“竜墜ち”(1)
「……おかしいわ」
古代エンシアの遺産である装置に囲まれた研究室で、その責任者である女性が呟く。
怜悧な美貌に難しい表情を浮かべ、自らが作成した記録をもう一度、見直している。
彼女の名はマリエル。
ユールヴィング男爵領の敷地内に設けた古代文明研究室の所長代理だ。
以前は男爵の後見人にして古代研究の援助者であったバルネス大公の許、クレドラルの王都で研究していたが、“機神”の復活の際に研究所は壊滅し、研究所が管理していた古代の強化鎧《アルゴ=アバス》(のオリジナル)も大破してしまった。
現在、辺境の男爵領に拠点を移したのは、“機神”の被害が酷い王都では、古代文明への風当たりが強いためだった。それに現在、新しい役目も与えられている。
「グノムス、もう一度、右腕を上げてちょうだい」
マリエルの命令に、部屋の真ん中に立っていた《グノムス》は右腕をゆっくりて上げる。
「どうしたんすか、所長代理?」
振り返るマリエル。
背後から声をかけたのは巨漢の青年だった。眉間に刀傷を遺す、不潔と強面の混ざった怪物面は、白衣を着ていなければ到底、ここの研究員とは思えない風貌だ。
しかし、その白衣も明らかにパッツンパッツンだった。巨大な体躯に白衣の断末魔の悲鳴が聞こえそうなほどだ。
「……アード、その姿は何なのかしら?」
マリエルは怒りを抑え、とりあえず弁明を訊くことにする。
「いやあ、実は僕の持ってる白衣、洗濯するの忘れてまして──」
アードはその風貌とは裏腹な大人しい声で答える。
「それで所長の分、借りたっす。どうせ、ずっと使ってないっすから」
マリエルが記録ボードの角でアードのこめかみを叩く。アードはその場で悶絶する。
「い、痛いっす、所長代理〜〜」
「情けない声をあげるんじゃない! 今日は姫様もお来しになるのに、恥ずかしい格好するな!」
「だから、白衣で正装しようと〜〜」
「余計、笑い物です! こういうこともあろうと、予備の白衣を用意してあるからそれを着なさい!」
「だったら、殴る事なんて──い、いえ、分かったっす」
マリエルの鋭い視線にアードは言葉を飲み込む。
「それより、何を悩んでたんです? グノムスに何か、故障でも起きたんすか?」
アードに訊ねられ、マリエルは思い出したように記録と《グノムス》の右腕を見比べる。
「いいえ、逆なのよ」
マリエルは納得のいかないように首を傾げる。
「小さな所だけれど、故障箇所が一つ、無くなってるのよ。見逃しなら考えられるけど、
何もない場所を故障箇所に記録するなんてないはず──」
「直ったんすかね」
「そんな機能があったら、苦労はしていないわ」
「まあ、そうっすね」
マリエルたちも《グノムス》の修復を試みているが、現在の自分たちの力ではそれもままならない状態だ。現在できるのは、何かある度に整備をして、これ以上の損壊を防止するぐらいなのだ。
「仕方ないわ。後でもう一度、記録にミスがないか、徹底的に確認ね。そろそろ約束の時間だけど、ウンロクの方はどう?」
「ええ、男爵から預かった金属片の鑑定は終わってるみたいっす」
「そう。さすがに仕事は早いわね。それで、報告書の準備は?」
「書いたのを白衣に入れていたみたいなんすが、それを忘れて一緒に洗濯してしまった……そうで……」
握った拳を震わせるマリエルの姿に、アードは顔を引きつらせて後ずさる。
「いや、報告書はちゃんと間に合わせると──」
「当たり前です!!」
マリエルの怒声が部屋中に響き渡った。
マリエルたちがいなくなり、《グノムス》だけが残された研究室。
機材の陰から二人の妖精たちが姿を現す。
「へ〜、ここがグーちゃんのお家なのね」
プリム機械に囲まれた室内を物珍しいそうに見渡す。
「ふむ。急ごしらえの施設にしてはまあまあの設備じゃな」
ダロムも近くの機械を見つめながら頷く。
「それにしても、ワシが試しに修理した箇所にもう気づくとはな。こいつはなかなか、やりにくそうじゃの」
「怪物さんを助手にするなんて、すごい人だね、グーちゃん」
「……プリム、一応、あれも“人間”じゃぞい」
ダロムは施設の構造を確認していく。
「あれがあるとすれば、おそらくこの近くじゃろうな。どれ、探してみるか」
「じいじ、どこいくの?」
「うむ。探しものがある。プリムも手伝うぞい」
だが、プリムは不服そうな顔をした。
「じいじ、いまから向こうでグーちゃんのご主人さまがお話しするみたいだよ。そっち聴きにいきた〜い」
「ワシらが聴いたところでどうにもならんぞい。それに向こうで話をしてくれた方が探し物もしやすいからの」
「プリムたちにだってお手伝いできることあるかもしれないよ」
「あの鉄機兵を直せば十分じゃ。ワガママばっかり言ってはいかんぞい」
ダロムはそう言って、プリムの手を取り、石造りの床の中に潜り込んだ。プリムも強引に床の中に連れ込まれていく。
『……』
《グノムス》が床の中に手を潜り込ませ、やがてダロムたちを掴みながら引き上げた。
「こ、こりゃ、何をするか!?」
「プリムのお願いきいてくれるの、グーちゃん?」
《グノムス》は胸の装甲を少し開き、その隙間に妖精たちを格納したのだった。
研究所の会議室。
そこにマークルフとリーナはいた。
用意された椅子に並んで座っていたが、二人とも無言だった。
「……あの、ログさんはご一緒じゃないのですか?」
リーナが訊ねた。
昨日の件があり、二人きりだとどうしても意識してしまう。
「ログには別件ができた」
「そうですか」
二人はしばらく黙っていた。
「……リーナ」
「は、はい」
「いま、俺の暗殺を狙う奴らがいるらしい」
「マークルフ様を!? ログさんはそれで──」
マークルフは頷く。
「だが、目的が“黄金の鎧の勇士”だとしたら、リーナを狙う可能性もある。そっちも警護は強化するが、気をつけてくれ」
リーナをそれを聞き、真剣な顔つきになる。
「私のことまで知る相手ということですか? ひょっとして、フィルディング一族が動いているのですか──」
マークルフは苦笑する。
「そこまで言うつもりじゃなかったが……少し鋭くなったな」
リーナは微笑する。
「マークルフ様に振り回されっぱなしではいられませんから」
リーナは椅子を動かし、マークルフと向かい合う。
「私も頑張ります。いつでも私の力が必要になったら、使ってくださいね」
リーナは自らを鼓舞するように両拳を握る。
「……すまんな」
マークルフがそう言うと、リーナは小首を傾げる。
「マークルフ様がどうして、謝られるのですか? 悪いのは命を狙う相手なんですから──」
「すみません、遅くなりました」
その時、扉が開いて白衣のマリエルが入ってくる。
リーナは慌てて椅子ごと元の位置に戻ると、マリエルがマークルフの方を確認する。
マークルフが頷くのを見ると、マリエルは資料を取り出した。
「リーナ。いまからの話、よく聞いておいてくれ。今後、大きく関わるかもしれん」
垣間見せるマークルフの真剣な眼差しに気づいたリーナは、膝の上で手を握る。
「分かりました」
リーナも真剣に頷くのだった。
会議室の隅で《グノムス》は床から頭だけを出していた。
その中にいるダロムたちは、外の様子と会話を内部モニターを通じて見ることができた。
「何か、大事な話そうだね、じいじ」
「むう。仕方ないの。話だけでも聞くとするかの」
ダロムはそう言うと、おやつ箱の中から焼き菓子を一枚取り出すと、それにかじりつくのだった。