぬ男だった。その貴様が自分を必要ないと考える時、それは貴様自身が一族を見限った時だけだろう。必要悪を自認しながら必要なくなってもその座にしがみつく輩は多い。だが貴様は必要なくなれば全ての秘密を道連れに消えていくことを選ぶ、数少ない本物の愚直な悪党だ」

 バルネスは椅子に身体を預けた。

「何が貴様の心境を変化させたかは訊かぬ。どうせ答えぬだろうしな」

 ユーレルンは黙ってうなだれる。

「だが、あの孫娘はどうするのだ? 貴様自身が不要と感じる役目をあの孫娘に託すのか?」

「……それはエレナ自身に決めさせようと思います。ただ、わたしに似て堅物のエレナが少し変わってきたように思えましてな」

「貴様に似ないなら結構な事ではないか」

「──かも知れませんな。若きユールヴィングに出会ってから、あの若者が気になっておるようです。わたしと同じように、あの娘も現在の一族にない何かに惹かれたのかもしれません」

 バルネスが目を閉じた。

「ルーヴェンが訊いたら、何と思うかの」

「あの世とやらで会うことがあれば、一度じっくりと酒でも酌み交わしてみたいものですな。因縁の敵でしたが、その立場がなければ腹を割って話をしてみたかった御仁でした」

 二人が過去に思いを馳せていたが、やがて“機神”の顔とも言える巨大な球面の甲殻に輝きが宿る。

「──来たか!?」

 バルネスが立ち上がり、ユーレルンの目が見開かれる。

 “機神”が微かに身じろぎし、やがて甲殻の光も消えた。

「どうやら、対決が始まったようだな」

「そのようです──次の魔力装填を急げ」

 ユーレルンが遠くに控えていた部下に次の指示を与え、両者の部隊は忙しく動き始める。

 バルネスとユーレルンは共に祈った。

 マークルフとエレナ。それぞれに使命を託した若者たちの無事を願いながら──



 魔力を照射される《グノムス》の中で肉体の回復を急ぐマークルフは、リーナに支えられながら蘇生に伴う苦痛に耐えていた。

「じいじ、男しゃくさん、すごく痛そうだよ。だいじょうぶなの?」

「うむ……どうじゃ? 少し魔力の照射量を落とすか?」

 頭上の壁からダロムとプリムが頭を出し、マークルフの様子を眺める。

「……大丈夫だ。何なら、もう少し照射を強めてくれてもいいぜ。地上がどうなってるか、気になって仕方ねえ」

「気持ちは分かるが、効率を考えればこれが最適量じゃ。しばらく辛抱してくれ」

「プリムが外の様子をみてくるよ!」

 プリムが言った。

「危ないぞい! 外はいつどうなるか分からんのじゃぞ!」

「だいじょうぶだよ。地中からでないから! まっててね!」

「プリム! すぐ戻ってくるのじゃぞ! いつぞやみたいにお腹を空かせて地中に戻れないような事にだけはならんようにな!」

「わかってるよ! グーちゃん、お留守ばんしててね」

 そう言ってプリムはどこかに消えてしまった。

「プリムちゃんも皆の役に立ちたいんでしょうね」

 隣でリーナが微笑む。

「……なあ、妖精のジイさん」

 マークルフは残ったダロムに話しかける。

「あんた、古代エンシア文明が存在した頃から生きてるんだろ?」

「そうじゃ。こう見えてワシより長生きはそうそうおらんぞい」

「その長生きに前から一度、訊いてみたいことがあったんだ。ただ待ってるのもあれだ。付き合ってくれるか」

「何じゃ? ワシで答えられることならな」

「“機神”の目的はいったい何なのか知ってるか? 俺も“機神”については長年、いろいろと調べてきた。だが、奴の目的についてはさっぱり分からん。“機神”が暴れて破壊するところしか、俺たちは見たことがない」

 “機神”は数百年以上も昔、エンシア文明の末期に誕生した。

 当時の“機神”はエンシアの兵器を支配し、エンシアを滅ぼした。

 エンシア王女だったリーナが当時の記憶を持っていたが、彼女は“機神”が無差別にエンシアを破壊するところしか見ていない。

 時が過ぎ、数十年前のフィルガス戦役でも“機神”は復活しかけ、一年前もクレドガルで復活しかけた。

 それらは当代の“戦乙女の狼犬”によって止められたが、どちらの時も“機神”は暴れるだけで明確な目的をもった行動は見せなかった。

「“機神”はただ暴れているようにしか見えねえ。だが、ただ暴れるにも何か理由や目的があるはずなんだ。長生きのジイさんなら何か知ってると思ってな」

 ダロムはそれを訊くと腕を組んだ。しばらく考えていたが、やがて答える。

「難しい質問じゃのう。奴は“闇”の深淵と直結した存在じゃ。奴の存在理由は“闇”の本質から推測するしかない。もっとも、“闇”の本質を完全に理解する者などおらん。ワシもある程度でしか話せん」

「それでも構わん、訊かせてくれ。こう見えて年長者の意見は……尊重するんだぜ」

 マークルフは冗句で答えるが、その軽口にいまも全身を駆け巡る苦痛への呻きが交じる。

「まず、この世界は“光”と“闇”、そして“大地”の三つの力が天秤のように関わって働いておる。“大地”が均衡を司るように、相対する“光”と“闇”もそれぞれ天秤に対して司る働きがある」

 ダロムは話し始めた。

「“光”は天秤を留めるように働き、“闇”は天秤を揺らす方向に働く。そして“光”は自ら選びし者に力を与える」

「……なるほど。戦乙女が選んだ勇士の武具になるのも“光”の性質というわけか」

 マークルフが隣に寄り添うリーナを横目に見る。

「そうじゃな。逆に“闇”は求めし者に力を与える。人々がより良い生活を求めて魔導科学を生みだし、その機械の動力が“闇”の魔力であったのもそれで説明できるじゃろう」

「“闇”が人々を助けていたってか? 冗談じゃねえな。“機神”を誕生させて世界規模でエンシアを壊滅させてるじゃねえか」

「いまに思えば人々は利用されていたのかもしれんのう。結局のところ、エンシア文明の営みと歴史そのものが“機神”を誕生させるための遠大な儀式だったと思っておる」

「魔導文明という餌を与え、“機神”が誕生したらもうお払い箱だから滅ぼしたってか」

「最初からエンシアの民は利用されていたと──」

 リーナが訊ねる。

「エンシアの民が文明の行き詰まりを受け入れて別の道を模索すれば“機神”は生まれなかったじゃろう。もっとも文明や知識を捨てることなど、できはせん。知識や技術、才能というのはそれなしで生きられないという意味では呪いのようなもんじゃ。結局、人間は自ら破滅を選ぶしかなかったのじゃ」

 リーナが悲しげに目を伏せる。

 エンシアの終焉という惨劇を目の当たりにした彼女にとって、ただ利用さされていたという事実はさらに悲しみを増すものでしかないのだろう。

「それで誕生した“機神”は何をしようとしている? 世界が滅亡するまで破壊するつもりか?」

「エンシアを滅ぼし、世界を脅かし、人々の前に恐怖の運命として消えることなく悠久の時を存在し続けている。その間に人々の間にも“機神”の力を求める者が現れはじめた。フィルディング一族がその代表じゃな」

 マークルフは鼻で笑った。

「ジイさんの言葉通りかもな。“機神”を擁することでそれに縛られているという点では奴らは良い見本かもしれねえな」

「“闇”は自らを求める者を求めるのじゃ。世界には“機神”に魅入られる者が現れており、すでに“闇”の思惑は進行しているのかもしれん。ただ“機神”が世界に存在し続けているということ──それもまた、“闇”が世界を蝕むための儀式なのかもしれん」

 ダロムは言い終えるとマークルフを試すように睨んだ。

「人を呪縛する“闇”と戦うこともまた呪縛かもしれん。そなたはそれを承知で最後まで戦うのか?」

 マークルフは不敵に笑った。

「どこぞの司祭長と同じようなこと言いやがるな。いくらでも戦ってやるさ。この身体が治ったらな──」

「そうか。ならばワシも及ばずながら手伝わせてもらうぞい。いつか、そなたの──いや、勇士と戦乙女の戦いが報われる時が来ることを祈るぞい」



「……まんまと君の罠に嵌まってしまったわけか」

 オレフが自分を取り囲むエルマたちを見回した。

「そうか。クレドガルの“機神”を動かしたか」

 オレフがエレナが指にはめた指輪を見て言った。

「その指に使われた宝石はおそらく信号の増幅器。本国まで信号を増強して送ったわけか」

 エレナ、いやフィルディング側の切り札──それは“聖域”の中心クレドガル本国に眠る“機神”そのものだった。

 エレナは自身の制御装置の信号を指輪の増幅器を用いて強め、本国の“機神”まで送信した。

 本国側でもすでに“機神”に必要な分だけ魔力を投与し、その命令を実行させるだけの準備を整えていた。

 エルマはそれを知り、一計を案じていた。

 オレフの大まかな位置を突き止め、それを基にエレナは“機神”に命じた。

 オレフの支配する“門番”を乗っ取り、こちらに彼を転送するように命じたのだ。

「そちらの“門番”か、俺の“門番”を利用し、俺の近くに移動するか、逆に俺を転送させる計画だったか」

「各地の古代機械へ幾つも信号が発信されていたのは捉えていた。それが急に途絶えたから、トリスに来てると思っていたわ。信号の発信源として探知されることを恐れたのでしょう?」

「そうだ。相手が君なら当然、突き止めてくるとは思っていた。しかし、なぜ俺の居る位置が分かった?」

「貴方が槍を探したのと同じ方法。トリスに流れ出している魔力の流れから推測したわ。大まかな位置さえ分かれば、後は“機神”自体の能力であんたの“門番”は瞬時に探られる」

「なるほど、な」

 オレフが手にした槍を見つめる。

 《戦乙女の槍》自体はあらゆる力に干渉されない。魔力の流れが激しい現在、この槍がある所では流れに乱れが生じるのだ。

「とはいえ、この短時間でそこまで突きとめられるのは予想しなかった」

「正確な測定は貴方には負けるけど、大方の目星を付けるだけなら、うちの方が得意よ。忘れた?」

「……いや。俺が甘かったようだ」

 エルマに銃を向けられ、さらにエレナの護衛騎士たちにも包囲されたオレフはそう答えた。

「これまでだ。確かに貴様の制御装置は封印した」

 エレナが告げた。

「貴方が“機神”と同じ能力を持っていようが、制御装置を封じられれば何もできないでしょう」

 オレフがエレナに目を向けた。

「オレフ、まずはその槍を渡してもらいましょう。それは仮にもユールヴィングの家宝の槍です」

「それはお断りする」

 オレフは即答し、反抗の意志を見せた彼に騎士たちが身構える。

「この槍は持ち主が来た時に直接、返却する」

 エレナも緊張を秘めながらも表情を変えることなく続ける。

「この状況でもそこまで言うからには、まだ手札を残していると考えますよ」

「結構。できれば、この手札は最後にしか使いたくない。使うかどうかはそちらの出方次第だ。だが、一つだけ警告する。俺の力を封じ込めても“竜墜ち”の危機は続く」

 眉を潜めたエレナにオレフが向かい合う。

「おそらく、司祭長と俺の力を封じた後で、“機神”の能力を使って“機竜”を支配し、どこか安全な場所に移動させようという事だろう。だが、それは徒労に終わる」

「どういう意味です?」

「俺を封じた事で“機竜”の支配権は司祭長に移った。一瞬だけの命令では“機竜”は操れない。もしできるなら、俺の能力をいますぐ解放することを奨める。司祭長を止められるのは俺だけだ」

「それを間に受けるとお思いですか?」

「いずれ分かるが、分かるまで待っているのも惜しい状況だからな」

 オレフとエレナの間で睨み合いが続く。

 やがて、エルマがその間に割って入った。

「どのみち、あんたを野放しにはできないわ。その最後の手札とやらを見せてみたら?」

 挑発するようにエルマがオレフの前に立つ。

「でもね、手札というのはちゃんと投了のある遊戯の道具よ。あんたの手札は手の付けようのないイカサマじゃないの?」

「……ならば遊戯の醍醐味である心理の読み合いというやつでもやってみるか、エルマ?」

 オレフが苦笑したが、その双眸が真剣なものへと変わる。

「訊こう。なぜ、“機神”は破壊できない?」

 自分に問いかけるオレフの視線を正面から受け止めながら、エルマは答えた。

「──“機神”は無限の“闇”と繋がっており、そのためにそれ自体は無限小の存在として世界に表現される特異点的存在。その特異性を破る手段がないため、“機神”の外殻は破壊できても、その本体を滅ぼすことができない」

 エルマは答えた。

 無限大の何かが存在するために必要なのは無限小の特異点だ。“機神”とは無限に広がる闇の領域を無限に遠ざかる極微の一点に押し込む形で成立する存在なのだ。

「そうだ。そして世界は表現能力に限界がある。関連する両者の大きさの尺度があまりに隔たると、世界は同時に二つの尺度を表現できない。俺たちが無限小の特異点を認識しようとしても、あまりに小さい尺度の特異点を世界は表現しきれず、法則と確率で支配された形而上の存在で表現する。これを物理的に破壊することはできない。だからこそ、特異点である“機神”の核に近づくごとに破壊の力は届かなくなる。この形而上の存在に変化する限界問題を突破しない限り、“機神”は滅ぼせない」

 これは二人の故郷ラクルの学院において教えられた事だ。歴代の科学者たちが挑みながら、いまだ解答の出せない世紀の難問である。

「……あんたはその限界を突破して特異点を世界に固定する方法を思いついた。そうじゃないの?」

 オレフは答えないが、エルマは彼の返事を確信していた。

「あんた、分かってるの!? 下手をすれば本当に破壊できない“機神”を生み出しかねないわよ!」

「やはり君も気づいているんだな。だったら分かるはずだ! 全ての欠片が揃ってるこの機を逃せば、永劫に答えは得られないかもしれないんだぞ!」

 オレフが決意の眼差しで答える。

 エルマも思わずその迫力に呑まれた。

「その欠片の一つ──俺の身体に埋め込んだ疑似超動力機関の理論は君の研究がなければ完成できなかった。あの研究を捨てた時のようにこの件から逃げることはできない。君もまたこの時を導いた当事者なんだ!」



(あの二人──何の話をしているのだ?)

 エレナの前で何やら議論する科学者の二人だったが、オレフの言葉にエルマの表情が揺らいでいるのを見逃さなかった。

 どのような時も臆することのなかった才媛をそこまで動揺させる秘密をオレフは握っているようだ。

(どうする? オレフはまだ何かとんでもないことを企んでいる。あの女科学者はそれに気づいているようだが──)

 護衛の騎士たちはいつでもオレフを討つ用意をしながら彼女の命令を待っている。

(オレフを倒すか。何があったかは彼女に訊いて──)

 不意に空が曇った。

 その急な変化に空を見上げたエレナはその光景に驚愕する。

「……まさか……」

 エレナの視線の先、遥か頭上に巨大な竜が翼を広げ、エレナたちに影を落としていた。

 その機械の体躯に激しい損傷を刻みながらも圧倒的な存在感を持つ“機竜”は、間違いなくエレナたちを威嚇するように鎌首をもたげていた。

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