剣を執る者の道(2)
(とうとう始まってしまったんだね)
マリアは城門近くに立っていたが、城の方から騒ぎが起きると、それから耳を塞ぐようにうずくまった。
(ごめんよ、あんた……あたしはもう見ていられないよ)
これがリーデの望んだ道なのだ。それは分かっていたはずだ。
しかし、あの二人の対決はマリアに遺された在りし日の幸福の記憶までも否定するものだ。
それに直面することはマリアにはどうしてもできなかった。
「すまねえ! 通らせてもらうぞ!」
突如、混乱で開け放たれたままの城門から傭兵らしき一団が乱入してきた。
彼らの腕には赤地に黒の鉤爪のバンダナが巻かれていた。ユールヴィング男爵の傭兵部隊〈オニキス=ブラッド〉の腕章だ。
そして、傭兵の一団の真ん中に一人、外套を羽織った小柄な少女がいた。
トリスの現状を見れば避難すべきはずだが、それでもここに来るのはよほどの事情がありそうだった。息を切らせていることからも急いで駆けつけたようだ。
「あの、大変なところすみません! いま何が起こっているんですか!?」
少女が近くにいたマリアを見て尋ねる。
「あんたら、傭兵の人かい? いまは先に行かない方がいいよ」
「捜してる人がいるんです! ここにログという長身の男の人が来てませんか!?」
マリアは立ち上がった。
「あんた、あの人の知り合いかい!?」
「知ってるんですか!? 教えてくだいさい! いま、どこにいるんですか!?」
マリアはゆっくりと城の方を見た。
「だったら、なおさら行ってはいけないよ――その人はいま戦っている。いや、その人の変わり果てた姿を見ることになるかもしれないよ」
「仮面の女剣士とですか!?」
「それも知ってるのかい?」
少女の顔がはっきりと青ざめていたが、すぐに城へと駆け出していた。
「おい! タニア!」
同行していた傭兵たちも少女を追って行った。
マリアは引き留めることなく、その後ろ姿を見ていた。
リーデとの因縁を知っているところから、アウレウスの仲間たちだと察する。
ふと、マリアの脳裏に夫バルトの言葉がよぎった。
(そういえば、あんたも団長様もよく言っていたね。自分の剣で切り拓いた先を誰かが進んでくれた時、それこそが武人として生きた道だと――)
危険を顧みず、アウレウスを追って城へと駆ける少女たち――
アウレウスがその名を捨ててから生きてきた姿を、マリアは何となく垣間見た気がした。
「答えられないの? アウレウス?」
ログに向かって椅子に腰掛けたリーデが問いかける。
リーデの姿は揺るぎない。戦いのさなか、ログに面と向かってそうできるほどに自らの優位を誇示している。
「滑稽ね。多くの人たちを斬り捨てた血塗れの手が、そんなに震えるなんてね」
リーデが苦笑する。
ログは黙ってリーデとの間合いを詰めた。
腰掛けたままの彼女はそれでも立ち上がろうとしない。
ログは一気に踏み込みと、リーデを剣の間合いに捉えた。
「――答えないのね」
リーデの組んだ腕の隙間から光刃が伸びる。
不意を突いた攻撃だがログは咄嗟に仰け反りながら光刃を躱す。
攻撃を避けられたリーデが表情を変え、後ろに飛び退こうとする。
ログはその隙を逃さずに左の小剣で狙う。座っていたためにリーデもわずかに動きが遅れた。
しかし、逆手に持った小剣ではリーデに辛うじて刃が届かない――
そう判断したログは好機を逃がすまいと小剣を持ちかえようとしたが、その動きが一瞬、鈍る。
その間に椅子ごと後ろに倒れたリーデは床に手をついて後転し、椅子を蹴る。
ログは椅子を受け止め、その間にリーデは間合いを離して着地した。
「……見えたわ。やはり、あなたには迷いがある。いえ、恐怖というものかしら?」
剣を構えたリーデが静かに告げる。
「いま、わざと隙を作ったのよ。迷わずに手を持ちかえていれば、わたしを捉えることもできたかもしれない。それでもあなたは躊躇した。それほどまでにして抑え込みたい恐怖、迷いがあるということよ」
全てを見透かしたような台詞だった。
これもリーデの内に宿る神女の眼力なのだろうか。
リーデは右手を掲げ、剣先をログに向ける。
「わたしはね、あなたと真剣に戦いたかった。神女の力を借りた現在なら剣を通してあなたを理解できると考えていた。そのうえであなたを“最後の騎士”に引き戻したかった……でも、勘違いだったわ。あなたは本当は過去を捨てたのではない。騎士団が壊滅したあの時に、すでにわたしの知るアウレウスではなくなっていたのよ」
リーデが殺気を纏いながら剣を構える。
「いいわ。もう、アウレウスに戻れないなら、いまここで葬ってあげる。神女より受け継いだ〈白き楯の騎士〉の命脈はここで、神女の剣の前に終わるのよ!」
リーデが駆け、ログに斬りかかった。
「――マークルフ様」
マークルフにリーナが声をかけた。
彼女は不安げな表情で天井を見上げる。
「どうした?」
「どう説明したら良いのか分かりませんが――」
「始まったのかもしれんな」
マークルフも天井を見上げた。
ログが戦う相手は神女の化身だ。同じ戦乙女であるリーナは何かを感じたのかもしれない。
「ログ副長、お辛いでしょうね」
相手は恩師だった騎士団長の娘だ。どのような理由があろうと戦いたくはなかったはずだ。
「……そうだな」
マークルフは答える。その憂いを浮かべた横顔をリーナが見つめた。
「リーナ、おまえにはまだ話していなかったな。ログが左手の小剣を逆手に持つ理由を――」
「それは騎士だった過去との決別の証ではありませんか?」
リーナが答えた。
ログは左手の甲に〈白き楯の騎士〉の証である紋章を刻んでいる。紋章に対して逆位置に剣を持つことで、騎士の過去を自ら捨てたのだ。
「それは間違いない。だが、もう一つ、理由があるんだ」
リーナは黙っていた。彼女も隠された秘密があると分かっていたのだろう。
「あいつは過去を切り捨てないと戦うことができなかったんだ」
サルディンの横でルフィン王子が副長と女剣士の対決を固唾を呑んで見守っていた。
戦いを一瞬でも見逃すまいと、じっと見つめ続けている。
(王子……)
あの女剣士は双子の保護者的な立場で、王子も彼女に心を許していたと聞いた。
その彼女が妹を利用しようとし、王子自身がそれを止めるようにログ副長に頼んだ。
その決断がどれほど辛いものか、王子の悲痛な表情だけでも伝わってくる。
そして、どちらが勝っても王子には辛い結果が待っているのだ。
「なぜ、あの者は左手を逆手にしたままなのだ?」
近衛騎士の一人がログを見て呟く。
確かに、彼らにしても頑なにあの構えを続けるのは不利に見えているのだろう。
(分かってるさ。でも、できねえんだよ)
サルディンが内心で呟く。
彼も多少は剣の腕に覚えはある。あの女剣士が副長でも出し惜しみできる相手でないことは分かっていた。
それでも、副長にはできない理由があるのだ。
サルディンはそれを知る数少ない一人だった。
(副長、あんたが踏ん切りをつけられないのは分かる。しかし、このままでは――)
「俺は祖父様から教えられた」
マークルフは祖父との話を思い出していた。
「あいつは騎士団を殲滅しようとした包囲網を独りで脱出し、祖父様の許に身を寄せた。傭兵ログになった後、あいつは何度か二刀流で戦おうとしたことがあったらしい。だが、できなかった。それをすると戦いの途中でも隙ができてしまうんだ」
「隙……ですか?」
リーナが言った。
「あいつは国に捨てられ、恩師や同志を失い、周りの全ての人間から命を狙われた。そんな極限の状況でもあいつは無我夢中で剣を執り、追ってくる全てを斬り捨てながら生き延びようとしたんだ――『信じた道をその剣で切り拓くまで死ぬな』という、騎士団長たちの遺した言葉だけを支えにな」
「……きっと同志の騎士様たちは、ログ副長に何としても生きて欲しかったのでしょうね」
リーナも非業の騎士たちの願いを慮ろうとする。
「そうだろうな。ログもそれが分かっていたから、血みどろな戦いをしてまで生き延びたんだ。正義もない。大義もない。ただ自分が逃げ延びるために、降伏した相手でも逃げようとした相手でも斬った……だが、そのことは現在もあいつの中に悪夢として刻まれている。あいつはどんな戦いの前でも冷静に見えるが、いまもそれを克服できないでいる」
マークルフは祖父から教えられた時を思い出しながら、リーナにその時の言葉を伝える。
「あいつは生来、優しい奴なんだ。正義、大義、国と民を守るという使命があればこそ戦えた奴なんだ。だから、ログは二刀流の構えをするとその惨劇がどうしても脳裏に甦ってしまい、隙が生じるんだ。二刀流で対峙しなければならないほどの相手では一瞬の隙でも命取りになりかねん。だから、あいつは現在の戦い方をするようになった。あの構えをすると悪夢の発作がでなくなるから、安定して戦えるようになったんだ」
「それで、どのような危険な時でもあの構えだけは変えなかったと――」
「騎士の紋章が逆位置になるような剣の構えは、あいつにとって過去をその記憶ごと封印する儀式みたいなものなんだ。しかし、今度の相手はそれで勝てる相手じゃないだろうな」
マークルフは天井を見る。
ログは彼が幼少の時から祖父の懐刀として仕え、自分が跡を継いでからも腹心として困難や障害をその剣で切り拓き続けてきたのだ。
(死ぬなよ。おまえの剣があったからこそ、俺たちは先を進んでこれたんだ)
トリスの城下では民衆の混乱が続いていた。
続く異変によって彼らの不安は頂点に達し、治安部隊の出動も効果がない。
家屋も破壊され、人々の争いもそこかしこで起きている。
これ以上の混乱を回避するためか、外へ続く門はすでに開放されており、そこから脱出する人々の姿も絶えない。
オレフは教会の屋根の上に立ち、黙ってそれらの姿を目にしていたが、やがて空を見上げた。
“機竜”の軌道がずれたことに気づいたからだ。
(司祭長が“機竜”の操作を試みているのか)
オレフは意識を“機竜”に向け、司祭長の命令を取り消した。
それから“機竜”の変化は見られなかった。司祭長もオレフと競って命令しあうような不毛な行動は避けたのだろう。
(これで司祭長も明確に俺の反逆を認める……どう動いてくるか)
だが、オレフには先にやることがあった。
目指すは城だった。
真紅と黄金の光が交錯し、ログとリーデは離れた。
ログの身体には幾つかの刀傷が刻まれ、その呼吸も荒くなっていた。
対するリーデはさして呼吸も乱れないまま、ログに告げる。
「このままだと先に疲れ果てるのはそっちよ」
ログは右手の剣を握った。
剣の対決はリーデが押しており、その劣勢が体力の浪費としてログの身体に表れていた。魔法剣の魔力も後どれだけ持つか分からない。
「そのまま死ぬつもり? 全力も出せずに相手に倒されるなんて、それでもあなたは武人なの?」
リーデの辛辣な言葉が飛んだ。
ログは黙って剣と逆手の小剣を構えた。
「……そう。それがあなたの望みなら仕方ないわ」
リーデが左手の光刃を消して、右手の剣を構えた。
ログが仕掛けた。
二刀によるログの熾烈な攻撃を、リーデは後退しながらも冷静に剣で受け流していく。そして攻勢に割り込むようにリーデの左手から光刃が伸びた。
ログは魔法剣を発動して、それを受け流した。さらに小剣を手放し、空いた左手で魔法剣の柄を逆手に握り、そのままリーデに向かって振り払う。
二刀流のログだからできる間髪入れない攻撃だった。
「――ようやくね!」
リーデはこれも咄嗟に避けるが背後に壁が迫り、距離がとれない。
ログはそれも読んでいた。
(これが最後の好機!)
ログは覚悟を決めて左手の魔法剣を順手に握ると、間合いの取れないリーデに渾身の突きを放とうとする。
その瞬間、ログの脳裏に見えたのは暗き森の姿だった。
肩で呼吸する自分の息づかいが甦る。
――追手の怒号が聞こえた
――悲鳴が聞こえた
――命乞いが聞こえた
――逃げようとする相手
――一人でも逃がせば追い詰められると追いすがる刃
血塗れの刃が閃く度に、倒れていく無数の兵士たちの苦悶の表情がログの脳裏を渦巻く。
何としても生きようとあがき、皆殺しにしていった追っ手たちの今際の姿が――
突きの動きがぶれ、最後の好機だった一撃は避けたリーデの肩口を掠めただけだった。
「――チィッ!」
焦ったログは予備の短剣を抜いて追い打ちを狙うが、リーデが剣に輝力を宿してそれを払う。
短剣が折れて、ログは空振りする。
リーデはそのまま剣を払って壁に突き刺す。輝力を宿す剣は容易に壁に刺さった。
そのまま彼女は剣を手放し、空いた右手で光刃を発してログに繰り出す。剣を構え直す時間も入れない攻撃だった。
ログは咄嗟に魔法剣で受け止めるが、リーデは魔法剣を巻き込んでそのまま光刃を壁に叩き付けた。
光と真紅の刃が壁に突き刺さる。
「覚えておきなさい。壁際に追い詰めた方が有利とは限らないわ」
光刃が消える。
だが魔法剣は壁に刺さったままだ。
「――クッ!?」
ログは剣から手を離して後ろに仰け反ろうとする。
だが自由になったリーデの右手に再び光刃が出現し、ログの胸を薙いでいた。
(副長!? クソッ、副長があそこまで必死だってのに、それでもダメなのか)
サルディンは副長が追い詰められる姿を前に戦慄を覚える。
「リーデ司祭!」
二人の対決を見守っていたルフィンが叫ぶ。
ログ副長が追い込まれ、すでに決着は見えた。
ルフィンがリーデを止めようと足を進めるが、サルディンはそれを止めた。
「殿下! 行っても無駄だ!」
「しかし!」
「いま、俺たちがするべき事はあの女剣士をどうするかってことです」
サルディンは胸から血を流すログの姿を見ながら、ルフィンに言った。
「いま副長を倒されたら妹王女は助けられない。それに“機竜”がどこに彷徨うかも分からない。いま、やるべきはあの女剣士を止めることです」
ルフィンが顔をしかめる。
「すでに俺の部下が矢で女剣士を狙ってます」
サルディンは言った。すでに傭兵たちが物影から弩弓を女剣士に向けていた。
ログが敗れた時に備えたサルディンの独断だ。
「だが、それで仕留められる相手にも見えねえ。失敗した時は副長の救出を優先する。その時の援護をお願いします」
ルフィンが複雑な表情を見せる。
「二人の一騎打ちに泥を塗りたくない気持ちは一緒ですがね。誰かが泥を塗らなきゃいけないなら、それは俺たちのようなチンケな傭兵の役目でしてね」
サルディンは合図を送るため、こっそりと手を挙げる。
リーデがログの前に来た時、矢を撃つ手はずだった。
だが、その視界に思わぬ乱入者を見つけ、その手が止まった。
「あいつらは!?」
ログは後ろに退くが、胸に受けた傷の痛みに膝を屈する。
「……もし、あの突きが完璧なものだったら、わたしも危なかったかもしれない」
リーデが壁から抜いた自分の剣を片手に近づく。
「この期に及んでも、あなたはアウレウスに戻れない。その無様な姿があなたの行き着いた先ということなのね」
ログは視線を上げる。
魔法剣は魔力を帯びたまま、リーデの背後の壁に突き刺さっている。
小剣も手の届かない床に転がり、予備の短剣も破壊された。
傷も致命傷は避けたが深く、身体が悲鳴をあげている。
手詰まりだった。
「……残念と思ってる。そう思うぐらいには、わたしはあなたを信じたかったのかもしれないわね。でも、あなたは結局、あの時に死に損なった只の落伍者だったのよ」
リーデが剣を構えた。
「連れてってあげるわ。お父様たちの所に――」
その時だった。
石や壊れた家財など、ガラクタが次々にリーデに向かって投げつけられた。
「副長! 早く逃げてくだせえ!」
それはログ配下の傭兵たちだった。
「おまえたち!? なぜ、ここに――」
「助太刀ってやつでさあ!」
彼らの先頭に立つウォーレンが叫んだ。
「とんだ邪魔が入ったわね」
リーデが投げつけられた石の一つを受け止めると、それを投げ返した。
輝力を宿す光った石がウォーレンに当たり、光の爆発が起きる。
倒れたウォーレンを部下が慌てて引っ張り、物陰に避難した。
「ログさん! これを!」
ログの耳にタニアの声が響いた。
何とリーデの背後をタニアが迷うことなく駆け抜け、壁に刺さっていた魔法剣の柄を握っている。
「来るなッ! 離れろ!!」
なぜここにいるのか考えるよりも先にログは叫んでいた。
タニアが壁に刺さった魔法剣を引き抜くと魔力の出力を切るも、彼女の肩を投げつけられた短剣が切り裂いた。
「ギャッ!?」
タニアは悲鳴をあげながらも、魔法剣を離すまいとその場にうずくまる。
「よく分かっているわね」
短剣を投げたリーデがタニアに近づく。
「光の刃を使うわたしとの対決には魔法剣が不可欠。魔力をムダに消費させるわけにはいかないと考えたのね」
リーデが剣先をタニアに向ける。
「やめろ! その娘は無関係だ!」
ログは立ち上がって駆けようとする。リーデも身構えた。
「ログさん!」
注意が逸れたリーデを狙って、タニアは身体ごとぶつかる。そのまま持っていた魔法剣をログに向かって投げた。
床を滑り、魔法剣がログの前に転がり込む。
だが、タニアはリーデに蹴り上げられ、床の上に仰向けに倒れた。
「タニア!」
叫ぶログの前でリーデが剣を振り上げる。
「アウレウス! 献身に免じて剣は返してあげるわ! ただし、この子の命が代償よ!」
剣が振り下ろされた。
「やめろッ!!」
ログは剣を掴みながらリーデを止めようとするが、間に合わない。
だが、リーデの剣は倒れたタニアの眼前で止まった。
『――分かったか、我が剣を受け継ぎし子よ』
リーデが告げる――だが、何かが違っていた。
ログと向き直ったリーデの表情からは憤りが潜み、静かな気配を漂わせていた。
『そなたの迷いは私にも読める――そなたは血塗られた戦いでその剣の才を目覚めさせた。だが、その代償としてその悪夢もまた、そなたの脳裏に刻まれている』
まるで全てを知るかのような口ぶりだ。声はリーデの声だが、まるで別の者が話しているかのような響きだった。
『しかし、その迷いでそなたは後れを取り、この娘の命も奪われていたのだ』
リーデがタニアから剣先を離す。
『そなたは生き残るために、名も知らぬ多くの者たちを斬った。その償いにそなたが苦しむのは勝手だ』
リーデが床に転がっていたログの小剣を拾い、それをログの足許に放り投げた。
『しかし、その為にそなたに剣を渡そうとした娘を死なせるのか? その名を捨てたとしても、騎士の紋章を刻んだその手は何のためにある! どのように血塗られていようとも、その手は剣を執るためにあるのではないのか!!』
叱咤するようにリーデが叫んだ。
ログは何故か、確信していた。
「あなたは……神女なのか」
『そうだ。我が剣を継ぐ最後の一人よ。剣を執れ。そなたは戦わねばならん。戦って私を倒してみせよ』
「……神女御自らが戦おうとされるのか?」
ログは足許の小剣を見ながら尋ねる。
『この身体を借りた娘は、私が直に戦いたいという頼みを受け入れてくれた。だからこそ、私も彼女の願いを引き継ぎ、そなたと決着をつけるために戦う』
リーデが剣をログに向けた。
『さあ、答えを聞かせてくれ。最後の子よ』
ログはリーデの背後で起き上がるタニアに目を向けた。
「……タニア、どうしてこんな所まで追って来た? なぜ、あんな無茶をした?」
「すみません……でも! ログさんが一人で行くのを黙って見ていられなかったんです!」
タニアが肩の傷を手で押さえながら、リーデを迂回して近づく。
「それにあたし一人じゃないですよ! ウォーレンさんたちだって、いつもログさんに助けられてるから、こんな時ぐらい役に立とうって――」
ログが振り向くと、部下に支えられたウォーレンが親指を立てて応える。
ログの左手が震えていた。
『そなたもやっと気づいたであろう? 目の前の悪夢に捕らわれていたから、その背中を追ってくる者たちの姿を見ようとしていなかったのだ』
リーデが告げた。
『血塗られた剣であろうと切り拓いた道を、そなたを追って、誰かが進んでいるのだ。その者を血に染めるのか? 切り拓いた道を血に染めることがそなたの望みか?』
「俺は――」
ログは目から涙がこぼれているのに気づいた。
自らの意思ではどうにもできない、とめどない涙だ。
「ログさん――」
タニアが近づこうとするが、ログはそれを手で制した。
そして、その手で涙を拭う。
ログにはこの涙の意味が分かっていた。
あの時、あの殺し合いの時に流すはずだった――あまりに血に染まった自分には許されないと思っていた涙なのだ。
「すまなかった、タニア――」
ログは小剣を左手で拾い上げ、順手で握りしめた。
そして右手で剣を構える。
長らく封印していた、ログの本来の構えだ。
「一つだけ、頼まれて欲しい」
ログはリーデと対峙しながらタニアに言う。
「何ですか?」
「前と同じような頼みだ。わたしはいまから本当にアウレウスに戻る。だから決着がつくまでログの名を預かってほしい」
「……分かりました。でも預かりっぱなしなんてイヤですからね! 絶対に死なないでくださいね!」
ログはうなずいた。
『では、始めようか』
リーデの左手から光刃が伸びた。
『私に見せてみよ。受け継がれし我が剣、そして行き着いた先にあるそなたの剣を――この私にまで届くのかどうか、この戦いをもって示せ』
ログとリーデは二刀流の構えをとる。
『そして私を超えてみせよ』
構え、呼吸、そして気迫――両者の姿がまるで写し取ったように相似していることを、立ち会う者全てが感じていた。
長い年月と人々の意志を受け継いできた剣がいま、神女そのものに向けられようとしていた。




